縁談
宮殿は通常時であっても人の出入りが激しい。
特に、末姫の縁談を調えているこの時期、各国の大使がさまざまな思惑を抱えて各所を訪ねまわっている。
その割には、ここ数日、何もおきることなく平穏な日々が続いている。あたしは終日を姫のそばで過ごしたが、今のところ退屈な王族の生活に付き合っただけの結果に終わっている。
「そもそも、この縁談は隣国ドミアとの領土争いに端を発している」
ジスが紙の上に地図を描く。
ちなみに、現在姫は衝立の向こう側でドレスの採寸に励んでいる。布地やデザイン画を引っ張り出して侍女たちと黄色い声を上げている。
前回の依頼は、依頼人の背景も何も知らず、気軽にホイホイ引き受けてしまったばかりに、ちょっとばかりやばい状況を見た。ちょっとばかり、うん。
その反省もあって、あたしはジスに講義を受けている。
ジスの左手はカモフラージュの手袋がはまっている。ジスは初日にあたしと話した後、直ぐに医局に行き左手を切り落とした。痛み止め魔法をかけてあるそうなのでもう痛くはないらしい。数日後には義手もできるとのことだった。余談である。
「ドミアと長い間領土争いをしていたことは、ミアも知っているだろう?」
ドミアドミアね…。記憶をひっくり返すと、そういえばそんなことを聞いた覚えがあった。
「待て待て…確か…ノーミ市の所有権だっけか?」
あたしは、ノーミ市の位置を思い出しながら、地図の上に小さく丸をつける。
「そうそう。ノーミ市とその周辺農地だ。本来なら豊かな穀倉地帯で、国にとってはオイシイ土地さ。だが、グランシアとドミアが所有権を争っているおかげで小競り合いが絶えない。両国の兵士に踏み潰されて、農地は大荒れだ。そこに一昨年大洪水が起きた。小競り合いが続いた為に、治水がままならなかったんじゃないかと思う。民は流され、農地は殆ど壊滅だ。泥に埋まった農地を掘り起こそうにも肝心の農民がほとんど残ってない。去年は殆どアガリが無かったどころか大赤字だ」
「かわいそうにな…」
「小競り合いが長引いているおかげで、両国とも引くに引けんのだろうよ。それでも小競り合いは無くなりそうにない。しかも、ノーミ市を再生させるには莫大な金がかかる。豊かな穀倉地帯が、とんだお荷物になってしまった」
あたしが書いたマルの上からジスがバツを書いた。
「だが、もう一度良い農地になる可能性はあるんだろう?」
「難しいな。生き残った民は少ない。数十年は戻らないだろうと国王は読んでいる」
「だから、わたくしが嫁ぐのよ。セイラス」
衝立の向こう側から声がした。姫だ。
「フランサスの王太孫に嫁ぐの。まだ国名までは公表されてないのだけれど」
フランサス。グランシアやドミアなどと比べられないくらいの大国。
「陛下は、個人資産として姫をノーミ市の領主とされた。フランサスならノーミ市を再生させる力も十分にあると踏んでのことだ」
ジスが地図にフランサス、と書き込む。
「しかし、それではノーミがフランサス領になるということなのだろう?グランシアはそれでいいのか?」
大国にノーミの再生を任せたはいいが、このやり方だと、グランシアは豊かな穀倉地帯を失うことになるのだ。
「ノーミは持参金なのよ。王太孫妃の個人所有の財産ではあるけれど、婚家の自由にすることはできなないの」
確かに持参金は個人の財産だ。相続人の指名も姫の自由にできる。勿論、離縁した場合も母国に持ち帰ることになる。
しかしそれは、危険だ。諸刃の刃も甚だしい。
姫が衝立の奥から姿を現した。背筋をまっすぐに伸ばし、力強い目であたしを見つめ、泰然と微笑んだ
「危ういことでしょうね。もしかしたら、無理やりノーミを取り上げられて殺されるのかも。でもね、セイラス。それであの土地が戦の餌食にさせるよりは、百倍もましだと思うのよ」
間違いなくその顔は、あたしの知っている幼い姫ではなく、大人の王女のものだった。
「縁談はまだ正式にまとまっていないのだけれど、近日中に彼の国から使者が来て決まるわ。そうしたら婚約を発表できる。婚約を発表してしまえば、わたくしに手を出せる人はいなくなるわ。それは大国に刃を向ける事と同義ですもの」
確かに、そうかもしれない。王太孫妃となる人に危害が加えられたと合っては大国は黙ってはいないだろう。しかし。
「しかし、結婚後は婚家が姫の敵になるかもしれません」
姫君はゆっくりと瞬きをして、やはり泰然と微笑んだ
「セイラス、それは私の外交力にかかっているのよ」