護衛の手
契約書を交わし、姫と共に部屋へ下がった。
姫のそばを離れない為に、姫の部屋に簡易ベットをしつらえる。といっても、長椅子にシーツを敷くだけだが。
宮殿の長椅子は大きい。横になって十分休むことができそうだ。
その日の夕食は、姫と、あたし、それから毒見の侍女の3人で採ることとなった。毒見の侍女はあたしと姫の目の前で、全ての料理を一口ずつ食べたあと、軽くうなずいて席を立った。
つまりは、あたしと姫、ふたりでの食事である。
豆ときのこのスープから始まり、鳥の焼きもの柑橘だれ、芋と根菜の炊きものと続く。デザートはなんだろうか。以前勤めていたときは、黒ゼリーが出されたものだ。あれはおいしかったな…
「セイラスはお父様のことを今でも怒っていらして?」
夢見心地から現実に一気に引き戻される。姫がふっくらと笑っている。怒っていないわよね、と目で訴えてくる。
「……契約の履行中ですから」
あたしの返答はそれだけだ。言った後で、これでは答えになっていないことに気がついた。
「それじゃわかんないわ」
そう言われても、実のところあたしにも分からない。
実際、4年前というのは随分昔だ。ここを出て行くときは…あのときは確かに激怒していた。もう2度とグランシアの地を踏むものかと決めていたのだが。
今、あたしはこうしてグランシア王家で仕事中だ。
(残念じゃが、貴公のような者を宮廷に置くことはできない)
(ご実家に連絡を取ったが、貴公は家出中だそうじゃね。この際、ご実家に帰られてみてはいかがかね?)
冷めた気持ちと4年前の言葉が頭の中を流れていく。国王は何一つ言わなかった。ただ黙って、ひたすら黙っていた。
「お父様はね、セイラスも知っているでしょう。魔法よりも剣と盾がお好きで」
「そうですね」
婉曲な言い回しをされなくても、充分知っている。国王は魔法が嫌いだ。
だからこの宮廷には、宮廷魔法士が驚くほど少ない。国王直属の魔法士は一人もいない。宮廷魔法士は、全て姫の直属だ。この姫は、父王と反対で魔法を大変好む。しかし、国王はそれを好ましく思っていない。
わかりやすい図式だ。たいへんわかり易い。
それが故に国王は私を追い出し、それが故にまた私を雇い入れる羽目に陥っている。
「今後のことをお話しいたします。黒幕がはっきりするまでは、私は姫様のそばにて御守り申し上げます。目の届かないところにいらっしゃる場合でも、防魔の呪をかけておきますので、とりあえずは安心していただいて結構です。もし、黒幕が分かりましたら、私は姫様から離れ、黒幕を潰させていただきます。姫付きの近衛兵はすべて私の指示にしたがっていただく。異議は認めません。姫もよろしいですね」
「結構です」
ため息をつくような姫の声。不満と落胆と寂しさの入り混じった声だったが、表情は静かだった。王族の成せる業である
「デザートはお部屋で頂くわ。先に部屋に下がります」
「それでは、姫様はお先に寝所に行って下さい。私は近衛兵と話がありますので」
姫に防魔の呪をかける。万が一、魔法に襲われれば、魔法を防ぐと共に、私に気づかせるように呪を組んだ。
ちらりとジスを見る。ジスは軽く頷いた。
「…セイラス」
部屋から出ようとする姫が振り返った。
「何でしょう?」
「…いいえ。何でもないわ」
姫が侍女とともに部屋を出て行く。ぱたり、と戸が閉まるのを確認してからジスが口を開いた。
「おまえ、姫に冷たくないか?」
「だろうね」
あたしは言葉とともにため息を吐き出した。別に冷たくしようとして冷たくしているわけではない…と思う。
「感情を入れれば姫をみすみす危険にさらす。それは契約違反だ」
「それだけか?」
ジスの目は真剣だ。あたしは耐えられず目を反らした。それだけとは言い切れない感情があるのは間違いないからだ。
「姫を狙っている者の事なんだが。顔は判るか?」
「濃い茶色の髪をしていた男、ということしかわからなかった。マントを着ていたし、後ろ姿しか拝めなかったよ」
ふうん…
「おまえでも敵わなかったというのは本当だな。その手、どうした」
ジスの手に違和感を覚える。左右の手袋が違う。宮廷魔法士が手袋をはき違いえるなんて真似はしない。
「やっぱりわかるのか…」
わかる?何が、と言いかけて気がついた。異様な魔法の気配が、左手袋から染み出してくる、
「今やっと気がついた。おかしな手袋しているから、気がつかなかったんだ。それは?」
ジスは僅かに左手を見ると、ためらいがちに手袋を外した。手袋をが外れるとよりはっきりと魔法を認識できる。そしてなにより左手に広がる醜い火傷。
「左手を焼かれた。地獄焔だ」
地獄焔は手当が難しい。火傷が命を持っているかのように広がっていくからだ。そうやって、火傷は術者の力の分だけの火傷を作る。ひどいときにはちょっとの傷で体中が焼けただれる。これを防ぐにはよほど強力な治癒魔法をかけるか、さもなくば火傷した場所をえぐってしまうかしかない。
あたしはその傷を睨むように目を細めた。火傷よく検分する。
まだ呪が生きている。じわじわと手を蝕んでいる。癒しの呪と防魔の呪と、薬草と氷結の呪がごっちゃに混じり合いながら、手を守ろうと懸命にもがいている。だが、炎の呪のほうが力があるようだ。しかも、ところどころで防魔の呪が回復の呪まで防ごうとしている。どうやら、治療の際に相当な混乱があった上に、複数の癒し手が奮闘したらしい。
「何時だ?」
「半月前だ。その時は炎が指先をかすっただけだったんだがな。城下の僧院が手を尽くしてくれているんだが、もうここまで灼かれた」
「もう骨まで灼かれるな。喰い込んでる」
「わかるのか?」
ああ、と頷いた。
「手首から下を切り落とせ。傷を残すんじゃないぞ。残ったところから、火傷はまだ広がるからな。……よほどの魔法士だな。手に魔法の残滓がたっぷりと残っているじゃないか」
「そうか…」
残念そうに左手を見つめる。
「安心しろ、黒幕はあたしが潰す」