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裏切り

 秀郷は数人の従類とともに、館の一室を与えられた。

 ある日、彼は奥向きの用で西の(たい)(建物)を訪れた。

 伐り出したばかりの木の()がただよい、柱の白さが目に眩しい。

 営所は年の瀬を間近に、増改築を終えたばかりである。普請に伴い、京帰りの将門は貴族の邸の造りを取り入れさせた。都嫌いと云いながら、その洗練と華やかさへの憧憬(あこがれ)はなかなかに拭えぬものらしい。

 建物と建物の間を細殿(渡り廊下)で結び、室の内外を御簾や蔀戸で隔て、天井や柱と梁の繋ぎ目に凝った意匠を施す。 

 これで中庭に池でも掘れば、全くの貴族の邸である。だが、将門の武人としての証明(あかし)のように、鍛錬用の馬場や射場を広々と揃えていた。

 ――みごとなものだ。

 程の良さに感心しつつ、勝手の違う造作に、秀郷は家族の住む並びに迷い込んでしまった。 

 しかも脂粉の匂いが鼻腔をくすぐった。

 ――まずいな。女人の住む部屋だ。

 慌てて引き返そうとしたとき、風が、傍らの御簾(みす)をめくり上げた。

 秀郷の視線はたぐり寄せられるようにして、室内にいた女性(にょうしょう)の顔に行き当たった。

 驚きの余りか女は顔を隠そうともせず、そのくせ瞳はしっかりと秀郷を見返していた。

 年は二十歳(はたち)ごろ、品よく優雅な風情が立ちのぼるようで、数瞬、心奪われる。

 だが、どうにか自制心が働いた。

 ――やめておけ。将門どのとどんな(ゆかり)があるか知れたものではない。

 自分自身に言い聞かせ、

「失礼した」

 と、一言だけ述べて、その場を去った。


 三日後。

 秀郷の居室へ一人の女が訪れた。奥付きの侍女だと言う。

「はて、女房殿が、私に何用か?」 

 怪訝な顔で問い返す男に、

「我が女主人、(えまい)の姫は当家(将門)の()母子(のとご)にあられます。先日御身の姿をお見かけしましてより思いを募らせ、床から起き上がることもままなりません。憐れと思うなら、どうぞ情けをかけて頂きとうございます」

 (くだん)の美女からの文を渡される。

 唐突な申し出に秀郷は困惑したが、

「姫は恋の病に食べ物も喉を通らず、夜も眠れぬようすです。そのうち本当の病にかかってしまうかもしれません。せめて文の一つでも」

 女房の重ねての頼みを断ることもできず、秀郷は返事をしたため、結び文にして渡した。

 すると再び、咲姫よりの文が届いた。成り行き上、これに男も返事を書く。また文が届く。返事を書く。

 これが幾度かくり返され、文のやり取りが始まった。

 ――まるで恋人同士だな。

 そうなれば情を覚えるのが人間である。

 次第に秀郷自身も会ってみたい、声を聞いてみたいと好奇心が募った。

 ――まずいな。もう。

 と、思いつつ。

 これも何かの駆け引きであったか。

 侍女に導かれ、姫の部屋に忍んだのは程なくのことだ。


 ――こんな女、初めてだ。

 咲姫のことを、恋煩いの何のと聞かされていた秀郷は、淑やかな女人(にょにん)を想像していた。

 だが、それは間違いだった。

 会ってすぐ、()けしめようとしたのは彼女の方だった。

 秀郷は戸惑いながら咲の手を取った。

 けれど、その戸惑いも、たちまち甘い(しき)(しん)の波によって遠くへと追いやられる。

 気が付けば、最初から最後まで女の(しゃ)(びょう)によって夢の世界の住人となっていた。

 ――俺って、何にも知らなかったんだなぁ・・・・・・

 事後も夢路から抜けがたく、ぼんやりと姫の美貌を眺める。

「どうかしまして?」 

「……あなたの美しさの不思議に、つい見とれてしまったのです」

 物ならぬ枕言を()り、我ながらもう少し気の利いたことを言えぬかと恥ずかしく思う。

 ふと、咲の手が秀郷の頬へと伸びた。寝乱れてほつれた(びん)の毛を指先に挟む。

 秀郷の髪は(きつ)いくせっ毛である。それを興げにくるくると指へ絡ませるのだ。

「珍しいですか? 私には、エミシの血が入っているんですよ。だから髪が縮れていて。あ、エミシは毛人と書くだけあって毛深い民族なんです。だけど女の人は嫌がるかな、毛深いって言うのは」

 秀郷の問いかけに、女の指は男の胸に降り、這い(いろ)い、

「私、毛深い殿方も好き・・・・・・」    

 とろけそうな咲の目つきに、男自身もとろけた。

「あっ、ありがとうございます。……昔、下野(しもつけ)上野(こうづけ)が一つの国だったころ、(けの)(くに)と呼ばれていました。それだけエミシが多く住んでいたでしょうね。狩猟を生業とし、弓を操り、怖れを知らぬ勇猛な彼らを蔑む人は多い。けれど、私にとってエミシはあやかりたい存在で、この血は誇りなんです」

「ふぅん」    

 熱心に語る男の話を興味なさげに、女は視線を外した。

 ――こっ、これではいけない。

 物語るうち、徐々に正気を取り戻した秀郷は、必死で男女の会話らしい話題を探した。

「そうだ、聞いてもいいですか? 私を見初めてくれた理由を教えてください。あなたのような素晴らしい女人が、いったい私のどこを気に入ったのですか」

 男の必死さに、女はかわいげを覚えたらしい。

「ふふっ、とんでもないこと。御身にはこの辺りの人間にはない華やかさがおありだわ。それでいて、弓も馬も得意な偉丈夫」

 姫の口元がゆるみ、

「殿もよく褒めていらしたわ。『俺にはないものを持っている男だ』と。今日、御身に会って私も同じ思いをしたの」

 将門の名を出され、一瞬秀郷の目が翳った。

 褥の上で他の異性を話題にするのは禁忌である。

「失礼したわ。私ったら、御身のことが嬉しくて、つい……」

 女は言いつくろう。

 すると、秀郷も白い歯を見せ、

「私は嫉妬深い男ではありませんから。これくらいのことで気を悪くすることはありませんよ」

 と、こちらも言いつくろう。

 自分に機嫌を取ろうとする秀郷のようすに、

 ――この男の心は私のもの。

 咲の瞳が金色に輝いたが、秀郷には灯台の明かりが映ったものとしか思われなかった。


 咲の姫こと桔梗。

 言うまでもなく、手引きした侍女も彼女が化けたものだ。

 もちろん、将門のことは心より愛している。

 それなのに、なぜ秀郷と関係を持ったか。

 ――将門さまお気に入りの秀郷を知ることで、もっと将門さまを知りたいの。

 というのはいくら何でもこじつけに過ぎる。

 ――だって、将門さまったら、このごろちっともかまってくれないんだもん。

 これもまた理由の一つだが。

 ――天下の逸物がこの世にもう一人。

 桔梗は秀郷を見抜いた。己れの力を高めんとする狐女たれば、陽の気を得るまたとない機会。本能に従っての行動だ。

 ――それに人間の殿方だって、よく言うじゃない?

『これはまた別腹』と。

 桔梗は自分自身に言い訳する。

 しかし、契ってみてわかったことだが、秀郷の身体には徒人(ただびと)にはない気色(けしき)があった。吐く息や流れる汗に何やら霊妙な香りが漂っているのだ。

 ――将門さまとは似て非なる・・・・・・

 桔梗は頭の中で、想像を巡らせた。

 将門には自分、狐女がいる。

 それと同様に、すでに秀郷に何者かの加護がついていてもおかしくはない。

 彼ほどの男であれば。

 ――私も将門さまも、秀郷の過去など、その一片しか知らないのだわ。

 男へ、欲気(よくげ)以上の興味を覚えた。

 

 桔梗は、以後も秀郷と『会い』、それとなく探りを入れた。

 ある夜、

「御身は罪を得て配流の憂き目にあったとのことですが、一体どちらへ……」

 秀郷は女を見返した。

 このときの、男の目の色。それが何とも云えぬものになる。

「遠く海を越えたところに。そうですね、浮き世とは思われない、龍宮のようなところです」

 男の目が、遥かを見つめるものとなる。

 桔梗は直感した。

 ――この男の護法神は龍神か!

 動揺する心を身の内に抑えながら、

「御身の見た龍宮とやら、その夢のような世界を私も見たいものです」

 思わせ振りに、秀郷の額へ自分のそれを押しつけ、「けれど、龍宮には乙姫がつきもの。さぞや美しい女性にお会いなさったことでしょうね」

 すねるように言った。

「妬かないで下さい。褥の上であなた以外の女性の話をしたくありませんから」

 秀郷は女の髪を撫でた。

「乙姫といえば龍王の娘。人間の女と違って情け深いものだと云います。そう容易く(えにし)を絶つようなことはありませんでしょう? 私たちのことが知れたら、どんな仕打ちをされることか。あぁ恐ろしい」 

 肩を振るわせる女に、秀郷は目じりを緩めた。

「龍宮とはものの例えですよ。心配する必要はありません。よしんば私たちの仲が知れたとしても、その『乙姫』があなたに(あだ)なすことはありませんから」

「……大変聞き分けの良い女性ですわね」

「それほど深い(えにし)だということです」 

 秀郷の言葉を聞いて、桔梗は腹立だしくなった。

 なじみとなった女の前で、別の女の惚気(のろけ)を語って許されるものだろうか。いや、なじみとなった気安さ故に口を滑らしたのか。

 ――それにしても、礼儀を知らない男ね!

 桔梗は自分から鎌をかけたくせに、秀郷をこらしめたくなった。

「秀郷さまは精強な方とお見受けしましたが、そうではなかったのですね。武勇に秀でているなんて、全ては龍女の加護があってのこと。私は自分の男を見る目のなさが無念でなりませぬ」

 投げ捨てるように桔梗が言えば、

「今夜はやけに絡みますね」

 秀郷の目が光る。

「将門さまは違いますよ。()の君の武勇は本物です」

 桔梗の心に、秀郷をして深い縁という龍女へ張り合う気持ちが起こった。

「その上、妙見さまの加護がありますから、一族の戦いに勝ってこられたのです。こちらも本物ですよ。龍女の加護など及ばないくらいの」 

 桔梗は自身の言葉の矛盾に気付いていない。

「ほう、妙見菩薩の」

「えぇ、人為を超えた力を受けております」 

 桔梗は男の目をじっと見返し、秀郷もまた女の視線を外そうとしなかった。

 見つめ合う二人の男と女。しかし、甘やかな恋人同士のそれとは程遠いものであった。

 不穏な空気が漂い始めた。

 と、そのとき。 

 庭先を、将門の従類たちがばたばたと駆け回る足音が響いた。

 居すくむ桔梗と秀郷の耳へ、

「敵襲だ!」

「良兼の軍勢が攻めてきたぞ!」


 この夜、正攻法では適わぬとみた良兼が八十騎の少数先鋭で夜襲をしかけたのである。

 石井の営所は騒然となった。

 ――将門さまのもとへ行かなくては。

 だが、秀郷のいる前で妖術を使うことは憚られた。

 秀郷もまた、邸内を走りまわる将門の従類らを前に、女の部屋から飛び出すことをためらった。己れの武勇を見せつける、またとない機会であるにも係わらず、咲が将門の恋人、ということを察して。

 女と男は焦燥を胸に抱えながら、互いに背を向け、耳だけで外のようすを伺った。

 不意打ちの上、年末のこととて、将門は多くの家来たちを家に帰していた。さらに、(のち)に知ったことだが、従者の一人が良兼の甘言に(そそのか)されて裏切りを働き、母屋や武器庫など邸の配置を知らせていたという。

 だが、この絶対的な不利を将門は覆す。

 戦場の彼そのままに自ら太刀を打ち合せ、良兼勢を撃退するのだ。

 桔梗が彼のもとに駆け付けたのは、夜が明けきって、全てが終わった後である。

「遅かったな。どこへ行っていた」

「ごめんなさい」

 将門の目を見ることもできない桔梗である。

 その彼女へ、

「秀郷の姿もない。お前はあいつがどこにいるか知っているか?」

「私が知るわけないじゃない!」

 思わず桔梗は叫んだ。

 嘘ではない。

 秀郷は桔梗より前に局を出た。だからこそ将門のところに参じることができたのだ。

 ――あの男はどこへ。

 彼らは、時を経ずして知らされる。

 営所内の騒ぎに紛れ、秀郷主従は石井の営所から姿を消したと。

 その理由について、二人が語り合うことはなかった。


 明けて承平八年(九三八)正月、裏切り者の従者は捕らえられ、将門の前で首を刎ねられた。



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