逢魔が時の影踏みおにさ《灯点し時の影使い》
大型連休が過ぎ本格的な夏を前に梅雨の気配が外気に漂い始める時節の日暮れ時。さすがに人の出入りの疎らになり始めた理念的にも物理的にも広く開かれた門口の公立と思しき学校名の記された幅はあるが高さのない門柱の一方に背を預けて、青年は正門前に横たわる道を往来する人と車を見遣っていた。
襟足を丁寧に刈り込み、毛先に癖を遊ばせた長めのトップ、鮮やかに染め上げられた赤い髪に、裾周りがアシンメトリーなデザインのゆったりとしたパーカを纏う砕けたファッションは、学び舎と呼ばれる施設の入り口に立つには不似合いかと思われもしたが、さほど人目を集めることのないのは、自主自立自己管理を旨とされる成人年齢に達した学生や研究者の集う大学ともなれば珍しがるほどではないのかもしれない。
とはいえ、彼を学内で見かけた者もいないだろう。
彼の存在を知っているとすれば、当学の責任者と事務職員数名のみ。
彼は、年に一度ほど――依頼を受けて、そこに出向いていた。
『ケンゴ、そろそろか……?』
ゆらり…日が翳り茫洋とし始めていた青年の影が、くっきりと色を増すと大きく膨らみうごめいた。
「今年は、そう重いのはいないだろ」
時計を気にしながら校門を出て行く数人の学生グループの行く先を長めの前髪から覗くアーモンド形の目を眇めて見送りながら、青年は肩越しに伸びあがる二本の鋭利な突起を備えた禿頭の影を手の甲で小突く。不満げな唸り声を黙殺しつつ、視線の追う先には片側三車線同士が交わる立派な交差点。数年前の車道の拡張工事でキャンパスのすぐ傍らに誕生した十字路だった。
先ほどまで西日を受けてまばゆい中に車や人の影をくっきりと落としていた通りも次第に街灯の光がぼんやりと存在を主張し始めている。天然と人工の明るさが交じり合う刻限は、一般的にも交通事故の起きやすいと言われる時間ではあるが、ケンゴと呼ばわられた青年の目は、交じり合う道の真ん中にこんもりと盛り上がる薄暗い翳りを見とめていた。
彼の目に映るそれは、一輪咲きの植物のようだった。チューリップでもガーベラでもタンポポでもないが、誰もがなにがしか自分の知っている花を想像するだろう、地面に近い場所から伸びあがる葉の中央から天に向かう茎の登頂に大きな蕾を載せた、概念を模型化したような巨大な一本の花。
去年は、桜の樹に見えたと記憶している。重々しく黒々とした幹、はらはらと舞い散る影の花弁、ぼこりぼこりと波打つ根。幸い、横断中に転倒する者が常ならず多いと気にされ始めた段階で早めに依頼があり、彼が中心を狙って標を打ち込み、使役してる三体の影をもって割り砕いて散らした。
主要道路が整備されたことにより各方面に向かうバス停が交差点近くにまとめられ、学生を含めた関係者の動線もそちらにすっかり偏った。工事完了の翌初夏あたりから、小さな事故が見受けられるようになったが、最初の年は新しい道に不慣れなためと交通量が増えたためであろうと見做されていたらしい。翌年の初夏には事故の規模と件数が跳ねあがったため、諸々の調査の後に青年が呼ばれた。それから、予防を兼ねて定期的に声がかかる。
「学生さんも思うところは多いんだろうな」
人の流れが変わったこともあるが、特にこの時期に増え濃くなる淀みは、学校という施設――さらに言えば、難関校と評される施設の近くに顕著であると、青年は場数により把握していた。
気配は、年が明けてしばらくした頃と、大型連休の開ける頃にかけて、特に深まる。
入学して何を学ぶかが重要であるとはいえ、その学校に入れるか否かは現代において大袈裟な言い草でなく将来を左右する不安であり圧力でもあるだろう。さらに、入学試験に合格することを重大視しすぎて、いざ春を迎えて精神的に燃え尽きてしまっていることも、入ったはいいが想定と異なる現実に直面して戸惑ったり耐えられなかったりすることもままあり得る。
当人がそれと自覚することなく、気候のせいであるとか新しい環境に適応する際の疲労であるとか、納得できる理由を見つけて横目に遣り過ごす者もおそらく多いのだろうが。
「どっちも、それでいい」
いずれ、零れ落ち人々の暮らしの中で散らされてゆくのだから。
ただ時おり、『執着』が寄り集まって根をおろしてしまうことがなくもなく――根付いてしまうと、淀みを引き寄せ人々の日常では蹴散らせなくなり、障りを生じさせてしまう。
辻には、そういったものが溜まりやすい。
ジジッ……。
時間によって点灯するらしい、門柱に取り付けられたクラシカルなデザインの灯りがともる。
頭上からの明かりを受けた青年の足元に、黒々と浮かび上がった影が三つ。
三角に尖った立ち耳の獣の影と、鉤のような嘴を持つ猛禽の影、そして先ほどの頭部に二本の角を持つ筋骨たくましげな人型の影。
「お前たちだけで散らせるか?」
青年の疑問符には、三者三様の是が返される。
「行け」
ならば……と、青年が踵で地を打つ。
待ち侘びていたかの足元の三つの影は踊るように滑り出した――暮れ行く交差点へ向かって。
「『執着』も零していけるなら、それがいい」
街灯に照らされる十字路の真ん中、蕾を頂いた茎を折られ姿を崩していく陰りが見える。
また季節の巡る頃には、違う淀みが溜まってしまうのだろうけれど。
辻の真ん中は溜まりやすい。
溜まって凝って、障りとなる。
それを散らすのは、彼らの仕事だから。




