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反逆者

 宿業の敵となった伯父に、将門は情けを捨てた。

 翌九月十九日、常陸国真壁郡に良兼が立ち寄ったと聞くやいなや、将門は軍勢を集め、()(とり)にある伯父の別邸を襲撃し、周辺の良兼伴類の舎宅を焼いた。

 良兼は逃げたが、許すことはできない。筑波山に隠れたとの報せを受けると、将門は彼の地を攻めた。

 同時に都へ使者を送り、良兼の非道を訴え出る。

 一度、将門無罪の判決を下した朝廷は、己れの沽券(こけん)のため良兼・良正兄弟、源護、そして貞盛を賊徒と認定し、将門に追補させるよう、常陸下総他関東五カ国に官符を下した。

 中央の権威を背にした将門のもとへは、土地の富豪領主らが集まり、数千の大軍となって気炎を揚げた。

 義兼以下平・源一族は板東の国司を歴任する豪者(えらもの)ばかりだ。

 そんな彼らを退け、公民ともに無冠の将門を一族の長、一帯の首領として認めたのである。

 桔梗が言う。

「ねぇ、いつか私の言ったとおりになったでしょう」

 天下の器量。

 千年に一人の逸物と。

 しかし、将門の目は(くら)い。

 ――愛すべき家族を引き替えにして、一族を敵に回して。

 桔梗は、将門の殺伐とした心を推しはかり、

「失ったものを数えるのではなく、その身に得たものを数えて」

 将門が東帰して十年、弟たちは皆成人し、彼を補佐する頼もしい存在となっていた。奪われた父の遺領は取り返し、己れは、この地で押しも押されもせぬ統率者としての地位を得た。戦況も今のところ優位に立っている――

「そうだな。その通りだ」

 男は、己れを納得させるように言った。


 桔梗とて、明るく振る舞ってはいるが、心配は尽きない。

 将門が公権力に認められたと喜んでばかりもいられないのだ。勢力が拡大すればするほどそれに反発する領主も増え、そこここで小競り合いの種が生まれる。

 戦場で自分が少しでも気を抜けば、いつ敵の(やじり)の餌食になってもおかしくない。弓箭だけではない。手練れの太刀が襲いかかってきたとて、将門は難なく討ち返すが、その度に胆を冷やす思いであった。

 懸念する人間は、桔梗ばかりではなかった。

 将門の弟たちは、

「兄上ってお強いけど、けっこう無防備なところもあるよね」

「お一人に大勢の敵が向かってくるから危険だよ」

 そこで、彼らは、

「俺たちが兄上の似せ者になって、敵の目を欺いてやろうか」

「全員で兄上に化けよう。敵どもはみんな驚くぜ」

「そうだ! それがいい」

 兄のため、自分たちが身代わりになって敵を攪乱しようというのだ。

 七人の弟たちは背格好も似ていて申し分ない。

「あなたたちって、本当にいい子ねぇ」

 けれど、彼らは将門の大切な肉親だ。

「おいおい、お前ら! 俺がそんなことを許すとでも思っているのか」

 将門自身が弟たちを危険な目に合わせたがらなかった。弟や家来を守るのは己れであるとの自負が強すぎるのだ。

 ――この人は自分の立場を理解しているかしら。

「甘いんだから、もう」

 思わず漏らした言葉に、「そなたが一番、俺に甘いだろ」と返される。

 桔梗はぷうっと頬を膨らませた。

 ――身代わりの思いつきは良かったのに。

 弟たちの話は立ち消えとなったが、桔梗には少し口惜しい。

 年を経た狐であれば、(まじな)いによって人間の身代わりなどいくらでも(こしら)えることができただろうに。

 ――でも、自分から先陣切って敵に突撃する将門さまのことだもの、すぐに真物(ほんもの)贋物(にせもの)がばれてしまうわね。

 勇敢なのも考えものである。


 権勢となった将門の周りにはさまざまな人間が寄りついた。

 それを彼は全て引き受けるものだから、得体の知れない有象無象も紛れ込んだ。

 戦場で酒に酔って討たれる者がいれば、兵站の牛馬に秣を与えすぎて死なせる者がいる。

 混乱する大所帯の陣営で従来の家臣らは大童となった。士卒の整理、食糧の確保、営所の増築もしなければならない。将門自身も客遇に多忙を極め、彼の家族を失った悲しみは紛らわせたが、

 ――将門さまってば、最近私をかまうのを忘れているわ。

 桔梗にとって、味気ない日々が続いた。


 そこへ、あの男がやってきたのだ。

 下野(栃木県)南部の在地領主、藤原秀郷。

 先祖をたどれば左大臣藤原魚名という名門の末裔――だが、男は国司の嫡男でありながら、一族の者と中央政権に抵抗し、捕縛されて流罪になった経験を持つ。

「この辺りでは最も毛並みの良い無法者さ」

 将門が言う。

 彼は許されて故郷に戻ってきた後も、幾度となく抵抗をくり返し、再び流罪の裁定を受けた。が、二度目ともなれば要領を()、国衙の役人や中央の有力者と通じ、刑をうやむやにしてしまったのだ。

 ちょうど将門が帰東してまもなくのことでもあり、

 ――東国には随分な奴がいる。

 と、印象深く彼の胸に刻まれたものだ。

 桔梗も男の言葉に興味を持ち、近侍として面会に臨んだ。

「私をただのお尋ね者と思って下さいますな」

 そう言って挨拶する秀郷は、三十半ばごろ、将門と同齢か。

「私のしたことは、己が領民の生活を守るためです。中央から下ってくる受領国司(下野守)の横暴さは年々目に余るものがあり、それを成敗したつもりでした。しかし、都の人たちは国司の訴えるまま、私に反逆者の烙印を押したのです」

「だが、そなたの父は下野守を補佐する立場だったろう」

「私は父と違う人間ですからね」

 秀郷は、臆することなく将門を見返した。

 眉太く、その下にある瞳は意思強く。

 男の不適な面構えが、将門の面立ちと重なる。

 ――左大臣藤原魚名の末裔というけれど、京の都人とはだいぶ違うわね。

 魚名の子藤成は国司として下野に赴任した際、在地官人の娘に子を産ませた。それが秀郷の祖父である。彼の一族は都鄙の混血という点で将門らと共通する。板東の地と血は、人間の外見や精神をこうまで変えてしまうのか。

 そう思って見れば、二人はよく似ていた。

 ――都の高貴と鄙の蛮勇が混じり合って、こういった男たちをつくるのね。

 天下の逸物がここにもう一人。

 桔梗は秀郷を見つめた。

 将門も男に相通じるものを覚えたらしい。秀郷を暫時、営所に住まわせると伝えた。


 秀郷の来訪からしばらくは平穏な日々が続き、その年も暮れようとしていた。

 将門は領内の見回りに秀郷を誘った。

 年の瀬のため将門の従者は少なかったが、それは客人の秀郷とて同じ、別に不都合はない。むしろ小勢のため小回りが利き、互いに距離近く語り合える。

 秀郷は数日をかけて広大な領地を案内された。それは多分に勢力の誇示が含まれているだろうが、嫌味でないのはどちらが上だとか下だとか関係なく、秀郷との結び付きを大切にしたいという将門の姿勢が現れていたからだ。

 秀郷が石井に訪れたのは、自分を売り込むためだけではない。将門という新興勢力の頭首を見極めるためだった。

 将門の名声が彼の耳に入ったのは、例の下野国衙の一件からである。敵味方、国庁に対する見事な振る舞いに、辺境の一領主に収まらない才覚と器量を覚えたが、実際に彼と会って、秀郷はいっそうの好感を持った。

 その将門が訪ねる。

「――俺の領地の話ばかりでは飽きただろう。そなたが下野でしてきたことを語ってくれないか」

「国衙への違乱のことですか? おもしろいことばかりではありませんよ」

 二人は対等の関係として轡を並べ、馬を歩ませていた。

「俺が勢力を伸ばした話だって、おもしろいことばかりではなかっただろう」

「ご苦労が偲ばれましたが…… では、今は私も落ち着いていますから、若かったころの話など……」

 秀郷の反抗は十代のころからだというから年季が入っている。輸送中の官物を奪う、官衙の役人を襲う、囚われた仲間を救うなど、かなりのむちゃをやっていたらしい。しかも、

「土地はそこに住む者こそが主だってことをわからせてやろうとね。まぁ、今では私もすっかり丸くなりましたが」と言って、わるびれない。

 京都(みやこ)時代、周囲の理不尽に苦しめられた将門は、武によって理を正すことのできる東国の『余地』を愛した。また、己れ自身それを体現してきた彼は、同じような生き方をする秀郷に、

 ――無位無官も同じ。無法を放置しておくことのできぬ性分も同じ。気があって当然だな。

 得難い友を得たと心嬉しく思った。

「俺もかなりのことをしてきたが、朝威に歯向かうことだけはしなかった。追補官符を受けたそうだが、大丈夫か、今は」

「もう、無効ですよ。それより、朝廷は私を手なずけて己れの役に立たせようと考えているみたいですね。武力を見込んで、盗賊狩りなど。以前は私が盗賊として畏れられていたのに」

「夷をもって夷を制す、か。朝廷の考えそうなことだ」

 このとき、秀郷の目が光った。

「将門どのは私を『夷』と呼ぶのですね」

 将門は彼の発した言葉を視線ごと受け止め、

「そなたを蕃族に例えたこと、気に障ったか。」

「いいえ、『夷」という字は弓に矢をつがう武人の姿そのものです。むしろ私にふさわしくあります」

「さもあろう。ならば、俺もその夷の仲間に入りたくあるな」

 男らは笑い合った。一瞬の緊迫が嘘のように、解けていった。

 将門一行は和やかに往来を進んだ。 

 だが、それは、彼らの目に油断と映った。

 彼ら、とは将門と敵対する在地領主とその従類である。

 土地争いで不仲な領主の一方が、将門の勢力を頼って傘下にくだる。当然相手の領主は反将門勢力に与する。領地の境目では小競り合いが起こるべくして起きていたが、秀郷を案内するため、将門らは当の境目にまで近付いていた。そんな敵意ある領主の従類が将門一行を発見すると、密かに主に報告し、手勢を集めて付け狙っていたのである。

 将門たちは何の警戒もなしに、道の先に続く林の中へと馬を進めた。

 先回りした兵らが潜んでいるとも知らず。

 一行の接近に、敵は太刀を振りかざし、道の左右から襲いかかった。

 将門たちは弓箭の武装はしていたが、木立が邪魔で使えない。

 すぐに弓矢を捨てると、太刀を抜いた。

 男のそばに珍しく桔梗の姿はなかった。石井の営所が手薄であるため留守を任せていたからだ。

 もっとも、この程度の小勢ならば、容易く返り討ちにできる。

 また、その自信があったからこそ、のこのこと領地の(きわ)にまでやってきたのだが。

 桔梗が聞いたら、

「もし、相手が多勢だったらどうするの? 手練れの兵がいたら?」

 怒り出すところだろう。

 だが、男の性分か。

 ――ときには桔梗なしで戦ってみたい。己れだけの力を試してみたい。

 敢えて危険を冒す、という気持ちが湧き上がり、それを解放したくなったのだ。

 将門は、襲いかかる兵たちへ太刀を振るった。

 敵の従類らは、急の命令とて甲冑の備えもなおざりだ。それは自分たちも同様、攻撃は最大の防御とばかり相手に斬りかかる。

 突きつけられた太刀をすんでのところでかわし、同時に脇を狙う兵の腕を叩き斬る。

 返す刀で次の兵の胸をえぐり――しかし、馬上での均衡を失った。それにつけ込み、敵兵が引き摺り下ろそうと殺到するが、間際に鞍から飛び降る。

 着地先の目の前にいた兵を、身動きさせる間もなく斬る。

「う、噂より強い!」

 段違いの相手に敵兵らは凍り付く。

 騎馬の体を背に、将門は、(はす)に構えた太刀の向こうに敵兵を睨みつけた。

「手応えがない! 俺を誰だと思っているっ。もっと(こわ)い奴はおらんのかっ」

 敵を威嚇する彼の足元には、死体や切り取られた体の一部が散乱していた。

 怯えた兵たちは、一人がくるりと背中を向けて走り出すと、他の兵も武器を捨て、我先にと逃げ出した。

 残ったのは将門の一行だけだ。

 味方に死人は出ず、負傷者の傷も浅い。

 将門は秀郷を振り返ると、彼を見て言った。

「秀郷どの、そなた、手を抜いたな」

 将門周辺の惨状に比べ、秀郷の周りは点々と血が残るだけである。

「腕の見せ所、と思ったんですけどね」

 秀郷は笑いながら首の後ろを掻く。

 敵の襲撃には一早く馬から降りた。ぐるりを囲む兵らを見渡して、全員を仕留める自信もあった。

だが、

 ――こやつら相手に、味方を危険にさらすわけにはいかんな。

 大した相手とも思えぬ。

 皆殺しなど考えず、切り傷を与えて戦意を喪わせろと、目だけで従類らに合図を送った。

 主従は太刀を左右になぎ払い、手傷ばかりを負わせる。

 相手の懐になど深入りしない。 

 派手に流血させ、敵に悲鳴を上げさせる。

「ひ、ひぃぃい」

 泣きわめく面々。

 あとは将門の一喝で逃げ去った。

 ――これでよし。

 満足げにうなずく。

 秀郷は、(てん)(ぜん)と将門を見返した。

「将門どのは気合いの入れ方が違うな。いつでもそうなのですか」

 ――この力の抜け方・・・・・・

 将門は似ていると思った秀郷と己れとの差違を見る。その差違は自分にないものとして尊びたいと思うが、

 ――俺にはできぬな。

 男は肩をすくめた。

「やれやれ、そなたのような人間は長生きするよ」

「将門どのも長生きしてください。私の本当の強さを見て頂かなくては困りますから」

 と、秀郷の口角が不敵に上がる。

 ――此度は、あえて爪を隠す、というところか。

 将門は馬に乗りかけて、

「あぁ、そうだ。営所に帰っても、今日のことは他の者に言うなよ。この程度のことで、何の彼の言われるのは面倒だ」

「はいはい、よくわかります」

 秘密の共有ってわけですねと、秀郷の頬がゆるんだ。


 営所に戻った将門はご機嫌だった。 

 見周りの最中、男同士積もる話があったのか、すっかり気心を知れたようすである。

「あいつは、なかなか面白い男だよ」

 恋人の前で秀郷を話題にするが、早くも義兄弟めいた仲の深まりに、桔梗は嫉妬を覚えた。

 ――ただでさえ忙しくって、私にかまってくれることが少なくなってたのに! もうっ。

 桔梗は頬をふくらませた。けれど、一方で、

 ――自分が与えることができなかった何かを、あの男は将門さまに与えているんだ。

 妬ましさ以上に、秀郷への羨望を覚える。

 将門は昔から、対等に付き合える同輩というものに恵まれなかった。多分に、才走ったところや血気に過ぎるところが並の男たちを遠ざけてしまうのだ。かつては貞盛という従兄がいたが、彼とも縁が切れかけている。

 慕ってくれる弟や家臣はいる。だが、それだけでは物足りなさを覚えていたのだ。

――将門さまと対等に付き合える男、ねぇ。

 秀郷という男が俄然気になり始める桔梗であった。

 

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