第二話というか、第三戦の一回表・零対零
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月見里獏也、二十五歳。身長百七十五、体重六十一キロでAB型の牡牛座。警官殺しの狂気の殺人鬼。僕とは中学・高校で同級生であった。彼は国立大学へ、僕は短大へと進学したために連絡を取り合わなくなったが、なんの運が転じたのか、今年の初めに再会。彼の類希なるその身体能力と運の良さは語るに尽きない。
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二週間が過ぎた。
それはつまり、年の境を越えたことを意味し、前章に訂正点があることを暗喩しているのだが、まぁいい。
師走から、睦月。
年が明けた気がしない。何故だろう。そんな事問わずとも知れている、この馬鹿みたいな忙しさが原因だ。もしも今日の僕が昔の僧であれば、十二月も一月も『師走』と名づけた事であろう。
思えば、年越し蕎麦も食べていないし、年賀状も出していない。ただ、五十二インチの大画面テレビを見て過ごした程度の思い出しかできていない。
でも、そうだ。
僕の家にテレビが来たことは、少し報告すべき事かもしれない。
何だかんだで、獏也のバイトは一日も掛からず見つかった。中野土建有限会社。一番初めに選んだ会社で雇われたのだから、やはり彼の運の良さは尊敬に値する。獏也は識乃ちゃんに道案内をしてもらい、一応僕も付いて行ったのだが、要らぬ世話だったようだ。土建の社長が言うには、『識乃の紹介なら信用できるな。よし、採用!』だそうだ。このような力仕事は、世知辛いこの頃の世間でも人員不足が続いているらしく、履歴書も持っていない獏也をいとも簡単に雇ってしまった。まぁ、その分獏也は働くだろうし、何の問題も無いとは思う。
思うのだが。
それよりも、獏也と識乃ちゃんが仲良くなりすぎなのが心配だ。
無論。
略奪愛だとか、ドロドロのメロドラマ的展開を危惧しているのではない。例えるのならば、そう。悪戯好きなやんちゃな子供が、仲間を見つけた感じだ。お互いに悪知恵が働き、各々の作戦を協力して行うのだから、それが厄介でないわけが無い。猿知恵とどちらが鬱陶しいか、今度徹底的に調べてやろうと思う。
ここで、笹本宅にテレビがある理由に繋がるわけだ。
あの二人が勝手にテレビを購入してきたのだ、僕のカードを持ち出して。あの因縁の家電量販店で、一番高いテレビを買おうとしたそうだ。しかし一番高いテレビはなんと六十万するらしく、やむなく五十二インチのテレビに『売約済み』のシールを貼らせのだと言う。僕からすれば、ある日曜日にいきなりテレビが家に届いたのだから、笑うに笑えない。僕の二十一万七千八百に翼が生えて飛んでいってしまった事は勿論ながら言うまでもない。その金額でもなかなかに安いらしいが、僕にとってはそんなこと、一切関係ない。通帳に刻まれた数字が小さくなった、それだけで十分だった。
あぁ、それだけではない。
携帯電話だ。
今流行のスマートフォンなる携帯電話を無理に買わされた。これに関しては僕の発言が原因に無っていないわけでもないので余り偉そうにはできないのだが、それを理由に黙っていると、それこそ二人の思う壷になってしまうようでどうにも立ち回りが不安定になる。更に僕が二人を責める事ができなくない理由がもう一つある。それはこのスマートフォンそのものである。こんな便利な物を渡され、虜にならない輩が居るのならそれこそ本物の馬鹿であろう。ありとあらゆる機能があり、今までわざわざ達さんに借りていたパソコンも不必要になった。パケット料金がある一定の金額で変わらないという、得なのか損なのかよく分からない契約を交わされ、いつでもどこでもネットサーフィンができるようになった。その携帯電話に関しては、一応僕が選んだ事もあって、それなりに気に入っている。今現在は『アラーム』と言う銘で、識乃ちゃんがやってきたせいで崩れかけている僕の体内時計の修正を担ってもらっている。
現代の携帯電話所持者はこんなに便利な生活を送っていたのかと感嘆した。その旨をそのまま識乃ちゃんに伝えてみたところ、『現代の携帯電話不所持者はそんなに不便な生活を送っていたのかと可哀想に思えてくる』と言い返された。彼女も随分ことば遊びに慣れてきたようで時々鬱陶しく思ったが、それも僕のせいだと思うと、少し切なく思える。
とまぁ、少しというか、大胆に話がずれたがこれらが僕の近況であった。
あぁ。
言い忘れていた。
彼ら二人が忙しい理由は『バイトと僕への嫌がらせ』で言いのだろうが。
僕が、年末年始をどたばたと過ごした理由は他にある。
この僕の事務所が。
予約で埋まってしまう程、一般のクライアントが後を絶たないのだ。
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僕の住むこの街では、今この名前で持ちきりだ。
『ピエロ』
それは、殺人鬼の通称だ。ピエロの被り物を被り、不意に笑い声を上げながら無差別にヒトを切り裂くのだと言う。それも、こんな田舎でだ。そんな奇抜な輩が現れれば、騒ぎにならぬ訳は無い。しかしそれなのに、目撃情報がほぼ皆無に近く、凶器も見つかっていない状況が続き、住民はまともに外出もできないのだとかなんとか。
しかし目撃情報が無いのに誰が『ピエロ』などとありがちな通り名を与えたのだろうか? まぁ、噂とはそんなものなのだろう。
しかし殺された方々には悪いが、おかげで我がカウンセリング事務所は大繁盛していた。年末年始の二週間ほどで二十七人を殺し回るという快挙と言うか暴挙を上げて、住民の心を乱すだけ乱したのだ。人々が逃げ道を求めたのは妥当な事だと思う。識乃ちゃんが家に来て以来、何故だか街中に挨拶回りに繰り出す事になった訳で、そこそこに僕の認知度と人気度がにわかに上昇した。それも相まって、年末年始は実に大忙しであった。夫が被害者になった女性、ボーイフレンドが被害にあった少女、息子を殺められた母親など、数多くの様々な『一般人』が事務所を訪れた。野次馬に近いような人まで、不満や不安をぶちまけに僕を訪ねた。
「トモさん、トモさん」
識乃ちゃんの聞き慣れた声が僕の鼓膜を震わせ、僕はリックから顔を上げる羽目となった。リックと言うのは僕のスマートフォンの機種名である。
「なんだい? 識乃ちゃん」
「頬が弛んでますよ? 涎垂らして。そんなに携帯を愛してしまうんなら買わなきゃ良かった」
「涎は垂れてないし、僕が好きなのは、識乃ちゃんだけだよ」
識乃ちゃんの顔がだらぁっと歪み、気持ち悪く体をくねらせた。舞い上がったせいで自らが言うべき台詞を忘れたのであろう、どこかへ行ってしまった識乃ちゃんに向けて軽く溜息をつき、獏也に視線を向ける。獏也は可愛げの無い背中を僕へ向け、フローリングの上で眠れる森の美女が如く、深い眠りについていた。
リックの画面の右上を見ると午後二時を指そうという所だった。デジタル時計の表示は無機質で機械的で少し嫌いだ。だからと言って、掛け時計か腕時計しか見ないというような宗教じみた事に体を預けた記憶も無いので、もう一度デジタル時計を見て、改めて午後二時を指している事を確認する。
仕事で忙しい体を休める獏也を起こす事に少し躊躇いを覚えたが、仕方ない。と踏ん切りを付けて、獏也の体を揺すった。
「おい、獏也? ちょっと起きろよ」
「…………、ぁ、んあ?」
寝起きの悪い彼にしてはあっさり目覚め、僕は少し驚いた。もしかしたら初めから起きていて、寝たふりをしていたのかも知れない。何の為に? いや、考えすぎか。
「いや、嫌だったらいいんだけど、折角の休日なんだから、ベッドで寝ていいぞ?」
「え? あぁ、マジか!? ありがとう、いやホントありがとう!」
何がそこまで嬉しかったのだろうか? 無駄にハイテンションになって獏也は僕のベッドにダイブして、そのまま寝こけてしまった。
――きっと寝てるところを起こされて、不機嫌になっているのを無理したんだろうな。
獏也の心境を考えるとナーバスになれずには居られず、彼を起こした事をそこはかとなく底なしに後悔した。
おもむろに僕の部屋を訪れいきなり自宅に帰って行った識乃ちゃんの存在を思い出し、彼女を追いかけるように部屋を出た。出てすぐに鍵を閉めておかないと、と思い直して部屋に戻り、鍵を取り出し外から締めて、小さな声でおやすみと獏也に向けて言った。
ちなみにこれが獏也に向ける最後の言葉に……。
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識乃ちゃんの家というか、事務所に行くと、識乃ちゃんが見知らぬ女性とソファで談笑していた。
「……、識乃ちゃん、その方は?」
「あぁ! いい所に来ました。トモさん、臨時のクライアントさんです。矢崎那子さんです」
なんと。
識乃ちゃんは言い忘れはクライアントの来談だった。そんな事をよく忘れる事ができる。二時十五分からカウンセリングの予約が入っている事も忘れているのだろうか? 忘れているのだろうな。
「あの、矢崎さん? 非情に申し訳ないのですが、実はこの後に予約が入ってまして。お時間と言いますと……」
「その事に関して、一切問題無い。であります」
顔だけをこちらに向け、限りなく無機質で使い慣れないのであろう敬語を使い、僕の言葉を遮る女性は不敵に笑っていた。
「? と、言いますと?」
「後から来る人間もウチの仲間だから。……です」
識乃ちゃんとの談笑中はこんな殺気を出していなかったのか、識乃ちゃんが彼女を見て怯えていた。暫くして識乃ちゃんは立ち上がり、僕の傍にやってきた。
どうしようもないほど重い空気が流れ、識乃ちゃんは勿論、僕も口を開く事に躊躇を覚えた。
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まもなくしてインターホンの音が部屋に響き、約十分間微動だにしなかった僕や識乃ちゃん、矢崎でさえ反応することを余儀なくされた。
ハイハーイ、などと言いながら玄関に向かいかけた識乃ちゃんにストップを掛け、代わりに僕が玄関に向かう。
鉄製の薄い扉の覗き穴に目を当て、外の様子を確認して、変に納得した。
――はぁ、こんなとこだろうと思ったよ。
玄関の前には。
そこには。
ピエロが満面の泣き笑いを浮かべて、ドアの前に立っていた。
ここで思い留まっても、大した打開策は思い浮かばないであろうし、何より陣内に敵を一人招き入れてしまっている。どうこうする事はできないだろう。このまま放置していれば、隣人の小石さんか達さんとかが、あるいはどうにかしてくれるかも知れないが、ご近所さんにそんな迷惑を掛ける訳にはいかない。やはりこちらも自ら招き入れるしかないのだろう。
重いくだらない考察の間にも、もう一度インターホンの軽い音が響き、僕を急かした。
仕方なく。不本意に。
僕が。
僕が自らドアを開き、ドアの前に立っている人間を招き入れた。
招き入れてしまった。
これが、無理矢理の強行で事務所に押し入られていれば、どれだけ楽だっただろうか。
予想通り識乃ちゃんは短い悲鳴のような声を上げ、居所悪そうに部屋の隅に逃げた。
ピエロはグレーの上下一式のスーツを着ていた。ピエロの正体は女性な様で、胸部の膨らみが着ているインナーとスーツを押し上げていた。更に腰の幅も女性のそれで、ピッタリのスーツが彼女の身体をより艶やかに魅せていた。ゴム製のピエロの被り物は、とにかく気持ち悪かった。にたぁっとした満面の笑みなのに、右眼からは涙が垂れており、なんと言うか、狂気に満ちていた。その被り物の下からは細い線の首筋が伸びており、その人物が女性であることを再確認させられた。そして、彼女の右手に握られているのは……、ルーズリーフの束だろうか?
結局ピエロは一言も発することなく、矢崎さんの横に深々と腰を下ろした。僕も彼女らの向かい側に座り、識乃ちゃんを招いてみたが、さすがに嫌だったらしい。
「ここでいいです、……はい」
囁き声かと思うほど小さな声で僕にそう言った。今回に限っては知らんぷりを決め込むらしい。自分の責任ではないとか言うつもりなら今度しっかりと叱ってやらないといけない。まぁ勿論、僕の責任が一番多いだろうから今度しっかり反省しなければならない。
それにしても残念だ。
そのうち、探偵業の方で依頼が入ると思っていたが。
県警から本格的に依頼が来るのではないかとか、淡い夢があったりもしたのだが。
こんな形で『ピエロ』に関わる事になるとは思っていなかった。
しかし。
これは確かに認めなければならないと思う。
ここ二ヵ月半、生ぬるい生活を送ってしまったが為、油断していた。どうしようもなくしょうもない生活が尾を引いたのだ。どうしても識乃ちゃんを恨む心を拭い去る事ができない。彼女さえ来なければ、もう少し適切な対処ができていたように思えた。
限りなく甘かった。不覚だった。
兎に角。
どんな形であれ、僕らは。
僕らは先制点を決められてしまったのだ。