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少女狐

「ねぇ、父上、父上はどうして奥州に行くの?」

「それは天子さまより陸奥将軍の任を受けたからだよ。奥州に出かけて、悪いエミシをやっつけるようにとね」

 将門は、子ども時分、本拠の下総から奥州に下向する父親との会話を思い出していた。

「エミシ?」

「中央の政府にまつろわぬ者たちのことさ。毛深いから毛人と書いてエミシと読むんだ。奴らは税もろくに払わず、神仏のありがたさもわからぬ輩で、我らの仲間をいじめて追い出そうとする。だから成敗のため私が将軍として遣わされるのだよ」

「すごいな。父上は! 奥州に行ったらエミシをいっぱいやっつけてきてね」

「ははっ。本当の戦いになることはほとんどないだろうけどな」

「?」

「さすがのエミシも天子さまのご威光を畏れて、このごろはよう戦わなくなった。まぁ、代々の将軍が奥州まで行って、こうグッと睨んでいれば奴らは何もできないのさ」

「へぇえ」

 目を丸くして感心する息子に、

「お前も将来、それくらいの男になってほしいと父は願うが」

「うん、ぼく、大人になったら父上みたいな将軍になる!」

「よしよし、いい子だ」

 頭を撫でてくれた父は、それだけでは足りないとばかり将門の体を抱き上げ、頬ずりした。


 だが、そのときの父に、どれほど息子の夢を信じ得ただろう。自身の将軍就任も破格の待遇であった。努力だけで手に入るものではない。けれど、父親の跡を継ぎたいと申し出た息子の言葉をきっと喜んでくれたと思う。

 父親に少しでも近づけるよう将門は弓馬の道に精進し、京へ出て出世の機会を伺っていた。しかし、今ある職の中でそれをどう得ればよいのかわからず方途を見失っていた。凡庸な同僚たちの中で埋没したくないと、人知れず悩みを抱えながら、年月ばかりが無駄に過ぎた。


 しかし、今回の鬼退治で運が巡ってきたのだ。

 ――これで検非違使への推挙は確実だ。

 将門は労をねぎらわれ、数日の間当番を免除された。

 男は私君とする藤原忠平の邸宅へ帰った。非番時は、邸の一隅に故郷(くに)から連れて来た家人とともに寝起きしている。

 禁中に鬼が現れる(さま)に、都の治安など推して知るべしである。権門たる忠平も放火や群盗に怯え、東国者の武勇を頼りとしたのである。

 持ちつ持たれつ。

 忠平は、頭首たる将門に滝口の職を与えていた。

 家人たちは将門の活躍を聞いて喜んだ。これで主人も日の目を見られると。

 主人の出世は家人の出世。

 永らく肩身の狭い時間を過ごさせてしまったが、これで彼らも報われる。将門はようやく主らしい行いができたと、もう一度喜びを噛みしめた。


 だが、翌日、宮中では再び怪異が起きた。

 夜になって庭前に妖火が出没したのである。

 すわ、先日退治した鬼の祟りか。

 殿上人が色めき出し、滝口の詰め所では再び将門が呼ばれる段になったが、一部の同僚が異議を唱えた。

「東国者にまた手柄を立てられるのは業腹ではないか」

 将門に畏れとも反感ともつかいない感情を持つ者は少なくなかった。

「それに今回の妖火は人間に危害を加えるわけでもない」

 ただふわふわと園庭を巡り、女子どもや気の弱い連中を怯えさせるだけである。

「それほど恐ろしいものとは思えぬ」

「我らの力だけで解決できよう」

「何、危険だとわかれば、逃げれば良いだけだ」

 彼らの意見は一致した。

 とはいえ、直接に魔物を退治する自信はない。

 臆病な彼らは昼に罠を仕かけ、夜にようすを見ることにした。

「上手く罠にかかればしめたものよ」


 果たして、翌晩も魔物は宮中に現れた。妖火はゆらめきながら庭の植栽の間を巡り、寝殿の(きざはし)に近づくなどして、あちらこちらと移動した。まるで何かを探すように。

 それを彼らはじっと息をひそめて見守った。

 やがて罠をしかけた場所へ。ぴょん、ぴょんと飛び跳ねるように近付いた火の玉。

 人々はごくりと唾を飲み込んだ。

「キャン」

 犬、しかも子犬が鳴き叫ぶような声。

「やった!」

 人々はしてやったりと手を打合せ、快哉の声を上げた。

「あの泣き声、やはり狐であったか」

「妖火は鬼火でなく、狐火だったのだな」

 顔を見合わせうなずき合ったが、真暗い中、確かめに行く勇気のある者はなかった。

 明日、陽が高くなってからと申し合わせ、詰め所に帰って行った。

 あとにはばたばたともがき苦しみ、きゅんきゅんと切なげに声を上げる子狐の影だけが残った。


 翌朝、夜も明けきらぬうちに将門が宮中へ出仕すると、滝口では昨夜捕らえた狐の件で持ちきりだった。

 しかも、狐はまだ罠に繋がれたままだという。

「妖狐を捕まえたと? ならばなぜそれを確かめぬのだ」

 不思議がる男に、

「皆、おぬしと違って慎重なのだ。外はまだ薄暗い。もう少し日が高くなるまで待たぬか」

 と同僚の一人が言った。

「だが、そなたらの罠にかかる物の怪など小者であろう。私が行って確かめてくる」

 仲間の怯懦を鼻で笑うようにして将門は立ち上がった。

「行くのか」

「その通りよ」

 大股で歩き出した男に、仲間が一人二人と付いていく。


 園庭の築山に植えられた松の枝から、一条の縄が垂れ下がっていた。その真っ直ぐに伸びた縄を目でたどっていくと、縄の先には、白く細い人の足が宙にあった。さらに近付いてよく見れば、上半身を地べたに付き、片足を釣り上げられた(めの)(わらわ)がいた。

 秋草を散らした(かざみ)姿で、両の前髪を物忌みで()めた顔の下半分を東雲(しののめ)色の袖で隠している。残りの足が折り曲げられているのは、その姿勢のほうが幾分(いくぶん)楽になるからだろう。こちらを伺う目の色に、痛みと羞恥がない交ぜになった感情が見て取れた。

「女童とは奇体な。これはきっと狐が化けたものに違いない」

 仲間たちは注意を促したが、将門は気に留めるようすもなく、少女のむき出しになった白い(すね)を掴むと、腰の太刀でぶつりと縄を切り、足を地上に下ろしてやった。

 まだ縄の絡む足首を見れば、よほど暴れたのか肉にまで縄が食い込み、固まりかけた血がこびりついて痛々しい。将門が縄を解いてやると、傷口からかさぶたが剥がれ、血が湧き出した。

「きゃん」

 痛みの余り少女は声を上げ、慌てて口元を袖で覆った。

 突き出た耳がむずむずと動いて、少女の正体がわかりそうなものだが、将門は黙々と手を動かした。己れの上着の袖をまくり、小袖(下着)の端を歯で切り裂くと、その切れ端で足の傷を押さえた。

 うるうると目に涙を溜める少女を見遣り、

「心配するな。すぐによくなる」

 と励ました。器用に布を巻き結び、

「いたずらが過ぎると、このような目に遇うのだ。もう人を驚かすような真似はしないか」

 将門が言うと、女童は神妙そうな顔でうなずく。

 手当が終わり、立ち上がろうとする少女に手を貸し、

「大丈夫か、住まいまで送ろうか?」

 少女は黒髪を揺すりながら(こうべ)を振り、袖を口にやったまま、

「ここでけっこうでございます。・・・・・・あの、お名前を教えてくれませんか・・・・・・」

 妖し相手にどうかと思ったが、正直に自分の名と、藤の大臣(おとど)忠平の庇護を受けていることを伝えた。

 童女は頭を下げて背を向けると、怪我をした足を庇いながら築山の陰に去った。

「――間違いなく狐だった。きゃんと泣いたときに頭から耳が出たし」

「尻尾まで出ていた」

 背後で見ていた同僚たちが口々に言い出す。

「白い毛だから白狐だな。神の使いかもしれぬ。それにしても人間の仕かけた罠に捕まるとは若すぎる」

「しかし、いいのか、勝手に逃がしてしまって」

 同僚が詰問すると、将門は、

「妖しとて約束は守るだろう。二度と宮中に変異が起きなければ、それでいいではないか」

 男の答えに何か言いたげな者もいたが、反論はない。

「しかし、旨いことをした。相手が狐たれば、この礼に今宵、伽に現れるかもしれぬぞ」

 仲間の一人が愉快げに将門の肩を叩いた。

「悪くはない話だが、もう少し年をとってくれねば。年端もいかぬ女童では何もできまい」

「そうだな、あと四、五歳、年を経た姿か、子狐の変わりに姉狐でも現れれば、楽しみもあるだろうに」

「毛皮を脱がすなり、肉を喰むなり、か?」

 男たちは益体(やくたい)もない軽口を言い合った。


 狐の子を助けた日の午後、将門は忠平邸の一室でごろごろと横になっていた。

 休暇空けで宮中に出仕したはずなのに、昼寝とは?

 またも何かの休暇か?

 いや、これは謹慎であった。

「せっかく捕らえた妖狐を放つとは何事だ!」

 上司に呼び出された将門は、

「いえ、捕らえられたのは狐ではなく、女童でした」

 と、とぼけようとするが、

「その女童が狐だったのだ。この愚か者めがっ」

 いきり立つ上役に、これ以上言葉を重ねるのは無駄であった。

 ――告げ口か。

 仲間と思っていた同僚に密告され、将門はひどく落胆する。

 表情(かお)に出かかり、慌てて頭を下げ、誤魔化そうとしたが、

「検非違使への推挙もあきらめよ」

 非情な言葉が落ちる。

「しかし、先日の鬼退治の―――」

 とっさに男が反駁しかけるのを、

「お前は御所を妖しの血で穢した。主上は大変ご不快になられたということだ」

 上司が去った後も、将門はしばらく顔を上げることができなかった。


 その夜、悔しさと昼のふて寝のせいで将門は寝付けなかった。

 寝室は従者たちとの雑魚寝である。

 さすがに主従の間は、胸丈ほどの古屏風で仕切られていたが、屏風越しに家来たちのいびきが聞こえ、男所帯のむさ苦しさにほとほとうんざりした。

  とはいえ、耳を澄ませば、男らのいびきの合間に秋虫の音が届く。

 ――東国と京では虫の言葉も違うのか、鳴き声も雅めいて聞こえるな。

 風流な音色は、この男臭さを和らげてくれるようだが、

 ――都で俺に優しいのは、虫だけとは・・・・・・

 そう嘆息しつつ、

 ――いや、人間の中にも、全くいないわけではないか。

 と思い直す。

 例えば、この邸の主、藤原忠平公。

 右大臣として朝廷に重きをおきながら、穏和な性格で将門を決して蔑ろにしない。

 それから、ともに東国から上京した従兄の貞盛。

 将門と違い、要領の良さで都人にも受けがよく、官位を得て順調に出世している。普通、世渡り上手の要領者というと、こすっ辛い人間を想像するが、彼はそうではない。思慮深さと礼儀正しさを併せ持ち、それが人に信頼されるもととなっていた。

 貞盛は、なかなか都に馴染めぬ従弟を親身になって心配してくれた。

「――俺はだめだ。都の水が合わない」

 まだ少年時代から抜け切れない年ごろだったか。

 都の郊外、鴨川に架かる大橋の欄干にもたれかかって、流れる水面を眺めながら彼に嘆いたことを覚えている。

 橋の東には、故郷へとむかう街道が続いていた。望郷の念に駆られ、窮屈な都を逃げだそうとまで思い詰めていた。それを、

「将門、無位無官のまま田舎にかえったら、いい笑い者だぞ」

 貞盛が引き止めてくれたのだ。

「いいんだ。田舎で弓馬の鍛錬をしていたほうがずっとましだ」

 そう開き直る将門に、

「弓馬の鍛錬にだってコツがあるだろ。都で生きていくにもちょっとしたコツがあるんだよ。余計なことをせず、同僚たちのすることに合わせる、上司の望むものは何か先を読んで、それを差し出せばいいんだ」

「だから、それが俺には出来ないんだ。余計なことと先を読んですることの違いがわからない。第一、同僚に合わせてばかりいたら誰からも目をかけてもらえない! それじゃ意味がないじゃないか」

 己れの吐く言葉の愚痴っぽさを恥ずかしく思いながら、将門は自分の口を抑えることができなかった。

「貞盛はいいよ。すごく都に合ってる。田舎にいたころより生き生きしてる。何で従兄弟(いとこ)なのに、俺とお前でこうも違うのかな」

 全くの八つ当たりだったが、貞盛は笑って受け流した。

「将門だって、そのうち都になじむようになるって。そうなれば、お前のような人間は大器晩成というか、一度波に乗ったらどんどん高いところに行けるよ。それに比べて私みたいな人間は、最初のうちはうまくいっても途中で伸び悩む。なぁ、人の一生なんて、そのどちらかだと思うよ」

 お前は自分より上になるやつだ、そうなったら引き立ててくれよ、と持ち上げられ、少年将門は、もう少し都に踏みとどまろうと思い直したものだ。

 だが、その従兄ともこのごろは疎遠になりつつある。余程の用がない限り顔を見せることはなく。

 ――官位を得た者は忙しいのだろう。

 この彼我の差に、焦りを覚えて久しい。


 将門が虫の音に耳を傾け、ようやくまどろみかけたころ、ふいに庭先が静まり返った。

 庭の生き物たちが、皆、息をひそめたかのような、静寂。

 体を起こして見れば、妖火が前栽(せんざい)の草木や室内を煌々と照らし、漂っていた。

 将門は枕元にあった太刀を素早く手にすると、濡れ縁に跳び出した。

 剥き身となった刃。と同様に彼自身も殺気立つ。

「・・・・・・無粋でございましょう。そのような金臭いものは仕舞われてはいかがかしら」

 炎がひときわ輝いたかと思うと、中から小袿姿の(あで)やかな女性(にょしょう)が現れ出でた。

 肩に垂れかかる黒髪はつややかにして、肌白く、切れ長の目は婀娜(あだ)めいて。

「そなた、もしや昼間の・・・・・・」

 男は呆然としながら問いかけた。

「昼間、あなた様に助けられた女童の姉にございます。妹は年端もいかぬ故、替わりに礼を延べに参りました。さぁ、お望み通り『毛皮をはぐなり』、『肉を喰むなり』、何なりと」

「いや、それは・・・・・・」

 今さら冗談であったとも言えず、将門は口ごもった。

 後ずさりして、屏風を蹴倒し、従者を踏みつける。

 だが何の妖術か、彼らは寝入ったまま起きない。

 女は、従者の身体をひょん、ひょんと跨ぎながら、将門に近付いた。

「さぁ、遠慮は無用です」

 嫣然と微笑まれて、将門は慌て口を開いた。

「噂に聞く。狐は人の男と交わって陽の気を吸い取ると。そして気を吸い続けられた男はやがて命を奪われると」

「その噂の半分は正しく、半分は誤りです。確かに狐は陰の性、己れの力を高めるために陽の力を必要とします。ですが、人間の男も同じ、我らと交わることで陰の気を得、自らの力を高めることができるのです。もっとも陰陽の力の釣り合いがとれぬ場合は、別。どちらかが命を落とすこともあるそうですが」

「言うたな。やはり、そなたは人に(あだ)なすものだ」

 女はくすくすと笑った。

「何度も言わせなさいますな。狐に気を取られるだけの男は徒人(ただびと)御身(おんみ)とてご自身で気付かれているのではないでしょうか。己れが特別な人間だということを」

 思いもよらぬ狐女の言葉に、

「そのようなことはない。むしろ俺は平凡な男だ」

 将門は少し目を伏せ、

「京にのぼり、幾年経とうても、宮中の雑用をするしかない東夷(あずまえびす)だ」

 と、自嘲気味に言った。

「ならば、そのような境遇が間違っているのです。私は人間を見ます。あなた様は千年に一人の天下の逸物(いちぶつ)。さぁ、私と交わって本来の力と地位を得ようでありませんか」

 狐女は男の顔の前に迫った。

 将門は周囲を見渡した。狐女の身体から発せられた光はひそめ、あるのは月の光ばかり。邸の者は皆寝静まったまま、誰も起きる気配はない。

 女が胸に寄りかかって来たので、思わず抱き締める。

「これは何かの夢か。俺は誰かの夢の中に紛れ込んだのか」

「夢なら夢で、楽しき夢を見ようではありませんか」

 目を細めて微笑む女へ、

「・・・・・・そなた、名は何と申す」

 観念したように、将門は名を問うた。

 男が女に名を訪ねること。ここから男女の仲が始まるのだ。

「・・・・・・桔梗にございます」 

「桔梗か、良い名だ。俺の名は・・・・・・」

 言いかける男の唇を、女は人差し指で遮り、

「存じております」

 男と女の目と目が見交()わされる。

 二人の体が褥の上にゆっくりと沈む。

 男の手が女の身体をなぞり、下へ下へと向かった。

 たどり着いた先は・・・・・・

「きゃん」

 女が鳴き声をあげた。将門が掴んだものは狐女の足首だった。

 見る見るうちに、妖艶な美女の姿は崩れ、昼間の女童が現れた。目に涙を浮かべ、しかも頭には狐の耳、腰にはふさふさした白い尻尾を出し。

「ひどいよ。こんなことをするなんて」

 口を尖らせて抗議する半妖の童女。

 その足首から手を離し、

「はやりそういうことか」 

 将門は苦笑しながら、自分が巻いた包帯の上を撫でてやった。

「大人の冗談を真に受けて、本当にお前は子どもだな」

「子どもじゃないわよ。途中まで本気だったくせに! どうしてやめたのよっ」

「俺に童女趣味はない。昼間のおぬしの姿をちらついたから、やる気が失せた」

「ひどい。女に恥をかかせてっ」

「何が女だ。まだ化け方も(はん)()な子狐のくせに」

 将門に三角耳を突っつかれ、少女狐は慌てて耳と尻尾を隠す。

「桔梗というより、撫子(なでしこ)だな」

「いやよ、そんな子どもっぽい名前! ぷんっ。半可なのはまだ人間の男を知らないからよっ。だから今夜あなたと寝て力をつけようと思ったのに」

「何だ。昼間の礼に夜伽に来たと思ったが、そんな不純な動機があったのか」

「いいじゃない。男と女は持ちつ持たれつって言うでしょ」 

 頬を膨らませる少女狐に、

「子どものくせにませた口をきく。その男と女のことも知らないというに」

 将門は相手にしようとしなかった。

 それが少女にはますます口惜しいらしい。

「このまま何もしないで帰るのは(しゃく)だから、隣で休ませてもらうわ。添い寝ぐらいならいいでしょっ」

 堂々と男の褥に横たわる。

「御身ほどの男なら添い寝だけでもきっと力を得られるはず。何しろあれほどの妖力を持つ鬼をたった一人でやっつけたのだから」

 将門は仕方なく少女の隣へ横になった。

「御身の噂は妖しの間で持ちきりだったのよ」

「妖しの間でいくら話題になったとて嬉しくもない。人間の中で名を上げねばならぬというのに、お前を見逃したせいで俺は無位無官のままだ」

「あら、それは周りに見る目のある者がいないからよ。大丈夫、私の目には狂いはないから。それにしても、御身の上司の目は節穴ねぇ。たった一人で鬼を退治したというのに何の褒美もないなんて」

「たった一人で退治したというが、あれは無我夢中で・・・・・・、それに俺の信奉する妙見菩薩の加護があっての・・・・・・」

 将門が言いかけると少女の耳がぴくぴくと動いた。

 妙見菩薩は国土を守り、災厄を取り除く菩薩であるが、

「御身は妙見さまが好きなの? 気が合うわねぇ。北辰(北極星)の化身で、北斗七星を眷属に持つ妙見さまと狐は縁深いのよ。となれば、御身と私にも縁があるんだわ」

 ふんふんと鼻を鳴らし、ご機嫌なようすである。

それから、男の瞳を間近に見上げ、

「ねぇ、ちょっと抱き締めてみて」

 甘えるような声を出す。

 男はそれくらいならと、少女の言うとおりにした。

 己れの自制心に自信があったから――

 胸の中の少女の温もりが衣越しに伝わってくる。

「狐はね、他の獣とちがって雌雄で子を育てるの。でも私は生まれたときから父親がいなかった。母親も小さいうちに人間に捕まってしまったし。きょうだいもなかったからずっと一人だったんだ」

 少女はきゅぅうと身を縮こまらせ、

「こうやって誰かと一緒に寝るのはいいものだね」

と呟いた。

孤児(みなしご)は仲間から馬鹿にされたりいじめられたりするんだよ。ねぐらを奪われたり、食べ物を横取りされたり・・・・・・ 生きていくために、人と狐の世界を行ったり来たりしていたけどさ。いつも強くなりたいと思っていたよ……誰からもいじめられないように」

 少女の一人語りに、将門は心を動かされた。

 この子狐が自分へ同衾(どうきん)を迫るのは、その実、父母やきょうだい、家族というものに乞い焦がれているのではないかと。

「まぁ、命を奪われるのでなければ、陽の気とやらを分けてやらぬでもないが・・・・・・」

 つい、そんな言葉がこぼれた。

「本当? うれしい!」

 少女は男に抱きつく。

「だがそれは、あと何年か経ってからのことだ」

「え――、でもいいわ。約束よ」

 嬉しげにに己れの胸の中で丸くなる少女に、男は苦笑する他なかった。


 翌朝、将門の前で少女は両手を拡げ、くるりと一回りしてみせた。東雲色の汗衫が女童の動きに合わせてゆらゆらと揺れる。

「すごいわ。御身の力は素晴らしい! 一晩でこんなにも違う」

 童女のはしゃぎ振りに、将門は片腕を枕に寝ころんだまま、

「大して変わったとも思えぬが」

「ううん。これを見て」

 撫子が袴の裾をたくし上げ、包帯を外すと昨日の怪我はすっかり直っていた。

 将門は驚いて体を起こした。

「昨夜の約束、忘れてないわよね。あと何年かしたら、私と契ってくれるって。私、それまでずっと御身のそばにいるから」

「ちょっと待ってくれ。ずっとそばにとは」

「心配しないで。昼は男子(おのこ)の姿になるから、家来の一人にでもしてね」

 ぴょんと跳びはねると(わらわ)水干(すいかん)の少年の姿に変じた。

 この騒ぎに起き出した従者たちも屏風の(へり)から顔を出し、目を丸くする。

 そんな彼らに少年はぺこりとお辞儀をし、

「よろしく、先輩たち。今日から一緒にお勤めすることになった桔梗丸です」

「桔梗じゃなくて、撫子(・・)丸の間違いだろ」

 将門がからかうと、

「もうっ、そんな子どもっぽい名前、いやって言ったでしょう。ぷんっ」

 怒って見せるが、名前を付けたということは少女を受け容れたということ。

 思わず頬がゆるみ、『撫子丸』は将門と笑い合う。

 何も知らぬ従者たちは、目を白黒させるばかりであった。


 その日から撫子は、昼は将門のもとで雑用をこなし、夜は女童の姿に戻って、男の褥で甘えかかった。

 将門は撫子へ父のような兄のような気持ちで接した。

 もっとも、その『父のような、兄のような気持ち』でいられたのも、長くは続かなったが。


 ――まさか、都で狐の女房を(めと)るとは。

 すやすやと腕の中で眠る彼女を見ながら、将門は頭を掻くしかない。

 何しろ狐の子は夜ごと男の陽気を吸収し、将門の腕の中ですくすくと成長していくのだ。

 変化を得意とする狐は性別・年齢・身分に関係なく化けることができる。一方で『撫子』は、この少女狐の人型としての本質(・・)だという。

 ある日、

「――今日からお前のことを桔梗と呼ぶことにするか」

 照れくさそうに言う男の真意を受け取り、撫子改め桔梗は、

「うん!」

 歓喜に目を輝かせ、男に抱きつき、口づけした。

 そのあとは……

 ――都とは不思議なところだ。鬼がいるかと思えば、狐もいる。もっとも、俺が人間と思っている輩の中にも魑魅(ちみ)魍魎(もうりょう)(たぐい)が混じっているようだが。

 そう思えば、桔梗などかわいいものだ。

 男は女の顔に目を落とす。

 桔梗の寝息が腋にあたってくすぐったく、男に全てを許した女の存在は心にゆとりをもたらした。

 二人を結び合わせた京という土地を、

 ――そう悪くないな。

 と、思い始めたころ、皮肉にも、都での暮らしを終わらせる出来事が彼の故郷で起こった。


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