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シロの想い、タマの想い  作者: 丸山梓
16/19

孤独

 翌日、悠里はシロを連れて、雪枝に会いに行った。雪枝もさぞ、シロのことを心配しているだろうと思ったのだ。


 雪枝はベッドに横になったまま、元気そうなシロの様子を見て笑顔になる。

「まあ、楓、元気になったのね」


 そして、シロの頭と顔を両手で包み込むようにして、覗きこんで言う。

「あなたは、私の夢に出てきたのよ。そして私の命を救ってくれたの。覚えている?」


 シロは、にゃーん、とか細い声で鳴く。何がにゃーん、だと悠里は心の中で悪態をつくが、シロは知らん顔だ。


 悠里は病室の窓に目を移した。シロを保護した頃から考えれば、ずいぶんと暖かくなった。庭はきれいに手入れがされていて、ちょうと薔薇が見ごろを迎えていた。悠里は庭を眺めたまま、雪枝に聞いた。


「また薔薇、育ててみたくないですか」

 雪枝は、ちょっと意外そうな顔をする。


「あら、私が自宅で薔薇を育てていたこと、よく知ってるわね。香織に聞いたのかしら。そうねえ、こんな体になってしまってはもうできそうもないけれど。でも眺めているだけで、いいものね。なんだか幸せな気分になる。このお庭の手入れは、ボランティアさんがやって下さってるんですって。ほんと、ありがたいわね」


 悠里は頷いた。この病院の雰囲気は、いつもほんわかとしていてとても優しい。それは、医療スタッフやボランティアさんが一緒になって、同じ理念のもと、一生懸命努力して作り出しているもののように思えた。


 悠里は、雪枝に聞いた。

「最近、体の方はどうですか」


「以前に比べればずいぶんといいわよ。でも完全に治ることはないみたいね。また、少しずつ少しずつ、ゆっくりだけれど、確実に悪くなっているような感じはあるわ。でも、なにかの本で読んだことがあるの。ガンは、じわりじわりと進行するから、自分の人生を振り返ったり、心の準備をするのに、とてもいい病気だって」


 確かに、一瞬で命を奪うような病気に比べれば、ガンには死に至るまで時間的猶予がある。猶予があると言っても、常に痛みや苦しみと隣り合わせで、決して楽なものではない。それを前向きに捉えられるのは、雪枝が心の強い人だからだと悠里は思う。


「香織が出産を迎えるころまでは、なんとか生きられそうって思うの。でも悠里ちゃんが看護師さんになって、バリバリ働くところまでは、ちょっと無理かもしれないわね。あなたの花嫁姿も、その子供の成長もずっとずっと見ていたかったけれど」


 悠里は、雪枝にかけるべき言葉が見つからなかった。涙があふれる前に、話題を変えることにした。


「雪枝さん、死ぬのは怖くないですか」


 雪枝も涙を引っ込めて、笑って言う。

「いいえ。ちっとも。むしろ楽しみよ。主人や、自分の両親や先に逝ってしまった友達に会えると思うと、今からでもわくわくするわね」


「そうですか。雪枝さんは、死んだらあの世があることを信じてるんですね」

「もちろんよ。あの世がもし、なくても、あるって信じた方が、人は幸せに死んでいけると思うのよ」

「そうですね」


 悠里は、ふと雪枝の抱える孤独さを肌で感じた気がした。そうだ、雪枝にはもう両親も夫もいないのだった。きっとそのほかにも何人もの人を今まで見送ってきたのだろう。その切なさ、悲しみを思うと胸が締め付けられる。


 そして、悠里と雪枝は、二人とも黙りこんで、庭に咲く薔薇をいつまでも眺めていた。どのくらい時間が経ったのだろう、雪枝が静かに寝息をたて始めたので、悠里は、そっと病室を出た。


 帰り道、悠里は、ただ黙って考えていた。


 今まで、悠里にとって死とは究極の救いだった。何か苦しいことがあったとき、死んでしまえばもう、このどうしようもない苦しみを味わわなくてもいい、と思うからだ。それは、最後の最後、人間に許された逃げ、逃避、もっと言えば救いのような気がしていた。雪枝さんにしても、死んでしまえば、これ以上ガンという病気の辛さを味わわなくてもよくなるのだから気が楽だろう。


 でもそれは、自分が死ぬ、ということについてだけであって、自分以外の身近な人の死について、これほど真剣に考えたことはなかった。自分に愛情を注いでくれた人の死が、こんなに切ないとは思わなかった。もうどんなことをしても会えない、それは見送る側にとって、本当の意味で絶望だ。悠里の脳裏にタマが浮かんだ。もうどうやってもタマには会えない。救いと絶望、相反するものが死という一文字にはある。


――だからこそ、人は簡単に死んじゃいけないんだ。死んだら悲しみに暮れる人がいる。その人を思って、命ある限り、最後まで頑張って生きないと。


 悠里は何か吹っ切れたような想いで、家の玄関を開けた。シロがバッグから降り、台所の定位置まですたすたと歩いていく。ワープすると体力を消費するので、このところ控えているようだ。


 居間に入ると、かなえが、せっせと洗濯物をたたんでいた。

 悠里は、かなえのそばに座り、黙ってたたむのを手伝い始める。


「おかえり、悠里。手伝ってくれるの。珍しいじゃない」

 驚くかなえを尻目に、悠里は唐突に言う。

「ねえ、お母さん、人って孤独な生き物だね。今日雪枝さんのお見舞いに行って、改めてそう思っちゃった」


 かなえは手を休めて、悠里を見る。

「あら、どうして」


「だって、人は生まれてきて死ぬまで、通しでずっと付いていてくれる人はいなんだもん。人は産まれたら、お母さん、お父さんに育てられるでしょ。でもその人たちもそのうちには死んでしまう。いずれ結婚して配偶者を得るかもしれないけど、その人より先に死ぬという保証はない。一般的には、女の人の方が長生きでしょう。だから旦那さんに先立たれたら、今度はその子供やご近所さんや友達はいるかもしれないけど、結局は一人で死ぬのかもしれない。子どもが看取ってくれるかもしれないけど、そのとき枕元に自分を生んでくれたお母さんは絶対にいない。まあ早死になら分かんないけどさ、とにかく人間って孤独」


 それは今日、悠里が雪枝と話したときに感じた本音だった。


「あら、幸せじゃない」

かなえは、意外そうに言う。


「ずっと一人の人には見ててもらえないかもしれないけど、その人の人生の段階ごとにいろんな人に出会って、いろんな心の交流をして、それで死んでいくんでしょう。それは孤独なんかじゃないわ。素敵なことよ」


 悠里はそれもそうかと思った。ずっと一人の人が見ててくれるわけじゃない。出会いがあり別れがあり、また出会いがあり、それが生きている間、ずっと続いていく。それって、ずっと一人の人としか関われないのに比べたら、ずっと幸せなことなのかも。きっとそれでいいのだ。その方が。悠里は一抹の寂しさを覚えながらも、それでいいのだと自分に言い聞かせていると、かなえはさらに言う。


「でも人との関わりを自分から避けるようになったら、それは孤独よね。寂しいことだわ。だから、人は沢山の人と積極的に関わって、いろんなことを学んで、元気に生きなくちゃいけないのよ」


 珍しく母親らしいことを言う、と悠里が関心していると、かなえがたたんだ行雄のシャツが、裏表逆でたたまれていることに気付いた。裏地の縫い目の線が見えている。


「お母さん、これ裏表」

「あら、ほんと。誰かしらこんなことするの。ふふふ」


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