10話 立ち寄った店の中で
「いやーありがとうね、神代君……ええと、それと……」
「か、神薙芽亜です……」
「そう、神薙さん」
目の前で行われる微笑ましいやり取りに、なんだか一日中思いつめていた自分が馬鹿らしくなってきた優は、椅子に腰かけながら頼んだミルクティーをすすりながら目を細めていた。
あの後、本屋に行っていた委員長が戻ると、当然優の顔にある張り手の跡に疑問を持たなかったわけではなかったが、そこは適当に言いつくろった。
(しかし……やっぱり、女子同士の買い物ってすごいな……)
女子二人が何らかの会話で盛り上がりを見せている中、優は今日の事──メアと共に行動しだしてからの委員長の張り切りっぷりを思い出していた。
とはいえ、それを思い出すと張り手を思い出すのでそこは思い出さないようにする。
「しっかし……なんか、パーカーを愛用する所とか、ミルクティーしか飲まない所とか……なんか二人って結構接点というか、共通点あるんだねえ」
「うーん……まあ、メアの方はどこにでもいる少女の感覚ではないかな? 俺の場合はちょっと別物だし……」
優とメアの前にあるコップの中身を見て、意外な共通点を見つけ出す委員長。
とはいえ、メアの方はあくまで普通の少女の感性だろう。むしろ、普通の感性から外れているのは優の方だ。
一応、中学時代の時は交流が広かったのだが、どうしても優と同じような趣味嗜好を持つ人はついぞ見つけられなかった。ゆえに、優としては今のところではあるが同じ趣味嗜好を持つ人間同士として甘い食べ物を巡るということでもしたいところだ。
まあ、実際は不可能だろうが。
そんな風に、ありもしない仮定に、ありうるはずのない想像に思いを馳せていると──不意に、メアが窓、正確にはその奥を見る。
何ともない、優がこの街に来てから何一つ変わらない青空に街並み。だが、メアは、メアだけは違った。まるで、その先に、異様な空間でも見ているようで──。
「……っ。──すいません、用事が出来たので……私、ここで帰ります」
「──? まあ、用事があるならば、しょうがないと思うけど……どうしたんだ? そんなに急いで」
「神代君。女子にはね、効かれたくない事情ってのがあるんだよ?」
「すいません、神代先輩……それじゃ」
「ああ……。って、メア。自分のパーカーを忘れてるじゃないか……」
「なんか急いでたっぽいからねえ……神代君届けてあげたら?」
メアが急いでこの場から去った後、優は自分の手に持っている彼女のパーカーを思い出す。そう、委員長との買い物で来ている服を変えさせられたためパーカーを優に持たせていたのだ。
メアがこのことを忘れていたのかどうかは判断がつかないが──。
(いや、恐らく頭から抜けたんだろう。委員長でも分かるぐらいに焦ってたから)
ともかく、この場でメアの家を知っているのは優だけだ。普通ならば、こういうのは女子が持っていくのが鉄板なのだろうが、メアも会って数時間の人間に住所を知られるのもいい気分ではないだろう。
そして、委員長も持っていく気がないのか、ものすごくおっさん臭い顔──にやけ顔で優に届けることを進めてくる。
「なんか顔が癪に障るけど……ま、別にいいか。どうせ、この後もすることないんだし」
この後することと言えば、メアに対する指導だけだ。とはいえ、時間的には後数時間も残っている。委員長と別れ、一度家に帰るにしてもいかんせん時間を浪費する。
ならば、一足早く足を運んで指導を早くから始めると言うのも手ではある。
(ただし……メアがそれまでに帰ってくる場合だけども。遅かったらどうしようか)
先ほどの通り、メアには何らかの緊急の用事があるらしいのだ。となれば、指導までに帰ってこられるかどうかが分からない以上、現実的でないし、渡す機会があるかも怪しい。
──が、それまでの平穏をぶち壊すように。
ドゴォ!! と、雲一つない空で、雷が音を立てて優が向いた先──町の中心へと落ちた。
(な──雷……じゃない! あれは、なんでっ……!?)
覚えがあった。別に天気が崩れているわけでもないのに、突如として雷が落ちる現象──それ即ち、別の世界とこちらの世界がつながった証拠だ。
──そう、優達が今住んでいる世界と、もう一つ。裏側に存在する、最悪の世界──地獄を。
(誰が……誰がっ。誰が接続させた!? そもそも、あちらの世界と接続させる方法を知る者なんて誰もいないはずなのに……!?)
絶対にありうるはずのない光景に、思わず優はたじろいでしまっていた。
だって、ありえない。ありうるはずがない。あってはならない。
あちらとこちらを繋ぐゲート、つまり門を開ける方法を知る者は間違いなく3年前の戦い──もしくは、16年前の決戦でいなくなったはずなのだ。なのに、なぜ──誰が、開いた?
「委員長……逃げてっ……?」
そんなことを気にしている暇ではない、と即座に切り捨て、まず傍に居る少女に避難を告げようとして──気づいた。向かい側に座っていたはずの、飲み物を飲んでいたはずの少女が消えていることに。
テーブルの上には飲みかけの飲み物が消えており、もはやそこに人がいたと言う痕跡すら消えている。
「どこに……!? いや、それよりも……」
懸念すべきは──接続した先に訪れる被害だ。
──魔法士達が戦ってきたのは魑魅魍魎でも、怨霊などでもない。その先に潜む者──全ての根源とされる、悪魔達だ。ただあるがままに全てを滅ぼし、散歩感覚で何もかもを奪い去っていく奴らだ。
地獄──魔界とこちら側を接続させれば、こちらとあちらを隔てている門を開ければ、魔界に縫い止められている悪魔達はこちら側に溢れる。
理解できていないはずがないだろう。分かっていないはずはないだろう。なぜなら、この悪魔達のせいで、死ななくてもいい人間が、何の罪もない人間が殺されたのか、魔法士であるならば知っているはずなのに。
(ともかく……避難を優先させるべきか。どこに……いや、もうここでいいだろう。ここならば、まだ広い。と、なれば……さっさと行動するべきだ)
今の自分に戦えるとは思っていない。武器も何もない状態で突っ込んだところで、ただの足手まといになるだけだ。優の切り札も、結局は時間制限がある。
この街だけでどれくらいの人が、どれくらいの規模があると思っているのだ。優一人で、全部庇えると?
不可能だ。そんなことは出来ない。
ならば、戦える者が来るまで避難誘導をするしかないだろう。
「そうと決まれば、早く行動する必要が……」
自分の荷物と、神薙芽亜──メアが忘れていったパーカーを持ち、店の外に出ようとして──そこで、ポケットに突っ込んでおいた携帯が振動し、電話が来た際に設定している音楽が流れだす。こんな非常時に一体誰だ……と心の中で愚痴をこぼしつつ、しかし無視するのもなにか悪い気がするので、ポケットから携帯を取り出し──。
「天城……?」
『はい。私です、優さん』
「どうしたんだ、こんな時に」
『──優さん。そちらで、謎の雷が目撃されたとの報告が来ました。……、本当なんですか?』
今、天城は京都──恐らくではあるが、陰陽党の本部の近くに居るのだろう。そうでなければ、組織が違うはずの彼女に陰陽党監視下の地域の情報など、回ってくるはずがない。
陰陽党の恐ろしいところは、三家よりも組織が大きいにもかかわらず、情報が錯綜せずに正しいままで、尚且つ彼らよりも速い速度で伝わるところ──情報伝達が徹底されている所だ。
陰陽党の本部には幾つもの電話──それこそ、全国に配置されている支部の数だけ──が設置されており、いつ、どこで、どんな事件が起ころうと把握することが出来るのだ。
恐らくは、天城が陰陽党の者──真壁、もしくはくるみらと話し込んでいる最中に来たのだろう。そして、現在最も情報を正確に掴んでいるだろう優に掛けて、真偽を問うてきた。
──裏を返せば、それほどまでの信じがたい事だったのだ。
「ああ……間違いない。門が開いた。たぶん、もう街中は地獄だ。悪魔……魔獣みたいのが蔓延ってると思っていい」
『事態は、急を要する、と。そういうことで間違いはありませんね?』
「ああ。陰陽党の支部の人間が、どれだけ出来るかによって被害のほどは変わると思う」
『そうですか……ちょっと、くるみさん黙っててください。そもそも、今式神を持っていない優さんが事態の中心に首を突っ込んじゃったら、それこそ危険ですよ』
なんだかもう、電話の向こうで繰り広げられている会話について容易に想像できてしまう自分が嫌になってくる。大方、天城の方では優がいるから問題ない、とか言っているんだろうが、無理だ。絶対無理だ。
『──っ、優さん。神薙芽亜は?』
「メア? いや、確かにさっきまでいたけど……待て。まさか……」
『はい。そのまさかです。神薙芽亜の監視役……夜叉神の者から、連絡が来ました。優さんと別れてから、恐らくは事態の中心に向かったと』
「馬鹿、野郎……!」
直前のメアの不自然さに、これでようやく合点がいった。
何らかの方法で、メアは今回の出来事が起こる事を掴んでいたのだ。とすれば、彼女の性格──優も一週間しか指導していないので、完全に把握しているわけではないものの──からすれば、まず突っ込むのは自明の理だ。
「ちくしょう……迂闊だった。まさか、そういうこととは……」
『優さん。一つだけ、優さんに頼みがあるのですが……いいでしょうか』
メアの行動を止められなかったことを悔やむ中、天城は冷静な声で、それでいて少しだけ委縮した声で、そう告げた。
「──何を?」
『神薙芽亜──彼女を、助けてくれませんか?』
「はあ……はあ……」
雷が落ちてから、約数分。メアは路地裏を走り抜けていた。
(あの雷……まずい。急がなくちゃ、魔獣が……)
実家に居た頃、少しは聞いたことがあった。魔獣──悪魔。人を脅かすものの存在。
実際に目にしたことはないものの、それでも予感だけはある。あのまま何もしないで、神代先輩と一緒に行動していれば、被害は甚大になると。
(でも……これが最善だったかは……)
そこだけは、メアには判断がつかない。そもそも、メアには彼が──神代優と言う存在がどこまで強いのか、それが分からないのだ。強者であるのならば、それ相応のオーラが出てもおかしくはない。
とはいえ、彼は陰陽党──正しくは、柏木由紀から送られてきた精鋭だ。魔力の使い方も、魔法も全て。メアよりも知識があり、同時にメアよりも果てしなく強いとは思える。
だが、普段の柔和、というかなんというか、それのせいか、彼の強さというものが感じ取れないのだ。
(とにかく……急いで向かって……っ!?)
だが、突然。何かに殴打されたような痛みが、メアの後頭部を襲い──そして、嘲笑う声が聞こえた。
「全く……こんな雑魚一人を歩かせるなんて……こいつの師匠とやらは一体何を考えてんのか……ま、おかげで仕事がやりやすくなったんだけどさ」
(まずっ……誰かに、誰かに助けを……)
誰に、何を求めると言うのだ。今からでは遅いし、何より──。
──誰の手も借りず、誰の助けも得ず、一人で生きていくのではなかったのか?
そんな嘲笑が脳裏に響き、結局何も出来ないまま地面に倒れ伏す。
絶望と困惑の狭間で、揺れ動きながら──最後に、優の顔をなぜか思い浮かべながら、メアは意識を手放した。




