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その行方

 中央への反逆児となった将門の行址は流星のように儚い。

 その死まで、常陸国庁を襲って三月(みつき)、新皇を名乗ってから二月(ふたつき)と経ってなかった。

 残された勢力は一気に瓦解した。到着した朝廷軍の掃討により、彼の弟や興世王たちも次々と敗死し、東国の叛乱は終焉を迎える。

 将門の首級は京に運ばれ、都大路を引き回された上、東市に掛けられた。

 死してなお、晒し者となる悔しさは如何ばかりか。

 当初物高く人々が訪れたが、首級は腐ることもなく、夜ごと目を見開き、歯噛みして物を言うと、人々は恐れをなし近寄らなくなった。

 人が首だけで生きているというのは面妖である。

 しかし、将門は狐女たる桔梗から陰の気を受けた身。そのようなことがあっても不思議ではない。

 後日、将門の首級は、忽然と消えた。

 身体を求めて飛び立ったのだと人々は噂した。

 

 だが、それは誤りだ。

 首が一人で飛ぶことはできない。何者かが連れ去ったのである。

 何者かとはもちろん、狐女桔梗のしわざだった。

 青龍との戦いで死んだと思われた白狐は、傷ついた身体に鞭打ち、将門の匂いをたどり、男を求めた。

 そうして、ようやく見つけた将門の御首級。

 疲れ果てた狐の姿では恥と、美しい女人の姿に改めて(まみ)える。

 女の気配に、男も目を開く。

「桔梗か、待ちかねたぞ」

 将門がかける言葉に、桔梗の目から涙があふれた。

「お身体のもとへ戻りましょう」

 胸にかき(いだ)くと、東国を目指し、空に舞い上がる。

 将門の顔に風が当たらぬよう扇で庇いながら、

御身(おんみ)のご無念察するに余りあります」

 桔梗は愛しい男に頬ずりした。

「もう一度力を貯めてから、憎い秀郷を成敗致しましょう」

 話したいことはたくさんあった。けれど、将門を思ってそう言った。

「・・・・・・」

 だが、将門は答えない。

「ねぇ、秀郷を成敗しましょう」

 もう一度くり返した。

「・・・・・・そのことは、もう良いのだ」

 将門の目は遠くを見ていた。

「京の雀どもは何やらいらぬ噂を立てていたが・・・・・・ 秀郷に首を討ち取るように願ったのは私だ。何の恨みがあるものか」

 桔梗は驚き、

「うそ。何でそんなことを」

 取り落としそうになった男の首を、もう一度胸で抱え直した。

「あぁ、俺は疲れていた。人々に新皇とまで担がれながら、その実、己れの為すべきことを見つけられずにいた。何が新しい天皇だ。即位に除目、皇居の造営、俺が為そうとしたことは、全て、都人の猿まねに過ぎなかったではないか」 

 将門の瞼がつむられる。

「それは、御身の取り巻きたちが・・・・・・」

「興世王や玄明のことか。あいつらを悪く言わないでくれ。奴らもまた迷える俺の一部だったのだから・・・・・・ 将平や貞盛のような人間はいい。人の世を上手に渡っていく(すべ)を知っている。お前だって・・・・・・」

 桔梗はまじまじと男の顔を見た。

 ――将門さまは、いったい何を言い出そうとしているのだ。

「けれど、俺は違う。そんなに器用には生きられない」

 将門の目が再び開かれる。

「さぞ、お前たちは歯がゆく思っただろう。自分たちの言うとおりのことを、どうして俺ができないのかと。だがな、俺は満たされなかった。『やってはいけない』、『してはだめだ』、禁じられるばかり、止められるばかりの言葉では。将門という人間は何者であるのか、何を為すべきなのかを、誰でもいいから教えてほしかった。・・・・・・そして、それを示してくれたのが興世王たちだった。例え、あいつらの指した方向が間違いだったとしても、俺はそんな奴らに応えたかった」

 だが、結果は?

 千年に一人という将門の有り余る精気は行き場に惑い、迷走し、大勢を巻き添えに自滅して果てた。

「京にいたころは良かった。故郷を故郷と思えたのだから」

 手と足を伸ばしてもまだ有り余る世界、精神や肉体を解放する自分の居場所として。

 だが、それは幻だった。故郷の東国もまた都の作った戒めの中にあった。ただ少し網の目が緩いだけで、そこからさまざまな矛盾がこぼれ落ちた。

 それは将門を苦しめ、痛めつけ、かと思うと一瞬の栄光を見せ、最後に彼を無きものにした。

 将門の人生は東国の生み出した矛盾、いや矛盾が生みだした東国そのものだった。

「俺みたいな男は、こういう破滅の仕方がお似合いだったのさ。その引導役に、秀郷以上の人間はないだろう」

 優しい眼差しで桔梗を見上げた。

「お前は俺を天下の逸物と言ったが、全く物にはならなかったな。秀郷のような男こそが天下の逸物と呼ぶに相応しい」

 人を統率する者としての厚みを知り、束の間でも仲間と呼び合ったことを誇りに思うと。

「あいつに裏切られたと知ったときは、(はらわた)が煮えくりかえるほどの怒りが込み上げたものさ」

 だが、それは見捨てられた寂しさの裏返しだったのだ。

「そして戦場に(まみ)えたとき、思い直したよ。裏切りは俺の方が先だったと・・・・・・」

 秀郷は言っていた。土地はそこに住む者こそが主なのだと。

 けれど将門は、自覚なきまま武力によって彼の故郷を蹂躙した。

 秀郷が故郷のために戦うのは当たり前ではないか。

 中央政府の思惑など後からついてきたものだ。

 けれど、それが岐路(わかれみち)だった。

 朝廷は、いや天運は秀郷を選んだ。 

「俺は死に、あいつは生きている。それが全てだ」

 風が桔梗にあたり、涙に濡れた頬を冷やした。

 将門の口から出てくる言葉は、己れを誅した秀郷のことばかりだった。

 ――これほど近くにいながら、まだ私たちの心はすれ違ったままなのか。

 桔梗の胸は凍えそうになった。

 そのとき桔梗にできたことは、秀郷を憎むことだけだった。

 愛する男の命だけではなく、心まで奪った仇だ。

 桔梗の身体には火が点った。怒りゆえに生気が蘇るような気がした。

「・・・・・・御身が許すと言っても、それでは私の気が済まない。やはり、あの男には目に物見せてやるわ」

 頃は武蔵の上空、将門の故郷下総を目指したものを、桔梗は秀郷の住む下野へ方向を換えた。

 しかし、目指す下野の上空から黒雲が近付く。

 雷電を帯びた雲を従え、現れたのは、

 青き光鱗をまとった、秀郷の護法神。

 桔梗の前に立ちふさがるようにして。

 ――またしても。

 青龍の静けさを(たた)えた瞳を見るにつけ、桔梗の全身はざわざわと粟立った。

 湧き上がる怒り。

 そして、もっと別の何かが・・・・・・

 思わず、腕の中の将門の顔を覗き込んだ。

 男の瞼は閉じられ、ぴくりとも動かない。

「将門さま、将門さま!」

 女の呼びかけに、男が再び答えることはなかった。

「あんた、いったい、将門さまに何したのよ!」

 牙をむき出しにして、狐女は吠えかかった。

 だが、龍の瞳は青く輝くだけで何の感情も読み取れなかった。

 それが桔梗には蔑みと覚えた。

「私から将門さまを奪っておきながら、よくもっ」

 怒りのあまり瞳は金色に光り、鼻先と口が突き出す。だが己れでは狐面に変じたことにも気付かず、夢中で飛びかかる。

 左手で将門の首を胸に抱き、右手で扇を振りかざし。

 桔梗は忘れていた。己が力の残りなきことを。

 歴然とした龍女との力の差を。

 青龍は長尾の一撃で狐女を振り飛ばした。

 将門の首は桔梗の腕から鞠のように跳ね飛んで地上へと落ちて行った。

「将門さま!」

 悲鳴をあげ、手を差し延べようとした。

 だが、桔梗の力はすでになく、己れの体を立て直すこともできなかった。

 虚空からの落下。

 地面に叩きつけられてもよいところを、木々の枝に救われる。

 地上に降り、すぐに起き上がったものの、自分には何の力も残されていないことを悟った。

 桔梗は髪を振り乱し、

「将門さま、将門さま」

 狂ったように男を求めた。

 探して、探して、昼も夜もなく。

 しかし、霊力を使い果たした身では目も鼻も利かず、力を回復したころには将門の匂いや気配はすでに失われていた。

 桔梗が将門を取り戻すことは二度と叶わなかった。 


 将門討伐の功により、秀郷と貞盛は後に鎮守府将軍にまで昇った。源経基も朝廷から目をかけられ、直後、西海の叛乱の追補使に任命され武将として名を揚げる。

 東国で権勢を得た貞盛と秀郷の末裔が、経基の嫡流源頼朝を担いで、京の支配から独立を勝ちとるのは、将門の叛乱から百五十年後のことである。

                                                     ―了―


最後までお付き合いありがとうございました。

秀郷の子孫たちの物語は『Brotherhood』という短編におさめてあります。

狐女の悲しい恋の遍歴は、後日、新しいタイトルで掲載したいと思います。

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