第三話というか、第三戦の一回裏・零対壱
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彼女、矢崎那子は語る。
「『ピエロ』と言うのは別に個人の名前じゃない。ウチとこの子はその一部に過ぎない。ちなみに、『ピエロ』と言う通り名もメンバーで広めた」
誰が広めたのかと思ったら、当事者が広めていた。成程、随分と事故主張の激しいチームらしい。
矢崎那子はなおも語る
「おまえは随分と面白い仕事をしていると聞く。ウチらの初仕事の場をこの街に決めたのは他でもない。おまえへの挑戦、そして……」
仲間が到着したことによって、敬語を使う必要が無くなったからか、幾分か楽そうに見えた。敵にでも、こんな風に顔色を窺ってしまうのは、いわゆる仕事病と言うやつであろう。
「そして?」
僕は躊躇う矢崎に問いかけた。
「ウチらがどこまで通用するのか、おまえを使って検証する」
「……」
成程。
そういう訳か。
何故僕の所に? と言う唯一の疑問が拭い去られた。あまり有名な所を突いて、大々的に扱われるのは困るらしい。
「ですが、矢崎さん? ……」
言いかけた所で、それは偽名だ、と訂正された。
「失礼。ですが、僕達にはあなたの挑戦を受ける義理は無いのですが」
「……いや、ある」
先ほどの訂正とは打って変わって溜めに溜めたその返事は、どこか、不穏な雰囲気を帯びていた。僕の右の眉が自然と吊り上ったのが自分でも分かった。それを感じ取ったのかどうかは分からないが、名前も分からない彼女は、不敵に笑って続けた。
「五十二インチのテレビはいいな」
「……? 何故しって……」
「リックなんかも高級品なんだろう? 結構金を持っているんだな」
僕の言葉を遮ってまで強引に語り続ける彼女はどこか勝ち誇っているように見えた。
「それもこれもあの居候のお陰なんだろう?」
「『おかげ』では無いですが。何ですか? 『計画的な犯罪だから、受け入れなければ貴様の生活を破綻・あるいは貴様の命その物を奪わせてもらうぞ』的な話をしているんですか?」
頭の中で整理したのだろうか、少し間を空けてから、当たらずとも遠からずと、自信有り気に言い張った。
言って。
言い切って。
胸を張って。
威張った。
「狙うのは貴様の命でも貴様の生活でもない。」
何が狙いなのか本当に判らず、今この状況を今一度見回した。彼女の話している間、識乃ちゃんはじっと黙っており、ピエロの女性はルーズリーフを折り紙代わりに遊んでいた。ソファとソファの間の低めのテーブルの上には様々な動物と化したルーズリーフ達が思い思いのポーズを取っていた。
――分からない。何を僕のメリットに使った? 金か? なら、あんな話をしないか。地位? 僕にそんな物が必要ない事も分かっているだろうからそれも無し、か。
「そろそろ、じゃ無いかな?」
僕の自問自答を見透かしたようなタイミングで彼女は言い、僕が、何がですか? と問うと至極簡単に答えた。
「おまえの復讐心が芽生える瞬間だ」
「……っ!」
――そうかっ! 何故気付かなかったんだ!
僕は自分でも気付かないうちに立ち上がり、走り出していた。後ろから僕を呼ぶ識乃ちゃんの声が聞こえた気がしたが、僕の体は立ち止まろうとはしなかった。
彼女達、ピエロは集団だと言っていた。ならば、僕と対峙していたあの二人以外にメンバーが居たと考えても不思議でない。もっと言えば、事務所で僕と『ピエロ』が会話している間にも自宅に『ピエロ』を送り込む事が可能なわけなのだ。
『ピエロ』は。
『ピエロ』は僕の親友を殺し、僕の復讐心を駆り立ててこのゲームに参加せざるを得ない状態を作り出すつもりだったのだ。
だからか。
わざわざ予約を入れたにも関わらず、先に一人を事務所に送り込む意味が分からなかった。事務所ではなく、直接自宅に来ればいいではないかと。
それは。
識乃ちゃんと僕が事務所に居なければならない状況を作り出す為だった。
裏を返せば、自宅に『あいつ』が一人で居る状況を作る為だったのだ。
――あぁあ! 自宅が隣だったら、物音ですぐ気付けたのに!
自宅の横に事務所に設けなかった事を本気で後悔しかけたが、このアパートの廊下は勿論、そんなに長くもないので、考察する間もなく二〇五号室に到着。振り返れば、後ろから識乃ちゃんも追いかけてきていた。
走ったせいか、かなり落ち着いた。少なくとも識乃ちゃんを待つだけの余裕はできていた。識乃ちゃんが追いついたのを待って、余計な口を挟んでしまわぬように、ドアノブに手を掛けた。
「駄目だ。鍵が掛かってる」
独り言のように呟き、懐を弄り、鋏剪刀を取り出した。どっちがどっちかなんて確認する精神は持ち合わせてなかった。兎に角鋏を分解して、右手にあった方を半ば無理矢理に鍵穴に突っ込んだ。左手にあった方は無造作に投げ捨てた。
――無理だ! 刀身が太すぎて入らない!
やりきれない状況に目頭と目じり、頬や頭が熱くなっていくのを感じながら、それでも刃物を差込み続けた。識乃ちゃんが僕をなだめるように言ってくれなければ、僕はこの場で泣き砕けていたのではないかと思う。
「大丈夫です、落ち着いてください。トモさん、事務所に来た時鍵持ってましたよ。左のズボンのポケットにしまっていました」
「何だよ!」
識乃ちゃんを振り返った僕の顔は鬼の形相だったのだろう。識乃ちゃんは一瞬ビクつき、それでも僕の顔を正面から覗き込み、静かに僕の眉間に触れた。
僕が以前やったように、眉間の皺を伸ばした。
伸ばしてくれた。
そのお陰で、ここで焦っても意味が無いと思い直す事ができた。まず鋏剪刀を拾い上げて、ホルスターにしまい、自らの左太腿に触れた。金属らしき質感を確かに感じ、改めてポケットの中に腕を突っ込む。
握り締めて取り出したソレは確かに自宅の鍵だった。それを今度は静かに鍵穴に差込み、左に回した。ガチャガチャと気だるそうな音がして、扉の錠が外れた事を知らせてくれた。
「ごめん、識乃ちゃん。……、ありがとう」
ドアノブを握りながら言って、鉄製の安っぽいドアを開いた。
廊下の向こうから漂う鉄分のような臭いに生臭さを覚えて、奥まで這入ることを躊躇う。それでも何故か、足は勝手に進み、靴を脱ぎ、踏み入った。
心拍数は上がらなかった。
自然と落ち着いていた。
短い廊下を抜けて、リビングに立ち入った僕の目に嫌な光景が飛び込んだ。
黒い血溜りに顔をうずめた状態で、人間が倒れていた。
@×10
「獏也、取り敢えず説明してくれ」
僕は、半ばキレ気味に言った。
――そう言えば、『キレる』なんて初めてだ。
僕の感慨深い心境を打ち砕くように、男、獏也は答えた。
「いやな? 寝こけてたらさぁ、物音が聞こえてきてよ。寝てる所邪魔されて、激しくムカついたからぶん殴ったんだわ。はは、そしたら人違いでな? ぎゃはは」
なんとこの男、鼻血で血溜りができるほどの勢いでヒトを殴ったのだと言う。その後、もう一度寝ていた、と言う所に獏也らしさを感じる。
『これが獏也に向ける最後の言葉に……ならなかった』というオチ。
「人違いって、誰と?」
僕が尋ねると、獏也は無言のまま、こっちを指差した。僕はおろか、僕の横に居る識乃ちゃんでさえ溜息をついた。
僕を殴らないでくれ、と答えると、獏也はカラカラと笑った。
部屋の隅で、ロープでぐるぐる巻きにされつつ、気絶状態を続ける女性に目を向ける。続けて、目の前のテーブルの上に置かれた『ピエロの被り物』とルーズリーフに視線を向けて、改めて溜息をつく。
すると、僕の顔を覗き込むようにして識乃ちゃんが言った。
「でも、アレですよね。あんな前フリで本当に彼が死んでたら、それ程つまらない事も無いですよ?」
「識乃ちゃん、滅多な事言わないの」
「ん? それを言うなら『メタな事言わないの』の間違いなんじゃねぇの?」
「黙れ、獏也。誰が上手いこと言えと言った?」
そんなこんなしていると、軽いうめき声と共に部屋の隅の女性が目を覚ました。
「う、うぅ、……っ!」
「おう、目ぇ覚めたか。悪いな、気絶させちゃってよー」
獏也の言葉に、女性は顔に困惑と憎悪の入り混じった表情を浮かべるばかりだった。
これからどうするべきか、迷う。『ピエロ』の目論見は失敗に終わり、勿論僕に復讐心は宿っていない。ゲームに参加する必要はなくなったわけだ。
なくなった。
わけだが。
獏也の無事を確認した、あの後。ダッシュで事務所に戻ってみたが、そこはすでにもぬけの殻であった。テーブルの上に、無数の動物と一つの書置きがある以外、いつもの日常と変わらなかった。
異様な殺気をダダ漏れにしているあの女性も。
首から上がピエロの華奢な容姿のあの女性も。
そこに居た気配すら残っていなかった。
しかし、その唯一の残っていたその書置きが気になった。
【もう少しすれば、市警の方からそちらに正式な捜査協力要請が来ると思う。今は時間も無いので、詳しくはそちらに聞いてくれ。取り敢えず、頑張ってくれ。】
ピエロの持っていたルーズリーフに書かれた三行ほどの文。
先述したように、僕にはもう『ピエロ』と対峙する理由が何一つ残っていないのだが。なんだろう、嫌な予感がする。市警からの協力要請とはどういうことであろうか。犯行声明文でも届いたというのだろうか。
まぁ、獏也が殺されるどころか、敵を一人捕まえることができたのだから、こちらも一点返したと取って良いのだろう。スポーツでは普通、取られた点は消す事はできない。僕はいつも不思議に思っていたが、一点取り返せばいいのだからいいか、と思考する事を止めた。
時計を見て、驚いた。ピエロが事務所を襲ってきてからまだ一時間経っていなかった。
僕がぼーっとしている間も識乃ちゃんと獏也は喧しく女性と話しあっていて、それでも僕の耳には彼らの声は一切入ってこなかった。虚ろな心境で女性に意識を向けると、女性が一切口を開いていない事に気付いた。『話しあっている』では無く『話しかけている』が正しいようだ。
不意に部屋の中にインターホンの音が響いて、僕の意識が体に戻る。
僕は、はいはーいと、声を上げ、立ち上がった。視界の隅で例の女性が口角を吊り上げたように見えた。
覗き穴から外の様子を窺うと、スーツの男性が一人で立っていた。当たり障りの無い表情で立ちすくしていた。
特に危険も無さそうなので、普通にチェーンだけ掛けた状態で扉を開き、どちら様ですか? と声を掛けた。
「こういうものですが」
捜査協力要請。
お決まりの言葉で警察手帳を胸ポケットから取り出す男性。ガッチリした体躯の、言うならば柔道選手を連想させるようなその男性は、僕よりももっと後ろ、部屋の中に興味があるようだ。
その時、部屋の置くから上擦った声が響いた。
「浦安さん!」
僕は吃驚して、一瞬後ろを振り向いた。識乃ちゃんの声ではなかったから、ピエロの声だろう。
「すみません、今立て込んで……」
再び前を向きながら放った僕の声は強制終了させられた。
眉間に黒い筒状のものが。
鉄の塊の先端が。
眉間に拳銃の銃口が触れていた。
「えっと……、発砲許可は出ているんですか?」
「人命の方が大切なんだよ」
男の声は静かだったが、とても強い意志がこもっていた。
――あー、これはマジで撃たれるかも。
ふと男越しに空を見れば、大雨が降っていた。
――今朝はあんなに晴れていたのに。
雨脚に引く気配は無かった。