第五話というか、第二幕の千秋楽
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次の日。
木曜日。
自宅。何故か識乃ちゃんがまた僕のベッドを占領して寝てしまっていたので、またしても僕はフローリングの上で目を覚ました。そしてやけに明るい事に気付き時計に目をやると、彼は午前八時を指し示していた。
――おぉぉおぉ、生まれて初めて寝坊したぁぁ!
普段、朝五時には目が覚める僕にすれば、この時間に目覚める事は驚き以外の何物でもなかった。しかしまぁ、場合が場合なのだろう、致し方ない。なにせ夜九時には就寝しなければならない僕を彼女は、識乃ちゃんは、日にちの境目まで寝かさなかったのだから。
――しかし、多町さんの朝も早いだろうから問題無いよね。
寝ている識乃ちゃんは起こさず、電話の前まで足を運ぶ。受話器を手に取り、記憶にある多町さんの電話番号を打ち込む。十桁の数字列を打ち終え、多町さんが受話器を取るまでの時間を無機質なコール音を聞きながら過ごす。
「はい、多町です」
「どうも。朝早くからすみません」
「あぁ、先生!いえいえそんな。いつでも暇なわたくしですから」
下手に出ている割に、昨日の事に一切触れない多町さんを不審に思い、鎌を掛けてみる。
「時に多町さん、昨日電話したのに何故出てくれなかったんですか?」
「え!? あぁ、えぇと。すみませんです、携帯の電源が切れてたものですから」
「……ははは、そうでしたか」
その後、多町さん宅に出向きたい旨を伝えた。わたくしが行かせてもらいますよ、と気を使った言葉を、寄り道したい所があるので、とかわし、半ば強引に通話を終わらせた。
さてと。
――識乃ちゃんを起こして、ネタを仕込んでおかないといけないね。
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横を歩く識乃ちゃんは実に不機嫌であった。
なんでも、女の子は毎日着替えないと死んでしまう生き物らしい。
「違いますよ! 着替えないといけないんじゃないんです!」
腕をブンブン振り回す識乃ちゃん。
「こんな皺のいった服を着てると、『あの子昨日お泊りだったんだぜ、きっと』って言われるんです!」
大声を上げる識乃ちゃん。ちなみに今日はわりと温かく、識乃ちゃんもダウンを羽織る必要が無かった。
それにしても、行き交う老若男女の視線を集めて、何がしたいのだろうか。
「その発言が、痛い視線を集めるんだよ」
すれ違う人々にすみません、と頭を下げながら、識乃ちゃんに声をかけた。
「ちょっと。どこかに寄って服買ってもらっていいですか?」
「語尾がおかしいから嫌だ。ほらそれより、今日の帰りもあの寿司屋寄ろうよ」
二車線の道路を挟んだ向こう側に例の寿司屋を見つけ、指差しながら提案する。
「珍しいですね。トモさんが私に貢ぎたいなんて」
「あそこはホントに美味しかったから、僕が個人的に行きたいんだよ」
会話が一旦そこで無くなり、百メートル程歩いたところにある信号で道路の反対側へと移った。
「なんで、今の横断歩道渡ったんですか? まだ向こうの方まで行ってからでもよかったんじゃないですか?」
「ん? あぁ、言ってなかったっけ? 要る物があるんだよ、すぐそこにね」
「それにしてもさっきの話、本当なんですか? 余り信じられるものじゃないですよ? なんて言うんですか、荒唐無稽?」
う~んと首を傾げる識乃ちゃんに苦言を呈する。
「『サケノバ』なんて宗教団体に入団してしまった君の台詞じゃないね?」
「サ、ケノ、バ? なんですか、それ。美味しいんですか?」
――やばい、マジで殴りたい……っ!
「ほらこれ、これだよ。これが、必要なものなんだよ」
歩きながらベリッと対象物を剥がし、識乃ちゃんによく見えるように彼女の顔に近づける。
識乃ちゃんは顔を真っ赤にして叫んだ。
「不健全です、この変態!!」
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「さて、多町さん。今、十時半です。あなたも時間が無いでしょうから、今回はあまり出し惜しみなんて真似止めてくださいね?」
多町さんの家。例によってリビングで、例にもよって、前日と同じ位置に腰を下ろしていた。
「なんの事だか……良く分からないんですが。お話に来たんですよね?」
「いや、今日に限っては違います。」
不安げな表情をする多町さんに少し鋭い視線を浴びせる。
「二、三、聞いてもよろしいですか? 多町さん」
「えぇ、構いませんですが……」
やはり時間が気になるのだろう、多町さんは時折時計に目をやった。
「では。多町さん、あなたの血液型は?」
「Aですが」
前にも言いませんでしたか? と多町さんは言った。
「詳しく」
「AとOとの形質を持ったA型です」
「ですよね」
大仰に頷いてみせてから、次の質問へと移った。
「今日の午後からは何を?」
「午後ですか? ですから、仕事があるですと」
「成程。ではこの家は留守になるんですね?」
ええ、と多町さんは頷いた。
「では、最後に」
「はい、なんでしょう?」
たっぷりと間を空けてから、気管内の空気を全て吐き出すように言った。
「ルームシェアをしている、いわゆる同居人の名前をお聞かせください」
「……っ!」
予想通り、多町さんは言葉に詰まった。
「そ、そんな、個人情報ですから」
――ま、そう来ますよね。
「そうですか、そうですよね。ではちょっと僕の余談を聞いてください」
「……? 手短にお願いしますですよ?」
任せてください、と答えてから話を切り出す。
「生物の形質の話になりますが、A型形質とB型形質はO型形質に比べて優性なんですよ」
「存じ上げていますです」
そうですか、そう答えて続ける。
「そして劣性であるO型形質は優性形質に負け、表に出ない。基本的には」
「わたくしの中の劣性形質の話をしているのですか?」
「まぁ……、そうですね。あなた、小さい頃、虐められたとか」
多町さんは顔を伏せて、思い出したくありません。そう言った。
「先生! 何が言いたいのか分かりませんです! なんなんですか、この拷問のようなやり取りは!」
「あぁ、すみません。そんなつもりじゃ無かったんです」
実際そんなつもりは無かった。拷問なんて汚いやり方は嫌いなのだから。
「ですが、虐められた多町さんがショックからO型形質を表に出して、もう一つの人格の中に隠れたというのなら納得できませんか? 更に、同居人など初めから存在せず、その同居人をもう一つの人格の事だとして話していたのだとしたら、素敵だと思いませんか?」
拷問は嫌いでも、誘導尋問はあながち嫌いでもなかった。
「……」
多町さんは暫く黙っていたが、急に笑い出した。
「ぷはははは。先生、わたくしが二重人格だって言いたいんですか?」
「言いたいんじゃない。あなたは二重人格そのものだ」
「そんなご都合主義認められませんですよ?」
多町さんは絶えず笑っていた。
「ご都合主義? 何を言ってるんですか、あなたは。ここまで来るのにどれだけのヒントがあったか。僕らの行動の全てが伏線だったといっても言い。そうじゃない部分と言えば、寿司屋の件だけぐらいですよ。ねぇ、識乃ちゃん」
横の識乃ちゃんに話を振ったのに、一切返事が返ってこないことを不審に思い、識乃ちゃんを見やると。眠っていた。
僕は多町さんに向かって肩を竦めた。
多町さんは軽く笑っていたが、顔に余裕は無かった。
多町さん、と本題に戻す。
「『パラドックス』と言う物を知っていますか?」
「えぇ、仮定と結論の逆転って意味ですよね、確か。逆説とかです」
「厳密には違いますが、まぁそこまで把握していただけているのなら十分でしょう」
例えば。
「例えば、『幸甚』なんて名前を付けられたら、その子、どうすると思います?」
多町さんは少しの間黙り込んだあと、静かに答えた。
「名前負けせぬよう、頑張って幸せを尽くしますですよ」
過去の思い出を語るような口調で多町さんは言った。
「……そうですよね。それなのに、その名前が原因で虐められでもしたらどうなるんでしょうね?」
「絶望の淵に立たされる気分でしたよ」
そしてわたくしは、自ら底に飛び降りましたですよ。
そう答えた。
「多町さん。その崖の底には一体何があったのですか?教えてください、ソコに飛び込んで行ったあなたを何が待っていたんですか?」
たっぷりと十分すぎるほどの間を持って、多町さんは消え入るような声を搾り出した。
「『逃げ』だったんでしょうね」
答えた多町さんの瞳は涙で濡れていた。
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「自分が、もう一人の自分が人殺しをした。そう分かっていたんじゃないですか?」
多町さんの落ち着きを待ってから、できるだけにこやかに声を掛けた。
「知っている事全部言ってくれないと、カウンセリングにならないじゃないですか」
多町さんも幾分かすっきりしたような顔つきだった。
「すみませんです。わたくしの方からは彼の意識を読めないみたいなのです」
識乃ちゃんはいつの間にか目覚めており、お茶を「熱い熱い」言いながら啜っていた。
「成程、それは興味深いですね。そのもう一人の名前はなんと言うのですか?」
大方、『巷塵』とかじゃないですか? そう言った。
「何故、知っているんですか!?」
多町さんは本当に驚いた様子だった。
「だからパラドックスですよ。あなたのその名前も、別人格を創る、一つの要素だったんですよ」
「ほう。自分のことながら、感心するような納得するような変な気分になるです」
気まずそうに微笑む多町さんは肩の荷を下ろした様に落ち着いていた。
――いや、良かった。
本当に。良かった。
これでこの話の終盤を迎える事ができる。
「昨日電話した時、実は多町さん、電話に出たんですよ?」
「へ?」
その事実では無く、話自体が解からないといった様子であった。
「あぁ、今朝の電話の件ですか」
感慨深しげにそうだんたんですか、と多町さんは言った。
「しかし何ですか、毎日、夜になったら記憶を失うような事例が過去にあったように巷塵さんが現れる時間も決まっているんですか?」
「その通りです。彼は、というかわたくしなのですが、ちょうどお昼時になると交替してしまうんです。そしてその十二時間後に再び交替って感じなのです」
なるほど。
予想通りだ。
「では多町さん、差し当たっては遺体の話に話題を持っていきたいのですが」
「お願いします」
多町さんのさほど興味も無いような表情が印象的であった。
肩の荷が下りて、実際どうでもよくなったのかも知れない。
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十一時十五分。
――ちょっと早すぎたかな。もう少し、ギリギリでも良いんだけど。
部屋の時計を確認して、不意にそんな事を思った。
「トモさん? どうしたんです?」
僕を『トモさん』などと呼んでくれるのは、識乃ちゃんだけである。
多町さんが再びダンボールを取り出し、それを囲むように三人で中身を覗いていた。
「あぁ、いや。そうだ、ちょっと時間あるし、軽口叩こうか識乃ちゃん」
「いやです」
「そう……」
あまりに早い即答に若干のショックを受けつつ、それでも諦めたくない僕は多町さんへ話を振った。
「多町さん、『月見里獏也』って知ってますか?」
「あぁ、知ってますですよ? あの、一昨日ぐらいに死刑が執行されたって言う」
――やっぱ有名人だな、あいつは。
当たり前の事なのだが、自分の親友が世に知れていると言うのはなんだか変な気分だった。
「そう。その彼なんですけど、実は僕のともだ……、ちょっと待って下さい、多町さん。識乃ちゃん、勝手に触らないでくれるかな!」
多町さんに許可を得た上で、ダンボールの中身をプニプニと触る識乃ちゃんに一喝を入れた。
「ひっ! す、すみません。だって、これ人間にしか見えなかったから」
「もう、識乃ちゃん、呼ぶべきとこでちゃんと呼ぶから、座ってていいよ。んで、黙っといて」
わかりました、と言ってからソファに戻る識乃ちゃんを見届けて、多町さんへと顔の方向を戻した。
「すみませんね、うちのが」
「いえいえです。月見里さんがあなたのお友達と言う所までは聞きましたよ?」
「あぁ、ありがとうございます。そう! 彼にですね、昨日会ったんですよ」
多町さんはあからさまに驚いていた。それはそうだろう、一昨日殺されたと言う男に昨日会ったと言うのだから、驚かないなんて方がおかしいのだ。
「すみません、言っている意味が分からないんですが」
「まぁ、僕も多少は驚きましたよ。彼の事を考えているところでちょうど現れたもんですから。『噂をすれば影』なんて言いますが、あれは言いえて妙ですね」
…………
多町さんに変な目で見つめられた。視線を逃れるように識乃ちゃんに目をやると識乃ちゃんは、可哀想な子供を見るような目で僕を見つめていた。
暫くその状態が続き、時計を見るとそろそろ三十分になろうと言う時刻だったので、識乃ちゃんをこちらに寄せて、本題を繰り出した。
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「さて。まず一番初めに、これ遺体でなければ死体でも無いです」
「へっ!?」
女性を指差しながら言った僕の言葉に、多町さんは気の抜けた声を上げた。
「ていうか、人間じゃないですよ? これ」
「どういう事ですか!?」
「こういう事です」
昨日識乃ちゃんが嫌がり、今朝僕が剥ぎ取った、一枚のチラシを多町さんに見せた。
『体で愛を売ります。ラブドール輸送販売承ります。×××-〇〇〇〇-△△△△』
「からだを……愛で? 売ります?」
「そっちじゃないです、多町さん。ラブドールの輸送販売の方です」
「ラブドール?」
識乃ちゃん、説明してあげて? と識乃ちゃんに振ったら、脛にローキックを喰らわされた
「っ痛~。まぁ、あれですよ。俗に言う『大人の玩具』ってやつですよ。昔は『ダッチ・ワイフ』なんて言ってたみたいですけどね」
多町さんは一瞬たじろいだが、そうなんですか、と言った。
「きっと、巷塵さんが買ったんじゃないですか?」
「ですが、何故開けても無いのに分かるんですか?」
「そう仮説を立てると全てに辻褄が合うからですよ」
そう。
全てに辻褄が合う。
化粧品メーカー名義になっていたのは、そういう類の店では当たり前なほどにありきたりなサービスだったはずだ。
顔が上を向いていたのも、商品の容姿を開封前から確認できるようにだろう。
妙な重さも、シリコン樹脂のものだと考えれば納得がいく。
人間そっくりな弾力も、また然り。
全てを逐一説明し、説明し尽くしたところで多町さんは言った。
「つまり、そういう事ですか」
「そういうことです。時に多町さん、もう一体の人形は?」
「実はまだ、開けてないんですよね」
多町さんは言った。その表情は恥ずかしがっているようにも、ホッと安心しているようでもあった。
たったそれだけの事だった。怪しがっていた、もう一つのダンボール。ただ、開けていないだけなのだと。たったそれだけのことだった。
「しっかし、やっぱり人間にしか見えませんね」
横では、識乃ちゃんがまた人形をプニプニと触っていた。その姿は少し妖艶に見えた。
しかし、説明に少し時間が掛かった。時計を見ると十二時になりかけていた。
――ぴったりだな。
そして多町さんは、おもむろに床へと倒れた。
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立ち上がった多町さんの目は虚ろで、それこそ人形のようだった。
「巷塵さん、ですよね?」
僕は問うた。識乃ちゃんは、僕の後ろへと体を隠すように下がった。
「お前は、本当に。なんでもお見通しなのか」
言葉からは苛立ちが見て取れた。
「やはり、あなたからはもう一人の心が読めるようですね」
「よくある話だろ?」
――確かに。確かによく聞く。
だが、よく聞く話だからと言ってよくある話だとは限らない。
「死刑が執行された人間だって生きている事があるんですから」
「あ? 何言ってやがんだ?」
攻撃するつもりは無いようだったので、衣服の下の鋏剪刀に置いていた手を離した。
「ですが、あのもう一つのダンボールにおいて、たったそれだけという事は無いですよね?」
含み笑いを兼ねた声で多町さん、いや巷塵さんに話しかけた。
「ふっ、何の事だ?」
厭らしい笑顔を見せる巷塵さんに識乃ちゃんはより僕の擦り寄った。
――おぉ、なんか女の子にこうやって甘えられると、少し優越感に浸れるな。
しかし、この人やりにくいな。
「僕は、田町さんには甘く言いましたが、実際そんな事を思っているわけじゃありません」
「俺も多町なんだけど、まあいいや。しかしどういうことだ?」
単刀直入に言わせてもらいますよ? と前置きして、言った。
「あなた、人を殺してますよね?」
俺は誠実な人間なのだから人殺しなどしていないが? などど巷塵さんはにやけながら大法螺を吹いた。