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蓮華

 承平六年(九三六)、将門は強大になった一族との対決を余儀なくされる。

 七月、良兼は本拠上総から軍勢を率い、筑波山西麓へ向かった。彼は自らの多勢を恃み、源護の軍勢を常陸南部に残すと、東西より将門を挟み撃ちにすべく下野(栃木県)へと進軍した。


 かほど大がかりな作戦は、将門へも漏れる。

 ただ貞盛までもが敵についたとは解せない。

 ――叔父らに押し切られたのか。

 真偽を確かめようと、急ぎ百騎ばかりの兵で下野を目指した。

 果たして良兼軍は千騎をもって将門を待ち構えていた。

 先に敗走した良正軍とは比べものにならぬ精兵揃い。さらに、武器も十分に行き渡っている。

 対して将門方は小勢の上、差し急いでいたため、武器武具が不足していた。

 これを見た良兼は甥を侮った。  

「さぁ、敵を見てみろ! この程度の軍勢に負けたとあれば末代までの恥だ!」

 垣根のように並べた盾を、威勢よく打ち鳴らしながら軍を進めた。

 将門は多勢に臆したのか、攻めようとしない。

 良兼軍はいよいよ勢いづき、一斉に太刀を振りかざし、攻め向かった。

 そこへ物陰に潜んでいた弓兵が現れる。

「今だ! 射よ!」

 将門は合図をもって敵の歩兵を射させた。

 戦いを躊躇する素振りは陽動であった。

 己れを囮に敵の軍勢を引きつけさせると、一斉に矢の雨を降らせた。

 敵兵は地に伏し、倒れた人馬は八十余り。敵将の良兼は驚き、彼の伴類は怖じ気付いて逃げ出した。

 崩れ始めた敵の軍勢へ、将門は馬に鞭あてる。

「我こそは桓武天皇が後胤、鎮守府将軍平良将が息男、将門の戦い振りをとくとご覧じろ!」

 名乗りを上げ、先鋭を率いて敵軍を追い攻める。

 将門の反撃に、良兼たちは度を失い、下野南部に置かれた国庁に駆け込んだ。

 助けを求めて、敗卒が千人。

 下野の役人たちもさぞ迷惑だったろうが。

 国衙を包囲した将門は、

――国庁を敵に回すのも、舅どのを追い詰めるのも上手くないな。

 敢えて西門の囲みを解き、良兼たちを逃がしてやったのだ。

 如何(いか)でか、良兼は伯父にして妻の父である。それに、()の軍に貞盛の姿を見かけたせいもある。一族の内訌で親友を失いたくはなかった。

 将門は中央政府に対しても周到だった。

 自分たちが朝廷に敵対する意志はないと、下野国司らに経緯を説明し、良兼らの無道を日記(公簿)に記録させて、穏便に軍勢を引き上げた。


「さすが御身は私の見込んだ人、だけどでき過ぎじゃなぁい?」

 桔梗は恋人をほめそやした。

 小勢をもって大勢を打ち負かし、敵将の命を助けた上、国府の役人へ日記の注文までつけるとは。

「俺は降りかかる火の粉を払っているだけだ」

 賞賛を受けながらも、将門の機嫌はあまりよくない。

「お前の言う天下の逸物とやらは、こんなにも苦労しなければならないのか」

 戦えば、勝つ。だが、その度に敵を増やしていた。

 いずれも相手から吹っかけられた争いばかり。

 何の利もなく。

 いやむしろ、兵糧米や牛馬は持ち出し、従類伴類を疲弊させ、田畑を荒らす――はるかに損害の方が多い。

「天下の器量というのは大変なのよ。良いものも悪いものも引き寄せてしまうから。今は悪いことばかりが目立つけれど、そのうち選り分け方がわかれば、きっとうまくいくはずよ」

 卜占(ぼくせん)は見ないけれど、と桔梗は肩をすくめつつ、

「御身の強さが知れ渡れば、上つ方々が放っておかないわよ。今や一族内で最も力ある将門さまを無位無官のままにすると思う?」

 板東の桓武平氏一族の内訌が、中央に知れるのは間もなく。それを安定させるため、将門を伯父たちの上に置き、重石にしようという動きが出てもおかしくはない。何となれば、将門の父は鎮守府将軍にまで昇った傑物であり、藤の大臣忠平という後ろ盾もある。

「平一族の長に」

 そう言われれば、まんざらでもない。

 将門は少しだけ機嫌を直してみせた。

 直後、男のもとへ、京の朝廷より召喚を命じる官符が届く。

 事由は、東国の平和を乱した反逆容疑により、と。


 将門を訴えたのは、またしても源護である。

 この老人は武力では将門に適わないと知って、国司たる叔父や源一族に歯向かう逆賊と讒言したのである。

 将門は護を相手にしたくもなかったが、中央政府とは下野国衙の件がある。関係がこじれぬ前にと弁明のため上京の途についた。


 十月、将門は京に到着し、検非違使庁で略問を受けた。

 彼はあまり弁の立つ方ではないが、事実関係をありのままに述べる姿は、査問官へ悪い印象を与えなかった。また、先の下野国府の一件が日記に記録されていたこともあり、東国の混乱は平一族の内紛、将門は微罪とされた。

 旧主藤原忠平は人臣の位を極めた太政大臣、召喚先の検非違使庁の別当(長官)は忠平の長子ということも影響したか。

 さらに翌年四月、朱雀帝の元服による恩赦に預かり、将門は無罪放免となる。

 将門の上京は、彼の将として武略、兵としての武勇を都に知らしめ、大いに面目を施したのである。

「よかった! 将門さま!」

 役所から解放された男に、桔梗は駆け寄って抱きついた。

「おいおい、人が見ているぞ」

 往来のど真ん中である。将門は照れた。

「いいわよ。見せつけちゃおっ!」

 巻き付けた腕にいっそう力を込める。

 将門には何人もの妻妾がいる。だが、京まで付いて来たのは桔梗だけだ。

 収監される将門を励まし、

「大丈夫よ。いざとなったら、役所を壊してでも御身を救い出してあげるから」

 冗談とも思えぬ桔梗の言葉は、将門を慌てさせたが、塀を隔てても己れの味方となってくれた女の存在は心の支えとなった。

 もっとも、霊力を持つ桔梗は、いつでも好き勝手に塀の中の男に会いに来ていたが。

 ――やはり、自由の身で、というのは格別だ。

 青空の下、将門は桔梗を力強く抱き締めた。


 盛夏、東下にあたって一行は海路を選んだ。

 桔梗の希望もあり、将門もまた、これまでの褒美のつもりである。

「うれしい。またあの景色が見られるのね」

 女を喜ばせた。

「この時期に帰ることができて良かった。悪くすれば何年も収監されるところだったからな」

 安堵の表情をつくるが、その頬に少しやつれが見える。半年以上の拘禁生活に、さすがの将門も障りを受けたようだが、桔梗は気付かぬ振りをした。人に弱さを見せることは男の最も嫌うところであったから。

「将門さまは口下手だけど、問題なかったようね」

「道理に沿った弁明をしたつもりだが、やはり忠平さまの力も大きかったろう。下野に帰ったらすぐにでも貢馬を献上せねば」

 賄賂というより返礼のつもりだが、旧主の忠平とて何の期待もなしに将門を擁護したわけではなかろう。

 持ちつ持たれつ。男が都で学んだことの一つである。


 恋人たちが湖上の楽園に遊ぶころ、上総の良兼は将門放免の決定に怒り狂っていた。

 ――権門の庇護に隠れる卑怯者め! あやつに復讐を!

 良兼は三月(みつき)をかけて軍備を整えると、常陸と下総を(さか)子飼(こがい)川の渡り(渡河用の船着き場)に陣を敷いた。

 八月六日、手に物取りあえず駆けつけた将門に十分な兵はなく、劣勢をもって川向こうに対峙した。

 しかも、良兼の備えは軍立てだけではなかった。前陣に高望王と鎮守府将軍良将の()を掲げたのである。

 これを見て、将門は怯んだ。

――お前は平一族の人間ではない! 王の孫でも、将軍の息子でもない!

 己れの血を否定されたも同じだった。

 さらに、

 ――この鬼子が、それでも我らにかかって来られるか!

 血縁の叔父に挑発され、動揺を抑えることができなかった。

「将門さま、人の描いた、たかが画に何を畏れるの」

 そう進言できたのは桔梗丸だけであったが、

「父らに矢を射るなど、俺にはできぬ・・・・・・」

 あろうことか、軍将が戦意喪失を表明したのである。

 京から下向して間もなく、数ヶ月の拘禁生活の疲労に蝕まれた心身は癒えていなかったか。

 男は対岸の敵に背をむけた。

 桔梗丸は(ほぞ)をかむような思いでその背を見上げた。だが、肝心の将門が戦う意志を失っていては余儀なく。従類とともに戦場を跡にする。

 敵の敗走に調子づいた良兼軍は、領内の民家をことごとく焼き滅ぼし、食糧や武器を略奪した。

 敗者にできることは、焼け跡から昇る幾筋もの煙をただ見上げることだけであった。

 ――負けるっていうのは、こういうことか。

 生まれて初めて味わう敗戦の屈辱に、男は震えた。


 同月十七日、先の戦いの報復のため、子飼の渡りより一つ下流、堀越の渡りに将門は陣容を整えた。

 だが、先の敗戦の噂が広まっていたせいか伴類たちの集まりが悪い。

 ――日和られたか。

 そばにいた桔梗も心配顔である。

 ――まだ十日しか経っていないのに、再戦だなんて。

 将門の体調を案じたが、先日の屈辱をすぐにでも(そそ)ぎたいと男に押し切られたのだ。

 伴類たちを集うべく、将門自ら領地内外の彼らの家を駆けずり回った。

 桔梗へは、

「とにかく、あの霊像をどうにかしてくれ」

 惨めな思いをくり返したくないと父祖の画を奪わせた。

 良兼たちは用意の霊像が忽然(こつぜん)と消え、さぞ驚いたことだろう。

 ――これで戦える。

 (せん)の気後れは霊像のせいだと自分自身へ言い聞かせた。

 しかし、それは己れの肉体への過信であった。肉体の強靱さには種類がある。戦場での驍勇と病患への耐性は別物であった。ましてや数ヶ月かけて蝕まれた体が数日で回復するはずはない。酷使された肉体は、主の闘志に応えること叶わず、敵陣を前に発病する。 

 激しい頭痛と悪寒――

 将門は意識を失い、馬上から落ちかけたところを、桔梗丸が支えた。

 もはや彼は戦える状態ではなかった。

 戦さの結果も知れたものだ。察しの良い伴類たちは大方逃げ去った。

「無念だ――」

 狐女の霊力に助けられ、将門は川岸の芦の群れに身を隠した。

 敵の探索をかわすに、従類たちも欺いたため、枯れかけた高草の中に桔梗丸と二人きりだ。

「……味方は、お前だけになってしまったか」

 将門は薄く瞼を開けた。 

 伸び交わした芦の合間から、秋空の青が覗く。

 そのところどころにたなびく白は、行く雲か、戦渦の煙か。

 ――またも負けたか。

 将門の瞼は自然落ちる。

「桔梗よ。お前は俺の陽の気とやらをちと取りすぎたな」

 男のかそけき呟きに、

「将門さま、冗談でもそんなこと言ってはいや」

 桔梗は軽く拗ねてみせた。それこそ冗談めかせて。

 けれど、男には通じなかった。

「お前のせいでなければ、私の天運は尽きたということか」

 将門の弱音など初めて聞く。 

「御身は、今、弱気になっているだけなのよ。またすぐに力を取り戻せるわ」

 彼自身の健康と領地、勢力、いずれも。

「私の認めた御身が、ここで終わるわけがないでしょう」

 桔梗の言葉に何の根拠もない。ただ一途な将門への信頼があるだけだ。

 男を和ませようと、桔梗は女体に戻って、身の回りの世話を始めた。

 甲冑を解かれ、将門も少し体が楽になった。

 もう一度目を開け、桔梗の方を見た。

「お前には悪いが、()の者たちのようすを観にいってくれぬか」

 男のいう『彼の者たち』とは、妻妾と、その子らである。

 戦いの前に何か予感めいたものがあったか。いや、用心のためと自分に言い聞かせ、妻子らを湖水の船に乗せて谷津に隠し、いつでも水路を使って逃げ出せるよう備えていたのだ。

 ――彼らの安否が知りたい。  

 けれど、桔梗は、

「いやよ。私が想うのは将門さまだけ。私がここからいなくなって、誰が御身を守るの?」

 妻妾の存在に寛容だといっても、将門の生命より優先する謂われはない。

「どうしてもならぬか」

「どうしても」

 桔梗の首が縦に振られることはなく、

「そうか。・・・・・・そうだな」

 将門はゆっくりと目をつぶった。


 二日後、妻妾たちの乗る船は、将門を探索していた良兼の兵によって、発見される。

 兵らは、内通者に手引きさせ、船を岸に寄せさせると、船中にわずかに残っていた従類らを殺戮した。

 身を守る術のないか弱き人々へ、一片の仮借もなかった。

 女たちを引き倒し、子らに刃を向ける。

 母の悲鳴に、怯える子の泣き叫ぶ声、 

 その上に重なる男たちの怒号、

 血の匂い。

 (いち)()、人々に水上の楽園を見せた同じ場所で――…

 いつ果てるとも知れぬ酸鼻を、湖水が呑み込んでいく。

 在りし日に、仏の(うてな)と咲いた蓮華は朽ち果て、泥に沈んだ。


 惨劇の後、良兼の娘とその子らだけは命を救われ、親元へと連れ戻された。

 先年の下野国府では彼に見逃されながら、良兼は将門から家族を奪ったのだ。

 宿業の敵となった伯父に、将門は情けを捨てた。


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