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シロの想い、タマの想い  作者: 丸山梓
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シロの秘密

 家に帰ると、悠里は行雄とかなえに事情を話した。


「うーん、まあ、いいんじゃないか、なあ、母さん」

「ええ、私は構わないわよ。むしろあと一カ月かと思うと寂しいわ」


 シロは床に置いたバッグから自分で出ると、すたすたと台所に入っていく。

かなえは、悠里に言う。


「それより、悠里、ラップ知らない? キャベツ切ったから、ラップしたいんだけど、棚にないのよ」

「はあ?」


 悠里は、いつもラップが置いてある棚の扉を開けた。高い位置にあるのでよく見えない。身を乗り出して奥まで覗いてみると、そこには、半分に切って皮をむいた玉ねぎがラップにくるまれて転がっていた。


――ということは。


 悠里はふと思いついて、冷蔵庫の野菜室を開けてみる。引き出し式になったそこには、目的のものが無造作に置かれていた。


「お母さん、ラップ、冷蔵庫に入ってるんだけど」

 かなえは両手を頬に当てて言う。


「うそー。どうして?」

「玉ねぎをラップして、冷蔵庫に戻すつもりが、ラップの方を冷蔵庫に入れちゃったみたいだよ」

「あはは。ばかだね、私。玉ねぎは? 棚にあったの。ははは」


 かなえの天然ぶりは今に始まったことではない。かなえは現金専門のガソリンスタンドで「現金、ガソリンで」と言ったつわものである。本当は「レギュラー、満タンで」と言わなくてはいけなかったのに。


 我が家は今日も平和だ、と悠里は思う。しかし、体調を崩し辞めてしまったが、かなえは、少し前まで看護師をしていた。こんな天然ボケで、どんな風に仕事をしていたんだろう、と悠里はいつも首を傾げてしまう。


 その夜、シロは悠里の部屋でくつろいでいた。シロのお気に入りは猫じゃらしだ。タマと遊ぶために買って、結局使わずじまいだったのを持ち出して、勉強前にシロと遊ぶのが、悠里の日課になっていた。


「これ、老体をいじめるでないわ」


 猫じゃらしを勢いよく右へ左へと揺らす。それにじゃれようと突進してくるシロに悠里が夢中になっていると、シロはハアハアと苦しそうに息をして、絨毯にごろんと横になった。


「老体って、シロは何歳なの?」

「はあはあ。そうさなあ、記憶のある限りでは、中野のじいさんが四十六のときからあの家にお世話になっとったようだから、もう二十歳くらいになるかな」

「え、私と同い年ってこと」


猫にしては、相当な年だと悠里は思う。

「その割には、軽い身のこなしだね」


 シロは悠里に向き直り、毛を逆立てて抗議する。

「馬鹿にするでない、わしを誰だと思っておる。高貴で神聖な白猫さまであるぞ」


――その割にはあんまり威厳が感じられないのよねー。


 悠里は、自分の率直な感想はさておいて、シロをなだめるように返事をした。

「はいはい」


 悠里はこの前ふと思ったことを、シロに聞いてみた。

「その中野のおじさんと、シロはこんな風に会話できたの」


 シロは胸を張って答える。

「もちろんだとも。生まれた時から、わしゃ中野のじいさんと会話しておった。だからほかの人間とももちろん話ができると思い込んでおったよ。でもほかの人間は、こちらが話しかけても、にゃあとかみゃあとか、ちんぷんかんぷんな言葉を返す輩ばかりじゃった。どうやらこの世で一人の人間としか会話はできん仕組みになっとるようでな」


 悠里はなんだか、そのときのシロの気持ちが分かるような気がした。猫にも人間と同じように感情はあるはずだ。きっととても空しい気分になったことだろう。

 唯一の話し相手、中野のおじさんを亡くしたとき、シロは一体どんな気持ちだっただろうか。考えるだけで悠里は胸が苦しくなる。


「ねえ、中野のおじさんはどうして亡くなったの?」

「鋭い質問じゃな」


 シロは遠くを見るような顔になった。その表情はどこか悲しげで、悠里はしまったと思った。


「いい、いい。やっぱやめとく。私が悪かった」

「べつに構わんよ。中野のじいさんが死んだのは、わしのせいなんじゃ」


 シロが語ったのは次のようなものだった。


 シロと中野のおじさんは、いつものように町中を散歩していた。ちょうどため池の前を通り過ぎたときだった。ちゃぽんという音がかすかに聞こえたような気がして、シロは振り返った。


 ため池といっても、グランド一個分くらいはありそうな大きな池だ。遠くで小学生くらいの子がおぼれているのが見えた。湖面にはボールが浮かんでいる。あれを取ろうとして少年は池に入ったのだろうと思われた。そのことをシロは、中野のおじさんに伝えた。中野のおじさんは、少年を助けようとして、迷わず池に入った。

少年は助かったが、中野のおじさんは心臓麻痺を起して、亡くなった。


 シロは悲しげに言う。

「あのとき、わしが少年がおぼれていることを、中野のじいさんに言わなければ、じいさんは死なずにすんだんじゃ。わしは自分を責めたよ。猫である自分の無力さを思い知った。通りかかった誰かが呼んでくれた救急車を見送りながら、うちに帰る気がせんかった。雪枝さんに合わせる顔がなくてな。町じゅうをふらふらと彷徨ったよ。野良犬に追われて逃げ回るうち、土地勘のないところまで来てしまってな。途方に暮れていたときに、お前さんに拾われたんじゃ」


悠里は、この前、シロとした会話を思い出していた。

「私に能力をくれたとき、シロは言ったよね。その能力を授かったからといって、何もかも良いほうに転がるとは限らないって」

「そうじゃな」


「それって、そういう意味で言ってたの」

「そうじゃよ、能力ゆえに不幸になることもある。中野のじいさんと会話なんぞ出来んほうがよかったかもしれん」


「じゃあ、それでも私に能力をくれたのはなぜ?」

シロの動きが止まった。目を閉じて何か考えている様子だ。

「それでもわしは、賭けてみたいと思ったんじゃ。能力は人を不幸にもするが幸せにもする。その幸せになるほうを見てみたいと思ったんじゃよ」


 悠里は思わず口を開いていた。

「ねえ、それって」

 悠里、お前ならできるってこと? と続けようと思った矢先、シロはその姿を消していた。ワープしてケージへ戻ったらしい。にゃーんと可愛く鳴く声がする。


「まあ、シロちゃん、起きたの。なあに、ご飯かな、お水かな」

 台所からかなえののんびりした声が聞こえてくる。


――もう、シロってばすぐ逃げる。

 ワープして突然現れたはずなのに、それに気付かないお母さんもお母さんだ、と悠里は思う。

「いけない、月曜日、小テストやるって言ってたっけ。暗記しとかなきゃ」

悠里は慌てて、机に向かいノートを開いた。


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