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心友

 将門と桔梗、二人の心がすれ違ったまま、男は再び戦いへと向かった。

 同年二月二十九日、相手は将門の従兄貞盛――彼は朝廷の裁定に不満を持ち、将門の非を訴えるため上京したというのだ。

 ――貞盛、お前は自分から言い出した約束を自ら破るのか。

 先の戦いは叔父らに引きづられてのことと思い、追補の官符を得ても見逃していた。

 ――なのに、お前は!

 信じていた相手だけに、将門は怒りに燃えた。

 しかし、これは将門側の誤解だった。

 (もと)より都で順調に出世していた貞盛は、東国の所領争いにうんざりしていた。気の進まぬまま叔父たちに味方したが、ついには、罪人扱い。

 ――このまま叔父らと一緒にいたのでは一絡(から)げに捕まってしまう。

 故郷を捨てる覚悟で都に向かったのだ。

 自分とて都に後見となるべき権門がないわけではない。追補官符の撤回を依頼し、そのまま京に永住しようと。

 だが、それを将門は知らない。

 東山道を西上する一行を百騎余りで猛追し、これに気付いた貞盛は食糧や財物を捨て、死にもの狂いで逃走した。

 ――将門、これは違うんだ。お前の勘違いだ。

 彼の心の叫びは、友には届かず。

 引き返して弁解する、という選択肢はなかった。将門本人ならいざ知らず、従類伴類に捕まれば命の保証はないのだから。

 山中に辛くも隠れおおせたが、貞盛を捕らえられなかった将門は口惜しがりながら下総への岐路についた。彼の伴類たちは、途中貞盛が捨てていった食糧や財物を喜んで持ち去った。

 貞盛は飢えに苦しめられながらも、京へとたどり着き、朝廷へ訴え出る。

 青年時代、都での暮らし辛さを嘆いた友と、それを励ました自分。

 そんな思い出を分かち合うのに、二人の関係は終わってしまうのか。

 貞盛は、将門への気持ちに割り切れなさを覚えた。

 将門の周囲にはさまざまな人間が取り巻いている。その中には、己れの利欲のため、彼をおだて、甘い汁をすすろうとする輩がいる。

 彼らに隔てられ、二人の絆はこのまま断たれてしまうのか。

 貞盛には、まだ心のどこかで、将門との仲を修復せねばという思いがあった。

 ――自分から弁明しても、今の将門は聞く耳を持ってくれないだろう。

 公儀に調停を依頼したのである。

 だが、これには時間を必要とした。

 貞盛がようやく将門召喚の官符をもって東下の途に着いたのは翌天慶二年(九三九)六月中旬のことだった。

 この間、一族の長、良兼が死に、板東の桓武平氏は息をひそめ、将門の動向を伺っていた。

 貞盛自身、大勢力となった将門、というよりその取り巻きたちの気勢に、本拠へ近寄ることができなかった。

『己れの利欲のため――』という俗輩は将門の周りに増え続け、すでに貞盛の父の遺領は配下の者に奪われたという。

 ――お前は、変わってしまったな。

 権力を(かさ)に父の遺領を奪われかけた将門が、今また同じことをしている。

 将門を取り巻く連中にも問題があるだろうが、

 ――彼らを排除しないお前に責めはないのか。

 貞盛は将門を遠くに覚えた。


 貞盛の上下京の一年余りの間に、東国ではいくつかの事件が起こった。これにより将門の勢力はさらに拡大していったのである。

 その一つ。

 武蔵国(東京都・埼玉県)では、国司の(ごんの)(かみ)(副長官)(おき)()(おう)(すけ)(次官)源経基と、足立郡司の武蔵武芝の間に紛争が起きた。苛烈な税の取り立てをする国司らに、武芝が郡民を庇ったためだ。武芝はその名字が示すとおり代々の在地領主。職務に忠実な清廉潔白の郡司として国の内外に知られていた。だが、武力に勝る国司らに適うはずもなく、武芝は邸を襲われ、家財を奪われた。彼は家族や家来たちを連れ、山中に逃げる他なかった。

 興世王と経基の所行は、とても国司のものとは思えず、公権力を背にした分、盗賊よりも(たち)がわるい。

 見かねた者が、国庁の門前に一部始終をしたためた告発文を落とし、これにより事実が明るみになった。

 将門が以上の事件を知ったのは貞盛を追撃した帰りだった。

 ――この世には何と似たことが起こるのか。

 伯父らから受けた仕打ちと重なり、

「俺は武芝に味方する! 皆の者、付いてこい!」

 百騎の兵とともに武蔵へ向かった。

 将門軍の勢力を見た興世王たちは驚愕した。立場は逆転し、此度は己れらが山中に逃げ込む番だ。

 心強くなった武芝は将門と合流し、これを見て適わないと悟った興世王は山を下り、素直に詫びを入れた。 

「己れが間違っていたと、わかれば良いのだ」

 将門はご満悦である。

 凄惨な戦いの渦中に置かれた数年来にあって、武蔵では平和をもたらすことができたと。

 将門は和解の酒宴を張り、彼らと盃をかたむけることになった。

 だが、経基は山中から未だ出てこない。

 将門は訝り、興世王に詳細を訪ねた。しかし、彼はけろりとした顔で、

「放っておいても、そのうち出てきますよ」

 相手にする必要はないと言う。

 やがて宴が始まった。

 けれど、このとき何かの手違いで、武芝の家来が経基の隠れひそむ山中へ、攻撃を開始した。

 清和天皇の孫にあたり、後に清和源氏の祖となる経基も当時はまだ若く、兵の道に馴れてなかった。

 彼は突然の攻撃に驚き、部下を捨てて逃げた。

 将門の強さを知るだけに、自分は殺されるという恐怖から京へ上る。

 さらに朝廷へ。

 謀叛を起こしたとの虚言をもって訴え出たのだ。

 将門はすぐさま武蔵他近隣五カ国の国庁に()(ぶみ)を書かせ、朝廷に無罪を申し立てた。これにより都では、紛争を治めた英雄として、却って人々の名声を得るのであった。

 讒言者の経基は審議のため検非違使庁へ収監されることとなる。


 後日、武蔵国では一連の騒動を抑えるべく、新国司が就任するが、部下たる興世王は仲違いを起こし、国庁から排除されてしまう。

 居場所を失った彼は、親しくなった下総(茨城県南部)の将門のもとへ身を寄せることにした。

「興世王どの、ですか」

 次弟の将平はあまりいい顔をしなかったが、

「見知った者を追い返すわけにはいかないだろう」

 と、彼を受け容れた。

 将門の懐の広さは近隣に知れ渡る。しかし、そのためにさらなる厄介者を抱え込むことになるのだ。

 常陸国(茨城県中・北部)の富豪領主、藤原玄(はる)(あき)という男が、将門の噂を聞きつけ、

「俺も、行く場所がないんです」

 国司から疎まれ故郷を追われたと、家族と家来を連れ、鎌輪の営所へ頼って来たのだ。

 将門は彼にも同情し、一家ごと匿うことにした。

 玄明は感激して、

「将門さんみたいな器の大きい人、初めて会いました。俺、これから将門さんのために何でもしますから!」

 尊敬の眼差しで将門を見上る。

 将門はすっかり気を許した。

 だが、この玄明、常陸では有名な悪人で、民の害毒とまでいわれた人物であった。彼は日ごろ、高利で種籾を人に貸し付け、返済できなければ奴隷のように働かせた。そのくせ自分は税も払わず、他人の田畑の収穫物を奪い、往来の運搬物を取り上げるという、とんでもない無法者だった。今回、国司の追っ手から逃げる際も、不動倉(飢饉用非常食の保存倉)から食糧を奪っている。

 同じく国司と対立した武蔵武芝とは全く正反対の姦物である。(なお、武芝は事件後、郡司の職に専念している)

 国司に歯向かったところなど、秀郷の若いころに似ているが。

「いくらなんでも、玄明のような人間までも」

 弟の将平が咎めるのを、

「悪人に過ぎると言いたいのだろう」

 将門は聞き入れなかった。

 在地領主と国司は税の取り分を争うため、どうしても仲が悪いものだ。

「国司の()てた悪い評判を真に受けては、玄明が哀れではないか」

 と逆に将平を叱る。

 玄明は人を籠絡する術によほど長けた人間らしい。

 それとも、国司の伯父たちに散々辛いめに合わされた経験が、将門の判断を狂わせたか。

「玄明の言い分も聞いてやってほしい」

 将門は、常陸介維幾(これちか)へ、玄明の赦免を要求した。

 玄明は自分の仲間である。彼を庇って当然だと思った。

 だが、常陸介はこれを当然とは思わず、要求は簡単に撥ね付けられる。

 将門の頭の中には、すでに『無道の国司とそれに苦しめられる在地領主』という図式ができ上がっていた。

 彼はどうしたか。

 武力をもって威嚇しようと、千騎の兵を連れ常陸国府へ向かったのだ。

 将門発つ、の報せに、国府側はそれを数倍する三千の兵で待ち構えていた。

 常陸国は親王仁国にして、介が実質の長官である。また因果にも、維幾は将門の叔母を妻にしており、義理の叔父にあたった。

 しかし、天慶二年(九三九)十一月二十一日、維幾は数に勝る自軍の勝利を確信したか、将門へ戦いをしかけるのである。


 千騎対三千騎。

 当然適うはずのない相手だった。だが、将門は彼我の差をものともせず、決河の勢いで敵陣に突入した。


 桔梗もまたこの戦場にあった。

 男との関係は冷えかけていたが、命を懸けた戦いを放ってはおけなかった。

 合戦に向かう前、桔梗は将門に問うた。

「どうして、縁もゆかりもない人のためにそこまでするの?」

 一族の爪弾きから身を守るためだった、今までの戦いとは、明らかに一線を画している。

 他国への介入、しかも中央政府から反逆とも捉えかねない戦さを始めようとしているのだから。

「玄明のためばかりではない。俺には、やりたいことがあるのだ」

 将門の答えは答えと云えるものではなかった。

 ――玄明のためばかりではない?

 貞盛や秀郷、配下の男にまで裏切りを許したこと。その心の穴を埋めるために、慕ってきた玄明に肩入れするのかと想像したが。

 ――『やりたいこと』なんて、将門さま自身にもわかっているとは思えない。

 京での鬱屈は、板東の地で解き放たれたかと思われた。だがそれは、故郷に戻ってからも行き場に惑い、さ迷っている。戦いの中で得た勝利は土地の人間に認めさせるには十分だった。

 けれど、将門は未だ無位無官。

 彼が真に認めさせたい相手は、かつて己れを否定した中央の権力に他ならない。

 いつまでもまとわりついてくる劣等感から逃れようと、()()いた先に、常陸国衙の襲撃があったのか。

 ――秀郷のせいもあるのかしら。

 秀郷の若いころの所行に、将門はどこか羨望めいたものを覚えていた。

 束の間ではあったが、秀郷とは心を許した仲だ。そんな彼から、本人も気付かないところで影響を与えられたとしてもおかしくはない。

 だが、その相手は秀郷だけであったろうか。

 桔梗は考えて愕然とする。

 いつもそばにいて、何でも知っていると思っていた将門の真実。

 その実態を、間もなく見せつけられるのだ。


 将門は、縦横無尽に戦場を駆け、敵兵を次々に討ち取った。

 今度の相手も民の抑圧者である。かつ、正義はこちらにあるのだから。

 ――遠慮はいらぬ。

 無敵の将門は血に酔った。

 敵の血ではない。己が(うち)(たぎ)る血に。

 桔梗の霊力で不死身となり、血煙に霞む将門はあたかも鬼神のごとく人々の目に映った。

 気がつけば、三千の敵兵は討ち取られるか、逃げ出すかした。

 叔父の常陸介は将門の前に跪き、印鎰(いんやく)を捧けた。

 印は公の文書に()す国印、鎰は財物を保管する倉庫の鍵である。

 二つは常陸国衙の権威と権力の象徴だった。   

 ――常陸国はあなた様に差し上げます。その代わりに我らの命だけはお助けください。

 そう言われたも同然だった。

 将門は我に返り、周囲を見回した。

 国衙内では、玄明の従類たちが略奪を始めていた。女を見つけては陵辱を加え、這いつくばって命を乞う僧尼を嘲り笑った。

 我が者顔で徘徊する兵らと、彼らの蛮行に泣き伏す人々。

 かつて自分が味合わされた屈辱を、別の誰かが味わっている。

 悪夢が再び、この世に出現したのだ。しかもそれを再現させたのは他ならぬ己れだった。

 ――俺は、玄明を助けようとしただけだ。

 だのに、その結果が・・・・・・

「――将門さま、これが将門さまのやりたかったこと?」

 従者姿の桔梗がぽつりと言った。

「それは、俺が聞きたい」

 なぜこうなったかを。


 意識の下に入り込む、良いもの、悪いもの、

 それを選び切れずに、知らず知らず、否定した叔父たちと同じ行為を再した。

 己れとは何か、

 己れの為すべきことは何かを見つけられず、

 道を探して迷いを深め、途方に暮れる。

 男の姿が今にも泣き出しそうな子どものように――

 桔梗には見えた。

 

 将門ほど『男』に恵まれなかった男はいない。

 彼に足りなかったのは、同輩という存在だけではなかった。

 父と兄とは子どものときに生き別れ、続いて真に死に別れる。己れという人間をつくる上で、男として成長する上で、手本となるべき肉親を失った。

 若き日に職掌で認められればまだ芯となるものができただろう。

 しかし、彼が心より欲するものは常に与えられない。

 己れを疎んでいた伯父たちでさえ下野国衙で救ったのは、父親と兄弟にあたる彼らとの結び付きを失いたくなかったからだ。良兼の娘を娶ったのも一族との絆を、さらに云えば、父親と血の繋がった者を義父(ちち)として欲したのだ。

 しかし、これも屈辱的な返礼に遇う。

 京都時代に支えとなった貞盛も去った。

 彼にどれほどの男が残されたか。


 あり余る才気を持て余し、見た目の器ばかりが大きくなる。

 けれど、その在り方がわからない。自分自身を支えきれない。

 己れを慕う者であればどんな輩でも引き受けたのは、その裏返しで、すがりつこうとしたのは将門の方だった。

 ――裏返し。

 桔梗は、男が自分を愛した理由を知る。

 ――なぜ、もっと早くに気付かなかったのだろう。

 良兼の仕込んだ父親の霊像に、異常なまでの畏れを抱いたときにでも。


 けれど、後になって、桔梗は思う。

 逆に、なぜこのとき将門の心奥が見えたのか。

 強靱な男がふだん見せぬものが見えたということ。

 それは、彼の破綻の始まりであったから。


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