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新皇

 将門は維幾の一家を本拠に連れ帰り、衣食住の面倒をみたが、それで己れの過ちが許されるとは思えなかった。

 常陸国(茨城県中・北部)を領収した事実、これは中央への謀叛以外の何物でもなく、戦後の惨状も将門を深い罪の意識に(さいな)ませた。


「一国を横領したのですから、朝廷の追求は軽いはずありませんよ。いっそうのこと、東国丸ごと支配しちゃいましょう」

 うなだれる将門を前に、原因(おおもと)をつくった玄明は悪びれもない。そんな彼を、

「玄明、お前は言い方が悪い」

 たしなめたのは興世王である。そして居ずまいをただし、言い改める。

「将門さま、東国には横暴な国司に虐げられている人間がまだ五万といます。常陸だけでなく、彼らを解放してやったらどうです? そうすれば、民は皆喜ぶ。朝廷とて、将門さまのしたことを善行と認めてくださいますよ。常陸の件でも悩むことはありません。悪徳国司を懲らしめた、と考えればよいのです。悪事をなさぬ国司などいないのですから」

 この輩は、自分の過去を棚に上げて言う。だが、内容を吟味すれば、玄明の言うことと何ら変わらない。

「どっちにしろ俺たちは、将門さんに付いていきますから!」


 興世王と玄明がそそのかした、おだてたというが。

 将門は、翌十二月、下野(栃木県)・上野(群馬県)の国衙を破竹の勢いで落とし、両国の長官から印鎰を奪った。

 先の常陸戦が中央政府への自覚なき反抗であったのに対して、以降の戦いは決然たる国家への反逆である。

 桔梗には、将門の強さが恐ろしい。

 もちろん自身の霊力で男の体を守っていたが、勝敗は全て天に任せていた。

 むしろ、心のどこかで、

 ――適当なところで負けてほしい。

 とさえ、願う。

 人が勝利を収めたときには心が浮き立つような高揚があるはず。だが、今の桔梗には、将門が坂道を転がり落ちているような不安しかない。

 ――早過ぎる変化がそう思わせるのかしら。

 いや、将門の心奥を覗いてしまったからだ。彼の驍勇とは不均衡の。

 それなのに、将門の勢力の拡大は収まることを知らない。

 ――このままでは本当に東国、日本の半分を掌握しそうな・・・・・・

 だがその予感は、もう不吉ものとしか感じられなかった。

 将門は、桔梗が天下の器と認めた男だ。

 そうあっても、何もおかしいことはない。

 ――なのに。

 それは違うと頭のどこかで声がする。

 将門へ忠告をしようにも、すれ違ってばかりの関係が気後れさせる。

 彼の顔を見ることができるのは戦場くらいのもので、代わって、いつも将門のそばにいるのは興世王と玄明である。

 一方は公盗、一方はならず者。有象無象の最たる者の彼らは意気投合し、二人仲良く将門の左右に侍った。

 興世王の方はうっすら桔梗の正体に勘づいているのか、戦場にのみ現れ、男の隣に寄り添おうとする『桔梗丸』へ居場所を譲る。

 ――さぁ、我らが将門さまを守るんだ。そなたにできることはそれくらいだろう。

 秋の扇と、捨てられた女を蔑むような目つきで。

 桔梗は、彼らを見て思い出す。いつか自分が将門に贈った言葉を。

 ――大きな器には良いものも悪いものも集まってくるの。それをしっかり選り分ければいいの。

 それを、今になって噛みしめる。

 ――将門さまは、私の言葉を覚えてないんだわ。

 そうして、彼の周辺を見回す。

 成人した弟たちが辛うじて彼を支えていたが、それだけでは心許ない。

 旧主忠平とはどうにか繋がっているようだか、何事も穏便に済ませたがる忠平がいつまで彼を切らずにいてくれるだろうか、不安になる。

 将門は人生のうち、(しん)にともに歩むべき有為の人間と出会っていたはず。

 だが、彼らとは道を行き(たが)って終わった。

 彼のそばに残ったのは、己が利益の取り分にしか興味のない輩ばかりだった。

 将門が持つ強烈な陽の気が、その身に濃い陰影を招いてしまうのだろうか。


 桔梗は、己れがまだ撫子と呼ばれていたころ、将門との共寝も他愛いないものだったころのことを思い浮かべた。

 忠平邸の一室で、夜目(やめ)のきく撫子は将門の寝顔を見つめ、見飽きることはなかった。

 殿方の知らぬことだろうが、女というものはその身が(じゅく)すより前に心が熟す。それは成人の女と変わらぬのだ。

 夜具からはみ出した鍛えぬかれた上半身、厚い胸板、力強く盛り上がった腕の筋肉。

 御所育ちの撫子には少々益荒男(ますらお)に過ぎたが、太い眉に意思の強さを、整った鼻梁は高貴な血筋を感じさせた。

 愛しい男の顔・・・・・・

 ――これから私は、もっともっとこの顔を好きになるだろう。

 そう思うと撫子は嬉しくてならなかった。

 ――私が将門さまを愛しているのは、陽の気のためではないわ。もう。

 このとき撫子は生涯将門に尽くそうと決めたのだ。


 ――あのころに戻りたい。

 一人ぼっち。

 桔梗の目から涙がこぼれ落ちた。


「――私が八幡大菩薩の使者?」

 占領中の上野国衙。

 興世王たちの勝手な振る舞いは果てを知らず、桔梗に許しがたい要求を突きつけた。

「都では八幡さまのお告げとやらが流行っているってね」

「そも、八幡大菩薩は、皇祖神にあらせられる応神天皇の化身たれば、将門さまもその血をひく。そこで、八幡神のご宣託の巫女としてそなたが働くのだよ。人々を集めるによって、群衆の前で、将門さまを新しき東国の帝王、まぁ、新皇とでも云おうか、その新皇の位を授けるといえばよいのだ。我らはよく知らぬが、何やら霊力を持つそなたが(やく)にぴったりであろう」

 不安定な東国の状勢を受け、京では僧侶による国家鎮護の祈祷が修されているという。

 神仏には神仏、天皇には天皇で対抗しようというのだ。

 桔梗はぞっとした。

 ――この輩は、中央の権力に本気で勝てると思っているのか。

 桔梗とて将門の器量が世の人々に認められることを願っていた。だが、それは権力に叛逆し、彼の身を危険に曝すことではない。

 ――この人たちとは一緒にいられない。

 黙ってその場を去った。

 しかし、桔梗の無言の抵抗は、その意味をなさなかった。

 興世王たちは別に『八幡様のお使い』を仕込むと、国衙内で『ご宣託』を行わせたのだ。

 ――ばかなこと。

 将門という美味に(たか)る蝿のごとき彼らに、天皇の家臣が務まるはずはない。

 ――身の程知らず。

 またそれを将門が喜ぶとでも思っているのだろうか。

 しかし、彼女の思いに反し、人々が巫女の出現に驚くなか、将門は宣託を受けたのだ。

 誕生、新皇将門―――

 群衆の歓喜の中央にいるその人は、桔梗の知らない誰かだった。

 

 将門の新皇即位に、すぐ下の弟将平は苦言を呈した。

「我が国では、臣下のものが天皇と位を争うなど聞いたことがありません。兄上がなさろうとすることは、この国の歴史に反するものです。どうか、考えを改めてください」

 兄の不興も畏れず申し出る将平の存在に、桔梗はほっとした。

 ――きちんと諌言できる人間が、将門さまの周りにいたんだ。

 そして、彼女自身も、

「将平の言うことは筋が通っているわ。耳の痛い進言でも理があれば採用する、それが良主というものではないの。ねぇ、弟の言葉を聞いてやってよ」

 しかし、将門は二人の言葉を退ける。

「日本になくとも、外国(とつくに)では武力によって天下を奪った例などいくらでもある。第一、俺は桓武天皇の血を受け継ぐ皇統だぞ。この日本の半分くらい手に入れて何の問題がある。それに一度決定したものを撤回するなど、俺にできるか」

 もう将門の言葉とも思えない。

 桔梗は、愛する男を遠く遠くに感じた。


 ――いっそうのこと、将門さまのもとを離れよう。

 取り巻きたちの外輪にぽつんと取り残され、彼にとって自分はいないも同然だった。

 ――本当は私が、一番最後まで一緒にいなくちゃいけないのに。ごめんなさい。将門さま。

 桔梗は去った。

 この世で一番将門を愛しているのは自分だ。でも、だからこそ辛すぎた。

 人外の力を持ちながら何もできない無力感。

 実際、桔梗が彼のもとを去ってからも、将門の勢いは留まることを知らなかった。

 残る関東の国府を次々と襲い、国司たちを追放した。

 武蔵、相模、伊豆・・・・・・

 すでに将門の強さが国々に知れ渡り、戦わずして印鎰を差し出す国司もいた。

 まさに敵なし。

 この時期、彼は、武をもって板東を制圧し、その頂点に君臨する、紛れもない東国の覇者であった。

 だが、これを中央政府がいつまでも放置するはずはなかった。


 明けて天慶三年(九四○)正月一日、朝廷は将門の一連の行動を叛乱と認定した。

 昨年末より、混乱する板東の国庁に替わり、近隣国の駿河・甲斐・信濃から将門の叛乱を知らせる飛駅が相次いで到着していた。

 文武百官は慌てふためき、新年恒例の儀式は全て中止され、天皇自ら玉座を降り『朝敵退散』を祈り、各寺院で将門調伏の修法が行われた。

 あたかも滝口時代に彼が倒した悪鬼と同様の扱いである。

 しかし、朝廷とて神仏に祈るばかりではない。

 都より追討軍を送るべく征東大将軍を補す。

 征東大将軍――

 百年以上前、エミシ討伐に坂上田村麻呂らが任命されて以来、奥州平定後は絶えて久しい職掌である。似たような役職に鎮守府将軍があるが、その字を見れば、征伐と防衛、同じエミシへの対応にしても意味合いが違う。いつかの将門とその父親との会話を思い出してみればよいだろうか。

 朝廷にとって、将門は往時のエミシ同様、中央政府にまつろわぬ者として討伐の対象となったのである。

 讒言者源経基の告発は正しかったとされ、彼は朝廷より位を授けられると、副将の一人として追討軍に名を連ねる。

 将門の味方をする者はいなくなった。旧主忠平も制御不能となったかつての家来を放擲したのである。

 政府は東海道、東山道の国々に将門追討の官符を下し、

「賊首将門を誅した者には五位以上の官位を与える」

 と付け加え、そのなりふりかまわぬ姿勢を隠そうともしない。


 忠平に縁を切られた将門らに、この処置が知らされることはなかった。

 興世王や玄明はのん気にも、春の除目と称して関東八州の国司を、将平を除く将門の弟たちや自分自身に配分し、それを発表して悦に入っていた。

 その上、

「新皇の皇居はどこにしましょうか」

「京の大津にちなんで、猿島の……」

 もはや正気の沙汰ではない。

 同じころ、常陸の親類のもとに身を隠していた貞盛へ、朝廷より追補使に命じるとの官符が届いた。

 昨年来の将門の乱行はすでに耳にしていたが、彼を昔から知る貞盛には、とても彼が起こした所行とは思えなかった。だが、亡き父の旧職、常陸大掾にまで任命され、貞盛はついに腹を括った。

 かつての親友にして、従弟たる将門との決別。

 ――将門、お前は京にいたころ、『ここには俺の居場所がない』と言っていたな。だが今、お前のいる場所は、本当にお前が望んだ場所なのか。

 貞盛は心の中で問いかける。

 しかし、己れの役目は、将門の居場所をこの世から失わせることにあった。

 それを十分に承知して。


 さらに京の朝廷は貞盛の他に、もう一人の男を追補使に任命した。

 下野の住人、藤原秀郷――国司の子息にして、かつて国家を相手に反抗した男へ、下野掾(三等官)の官職まで与えたのである。

 将門と秀郷、時期が違えば、官賊が逆転していたとしても不思議ではなかった。

 政府としてはどちらが滅びても構わない。

 『夷をもって夷を制す』の奇謀である。


 一月も末になって、将門のもとへ『貞盛・秀郷の軍勢が下総へ進撃した』との報せが届いた。

 だがそれは、春の田起こしのため、本拠から多くの配下の者を帰郷させた後だった。

「おのれらっ、死にたいのか!」

 追補使として貞盛・秀郷の名があることを知った将門の怒りは凄まじかった。

 ――お前らが官、我らが賊、というのは一体どういうわけだ!

 貞盛への敵意は以前より醸成されていたが、朝廷の決定がそれをいっそう募らせた。

 そして、秀郷――彼とは、境遇だけではなく、ものの考え方も似ていると思っていた。心許し、己れと比肩するほどの男と認めた相手に裏切られたのだ。悔しさも一入(ひとしお)である。

 怒りの余り、周囲に当たり散らし、取り巻きの興世王たちでさえ思わず逃げ出したほどだ。

 貞盛の件でも同様であったが、将門はふだん情け深い分、裏切られたとなれば憎しみもまた人一倍深くし、己れを惑溺させた。

 ――桔梗とのことは許そうと思っていたのに!

 その桔梗も消えた。

 ――俺の器量を見限ったつもりかっ。

 彼の心中を満たしていたのは怒りばかりではなかった。

 けれど、それを知る者はなく。

 彼自身でさえも。


 京から下向する朝廷軍に先立ち、貞盛・秀郷が下野国衙で編成した討伐軍は四千。

 対する将門の兵は千。

 しかし、男はこれまでの戦いから数の劣勢を怖れなかった。

 二月一日、敵軍を迎え撃つべく下野に向かった。

 討伐軍の姿を見るやいなや、将門は先陣をきって敵に突入した。

 矢も利かぬと噂される敵将が、鬼神のような振る舞いで次々と兵を打ち倒す。これに官軍の兵は皆、恐れをなして逃げ去った。

 将門の勝利。

 しかし、それは一時的なものでしかなかった。

 彼の活躍に反して、数に勝る討伐軍を相手に味方の敗色は濃い。

 また、その味方が足を引っ張る。ろくに戦術を知らぬ玄明が将門に無断で戦闘を始め、無理な深追いで秀郷たちの逆襲に遇い、大敗するのだ。

 徐々に窮地に追い込まれる将門たちは、勢いを盛り返えそうと本領猿島まで退き、敵を引き寄せながら援軍を待ち、反撃を図ろうとした。

 しかし、頼りにしていた八千の軍勢は集まらなかった。ここにきて、同盟者たる伴類は将門を裏切ったのである。

 貞盛も将門をあぶり出すため、石井の営所を手始めに周囲の家々へ火をつけた。

 焼け出された領民らは、貞盛の兵を恨まず、将門のこれまでの行いを恨んだという。彼らの目にも、昨今の主人(あるじ)の行動は尋常でなく映っていたのである。


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