第二話というか、幕開けの終焉と第二幕の開演
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十一月初めの週、午後零時と半時間。
「さて、君が初めてうちを訪ねてから、七日目の今日。四回目の診察というか何と言うか、まぁ、駄弁りに来てくれている訳だけれど」
「はい。お世話になっています」
と、可愛くはにかむ識乃さんではあるのだが。
――ちょっと、ハイペース過ぎやしないか。僕だって人間であるわけで、更にあなたは探偵業にもお金をつぎ込んでいるでしょう? こっちの身にもなってみようか。え?
「どうしました? イライラしているように見えますよ?」
「いやいやいや、別にそんな事ないよ」
「頬引き攣ってますよ? 貧乏揺すりしてますよ? お悩みがあるんでしたら聞きますよ」
「そう、ありがとう。じゃあ、聞いてもらおうかな。実はね…、あれ? 違うくないかい? これ」
大仰に腕を振って反論してみる。
「何がですか? 私ならあなたの全てを受け止める事ができますよ」
「いや、その言葉も美妙なニュアンスになってるよ? 違うよ違う。立場がね、立場が逆に……」
「すみません。チョコレートパフェ、一つください」
快活そうに叫ぶ識乃さん。そしてやってくるウエイトレス。そう、この昼過ぎに家の近くのカフェに来ているのだった。
「識乃さん? 聞いてるの?」
「何ですか? トモさんも欲しいんですか? すみません、この抹茶パフェも一つ」
「ねぇ、ちょっと。僕もチョコがいいんだけど。抹茶って君が欲しいだけでしょ? ねえ。なんで勝手に僕の注文決めちゃうわけ? って何で普通に場違いなツッコミしてんだよ僕は!」
「ちょっと、周りのお客さんの迷惑になりますよ? 静かにしないと。あと、ノリツッコミはもうちょっと間を持ってやらないと」
「あぁ、それはそうだね。ごめんごめん……、って何で僕が謝ってんだよ!」
「そうです、そうです。やればできるじゃないですか」
「最近さ、僕のストレス指数がすごい事になってるんだよね。何故かわかる……」
僕の言葉を遮って登場するパフェ二杯。
――なんだ? 世界が僕に逆光を浴びさせている気がするぞ。
「ほら、食べましょうよ」
「う、うん」
食べた。黙々と。
抹茶味の生クリームの塊を十五分かけて。
その間、会話なし。皆無。
「さて、トモさん。調査の方はどうですか」
「君が仕切るのはどうだろうか」
「さて、トモさん。調査の方はどうですか」
「……、もう解決したよ。犯人も裂けの羽の幹部だったし、その裂けの羽自体も無くなっちゃったしね。」
「どういうことですか? それが本当ならテレビになってもいいような気がしますけど」
「外から見ても壊滅したかなんて分からないと思うよ。中はさすがにひどい惨状だけどね」
そろそろ出ようか。と続け、会計を済ませ(勿論僕持ち)、外に出た。
北へ進むと都会になり、洋服店やなんやらが立ち並ぶ。僕の家はここから南に進んだ所にある訳で北になど一切用事が無いのだが、何故か僕の体は北へと向かっていた。というか、引っ張られていた。
「どこ行くのさ」
右腕をがっちり掴まれ、斜めになりながら識乃さんに声を掛けた。
「トモさんの事務所じゃないんですか?」
「僕の家はあっちなんだけど」
「そうでしたっけ」
識乃さんは伸ばした僕の左腕、人差し指を見ようともせず、かといって足を止める気配も無い。少しずつ加速しているようにも見える。そして何より満面の笑みが怖い。
「いいじゃないですか。ちょっと寄り道しましょうよ」
語尾に音符が見えた気がした。
「だって君、財布持ってないんでしょ? てか何で持ってないの?」
「トモさんにつけておきますよ。ほら、私がトモさんにつけて、その分を依頼料から引いてもらえばそれでチャラじゃないですか」
「あぁ、成程。それは良い考えだ」
「で、依頼の話をもう少し掘り下げて聞かせてもらっていいですか?」
「……っ! ちょっと待て! さっきの話じゃ僕が損するだけじゃないか! 君の分を払って、何で僕がもらうお金は減っちゃうの!? 吃驚した。君、詐欺師?」
――危ねぇ。普通に騙されそうになった。
識乃さんの顔を窺うと、笑みを保ってはいたが、目は笑っていなかった。
「ちっ! あぁ、そうなんでしたっけ?」
「『ちっ!』って言ったよね? 今『ちっ!』って言ったよね?」
「で?」
「あぁ。一昨日言ったように、君は殺人者なんかじゃなかったよ」
と切り出した。
キョロキョロと周りを見回して、僕の話を聞いているのかいないのか分からないが、とりあえず話した。話し尽くした。
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部屋の時計を見てみると、驚くべき事に午後九時半を示していた。外出しない訳ではないけれど、一日を通して外に出っ放しというのは滅多に無い事だった。そして何より、一日を通して一切本を読まないというのは初めてだった。
――事務所の鍵って閉めたっけ?
とても当たり前の事を頭に浮かべ、極々普通にベットに横たわった。
「このチョコレート、おいしいですね。形もビンみたいで可愛いですし」
勿論仕事も終わり、自宅に帰ってきているわけで。
「机とベットと冷蔵庫に洗濯機、それに数百冊の本。それ以外、本当に何も無いんですね」
夜行性では決してない僕としてはそろそろ就寝して、明日の朝に今日読めなかった小説を読みたいわけで。
「何で君がここに居るの?」
「へ? 何がですか?」
そう言う識乃さんの顔は少し紅潮していた。
「え? 何? 識乃さん、酔ってるの?」
「はい? 酔うも何もアルコールなんて飲んでませんけど」
「だって、顔赤いよ?」
識乃さんはもじもじと芋虫のように体をよじった。
「それは……、だって、トモさんの家に来てるし……」
識乃さんは組んだ手の指をクルクルと回しながら、僕の寝ているベットへと近づいてきた。その姿は普通の人では考えられない奇怪なものであったが、確かに僕の記憶でも彼女はアルコール分を摂取していない。
――さて、どうしたものかな。
普通の事を考えながら、体は少し緊張していた。
「識乃さん? 僕が一切勧めないのに寧ろ拒絶していたのにも関わらず、勝手について来た君を部屋にあげてしまったのは僕であるし、それに対して『何で君はここに居るの?』なんて自虐的なツッコミを入れたのも僕である訳だけど。これ以上はさすがに許されないよ?」
「ろんらろりいられんよ」
一切聞き取れない言葉を発しながら僕の上へと倒れかかって来る識乃さん。
「ちょまっ! 駄目だって! ねぇ! ……、ねぇ?」
識乃さんをどかして見てみると。
寝ていた。ぐっすり寝ていた。
「はぁ」
体を起こしたついでにテーブルの方を見やると、何個かのウイスキーボンボンの包み紙が転がっていた。
――それ正確にはチョコレートじゃないんだよ。識乃さん。
「はぁ」
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「ねぇ、早く起きてくれる?」
朝六時。
――このお寝坊さんめ。早く起きろよ。
「ん、ん~。あれ?」
「起きた?」
「あぁ、はい。おはようございます。……、へっ!?」
識乃さんは一度起こした体を寝かせ、一度捲った布団をまた鼻辺りまで引き上げた。
「『何で、私の部屋にトモさんが居るんですか?』って聞いたら、軽く怒りながら『ここは僕の部屋だよ。』と答えてあげるけど」
「へ? なんでなんで? 何かしてませんよね?」
「あぁ、大丈夫だったよ。ほら、部屋も荒らされてないし」
と身振りで表現してみる。
「違います! トモさんが! 私に!」
「そういうの自意識過剰って言うんだよ?」
布団の口を捲って、自分の体を視認したのであろう、識乃さんが叫んだ。
「着てない!」
「静かに! ここ、壁薄いんだから。近所迷惑でしょ?」
「あぁ、すみません。……じゃなくて!」
「何を怒っているの? 服、着てるじゃん?」
識乃さんが被っている掛け布団を一気に剥いで、そのまま押入れに入れた。
「きゃっ! って、そうじゃなくて、なんで私は昨日の服を着てないんですか? なんで私は男物の服を着ているんですか?」
――家事をして忙しそうにしている男によくそう、色々と質問できるな。
「はい。朝ご飯できたから、座って」
テーブルの両側に朝食を並べると、識乃さんも大人しくテーブルについた。
そして、いただきますと声を合わせて言った後、ご飯を口にしながら識乃さんが言った。
「で?」
「だから、君が動きにくそうなオシャレな服装のままベッドに倒れこんじゃったから、僕の持ってた比較的動きやすい服装に着替えさせてあげたんだよ」
「ぬ、脱がしたんですか!?」
「脱がさないで、どうやって着替えさせるのさ」
えっと、と識乃さんが少し困った顔をした。
「し、下着は?」
「下はさすがに脱がせなかったけど、女の人って寝る時、ブラ外すんでしょ? 本で読んだ」
「じゃ、じゃあ、私の裸見たんですか!?」
「半裸だけどね。仕方ないでしょ? 目瞑って着替えさせられないでしょう? ってか、人のうちに勝手にあがって、ウイスキーボンボン三つを勝手に食べて、人のベッドで勝手に寝てしまったのは君でしょ?」
識乃さんは顔を真っ赤にしたが、ある程度冷静ではあるようでそのまま言葉を紡いだ。
「その服はどうしたんですか?」
「どうするって、洗濯したけど。あぁ、大丈夫。僕の服とは別にしたし、それぞれの正しい処理の仕方は知ってるから」
「今鳴ってる、あの洗濯機の音ですか?」
識乃さんがビシッと洗濯機の音が聞こえる方向を指差した。
「そうだね」
「ああぁぁぁ、これは私の一生の恥です。私、今日一日この服装ですか?」
「昨日、いっぱい服買ったでしょ?」
「そうでした……ね」
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「で、何を急いでいるんですか? こんな朝っぱらから」
着替えた識乃さんは、なかなかキュートだった。上半身に、全体がふわっとした大きめな白いカットソーを纏い、その裾からショートパンツを覗かせている。太ももから下は黒いニーソックスに覆われている。可愛らしく、それでいて幼すぎない大人びた魅力も感じられる服装だった。
「今日は、カウンセリングの予約が入っててね。朝の九時から」
身支度をしながら、簡単に答える。
「珍しいですね」
「君が言うな」
そういう僕は、黒めな色のジーンズを穿き、インナーとしてティーシャツを着、アウターとして白衣を纏っていた。
「私もついて行っていいですか?」
「おぉ。ちょうど僕から頼もうと思ってたんだよ」
「いいんですか? 絶対『だめ』って言われると思ったんですけど」
「君、大学辞めてるんだってね? かと言って、就職もできていない。バイト生活の中で疲れたからサケノバなんてのに入っちゃたんでしょ?」
「……っ! なんで」
さっきまで座って僕と会話していた識乃さんがガバッと立ち上がりながら驚いた。
「いやぁ、あのね。昨日君が寝ちゃった後、酔ってる君を叩き起こして色々話を聞いたんだよ」
「はぁ、そうだったんですか。一切記憶に無いですけど……、あれ?」
「うん。実は僕が着替えさせたってのは、嘘、なんだよね。服渡したら自分で着替えてくれたから、君が」
はははっと笑って誤魔化そうとした、が。
バチンッという乾いた小気味良い音が響いた。伸ばした腕を振り切った形で居る識乃さんを見る限り、その音源がどこであるかは言うまでも無いだろう。
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九時二十分。
「さて、改めまして。僕がカウンセラーの笹本です。こっちが助手の軒下識乃」
「はい、よろしくおねがいしますです」
「トモさん、ちょっとこっちに」
扉の方に立っていた識乃さんが手招きしていたので、少々お待ちくださいと言い残して、識乃さんへと向かう。
「どういうつもりですか? 私が助手だなんて」
「さっき君が勝手に怒って話が終わっちゃったから最後まで言えなかったけど。だから、そういう事だよ。仕事もないし、僕への借金もある。だからここで働こうよって話だよ」
「成程。私の意見は無視なんですね」
笑顔が怖い。笑顔が怖いよ、識乃さん。
「それにあたって、僕は今後君を『識乃』か『識乃ちゃん』って呼ばなくちゃならないんだけど」
「いやいやいや、ならなくないですよ。って言うかだいたい……」
「あぁ、それより聞いて、識乃ちゃん。ほら見てよ、この立派な紅葉」
と自分の頬を指差して、そう言った。
「わぁ、本当ですね。大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫だ。クライアントを待たせちゃ悪い。早く行こう」
「そうですね」
そそくさと席に戻る僕。ソファの横に立つ識乃ちゃん。
クライアントが如何わしげな表情をしていたが、そんな事を一々気にしていられるほど僕の心は広くない。
「大丈夫ですか? 先生」
「あぁ、はい。大丈夫ですよ? 万事オッケー」
目の前のクライアントの男性、多町幸甚さんは、よっぽどの汗っかきのようで、額に滴るほどの汗をかいていた。
「電話で御伺いしたとおりで間違いないとは思いますが、一応形だけ、ご用件を」
「はいです。えっと、ご理解いただくにはまず、うちに来ていただかなければならないのですが」
「えぇ。」
「一番簡潔にした受け答えで結構なのでしたら、わたくしはこう言いますです」
一息ついて多町さんは言った。
「今現在、わたくしの家に遺体が二体あるんです」