7話 星屑が輝く夜空にて
「さてさて、駒は失敗したか……」
5月19日、夜1時。
彼が放った──正確には、手元から逃げ出した魔人のなり損ねが下されて、約五時間後。彼は、その公園内に足を運んでいた。
無論、証拠など残っていない。
五時間も経ってしまえば、陰陽党の支部の連中──もしくは、三家などが出しゃばってきて、あの出来損ないを回収し、証拠隠滅もできる。
「だが、消えないものもある。……そう、君は一体誰だ?」
五時間前、魔人のなり損ねである男を下した、中背中肉の人間。特徴らしい特徴は存在せず、それらしい雰囲気を欠片も持ち合わせていない何者か。決して届くことのない疑問を、その場に落とす。
「魔人のなり損ね、とはいえ……あれほど、強化された個体を下すなんて、それこそ第二会位以上でなければできないはずだ。だが、君のような人間は知らない。情報も何もかも、存在していない」
魔人のなり損ねが敗北した、という情報を、最近手に入れた駒から聞いたときには正直、驚愕を禁じ得なかった。この地にいる魔法士如きでは、下せないと高をくくっていたのだが──どうやら、少しばかり見通しが甘かったらしい。
他にも、魔法士階位、第二階位──アルカナナンバー3『女帝』の天城音々が出没しているという噂もある。
「少し、まずいか。いや、計画に変更はない。なぜなら──どれだけの強者が居ようと、町全体を覆う恐怖から、全てを守り切ることなど不可能なのだから」
もうすぐ。もうすぐだ。何者かからもたらされた情報──とある世界との接続方法。門の開錠方法を教えられた彼は、もうすぐで何もかもを血祭りにあげられるところまで来た。
「はは、はははは! 誰にも邪魔させない。ここが、こここそが、僕の王国となるんだ!!」
「そういやさー、例の殺人犯。昨日、公園で捕まったらしいぜ? しかも、噂じゃあ、ボコボコにされてたって話だ。いやまあ、しでかしたことを考えれば、自業自得っちゃ自業自得なんだけどな」
「ああ。間違いなく、自分がしでかしたことが返ってきた結果だろう。とまあ、これで学校がいつも通りになったけど、今の感想は?」
「最悪だよ、チクショー!」
5月20日の朝八時。学校に登校し、クラスの席に座った優は、近くにたむろっていた啓二と今まで学生の話題となっていた殺人犯の事について話し込んでいた。
ボコボコにした、という点がどこから漏れたのかは甚だ疑問だが──今の時代、完全に情報を遮断することも難しいのかもしれない。
何はともあれ。騒がしかった原因は去り、いつも通りの日常に戻った。
ならば、喜ぶべきだろう。
「ねー、神代君。最近さ、放課後早いけど……どこか行ってるの?」
「ああ、確かに。いっつも、勉強だのなんだの言ってる割には、残っちゃいねえよな! ──はっ、まさか、お前、誰か恋人でも……!?」
「安心しろ。そんなことは絶対にありえない。というか、そもそもの話、人のプライベートに足を突っ込まないでくれるかな!? 委員長のはいいとして、啓二、お前だ! お前、勝手に便乗するな!」
「げふん」
顔を指さされ、そっぽをむく啓二を余所に、優は委員長の質問に答えることにする。
「なにもないよ、面白い事なんて。残念ながら、ストーカーまがいの行動取っても家に居るだけだから、つまらないと思うよ?」
「なんでストーカーするっていう方向になるの!? 私、そんなことしないよ!?」
「いや、そんな目してたじゃないか。口割らないなら、地の果てまで追いかけてやろうっていう、気概がさ」
神代君てば、私にどんな印象抱いているの、と憤慨する委員長の声を遮るかのように、最初の授業の始まりを告げる鐘が鳴る。
(どうやら、今日も平常運転かな……)
そんな風に、最近崩れかかっていた日常を再確認するように噛み締め──いつも通りに過ごすのだった。
「なんて、あるわけないですよねえ!?」
なんて、感傷に浸っていたが──結局無理だった。
やはり、神代優と言う人間は不幸なのだろうか。一つ不幸が起こると、連鎖して不幸が訪れる体質なのかもしれない。
そう、事の起こりは──学校が終わって、一度家に帰ってからメアの所に向かおうと思ったが、その前に携帯に一通のメールが届いたのだ。
そこには、匿名と書かれたメール──最初、優を公園に導いたメールとは書き方や癖が違う──が送られており、訝しみながらも開いてみれば。
「『お前は誰だ?』、と来たか……しかも、これ、本人の携帯から送られてきていないか? 柏木さんとかに回せば、すぐに解析できるけど……これは、それを見越してなのか? それとも、ただ単にそこまで頭が回らなかっただけなのか?」
実際、このメールの差出人など、柏木あたりに回せば恐らくは半日──最低でも、一日あれば解析が済むだろう。ゆえに、こういうのを送る際は位置が特定されないような小細工を施すのが常識なのだが──。
「いや、むしろ。そもそも、そう言うのに慣れていないのか? こっちの世界に来たのも、つい最近とか? ──罠の可能性だってあるし、下手な手は打てないけども……」
メールを特定できるようにしておくところや、わざわざ連絡をしてくるということは、素人の可能性が高い──どころか、本当に素人かもしれない。
つまり、こいつがこの連絡を送ってきた時点で、裏があると認めているようなものなのだから。今、こいつは優位性を捨てた。
裏がある、という疑惑はあったが、それを確証する手立てがなかったゆえ、敢えて見逃していたのだが──これはもう確定だろう。
──今回の件、裏がいる。
「ま、そんな風に確信したところで何もない……まあ、どこから俺のメールアドレスが漏れたのか、甚だ疑問だけど……」
そこが問題だった。少なくとも、優のメアドを知っているような人間はほとんどいない。今はSNSが発達してきているので、連絡などもそちらで済ませる、というのが定石になってきているのだが、当然、友達も少ない優にSNSをやる勇気はなかった。
ゆえに、優はメールでのやり取りだけに限定していた。それも、啓二や委員長と言った、ごくわずかな者のみしか教えていない。
「ともかく……こっちも、ちゃんと吟味するべきだろうね」
そして、もう一通。優を困らせるメールがあった。
『神代君、今度の日曜日暇? だったらさ、駅に一緒に行かない? 勿論、神代君と私だけじゃないから、デートなどと勘違いしないようにー』
委員長からの短い文だった。つい先ほど、例のメールが送られてくる数分前に送られてきたものだ。内容は、見ての通り。
「これ、どうするべきかね……」
そんな風に、げんなりとしながら、これからのことに頭を悩ませた。
「やあ、天城。何日ぶりかな」
「はい。お久し振りです。優さん」
メアとの訓練が終わり、優はつい先日前。知能を失った男を下した公園内に来ていた。
そして、前には黒の長髪をポニーテールに纏めた美少女──天城音々が佇んでおり、優は躊躇なく彼女の下へと進む。
時刻は既に21時を回っており、帰らなければいけない時間なのだが、天城からの呼び出しがあったので来ないわけにはいかない、そんな強迫観念にとらわれ、指定されていた場所に来たのだ。
「立ち話もなんですから、こちらに座りましょう?」
「ああ。どうせ長くなるんだろうし」
嬉しそうな顔を見せる天城に連れられ、公園内にあるベンチに腰掛ける。見上げれば、満点の星空が広がっていた。
優が今現在住んでいるところ町は、人口が少なく──こうして、夜の光景は鮮明に映るのだ。こういうこともあるので、一部の人間からはデートスポットとして、認識されている。
まあ、優には関係ない事だが。
「それで、なんですか……先日、優さんが倒した殺人犯……その、情報です」
「意外と早かったね。でも、そういうのって流していいの? 機密情報なんじゃあ?」
情報を回してくれるのはありがたいのだが、あまり見境なしにやると、いずれ制裁が下るのではないか、などと心配している優を余所に、天城は自分の携帯に視線を落とし、おもむろに操作し始め──恐らく、彼女が作成したであろう資料を表示する。
「えーと……今回の首謀者である者──便宜上、男性Aと仮定し、話を進める。精密検査の結果、魔力反応が異常なほどに検知されたものの、魔人のそれには及ばないことが分かった……ここだけ見ると、魔人でない、っていうことなんだけど」
「ここまでなら、ですよ。ちゃんと次も読んでください」
天城に急かされ、彼女の携帯を横にスライドし、その先に添付されている情報を読み進める。
「しかし、魔人特有の反応……知能を失い、まともな思考を保っていない所から見れば、魔人そのものであることは間違いない……これさ、魔人ってのは、いつもこんな感じなの?」
「前にも言ったと思いますけど、魔人と言うのは身に余る能力を宿す事と同義です。つまり、それだけ弊害も出やすい。完全な形での魔人化はほぼ不可能とされています」
「まるで、悪魔の召喚みたいだ……力を与える代わりに、何かを代償としてもらっていくんだから」
「はい……そして、その甘言に惑わされ、魔人に手を出す輩が大勢いるのも現実です。せめて、三家の足並みさえ揃っていれば、防ぐ手立てもあったんですけど……」
「ま、彼らは協力するっていう単語を知らないからね。というか、協力なんてしたら、それこそ三家なんて区別もされなかった気がするし、第一長年の溝が、そう簡単に埋まるわけでもないしね。それでも、白神なんかは協力を申し出てるみたいだけど」
大体、三家の概念が出来てから約400年が経っている。その間、彼らは今の今まで独自で発達し、協力せずにやってきた。それだけの長い年月を、考えも変えずにだ。
もう、ここまで来れば頑固とかそういう次元を超えている。
「結論から言えば、男性Aは間違いなく魔人。だが、中途半端な結果として……夜叉神家は、これを魔人のなりそこない、つまり今まで多発してきた魔人関係の事件と同一視する。なお、今までの事件の裏に隠れていた存在……それを調べるため、アルカナナンバー3『女帝』、天城音々を愛知へと派遣することとする……」
「そういうわけです。この前電話した際、忙しかった件。先日、私が愛知に居たと言う件。これで全部つながりませんか?」
「いや……いやいやいや。待て、それだと因果関係が成立しないけど!? 第一、それが判明したのはついさっきだろう!? それだと、天城が先日からここに居た、という点が説明できないが!?」
「ちゃんと、説明できますよ。──そもそも、これは確定事項だったんです。魔人、その存在を掴むために、私を派遣すること。ただ、愛知に派遣されるのは……つい最近決まった事なんです」
「そう、だろうね。第一、最初からここってのがおかしかった。むしろ、天城を派遣するならば、陰陽党が構えている京都──近畿の方がいい。腐っても、日本の地理的に見ても、魔法的な意味合いで見ても、重要な場所だ。普通ならば、まずそっちに行かせる」
昔から、悪事と言うのは大体京都付近で事が行われてきた。陰陽党が構えていたり、安部家や魔法を編み出したとされる『大導師』がいるにもかかわらず、なぜそんなことが起こっているのかは今でも解明されていない。
ただ、優は京都に何らかの鍵があるのでは、と考えている。悪党達がこぞって欲しがる何かが、あそこにはあるのだ、と。
「決め手だったのが……神薙芽亜の存在です。こういうと、優さんは怒るかもしれないですけど……私達は彼女が、魔人に対して何らかの接点があるのではないか、と疑ってるんです」
「──一応、理由を聞いておこうか」
予想外の名前が出てきたことに驚き、しかしその後口から出てきた荒唐無稽な噂に関して、優は努めて冷静に天城に問い返す。
天城は、そんな優に申し訳なさそうに目を伏せて──。
「神薙芽亜……彼女の存在は、あまりにも異質なんです。なにせ、五年も経って第七階位というのは、まずありえません。だからこそ、魔人に出会って、何らかの処置をされたのではないか。もしくは彼女自身が魔人なのではないか、と。──勿論、私は違うと言ったんですけどね……夜叉神家も一枚岩じゃなくて……」
「頭が固い、ご重鎮の方々か……全く、天神のクソジジイみたいにめんどくさい奴らだ……」
偏屈な頑固ジジイ達を脳裏に思い浮かべ、内心で思い切り舌打ちをする。
神薙芽亜はもしかしたら魔人に繋がってるかもしれない、もしかしたら、もしかしたら。
そんな勝手な都合で、メアが無関係なことに巻き込まれるのが優には我慢ならない。なぜなら、メアは普通の人間だ。まだ、メアの事は何も知らないけれど、彼女が強くなりたいと願っていることしか知らないけれど。
──分かることはある。
神薙芽亜──メアは、決してそんなことに手を伸ばさない人間だと。紛れもない、善人だと。
「だからこそ、神薙芽亜──彼女を、一人前へと仕立て上げてほしいんです。このままでは、いずれ大きく取り沙汰されてしまう。今はまだ大人しい、天神や白神も、彼女を見極めるために一計企む可能性も捨てきれません」
「──それが、柏木さんが俺に依頼してきた理由か」
「実際、それだけ、ってことはないんですけど……まあ、概ねそんな感じです」
「──分かった。よし、一度この話は置いておいて、他の話に華を咲かせよう。うん、そうするのがいい」
柏木から得られなかった理由──それを天城から聞いて、ようやく納得できた。
確かに、魔法士全体が揺れている中で、怪しい人間が居れば怪しんでしまうのが人の心理だ。こればっかりは、誰も責められない。
だが──実のところ、優自身そこまで彼女を持っていくとは想定していない。
とはいえ、彼女の切羽詰まった状況を聞けば、優の心も若干ながらに変わりつつある。
(まずいな……このままじゃ、メアに肩入れしてしまう……そうなったら、もう平穏には戻れない。気を引き締めろ)
一度、優は自身の頬を思い切りひっぱたき、彼女に向き合い──改めて、天城へと質問を投げかける。
「──それで? 俺をここに呼んだ、もう一つの理由ってのは?」
そう、天城が優をここに呼んだのには二つ用事があったから。まず一つは魔人関係。そして、もう一つがこれから語られる、ということだ。
「──私、思うんです。優さんを、本当にここに戻してきてしまって、よかったのかって」
優に一度も視線を向けずに、夜空に散らばる星空を眺めながら──天城は口を開いた。
「それは……どうして?」
「この一週間、ずっと優さんを見ていました。学校に居る際の優さん、一人でいる際の優さん、神薙芽亜と居る際の優さん……どれも、見た事のない、顔でした」
「まず、人のプライバシーを壊すのをやめようか! 第一、それはストーカーだし、そもそも、どうやって色々と隠し見たっ!?」
勝手に自分のプライベートを見られ、憤慨する優だが、天城はあくまで彼に取り合わない。裏を返せば、この件は天城にとってあまりにも大きな疑問なのだろう。
「優さん。楽しそうだったじゃないですか」
「──」
「私は、優さんと一緒に仕事をしていて……あなたの、心の底からの笑いを見た事がありません。3年前は、いつも何かに取り憑かれているような、何か張り詰めているような感じの笑い……愛想笑い、っていうんでしょうか」
天城に核心を突かれ──思わず、優は目を見開いて、壊れかけた機械のように首を回した。
その視線の先には、目を細めて何かを思い出しているような天城がいて──。
「もしかしたら、私は、凄く個人的な感情で、優さんの気持ちも考えないまま、無理やりに引き戻してしまったのでは……そんな風に、ずっと考えていました」
天城の考えを聞いて、優は大きく溜息をつく。
いや、別にそんな風に思っていた彼女を軽蔑したとか、そういうことではない。
──彼女が思い煩っていること。それに気づけなかった自分に対しての、呆れだ。
「──昔、これは俺がまだ親と一緒に暮らしていた頃のことなんだけどさ」
「優さんの、ご両親……? でも、確か、優さんは孤児だって聞いてましたけど……」
「孤児で間違ってないよ。こんな風に言ってる俺だけど、実際親の事なんてほとんど覚えていない。なにせ、もう十五年も前の話だから。……でも、覚えていることはある。今日みたいな日に、本を読んだこととかね」
母親が毎晩語り聞かせてくれた物語──英雄譚。
年若い少年の目には、それがあまりにも格好よく見えて──憧れたことを今でも強く覚えている。
「1000年前の話……とある、一人の人間が、全てを救い出す物語……かな。まあ、結局最後は何も守れず、全部を失った少年が戦いに挑んで、悪の王に勝利する、っていうところで終わるんだけど」
「──? それって、魔法士の中で有名なお伽話ですよね? 私の記憶が正しければ、誰も死なずに終わったと思うんですが……」
「あれ? でも、確かにそうだったんだけどな……ま、まあ、ともかく。憧れたんだよ、きっと。不可能だって分かっていて、それでも足掻くその誰かが、格好よく見えた」
確かに、優が誰も死なせないという金字塔──幻想を抱いたのは、彼に戦い方を教えてくれた師匠の影響もある。彼に憧れ、彼のようになりたいと思った。
だが、それ以前に。優はきっと師匠に、本の中の主人公を重ねていたからだと、今では思っている。
「だから、自分もなりたい、そう思った。結局は、何もできずに、無様晒す結果になったけども……やっぱさ、昔の俺って、機械的な部分があったんだと、そう思うよ」
誰かを救うために、誰かを踏み台にし、その過程で不幸になった誰かを救う……こんな生き方を、機械的と称さずして何と称せばいいか。
「だから……なんて、言うのかな。うん、その理想を捨てられたから、きっと今笑えていると思うんだ。自分の心を縛っていた、幻想がなくなったから、気持ちが軽くなったんじゃないか、って」
勿論、今でも心の底から笑えているわけではない。昔の事がカギになって、今なお親しくしている人間はそういない。
だけど、昔以上に、人間味があるとは思っている。まあ、自分の主観ではあるが。
「今笑えているのは、きっとそこだと思う。──天城が思いつめることは何もないんだ。悪いのは、いつでも俺なんだから」
「そんなことは……」
いつだって、そうだった。救えた人間もいた。だけど、それ以上に零れて、無くなった命の方が多かった。
昔もそうだった。優が間に合っていれば、救えた命もあったはずなのに。
彼が遅れたせいで、救えたはずの命がなくなり、パートナーである少女と敵対した。
優は英雄などではない。むしろ、英雄になどなれる器ではなかった。何もかもを助けられるような、そんな人間ではないのだ。
「──ああ、ごめん。変な事話した……気分、悪くした?」
「いいえ。むしろ……嬉しいぐらいです。一度も語ってくれなかった本心を、今日だけは言ってくれて」
「いつも、そうやって話すべきだとは思うんだけどね……どうしても、踏ん切りがつかなくて」
彼女の嘘偽りのない本心に、少しばかり照れくささを覚えて──それをごまかすように、夜空を仰ぎながら椅子を立ち、少し遅れて天城も椅子を立った。
天城は公園内に設置されている時計──その針を見て。
「すいません。そろそろ、時間です。こっちに引っ越すのにも、まだ荷物が全部届いているわけじゃなくて……」
「ああ、分かってる。引っ越しの準備は大変だからね」
優だってその感覚は味わっている。当時住んでいた愛知のとある町から、今のところに引っ越してくるだけでも大変だったことを覚えている。とすれば、それ以上に遠い天城は大変、なんていう単語では済まされないだろう。
まあ、あの頃は頼れる誰かもいなかったので、全て自分で手続きをしたからなのだが。
「それに、週末は京都の方にも一度顔を出さなくちゃいけなくて……清明さんに呼ばれてるんですよ。なんでも、渡したいものがあるとかで」
「清明さんに……? あの人が、天城を?」
「はい。私もそれを聞いたときは耳を疑ったんですが……まあ、呼ばれたからにはいかないといけませんから」
「面倒だね、そういうの」
「優さん。今度の日曜日、羽目を外し過ぎないでくださいね? 何かあったら、軽蔑しますよ?」
「あのさ!? そういう情報をどこから持ってくるのかな!? あれか? 俺のプライバシーを読み取る人間でも居るのかな!?」
完全にプライベートを読まれている故、どんな策を弄しているのかを聞き出そうと声を荒げるが、天城はただ微笑して、もはやどこ吹く風だ。
とはいえ、これ以上彼女と話し続けるのも時間的にきつい。
そんなわけで、天城に手を振って。
「じゃあ、また。天城」
「はい。──嬉しいものですね、こう、昔みたいに戻れたみたいで」
最後の呟きだけは、聞こえなかったようにして──公園を去った。




