特別サービス
「いらんと言ったらいらん」
不愉快さを隠さず言ってやった。この手の手合いはそうでないと引き下がらない。
それでも目の前の小男は気にした様子もなくにやついている。
「ですからタカオカ様には特別なサービスを――」
「いらん。何度言ったら分かるんだ」
せっかくの休みの昼下がり。のんびりとしたいというのに狙いすましたようにこのセールスはやってきた。
しつこさにため息が出てくる。これで三度目なのだ。
はじまりは麻美はあの箱を持ち込んだせいだ。
「飲んでみて」
麻美はそう言って瓶を私に差し出した。
「なに?」
「栄養ドリンク。四階の松本さんの所でもらったの」
見ると同じ容器の箱が二段重ねになっている。
「どれどれ」
残業や夜勤では栄養ドリンクは愛飲している。今まで飲んだことのない新製品は大歓迎だ。と、一口含んで私はあやうく吹き出しそうになった。
「なんだこりゃ」
水で口をゆすいだが口のねばねばがおさまらない。胸もむかついてきた。
「でしょう」
麻美も笑った。
「私も一口飲んで吐き出しちゃったの。あんたは栄養ドリンク大好きじゃない。だからもらったんだけど、体のいいゴミをおしつけられたわ」
「松本さんとこも飲まないのか」
「旦那さんが乗り気で五ケースも注文して、そのくせ飲まないんだって。奥さんも嫌そうにしてたわ」
松本さんの顔が浮かんだ。役所に勤めていると聞いている。
黒縁メガネでまじめそうだがあまり愛想は良くない。
麻美は奥さんとは仲が良いがこの旦那は嫌っていた。
麻美がホットパンツやミニスカートを履いてるとじろじろと無遠慮に眺めるそうで「絶対むっつりスケベよ」と悪口を言ってる。
その三日後だった。この男がやってきたのだ。
「松本さんのお宅からお聞きしまして……」
セールスマンだけあって耳ざとい。馬鹿丁寧にお辞儀しながら断りなしに玄関に踏み込んでくる。
「いかがでしたでしょう当社の商品は? 今なら三ヶ月コース、半年コース、そして一年コースをご用意させてもらっております」
私は麻美に目配せして舌を出した。咳払いしてから、
「いらない」
と有無を言わさず男を外に押し出す。
「今なら一か月分の無料サービスと特別の……」
ドアを閉めて鍵をかける。
しつこくインターフォンを鳴らし続けていたが無視した。
二回目は私が仕事帰ってすぐだった。
インターフォンが鳴って電話越しに応答した。
「この前はどうも……」
声で分かった。仕事帰りで気が立っていた。
「またにしてくれ」
そう言って打ち切った。
あれから音沙汰がなかったので、あきらめたかと思っていたが……
今回はうかつだった。
インターフォン越しに返事をするとぼそぼそと話すだけで要領を得ない。
仕方なくドアを開けると例の男が後ろ向きにカバンをいじっている。
「ああどうも、今回は資料をお持ちしました」
しまった。奴の手だ。一瞬の隙をついてドアに体をはさんで入ってきたのだった。
それからは押し問答だ。
何を言われても気にしないのはまあ見上げたセールス根性といえる。
遠回しだと無駄のようだからはっきりと言ってやろう。多少失礼でも。
「ふん。正直な、あんたの所の商品にはうんざりしてるんだ」
「ほほう」
「あんなクソまずいドリンク生まれてはじめてだ。無料といわれてもごめんだね。それを金を払え? ははっ、なんならあの余ってるやつもって帰ってくれよ」
「絶対無理でしょうか?」
「絶対に無理。願い下げだね」
思いっきり馬鹿にした調子で付け加えたが、こたえた様子が無い。
いきなり目の前に冊子をつきつけてきた。コウモリの黒焼きやホルモン焼きの写真が表紙に載っている。
「だからそんなものは……」
「こちらを」
少し変だった。ページの長々しい栄養食品の説明ではなかった。端っこを指で差している。
「こちらは特別ページになっております。お開きになって下さい」
「特別ページ?」
手に取ると内側に厚みがある。よく見るとページの端にバインダーのチャックのような出っ張りがあった。つまんで下ろすとページが開く。
目に飛び込んできた。美女たちがずらりと並んでいる。全員が水着姿だ。
「こちらは読者ページでして。うちの商品がいかに美容と健康に効果があるか、宣伝を兼ねて取材させていただいております」
なぜかどの女も申し訳程度の布切れしかまとっていない。
顔良し。スタイル良し。生唾がごくりと音をたてた。
「こちらは一年コース用の資料です」
もう一つの冊子を渡してくる。外見は同じだが厚みが違う。特別ページのつまみはさらに分かりにくくなっていた。
指を滑らすと、ページが開いて特大サイズの写真が目に飛び込んでくる。
六階の野口さんとこの奥さんだ。元モデルとかで美人と評判の人だった。
望遠レンズで撮ったのか、ベランダの椅子にもたれてうたた寝をしている。なんとキャミソール姿だった。
「私どもは顧客の環境調査にも力を入れておりまして。努力は怠っておりません」
もっと見たかったのに、さりげなく手元から抜き取られた。
「これ以外にも月々に合わせてバラエティに富んだスペシャル・サービスをご用意しております」
私は後ろを向いてどなった。
「おい麻美!」
「なあに」
「引き出しにクレジットカード入ってただろ」
「ええ」
「すぐもってこい! それとハンコだ」
麻美は目を丸くした。口をぱくぱくさせる。
「何に――まさかあんた、買う気じゃないでしょうね」
「おまえ、明日にも俺が栄養失調で倒れたらどうするんだ? 体が資本だぞ。さあ!」
麻美はぶつぶつ言いながら居間に入って行った。
「お買い上げありがとうございます。コースはどちらを……」
「一年コースだ」
男はうやうやしく頭を下げた。
「お送り先はご主人様のお名前でよろしいでしょうか」
「もちろんだ。私が大黒柱なもんでね」
重々しく頷く。
そう、男には色々と苦労があるのだ。