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シロの想い、タマの想い  作者: 丸山梓
2/19

雪枝さん

 なんだか、部屋の中が明るい、もう朝かと悠里は目を開けた。


 寝不足でだるい体をどうにか起こして着替えて、台所に行ってみるとシロは猫用ベッドで悠々とくつろいでいる。やっぱ、昨日のこと、夢だったんだよね。悠里はふっと息を吐くと、朝ご飯を食べ、いつもどおり看護専門学校へと向かった。


 家から最寄駅まで少し歩き、電車に乗って十五分ほどのところにある。乗り換えもなく、通学に関してはわりと恵まれているほうだと悠里は思う。


 電車に乗りこみ、向かい合わせの椅子に座って、いつもの風景を見るでもなく見ていると、気になったことがあった。向かって右ななめ前に座っている中年の着物を着たおばさんのおなかの辺りが、なんだか茶色くなり、ぐるぐると渦を巻いているようにみえる。


――うっ、なんか気持ちわる。私の気のせい? でもあれは、もしかして昨日お願いしたアレかも……。

悠里は昨日の夜のシロとの会話を思い出していた。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「私、看護師を目指してるの。だから人を見たら、どこが調子悪いのか分かるようになればいいなあって思うんだけど」


 それは、悠里は以前から常々思っていたことだった。大抵の人は自分の体調について訴えることができるが、中には本人の訴える箇所とは別の場所が原因で体調不良を起こしていることがある。不調の根本的な原因が分かれば、そこを治せばいいのだから話は早い。


 シロはそれを聞いて、大きく頷いた。

「よかろう。そなたの願い、叶えよう。ただし、一つ覚えておいてほしいことがある。世の中のすべての事象にはよいこと、悪いこと両方の側面がある。その能力を授かったからといって、何もかも良いほうに転がるとは限らんぞ」


 悠里は言う。

「能力を生かすも殺すも私次第ってことね」

「うむ、その通りじゃ。じゃが、自分の意思でもどうにもならぬときもあるじゃろうて」


 シロは、意味深なことを言って、満足げにうなずくと、トントンと軽快な足どりで台所へと戻っていった。その足音を聞きながら、悠里は再び深い眠りへと落ちていった。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 ふとみれば、その隣のおじさんの鼻もなんだか不自然な黄緑色をしている。あれは、ちくのう症かもね。悠里はあえて乗客の体をじろじろと見ないようにした。その方が気が楽だ。


――まさか本当にシロが私の願いを聞き届けてくれるなんて。信じられないけれど、でもこれが現実みたい。


 電車が最寄り駅に着くと、悠里は立ち上がり、学校へと向かった。悠里は看護専門校の二年生だ。一年の頃は、基礎科目ばかりだったが、二年になったらより高度で専門的な授業が始まった。


 毎日、課題、レポート、小テスト、発表の連続でいい加減うんざりしてきた。何より暗記しなければならないことが多いのが辛い。記憶力には自信がある方だったが、それにしても多すぎる。それに来年からは実習が始まる。実習は実習でつらいのよ、といつか食堂で一緒になった先輩の言葉を悠里は思い出して、さらにげんなりする。


「悠里、おはよー」


 悠里がいつものように教室の席に座ると、美咲が駆けてきて、悠里の両肩を後ろからばしっと叩いた。悠里は美咲のハイテンションぶりに朝から驚きつつ言った。


「おはよー、美咲。私きのうね、猫拾っちゃった」

「えー、ウソー。ねこぉ、いいなあ。わたしもほしぃ。どんな猫? トラ柄? 三毛猫? ペルシャ猫?」


 悠里は、シロの真っ白な毛を思い出しながら言う。

「それが、真っ白な猫なの。もう頭から足先まで真っ白」

「へえ、真っ白かあ、真っ白もいいね。ね、今度猫に会いに行ってもいい?」

「あ、うん、いいけど」

「やったぁ。あたし猫すきー」


 そんな会話をしているうちに、チャイムが鳴り授業が始まった。悠里は気を引き締めて先生の発する言葉に耳を傾けた。今日の内容もやっぱり難しい。在宅看護かあ。いつか経験を積んだら在宅もやるようになるのかなあ、と悠里は思う。高齢化社会はものすごいスピードで進んでいる。それに合わせて、訪問看護のニーズも今後ますます増えていくだろう。


 どうにかこうにか授業を終え、悠里が家に帰ると、台所にシロはいなかった。

「お母さん、シロは」

かなえは包丁で大根を切っている。

「え、いない? おかしいわね、さっきまでいたんだけど」


 悠里が二階の自分の部屋を開けると、シロはそこにいた。クッションの上に前足をそろえ、ちょこんと座っている。


「おかえり、悠里」


 片手をあげてやあ、とでもしそうな気さくな雰囲気に、悠里は面食らった。

「おかえりじゃなくて、どうしてそこにいるの」

「いかんか、わしがここにいては」

「そんなことはないけど、びっくりするでしょう。どうやってここに入ったの。ドア閉まってたよね」


 そういえば、昨日もケージを閉めたはず。どうして私の枕元まで来れたんだろう、と悠里は不思議に思った。

「簡単じゃ。わしはワープできる」

シロは自慢げに言う。


「は?」

「目の前でやってみせたほうがよいかの」

「いや、いい。私のお願いもちゃんと叶えてくれたみたいだし」

「そうであろう」

シロはいかにも当然といった風だ。


「ところで、シロ。シロって呼んでいいのかな」

「お父さんが付けてくれた素敵な名じゃな。構わんよ」


 悠里は昨日から気になっていたことを聞いてみる。しゃべれる猫なら、その方が好都合だ。


「シロは、飼い主のところで帰りたいんじゃないの、ほら、この首輪のタグに書いてある住所、元の飼い主の住所でしょ」

「……わしには文字は読めんのじゃ」


悠里はぷぷっと笑いだしていた。こんなに偉そうにしていて、特殊な能力を授けることやワープだってできるのに、字は読めないなんて。


「笑うでない。わしにも限界はある」

「シロちゃん、かわいいね」


 悠里がからかって、シロの背中をなでようとするとシロは、にゃあと鳴いてよけた。


「とにかくじゃ、わしの飼い主は死んだ。よってもう帰る必要はない」

「え」


 シロは後ろ足で、顎の下をぽりぽりと掻いた。その姿が悠里には寂しげに思えた。


「その人には一緒に住んでいた家族とかはいなかったの」

「いることはいるんじゃがの。その、まあ、いろいろと事情があってな」

「なにも言わずに来ちゃったの。だめだよ、ちゃんと会って話ししなくちゃ」


 でも、話はできないか、普通、人間と猫は。と悠里は言ったことを後悔した。しかし、シロは気にしていない様子で言う。


「あまり気が乗らんのじゃがのう。まあ、お前さんがそこまでいうなら、会ってやらんこともない」

「偉そうな言い方。なにそれ」


 悠里は呆れて言う。しかし、シロは、あくまでマイペースに続けた。

「そうだ、悠里。お前さんに言っておかなければならないことを忘れておった。わしとしたことが」

「なあに」

「わしと話ができるのは、今はお前さんだけじゃ。このことは誰にも口外してはならない。わしが授けた能力もまた同じじゃ」


 悠里は頷く。

「了解です」

「物分かりがいいのう」

「だって、騒ぎになったり、頭おかしくなったって言われるのやだもん」

「そうじゃな、お前さんの言う通りじゃ」


 悠里は、シロの言い方が気になっていた。「今は」とはどういうことなのだろう。昔は誰かと話ができたのだろうか。シロと亡くなった飼い主とは、どういう関係だったのだろうか。


「腹が減ったのう。何か食わせてくれ」

「お母さんに頼めば」

「冷たいのう」

 シロはそう言って、階段を下りていった。


 土曜日になった。悠里はグーグルマップに住所を打ち込み、地図を表示してみた。悠里の住む場所からそう遠くないことが分かる。電車で三駅ほど行った辺りだ。電車と考えて、悠里ははっとする。シロを連れていきたいが、シロを電車に乗せていいものか。悠里が思案していると、シロは言った。


「わしだって電車くらい乗れる」


 悠里のバッグにぴょんと軽快な動作で入ると、そのまま小さくにゃーんと鳴いた。悠里の持ち歩くバッグは、あれこれいろんなものが入っているので、少々大き目だ。シロは、その空いたスペースにうまく入り込んで、毛づくろいを始めた。


「もう、こういうときだけ猫なんだから」


 土曜日の電車は空いていた。悠里は窓際のシートに腰掛けて、いつもより少し重いバッグをそっと自分の右側に置いた。そうっとバッグの中を覗くと、シロは静かに寝息を立てている。こうしてみると、とても可愛い。悠里はシロをなでたい衝動をこらえた。


 目的の駅に着いた。悠里は携帯型タブレットを開き、家で検索したマップを確認する。


「世の中、便利になったもんじゃ」

シロは感心したように言う。


「じゃがな、ここからなら、わしでも分かるぞ」

「なんだ、もう早く言ってよ」


 バッグから飛びおり、すたすたと前を歩くシロの後をついていきながら、悠里は、そういえばどうしてシロは迷子になったのだろうと思った。


「野良犬に追いかけられてな。無我夢中で逃げとったら、さっぱり自分の位置が分からなくなったんじゃ」

 なあんだ、そんなことか、と悠里が笑うと、シロは猛烈に抗議する。

「なんだとはなんじゃ。わしゃ必死だったんじゃぞ」


シロの足が、ある一軒の家の前で止まった。小さな家だが、庭もあり、きれいに手入れがされている。玄関の表札には中野の二文字があった。表札には薔薇の蔓が絡まっている。


「ここじゃ。あとは頼んだぞ」


 そういうと、シロは悠里の持つバッグに一瞬足を乗せたかと思うと、悠里の両肩に乗って寝そべった。シロのふさふさの毛が首や耳にかかって気持ちがいい。悠里は思い切って、その家のチャイムを押した。


「はい、どなた」


 がちゃっとドアを開けたのは、六十代くらいの細みの女性だった。身なりもとても上品で、センスを感じる。悠里はその女性の胸の辺りがもやっとした灰色をしているのに気がついた。


「まあ、楓じゃない。あなたが保護してくださったのね。ありがとう。どこにいっちゃったのかしらと思っていたのよ。保健所に聞いても、白い猫は保護されてないっていうし」


 女性は上品にほほ笑んだ。

「シロは、あ、いえ、この猫は楓ちゃんと言うんですね」

 悠里は女性にほほ笑み返すと、シロを見た。


――ほら、家族だって心配してたんじゃないのよー。


 シロは知らぬ顔で、悠里の肩の上でじっとしている。


「そうなのよ。主人が付けた名前なの。といっても、この夏に亡くなってしまったんだけれど。主人はそれはそれは楓を大事にしていて。あなた、名前はなんておっしゃるの。よかったら、お茶でも飲んでいってくださらない」


 夫人が笑顔で言う。悠里は、亡くなったご主人の話がもう少し聞きたいと思った。シロの中野家での暮らしぶりにも興味があった。


「あ、えと、私、悠里って言います。じゃあ、お言葉に甘えて」

「楓は、悠里ちゃんにずいぶん懐いているようねえ」


 お宅に上がらせてもらってからシロは、最初だけ夫人の方へ歩いていって、にゃあと鳴いたものの、そのあとは、悠里のひざの上に乗ったまま離れようとしなかった。


「家に連れて帰ってから、もう、すぐに慣れてしまって。人懐こい猫ですね」

「それがそうでもなかったのよ。うちではもう主人にべったりで、私には知らんぷり。ふふふ、まあ、そこが私好きだったのだけれど。猫は懐かないほうが可愛いかもしれない。悠里ちゃんは学生さん?」

「はい、看護専門学校の二年です」

「お勉強は大変?」

「はい、それはもう」


 夫人は、お茶とお菓子を出して、しばし悠里とのおしゃべりを楽しんだ。夫人の名前は雪枝さんというのだという。悠里が、おばさんは失礼だから、雪枝さんと呼んでいいかと問うと、夫人はにっこりと笑った。


「そうよ、おばさんは失礼よね、雪枝でいいわよ。ほら、あれが亡くなった主人の写真」


 雪枝さんは窓辺に飾ってある一枚の写真を指差した。


 そこには、シロを膝に乗せた中年男性が写っていた。この男性も雪枝と同じく細身で、足が長くダンディだ。笑顔が素敵と悠里は思う。雪枝はなかなかのおしゃべりで、話が途切れることがない。ただ、たまにコン、コンと咳をするのが、悠里は少し気になった。そして、しばらくすると雪枝は言った。


「悠里ちゃん、お願いがあるんだけど」

「なんでしょうか」

「私、明日から入院しなければ、ならないの」

「もしかして、肺、ですか」


 悠里がおそるおそる尋ねると、雪枝はとても驚いた様子だ。

「まあ、どうして分かるの」


――雪枝さんの肺、さっきからちょっと灰色にみえます、なんて言えない。


「いえ、単なる勘です」

「そう。すごいわね。驚いたわ。この前の健康診断でひっかかって、調べたら手術ですって。多分一カ月くらいここには戻って来られないと思うのよ。それで、悪いんだけど、その間もう少し楓をお願いできないかしら。私たち夫婦には子供がいなくて、近くに主人の弟夫婦が住んでいるんだけれど、猫は少し苦手みたいで」

「もちろん、大切にお世話します。私、楓ちゃんといると楽しいんです」


 雪枝は一瞬笑顔になったが、すぐ心配そうな顔になって言う。

「ご家族で楓をよく思わない方はいない?」

「いえ、家族そろって猫好きです。前にもタマっていう猫飼ってたので、扱いにも慣れてます」


 それを聞いて、雪枝もほっとした表情をみせる。


 雪枝から詳しく病状を聞くと、医者から言われた病期は、ⅠA期とのことで、悠里は少し心配になった。初期の肺がんだから、病巣を取り除けば問題ないというが、本当に大丈夫だろうか。胸の色のもやっとした灰色は、それ以上のなにかを想像させる。悠里は、雪枝とお互いの携帯番号を交換した。そして雪枝の入院先と手術予定日を聞いて別れた。


 電車に揺られながら、悠里はバッグのなかのシロにそっと話しかけた。不思議なことに声を出さなくても心でつぶやくだけで、シロとは会話ができるのだった。


「雪枝さんって明るくていい人だね。でも、具合悪そうだったね」

多分、あまり長くはないだろう、不謹慎だが悠里にはそう思えた。

「そうじゃな」


 シロの声は暗く、あまり長くないという部分まで察して頷いているようだ。

「シロは、知ってたの。雪枝さんの病気のこと」

「ああ」

「もしかしてシロにも見えるとか」

「自分にない能力を人にやることなどできんじゃろ。ただし、今は見えんよ」

「どうして」

「お前さんに貸出中だからの」

「えっそうなの。私なんか悪いことしてるような」

「いいんじゃ。わしが持っていても何の役にも立たん」


――確かに猫が持っていてもどうしようもないかも。


「なんか言ったか」

「いや、なんにも、アハハ、ハハ」


 声を出さずに会話できるのはありがたいが、心のつぶやきまで聞こえてしまうのは不便だ。シロが雪枝さんの肺の影に気付いていたのは、私に能力を貸し出す前のことらしい、と悠里は思った。


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