プロローグ-02 燃え上がる世界に現れる死神
六月某日の夜。街外れにある工場は──煌々と燃え盛っていた。
上がる煙、飛び散る火の粉、響く人の絶叫。
視界が赤に染まり、全てが絶望と言う旋律を奏でる中、小太りの男性が泣きながらに走っていた。
「なんでっ……なんでっ、こんなことに……」
彼はこの工場の管理を任されている──言わばここの社長的存在と言っても過言ではない。
そもそも、彼は長年苦渋を舐めさせられてきた側の人間だった。
えらい奴らに媚びを売り、むかつくようなことを言われても平然と過ごし──ようやく、ここまできた。
だが、まだ上を目指していた、いや、目指せると思っていた。今日、この日までは。
彼が精魂込めて作った全ては、たった一人によって瓦解させられた。死ぬような思いをして集めた材料も、詐欺まがいのようなことをしてようやく得られた人材も。積み上げてきた金も、信用も、何もかも。
「くそ……くそ、くそくそくそ!!」
出口に向かって走る彼の視界には──炎に包まれる従業員の姿がある。だが、そんなこと知ったものか。そう、必要なのは彼が生き残ることだけだ。その他すべては、彼の食い物だ。彼の、身代わりだ。
そう、そうなのだ。自分さえ生きていれば、どこかでやり直せる。
「やあ、随分と死にそうな顔してるじゃないか」
──しかし、そんな甘い考えは、近づく足音──死神の鎌を持った奴によって切り捨てられる。
外見を人に見られるのが嫌なのか、それともただ単に趣味なのか。髪の上にシルクハットをかぶった、嫌に不健康そうな人面の奴だった。だが、侮ってはならない。
厳重な警備をたった一人で危なげなく突破し、彼の全てを一瞬で奪ったのだ。
「ああ、ああ。警戒する必要はない。どうせ、殺す気なんてないからね」
「な……なんだ、何が目的だ……? 金か、それとも……」
「金なんて要らない。そもそも、ここを襲ったのだってこっちの気まぐれだよ。障害になるかもしれないから、敢えて潰させてもらったに過ぎないだけ」
「あ……あ、ああああ……」
目の前が、黒に染まる。終わる、終わった、詰んでしまった。もう、どうにもできない。
諦観が、彼の全てをぶち壊していく。
「だけどまあ……君がどうしても見逃してほしいと言うなら、勿論対応はするよ?」
「え……?」
その悪魔は、シルクハットを少しだけ上に弾いて。
「取引をしようじゃないか、工場長──高木守。君か、君以外かをね」
六月六日。金曜日朝8時。
秋田から青森にかけて広がっている山地──白神山地。その麓。誰もが入りたがらない森の奥に、まるで一線を画した、別の世界に舞い込んだように錯覚させる一つの豪勢な館があった。
──白神家。三家として魔法士界に君臨し、600年前から白神山地に居座っている。
東京ドーム数個分に及ぶ敷地を有しており、いわゆる東北に住む魔法士の元締め的存在である。
敷地には領主が住む屋敷──館を連想してくれればいい──や、魔法士を育成するために作られた訓練場、恐ろしいほどまでに広い庭に、訳の分からない銅像が数個立っている。それらを通り過ぎ──白神家が有している敷地の最奥。そこにある祠で、一人の少女と青年が話し合っていた。
「せやから、頼むで。桃華」
「で、ですが! 私にいきなり愛知に、しかも見知らぬ土地に行けなど……」
日本人に似合わぬ、というかまず見ない金髪に、碧眼。日本人としての外見を一切そぎ落としたかのような少女──桃華と呼ばれた少女は目の前の男性から告げられた言葉に反発していた。
それも当然だ。今日まで育った土地から離れ、誰も知っている人間のいない土地へ行くなど。自分で決断したのならばともかく、まず高校二年生──もしくはそれ以上に幼い少女には受け止めきれない事だろう。
だが、彼女に背を向けている青年は聞き分けのない子供をあやすように、優しい声で答える。
「確かに、桃華に任せるんわ厳しいかもしれへん。けどなあ……こっちも人手がおらんのや。オレがいってもええんやけど、その場合爺やにどやされそうでなあ。今、なんの仕事を受けていない言うたら、桃華しからん」
「そ、それは理解していますわ……ですが、お兄様。私はまだ魔法士としても至らぬ身で……」
「別に、能力を買って言うとるんやない。ええか、これはあくまで監視、という役目や。とっくに、他の家はやっとる。そういうわけで……桃華。もう一度、任務を確認するで」
桃華という少女にお兄様、と呼ばれた青年は人差し指をまず立てて。
「桃華への任務は二つ。まず、最近噂になっとる神薙芽亜の監視。これについてはまあ、心配する必要はないやろ。ここは他の家と同じ。そして、もう一つ。……今になって戻ってきた『愚者』の監視や。それが桃華に頼む仕事……おーけーやな?」
「──分かり、ましたわ……この白神桃華。必ずやお兄様のご期待に応えて見せますわ」
「期待しとるで。オレの、たった一人の妹よ」
一人の少女──白神桃華は、当主にして彼女の兄白神有馬の言葉に従い、荷物を纏めるために足早に去っていく。
その後ろ姿を眺めながら──近づいてくる気配、当主に付き従う執事に向き直って。
「あれでよかったのですか?」
「ああ。充分に義務を果たしてくれるやろ……で、オレとしては桃華の、とっつきにくい性格がなくなって、友達ができるといいんやけどな」
「それは……難しいかと。むしろ、桃華様は心を閉ざす傾向にありますので……」
「それでもや。──そうでもなければ、ほんまにあいつの人生楽しくなくなってしまう。オレは楽しんでほしいんや、あいつに。定められた運命の中で、な」
そうして、時は動き出し、新たなる局面を紡いでいく。
第二章開始です




