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シロの想い、タマの想い  作者: 丸山梓
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出会い

 信之は腰痛に悩んでいた。特に立ったり座ったりする時、腰に激痛が走るのが辛い。そうは言っても経営する会社は自分なしでは成り立たないし、従業員に対する責任もある。妻はしばらく休養してはどうかと言うが、まさかそんな訳にもいくまい、と信之は思うのだった。


 そのため、毎朝の散歩では、医学の神様が祭られているという神社に必ず立ち寄ることにしていた。祈願することはいつも決まっていた。


「腰痛が治りますように。会社の経営が順調にいきますように」


 ある秋の日、信之は、その二つだけお願いすると、いつものように、神殿にきびすを返すと、狛犬と獅子像の間を通って、鳥居をくぐり、来た道を帰ろうとした。その時だった。信之は聞き慣れない声に足を止めた。


 小さくみゃあみゃあと鳴く声がする。耳を澄ますと、どうやら鳥居の横にある、いつもは空の段ボールのなかから、その声は聞こえてくるようだった。信之は近づいて、段ボールのなかをのぞきこんだ。


 白い子猫が一匹いた。子猫特有の高い声で鳴いている。辺りを見回しても、母親猫やこの猫の兄弟の姿はなかった。母親猫に見捨てられてしまったのだろうか。さて、どうしたものか。信之は考え込んだ。そして、脳裏に妻、雪枝の顔が浮かんだ。夫婦の間に子供はいない。結婚して二十年の歳月が流れ、とうに子供は諦めていた。


――連れて帰ったら、雪枝はどんな顔をするだろう。


 信之の想像では、それほど感触は悪くない。むしろ、子供が授かったつもりで大切にしましょう、と言ってくれそうな気さえする。それにこの神社にはいつもお願いごとばかりしていて、いつも気が引けていた。最近、会社の業績が上向いてきたのも、この神社の御利益があってのことかもしれないと、信之は最近思い始めていたところだった。


――よし、決めた。


 神社の境内には、大きな楓の木が一本あった。子猫のいる段ボールに数枚の落葉が入り込んでいる。楓の葉は一部は赤く、一部は黄色く紅葉していた。その葉の形も見事に揃っており、とてもきれいだ。


 信之は、子猫を抱き上げて、言った。

「お前は、楓だ。今日から中野家の一員だぞ、いいか」

「もちろんだとも」


 信之は驚いた。もちろん、答えなど期待していなかったからだ。危うく子猫を落としそうになりながら、信之は楓を覗きこんだ。


 楓は続けて言う。

「母猫はわしを置いて、どこかに行ってしまったようじゃ。しばらく世話になる」

 信之は、息をのんだ。それが、信之と楓の出会いだった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 ベッドにもぐりこむ前に、ふと悠里は、タマの写真に目を留めた。白と茶色が入り混じった大柄の猫だ。悠里なりにタマのダイエットを試みたが、痩せる前に死んでしまった。大柄な割に顔は小さく、目から鼻にかけてのラインが美しい。いつ見ても美猫だと、悠里は思う。


 タマは猫じゃらしが大好きだった。普通、年をとるにつれて、おもちゃで遊ばなくなるというが、タマはいつでも興味深々で、飽きることなくじゃれついてきた。悠里がもういいでしょ、もうおしまい、と言ってもお構いなしで、猫じゃらしをくわえて、悠里の足元に置いては、もっと遊んでくれと言わんばかりに、まあるい目で、悠里を見上げてくるのだった。そんな遊び好きのタマはもういない。しかし、心の整理は一時期に比べたらだいぶついてきたように思う。


――タマ、おやすみ。もし、あの世があるなら、死んだら真っ先にタマに会いたいよ。

悠里は心の中で呟いて、照明を消し、目を閉じた。


 


 看護専門学校での授業を終え、悠里は家路に着こうとしていた。

 駅を出るとびゅうっと寒い風が吹いてきて、悠里は思わず両腕で自分の体をぎゅっと抱え込む。


――もうやだ。早く家に辿り着きたい。でもあとちょっとだから我慢、我慢。あの角を曲がれば家だ。


 自分に言い聞かせて、歩くスピードをほんの少し早めたそのときだった。少しすすけてはいたが、真っ白な猫が道の端で毛づくろいをしている。しばらくまともに食事をとっていないのかずいぶんと痩せていた。首輪はしているから、おそらく道に迷って飼い主の家に戻れなくなってしまったのだろう。悠里は近づいて手を伸ばしてみた。猫は逃げなかった。そっと頭をなでると気持ちよさそうに喉をごろごろと鳴らす。


――この猫、すごく人に慣れてる。きっと誰かに大切にされてきた猫だ。


 それは、高価そうな首輪をしていることからも明らかだった。悠里は、連れて帰ってまずご飯を食べさせてやりたいと思った。両親はなんと言うだろう。でも助けてあげたい。きっとこのままでは数日で死んでしまうに違いない。猫を抱きあげ、家路へと急いだ。


「ただいまー」


猫を抱いたまま、おそるおそる玄関に入ってみる。入ってはみるが、何をどう説明したものかと悠里は、玄関のたたきに立ったまま、しばらく考えていた。

すると、正面の台所のドアが開き、暖簾がめくられ、悠里の母、かなえが顔を出した。


「おかえり。どうしたの、ぼーっとして。ご飯できてるわよ。あら、まあなんて可愛い猫ちゃんでしょ」


 かなえはそう言うと、猫をしげしげと見つめながら近づいてきた。

「迷子さんかねえ、ずいぶんやせて。この子はどうしたの?」

「道で迷子になっていたみたいだから、ちょっとの間だけ保護したいの。もしかしたら飼い主見つかるかもだし、ほら、ここの首輪に」


「どうしたんだ、騒がしい」

居間からでてきたのは、悠里の父、行雄だ。その間も猫は悠里に抱かれたまま微動だにしない。むしろ気持ちがよさそうにそこにちんまりとおさまっている。度胸のすわった猫だ、と悠里は思った。


「お前、猫なんて拾ってどうするつもりだ。飼い主に返すあてはあるのか」

「とりあえず、この首輪のタグのとこに書いてある住所に連絡してみようと思ってるよ」

「ほーん、そうか。ならいい。じゃあ、タマのいたとこでも貸してやればいいさ」

 

 首輪についたタグを見て、行雄は頷いた。うちには、つい最近まで、タマという猫がいた。一か月半前に死んでしまったが、家族三人ともタマが大好きだった。タマの居場所は今もそのままにしてある。


「タマが死んだときに、猫のトイレは掃除しちゃったけど、トイレの砂はまだ物置きにおいてあると思うわ。見てきてあげる」

かなえはゆっくりとした足取りで物置のほうへ歩いていく。


「ありがとう、お母さん」

悠里が言うと、猫も小さく高い声でミャーと鳴いた。


「お、シロも礼を言ってるみたいだな」

行雄が目を細めて言い、猫の頭をくしゃっとなでた。やっぱり家族みんな、猫が好きでよかった、と悠里は安堵する一方、むっとして行雄に言い返す。


「お父さん、勝手に名前つけないでよ」

「白いからシロでいいじゃねえか。悠里お前、ちゃんと世話しろよ。お母さんに任せきりじゃだめだぞー」

そう言いながら、行雄も居間に戻っていく。


 タマの住処は台所の玄関そばにあった。玄関の扉の下に小さな穴が空いており、開閉式の木の扉になっていて、いつでもタマが通れるようにしてあった。行雄が日曜大工で作ったものだ。白い鉄製のケージのなかに、猫トイレとピンクの猫用ベッドが置いてある。悠里が行ってみると、既にかなえが猫トイレの準備をすませ、猫用ベットをはたいて、ほこりをとっている。


「ほら、シロちゃんおいで」


 かなえが猫を手招きした。かなえまで拾ってきた猫のことをシロと呼ぶ。悠里は不満だった。名前はあとでゆっくり考えようと思っていたのに。


「もうお母さんまで。でもまあ、いっか、お前はシロだ。よろしくね」


シロを、猫用ベッドを元の位置に戻したかなえに渡してみる。

「まあ、軽い。ほんとやせてるわね。そうだ、何か飲ませてあげなくちゃね。シロちゃん、牛乳飲むかな」


 かなえはケージを開け、そっとシロを猫用ベッドの上に乗せた。そしてすぐさま冷蔵庫へ向かう。その姿は、はつらつとして嬉しそうで、お母さん、なんか目覚めちゃったかも、と悠里は思う。シロは猫用ベッドの匂いをくんくん嗅ぐと、そこにごろんと横になる。タマの匂いがして嫌がるかと思いきや、そのまま目を閉じるとすうすうと寝息を立て始めた。なんというか環境順応力のすばらしく高い猫だ、と悠里は感心していた。


 かなえは牛乳の入った猫専用の平らな器をベッドそばに置きながら言う。

「あら、寝ちゃったかしらぁ。せっかく牛乳注いだのに。まあ、いいわ。寝る前にもう一度見てみましょ。さあ、悠里はご飯ご飯。課題もあるんじゃないの」

「そうだった。やなこと思い出させないでよー。ああ、今日徹夜かも」


 結局、悠里が課題を終えたのは、深夜二時だった。看護専門学校に入ってからというもの課題の量はいつも半端ない、身がもたないよ、と思いながら布団に入り、悠里は目を閉じた。


 三十分ほどしたころだろうか、だれかに頬をつつかれて目が覚めた。目を開けるとシロが布団の脇に座っている。

「いや今日は、助かった。礼を申す」

低い渋い男の声がした。どう考えてもシロから発せられているようにしか思えない。


「あ、いや、どうも……。って、ええー、猫がしゃべった!」


 悠里は布団からがばっと身を起こした。


「猫はいつもしゃべっているのだよ。悲しいかな、人間がそれを、意味のある言葉に置き換えることができないだけじゃ」

「そう言われればそうか」

 悠里は慌てて考える。


――猫語はあるのかも。私たち人間が理解できないだけで。いや、でもやっぱり変だ。それにそれならなんで人間の私が急に、猫の言葉が分かるようになったんだろう。


「なんだか腑に落ちない顔をしてるのお。猫はみな、必死に人間に話しかけておる。でも人間はそれに気付いていない。わしは猫の中でも位が高いほうだから」

「猫に位なんであるの」

「失礼じゃな。白い猫は神聖な存在なのだぞ。白い虎とか蛇だって神聖だと言われて大切に扱われるだろう」

「うん、まあそれもそうだね」

悠里は、とにかくシロの話を最後まで聞くことにした。


「わしは猫のなかでも位が高いほうだから、猫の言葉を人間の言葉に置き換えて伝えることができるのだ」

もっともその声を拾えるのは、わしが選んだ、純粋でやさしい心の持ち主だけなのじゃがな、とシロは心の中で付け足す。

「ふーん」


 悠里は自分が課題で疲れてきっているので、ついには夢まで変になってしまったのだろうと憶測した。


「なんだか、完全には納得していない顔をしておるな。まあいい。助けてくれたお礼に、何か一つ願いを叶えてやろう」


シロはじっと悠里を見つめている。こうしてみると、タマに劣らず、なかなかの美猫だなあ、と悠里は思う。

――特に目がきれい。これは夢なんだし、とりあえずお願いしてみるか。

悠里は思い切って口を開いた。


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