第九話というか、第三戦の四回表・伍対弐
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さすがに店主が不機嫌になっているように見え、僕達は寿司屋を出た。最近よくある百円均一回転寿司屋に比べ、一皿につきたった二十円高いだけなのだが、それが数十枚にも重なってくると話も違ってくる。
そんなわけで薄くなった財布を携えた僕の懐は寒いままで、真冬の風はそんな僕を容赦なく襲った。
「いや~、寒いね。ちゃっちゃと家に帰ろうか、識乃ちゃん、獏也、那子さん」
「はいっ!」
「そんなに寒いか?」
「……」
僕の問いに三人はそれぞれ、らしい反応で返してくれた。
僕と識乃ちゃんが並んで歩き、その後ろに那子さん、そして彼女の手を後ろから締め上げてるようにして獏也が追いかけてくる。そんな編隊が大通りを闊歩しているのだから、周りの人がモーゼの割れる海が如く避けていくように見えるのは錯覚ではないのだろう。
部屋に帰り、那子さんの体を調べるように識乃ちゃんに言った。識乃ちゃんは暫くの間くすぐるようにして那子さんの体を弄り続けたが、収穫物は無く、那子さんが笑い転げて無駄に息切れしただけだった。
その後、彼女の腕と足首を縛り、ついでに猿ぐつわを噛ませて僕の部屋に転がせておいた。
「さて、この部屋に三人で寝るってのは少し狭い気がするよね」
「じゃあ、俺はシキノンの部屋で寝るからいいよ」
「待ってください。それをしてしまうと、トモさんが女性と二人きりになってしまいます。許せません!」
嬉しいことを言ってくれると思ったが、同時に一つ疑念が浮かび上がった。
「あれ? 自分が獏也と二人きりなのはいいの? 識乃ちゃん」
「ええ、まぁ。別に問題ないかと」
「……やっぱ……、僕が見張るのは駄目だな。うん、それはないそれはない」
「なんで棒読みなんだよ、友よ」
「じゃあ、獏也。頼むよ」
獏屋の肩を二度叩き、僕は識乃ちゃんの部屋に向かった。
毎度の事ながら特筆するようなことも無く、大人しく着替えて、僕達二人は就寝した。男女が二人同じ部屋で寝たのは確かだが、特筆するようなことは何も無かった。二度言ったが、もう一度言っておこう。本当の本当に、何も無かった。
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次の日、パトカーのサイレンで目が覚めた。
体を起こすと、さらに救急車のサイレンの音も聞こえてきた。
「なんだろう」
寝起きで少々寝ぼけていたのと、知らぬ間に僕の布団の中に識乃ちゃんが潜り込んでいたことで思い至るに若干時間が掛かったが、とりあえずハッとすることはできた。
「那子さんっ!」
識乃ちゃんを叩き起こ……蹴り起こし、ニット素材でピンク色のパジャマから普段着へと着替えさせ、同時進行で僕も着替えてから、僕の、もとい獏也の部屋へと向かった。
つまり着替えるくらいの余裕はあった。
「獏也、入るぞ」
合鍵でドアを開けて中に入ると、昨日見たそのままの格好で那子さんが倒れていた。昨日と違うところと言えば、彼女の目が厭らしく笑っているという所だろうか。獏也は部屋の隅でうずくまっていた。寝ているように見えたが、「よう、友よ」と声を上げたので起きているのだと分かった。
「どうした?」
「そこの女に寝込みを襲われて、ちょっと肩をな」
「すぐ治るだろ? お前のことだから」
「……まぁな。それより、外、騒がしくねぇか?」
切り替えたように獏也は言ったが、それでも少し元気がないように見えて、なんだか……こう、むず痒かった。
僕は那子さんに噛ませていた猿ぐつわを外し、問いただした。
「あなたが獏也を襲った方法については流しておきましょう。ピエロのことだから、何をしでかしてもおかしくない。ですが、表のあれは何ですか? この部屋に来る途中、アパートの前にパトカーが停まっていました。おそらく、もうすぐ僕達の部屋にも警察の方が来るでしょう」
僕の質問に、那子さんは妙な含み笑いで答えた。
「ふは、だから言ったんだ。ウチを拉致ったりするから、また被害者が」
僕は何を言っているのか理解できず、ポカンと那子さんを見つめた。相当なアホ面だったことだと思う。
三人を部屋に残し、部屋から出て階段を降りると、ちょうど浦安さんがパトカーから出てくるところに出くわした。僕は彼に向かって右手を上げて挨拶した。見れば、向こうにも何台かパトカーが留まっている。
「あ、浦安さん。どうもです」
「……」
浦安さんはこっちを一瞥したものの、黙ったまま不機嫌なのを隠そうともせずに僕とすれ違ってアパートへと歩いていった。
『お前ら、まだ被害者を出すつもりなのか?』
そう言われている気がした。
僕は右手のやり場を無くしてしまい、ごまかすようにその手で後頭部を掻く仕草をした。
暫くして、浦安さんが降りてきたのとは別のパトカーに知った顔があるのを見つけた。その車に寄って、パトカーの後部座席の窓をノックして声を掛ける。
「あの、達さん? 何やってるんですか?」
達さんは僕に気付いたようで、運転席に座っている警察官に声を掛けてパトカーから出てきた。どうやら、強制的に連行されていたわけではないようだ。
「どうも、笹本さん」
達さんは、いつも通りのポーカーフェイスでいつも通りの挨拶をした。
「重ねて聞く形になりますが、何しているんですか?」
「よく分からない被り物をかぶった変態に『リーダーを返せ』と襲われました」
「その被り物ってこんなの?」
僕は自分の頬に人差し指で渦巻きを描いたり、大きな鼻を表現したりして見せた。それを見て、達さんは「あぁ、そんなでした」と答えた。
「まぁ、気持ち悪かったので例の包丁で首筋をこう……」
言いながら、達さんは刃物を振りかざす素振りを見せた。
「やっちゃったんですか?」
「いえ、峰打ちです。私は重要参考人で任意同行です。私を襲った変態は逃げていきました」
「そうですか、納得です」
僕がそう答えると、達さんはおもむろに腕を水平まで上げて、別のパトカーを指差した。
「ちなみにですが」
「ん?」
「変態は二人いたようで、もう一人は小石さんに殺されました」
「……まじですか」
「残念な事に、まじです。あっちは容疑者として引っ張られてますから、わたしのように話すことは無理かと」
僕は達さんに「頑張ってください」と言い、することも無いので部屋に戻った。
「どうでした?」
識乃ちゃんの質問を受け、僕は那子さんに顔を向けた。
「非常に悲しいことです。あなたの言う通り、新しい被害者が出てしまいました」
那子さんは清清しいほど不気味な笑顔で僕を見ていたが、次の僕の台詞で一気に青ざめた。
「『ピエロ』のうち、一人が負傷、もう一人が死亡したそうです。アパートの住人に負傷者はいません」
その一言で獏也が「ははっ」と力無く笑い、その笑い声を聞いて、那子さんが真っ青な顔を獏也へと向けた。
識乃ちゃんは何も気にしていなかったが、僕には妙な光景に見えた。