第五話というか、試合再開・マイナス壱対弐
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しかし、だとすると。
「少し、気になる点が幾つか浮上しますね」
そう。
色々と、不可解な点がある。
「まず。美風さん、あなたがここを訪れた時、部屋の鍵が開いていたんですよね? 僕は確かに閉めたのですが」
更に。
「更に、中にピエロのマスクが落ちていたとか」
「はい、その通りです」
そして。
「そして、あなたが持ち込んだという警棒、どこに行ったのでしょうかね?」
思わせぶりに発言してみたものの、しかしそこで浦安さんがいい加減にしろと、言った。
僕が一人で警察二人に設問したのがいけなかったようだ。
「お前らの容疑は晴れていない。あんたは話が通じるようだから、こうやって話し合いの場を設けているが、俺の本望ではない。寧ろ、こういうことは書記係の居る取調室でやりたいとこだ。なぁ、崎波?」
そう続けて、僕と美風さんをキッと睨んだ。まるで、『お前のヘマのせいで署の方に顔が立たないだろうが。』そう言っている様だった。
美風さんは、すいませんと言いながら肩を竦め、僕も彼女に倣った。
「すでに署の方に連絡はしたし、お前ら……、特に月見里獏也! お前らは重要参考人として、しょっ引く可能性があるからな」
確かにこのタイミングで獏也が何かすればまず間違いなく檻行きだ。何て言ったってこいつは死刑判決が出るのにさほど時間が掛からなかったせいで服役期間が半年ほどしかなかったのだ。仮にも同じ組織に居た人間が殺されに殺されたのだから、気が張って当然だ。向こうからすれば、どんな些細な事件であったとしても、なんとかこじつけをして引っ張って行きたいに決まっている。
へいへい、と力無く言う獏也の表情が引き攣っているのが少し気になった。
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結局、二人は何もせずに帰った。安浦さんの携帯に連絡が入り、飛び出すように家を出て行ってしまった。またこちらに顔を出すなど言っていたが、本気かどうかも怪しいところだ。まぁ、来るであろう。
「それにしても、大した事は何も話さず帰っちゃいましたね~」
「うん……。もっと聞きたいことがあったんだけれど」
獏也はアルバイトに出掛けた。土建だ。何でも大通りの工事らしく、夜間にしか作業ができないのだとか。本来、獏也は非番だったのだが、一人欠員が出て、なんとかならないかと、連絡があったのだ。
勿論獏也が免許を持っているはずなど無く、持っていたとしても逮捕されたその瞬間に取り消されている訳で、工事現場までの交通手段は必然的に徒歩だ。というかダッシュだ。ここから現場まで四十五キロ。集合時間は三時間後の午後七時半。フルマラソンに三時間掛けると言うのは確かにあまり速いと言えないかもしれない。しかし獏也はリュックサックを背負い走り、その後土建で働き、その後また四十五キロある復路を走り帰ってくるのだ。少しは彼の凄さが伝わるだろうか。
と言うわけで現在、午後四時三十分。
「もっと聞きたいことって?」
識乃ちゃんが首をかしげながら僕に問う。
「ほら、色々と僕らだけじゃできない事が起こっているでしょ? 鍵とかさ。完全にピエロが関与しているんだよね、この部屋にも」
「ほう」
「でもさ、だったら何で獏也を殺さなかったと思う? 物音立てずに鍵を開けられる様な、美風さんとは真逆のような奴が寝ていた獏也を殺せないはずが無いんだよ。そう思わない?」
「うーん、どうですかね? バクバクは強いですからね」
識乃ちゃんは右手人差し指を唇に当て、むむむと考え込んだ。
「まぁ、あいつが強いのは僕が一番知っているところ……、バクバク?」
「はい、バクバク」
今度はキョトンとした表情になった。
識乃ちゃんの表情がコロコロ変わる様子を観察するのはとても楽しい遊びではあるが、それ以上に問題である問題が彼女の口から発せられた事実に関して僕は無視せざるを得ない。
「えっと、一旦置いといて。あー、うん。獏也は識乃ちゃんをなんて呼んでる?」
「ん? 『シキノン』ですけど」
――『ん?』じゃねぇよ! で、『シキノン』ってなんだよ!
キャラが崩れるような口調で、いや口調と言っても心の中でだが、兎に角そんな口調で叫び、軽く机を叩いた。
「うん。分かった、確認させて。『バクバク』ってのは、あの月見里獏也の事ではないよね?」
「あの、月見里獏也のことですが」
「…………」
「…………」
特に、望んで無音状態を楽しもうとしたわけではないのだが、自然に言葉が出なかった。自然な声が出なかった。
「え? なに……、つつつ付き合ってるの? 二人」
自分でも驚くほどの低い声だった。そしてどもった。
「……」
人間が呆ける様子を間近で見るの機会はなかなか無いので、この機会にじっくり観察してみようか。いやいや、今はそれどころではない。
「いやだから、二人は、付き合っているの?」
「二回言った!?」
そう言えば、二人が揃っているところに僕が加わるところはあまり無かったから、お互いの呼称なんて聞いたことが無かった。
『シキノン』!? 『バクバク』!? ふざけるな! 獏也の奴帰ってきたら鋏剪刀で坊主にしてやる。
――そんな柄でもない野蛮な想像を膨らませた。
…………。
……。
どうやら、実に恥ずかしい事に脳内描写と地の文が入れ替わってしまうほどに混乱していたようだ。本当に柄でもない。
そう。
柄でもない。
「ご、誤解ですよ!? トモさん! いやだって……」
「いやごめん。いいんだ、分かった」
こんな感情もあったのかと、と半ば清々しい気持ちになり、識乃ちゃんの声を遮った。
「ちょっ? それは、どういう……?」
何か勘違いしていませんか? と問う識乃ちゃんにストップをかけて、おもむろに本題を投げかけた。
「じゃあ、そろそろ本題に話を流すよ?」
「そろそろ本題に話を流しちゃうんですか!?」
「獏也は死んでいなかった。いや、殺されていなかった」
「……無視ですか?」
ツッコミながら顔を伏せてしまった識乃ちゃんの顔を上げさせて、続ける。
「でもさ。だったら、僕の復讐心なんて駆り立てられないでしょ」
「ややこしいですねぇ。なんですか、バクバ……、獏也さんがボコってなかったとしても、そもそも。って事ですか? だったら、『トモさんの復讐心』どうのこうのが全部デマだったんじゃないですか?」
――デマか。それが一番妥当かな。でも、違う。今回に限ってそれは無い。
「じゃあこれは一先ず、置いておこう」
「あ、私気になってる事があります!」
識乃ちゃんが自分から意見するなんて珍しい。いや、成長したという事か。成長しようとしているものを拒否するような非道な心を持ち合わせていない僕は親切に話を聞いた。
「美風さん……でしたっけ。警官から、なんで拳銃じゃなくて警棒を取ったんですかね」
「うん、そこか」
――そこでしたか。
「パトロールしてるお巡りさんの持ってる拳銃なんてダミーだからね、武器にならない。脅し程度にしかならないんだよ。もっと言えば、拳銃はチェーンで腰に繋がってるから簡単には取れない」
「成程成程」
「僕が気になっている事を言っていいかな?」
「難しそうなので嫌です!」
「……」
――拒否された。拒否されてしまった。
項垂れて、俯いたまま必死に言葉を紡いだ。
「じゃあいいよ、もういいよ。君は獏也と仲良くしていればいいさ。僕は今から、とても長い独り言を永遠と言ってもいいほどの長い時間ぶつぶつ言い続けるから。矢崎那子の事とか、ピエロの武器はナイフでは無いであろう事とか、ルーズリーフの事とか色々話したいことがあったけれどいいよ、話し相手が居ないなら。そうだよ、そもそも識乃ちゃんに言っても仕方な……」
徐々に早口になっていくのが自分でも分かり、さすがに大人気無かったかと思い立って、顔を静かに上げた。ごめん、と言おうとしたが、それも強制的に拒否された。
識乃ちゃんは、僕の目の前で寝ていた。
やるせない気持ちになったが。
しかしどうだろう。
真面目な話、あの警官二人と大して実のある話ができなかった。『ピエロ』には彼らから詳細を聞くように言われていたのだが、その願いも実らなかった。まぁ、まず間違いなく浦安さんは再びここを訪れるだろうから、その時改めて聞こうか。だがしかし、『ピエロ』は一体全体どうしたいんだろうか。識乃ちゃんはああ言っていたけれど。
『復讐心が芽生える』
……口からデマカセではない気がする。デマカセでないのだとすれば、何が僕の復讐心に成り得る? 何が僕を掻き立てる?
考えても仕方が無い事も分かっているが、だからと言って何か行動することも特に無い。どうこうすることもできない。今は警察、もしくは『ピエロ』の動きを見るしか無さそうだ。
そうだ。
そういえば。
隣人の小石さんの愛しき妹さんが今こっちに来ているらしい。ここ最近バタバタしていて、挨拶に行けていない。何かが起こるまで何もしないことは弱者のすることである、と数多くのどこかの誰かが言ってきたが、僕は弱者どころか人間であるかどうかも怪しい存在なので、何かが起こるまで存分に暇を潰させてもらおう。勿論、事件には一切関係のない事でだ。
獏也に対する同じアパートの住人の紹介も兼ねて、少し羽を伸ばそうか。
とりあえず。
今日のところは本を読みふけり、ゆるりとやってくる睡魔に体を委ねるとしよう。