第一話というか、幕開けの始まり
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十月の末、朝九時。
さて、そんなこんなで殺人者に限り来談を許してしまうと言う、限りなく汚名に近い二つ名を頂いたこのカウンセリングルームであるが、三日ぶりに訪れると異臭がしていた。
うちの事務所では取り合えず一度僕の自宅に訪れてもらい、その後事務所で話を聞く。というシステムを取っている。
ので、今回も例によって例の如く事務所に来てみたのだが。何だっけ? 何したっけ? 何が起因してこの卵を腐らせたような匂いをかもし出しているのだろうか。
「あぁ、折角お越しいただいたのに申し訳ありません。出来れば、少しだけお時間いただけますでしょうか」
「あ、はい。勿論です」
――おかしいな。こんな、か細い通った声を出す女声が殺人を犯すわけが無いじゃないか。それとも、訳ありなのか?
と、そこで我に返り、そんな邪念を振り払い、今直面している問題、異臭へと立ち向かった。
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結果から言うと、腐った卵が部屋の中に落ちていた。何故、そんなところにそんな物があるのか、それ自体は本当に謎だ。だがしかし、個人的には何かの伏線であってくれると、なかなか赴きがあっていいのではないかと思う。近所の子供達が悪戯をしたとだけは考えたくない。
そして今、来談者を事務所の前に二十分待たせるという、カウンセラーとしてはアクロバット極まりない無礼を犯した後、こうしてテーブルを挟んで向かい合う僕と来談者である彼女、ノキシタシキノさんであるが。それにしても、真っ赤なワンピースにやたらツバの大きな帽子を被っている。一言で言うならば、ド派手なのである。
「えっと、家の軒下で、認識の識に乃でいいんですか」
「あぁ、はい」
と答える声は少し震えていた。クライアントにはよくある事だが、識乃さんのそれは少し違う気がした。緊張や不安ではなく、これは……、酔っている様な。少し狂っているような。
「あの、笹本さん」
「あ、堅苦しいの苦手なので、どうぞトモと呼んでください。あと、お互いに敬語やめましょうか」
「え? いや、あぁ、はい。どうぞ。私はタメ口とか苦手なので、敬語を使わせていただきます」
「そうですか。いや、そう」
タメ口と言うものは、クライアントの不安を削ぐのにピッタリな手法であり、カウンセラーはよく使う。と、そこで識乃さんが口を開いた。
「私、宗教団体に入ってまして」
「成程、そういう事か」
この女性、軒下識乃。この方の喋り方、服装。気になった点やおかしな点。気持ち悪かった。外国の人間と喋っているような、そんな気分。この酔った、狂った感じはそういう訳か。酔い狂う。宗教。酔狂。
――じゃあ、本題だな。
と、居住まいを正し、改めて自分の名刺をテーブルに出した上で本題に切り出す。
「さて、見ての通り、僕はカウンセラーです。あなたも何か迷い事や悩み事を持って、こちらを訪ねてきたのでしょう。よろしければ、聞かせてもらえませんか」
僕の雰囲気が変わったのを感じ取ったのか、識乃さんは顔を上げ、目を見開いた。
そして、帽子を脱いで膝に置き、一呼吸ついてからこんな事を口にした。
「私、ある人間を呪い殺してしまいました」
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軒下識乃、十九歳。身長一五九センチ、体重四十三キロ。A型でおひつじ座。つまり、三月生まれ。二ヶ月前に宗教団体『裂けの羽』に入団。そこでの教えに従い、幼馴染の女性であるところの世崎賀呼さんを呪った。三日後、友達から賀呼さんの死を聞いたのだそうだ。勿論、識乃さんは本気で殺す気など無く、あくまで教えに従っただけなのだった。そうだ。
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「その、なんだ。サケノバってのは、どういう集団なの? 何で入ったの?」
「いえ、友達に誘われまして。入ってみたら、周りが言う程おかしな集団などではなく、むしろとてもいい方々で」
「周りが言う程? それはどういう意味なのかな」
「えっ! 知りませんか? 聞いた事ありませんか」
「そういう噂を? ううん、今はじ……」
「違います! 裂けの羽、それ自体をです! とても有名になって、新聞やテレビでも取り上げられてますよ」
「あぁ、ごめん。そういう事?」
「本当に知らないんですか」
「僕よく、『世離れしてますね。』って言われるんだよ」
「それ全然誉められてないですよ? そんな自慢げな表情されても困ります! 世離れって……。テレビとか見ないんですか」
「ごめん。見ないとかじゃなくって、テレビそのものを持ってない」
「新聞は?」
「ごめん。読み物は好きなんだけれど、お金かかるし取ってないんだ」
「携帯は? 携帯でニュースとか見れますよね」
「携帯か。携帯携帯、携帯ねえ。あっ! ポケベルなら持ってるよ」
「……」
「……」
「……」
「だってほら、電話は家のがあるし、外で会うなら場所とか時間をしっかり把握していればそんなに不便じゃないよ。それに初めから持ってないんだから、不便かどうかも、そんなもの感じないし」
「じゃ、じゃあメールはどうするんですか? 外に居るとき急用ができたら、やっぱり必要でしょう? 電話だってできないじゃないですか」
「ふっ、最近の子は知らないんだね。公衆電話。あれがあれば外でも簡単に電話ができるんだよ。それに実はね! 公衆電話でメールを送る事だってできるんだよ」
「でも、その公衆電話、最近じゃめっきり見ないじゃないですか」
「う、うん。それもそうだね」
「……」
「……」
「……」
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とまぁ、このような与太話を続けて、はや2時間。会話と言うものは不思議なもので、一度脱線し、そこからもう一度脱線するともう本筋には戻れないものである。公衆電話が何故無くなったのか、という議論を交わし、携帯電話ショップの陰謀だ! という点で落ち着き、その後、陰謀の意味、国家機密について、色々と語り合った。そして、最後には何故か吉幾三の歌を二人で大熱唱して落ち着いた。
――識乃さんはすっかり良くなった。なんというか、病状が。狂った感じが取れてきていた。きっと、裂けの羽以外の人間と話す機会が無かったのだろう。
「さて、そろそろお昼時だね。今日のところはこれでいいと思うけど。少し通ってもらわないといけないと思うから、空いてる日教えてもらっていいかな」
「あぁ、はい。勿論です。……、あれ」
首を傾げる識乃さん。可愛いな。
「まだ、何か」
「えっと、これじゃあ、ただの普通のカウンセリングと変わらなくないですか」
「……」
普通のカウンセリング受けたこと無いんだろうな。
「だって此処『笹本カウンセリング事務所』だもん。普通で当然でしょ」
「いやでも、私殺人者ですよ?」
「知らないよ、んなこと。」
「だっていろいろ聞きましたよ? 事件を解決してくれるって」
「そうだね。僕は何の資格も持ってないから薬あげたりはできないんだけれど、なんだったらいい精神科の先生紹介しようか? 僕、仲良しなんだよね」
「違います違います! そうじゃないんです。そういう事で此処に来たんじゃないんです!」
「識乃さん。聞いて。僕は昔よく本を読んで、自分で書いたりもした」
「……急に何を言っているんですか?」
十分に間を持って、改まったようにして効果を持たせた。
「小学校のとき、作文の授業で小説じみた小論文的なものを提出した事があった。怒られたけど。その時はカウンセリングルームに連れて行かれたんだよ」
「はあ」
「それから僕は反抗意識で本ばっか読んだ。ライトノベルから参考書までもう何でも読んだ。そして、圧倒的な知識を頭に叩き込んだ中で探偵に惹かれた」
「探偵、ですか」
「そう。ここからが僕には良く分からないんだけど、探偵に関する本を十冊買い集めて、二週間で全部読み上げた。すると家にカウンセラーと精神科医が来たよ。ははは」
「笑えないですよ。でも何でですか? 『もっと現実を見ろ』とかでですか?」
「うん、カウンセラーの方はそんな感じだった。でも、今言いたいのは精神科医の方なんだ。『君の集中力は異常だ。正常を逸している』と言われたよ」
「本十冊読んだだけじゃないですか」
「そうなんだよ。僕もそう思ったんだけれど、ここでの問題は厚さなんだって」
「厚さ……」
「六法全集」
「六法全集ですか……。それでも、斜め読みすれば二週間で」
「あぁ、一冊で六法全集」
「はぁ!? それは幾らなんでも無理でしょう」
「見せてあげようか」
「いえ、いいです。なんか落ち込みそうだから」
「そう」
「……」
「イディオ・サヴァン」
「?」
「イディオ・サヴァン。サヴァン症候群って言うんだって、この病気」
「病気なんですか」
「病気ってか、欠陥なんだよね。異常に頭脳が発達して、それ以外が手に付かなくなったり、障害になりやすいんだって。僕はまだ大丈夫だけど」
「いいですね、賢くなれるんだったら」
「確かにサヴァンの語源は『賢人』らしいけど、良くなんかないよ、決して。僕は本をパラパラと捲るだけで全て読めるんだよ。読めてしまうんだよ! 僕はそれが当たり前だと思ってた。でもさ、精神科医に『あなたは異常です』って言われたんだよ? 自分の常識が、自分の信じてきた世界が、現実が、たった一言で打ち砕かれたんだ! 分かるかい? 己の全てを全否定されたんだ! それを、僕の母親はなんて言ったと思う」
「……」
「『やったじゃない! うちの息子が天才だなんて!』だって。ははは、全く。笑っちゃうよね」
「先生……」
「……、笑っちゃう」
「……」
「笑いすぎてはらわたが煮えくり返る思いだったよ」
この後僕らは押し黙り、外の工事現場からの雑音だけが部屋の中を満たした。
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そして、部屋に掛けていた掛け時計が十二時を指して、8bitのメロディが流れた時、沈黙を破ったのは。というより、口を開いたのは、僕だった。
「さて、気を取り直して本題に入ろうか」
「へ? さっきのは本題じゃないんですか」
「さっきの? 余興じゃないの」
「余興!? 今のシリアスなやり取りがですか!? なんて性格」
「ほら、探偵になろうと努力した話したでしょ」
「そこなんですか!? 本筋、そこですか!?」
「だからさ、僕は副業で探偵をやっていてね」
「それは、ぴったりな職業でしょうね。性格的に」
「うん、そうだね。だから、事件解決はそっちの仕事に入るんだけど」
「皮肉はスルーですか」
僕は立ち上がって、部屋に唯一ある机に寄って、引き出しの中からファイルを取り出し改めて、識乃さんに向かった。
「カウンセラー、笹本トモは殺人者のあなたに対して救済の手を伸べ、悩み相談を受けることを本意だとは思いません」
「はい」
「ですが、あなたが殺した。と言うのが嘘偽りであるのなら、僕はあなたを救済し、世に放つ事を約束しましょう」
「はい」
「あなたが言う呪殺、それが偽物だということを証明してもよろしいでしょうか?」
「は、はい! 勿論です」
そして、識乃さんに金額一覧が書かれた書類を見せて続けた。
「では、その分の料金を探偵、笹本トモにお支払いしていただきます」