やけくそで灰かぶり
※ひたすらヒロインに都合の良いお話です
秘密の恋人だったクラウディオに、とうとう屋敷を逃げ出そうと告げられたあの日。約束の場所にやってきたのは、心待ちにしたクラウディオではなかった。シエラが恐怖で固まっている間にも、見るからにあれくれ者の男達がシエラを捕らえに掛かった。
「いやっ!離してっ!!クラウディオは…!!?」
「…ああ?クラウディオ?何言ってんだ、ねーちゃん。おらっ暴れるな、行くぞ!」
力の限りに暴れて逃げようとしても、シエラがかなうはずもない。口に猿轡を噛まされ、ズタ袋で体を覆われたあたりでシエラは意識を手放した。
◇
目が覚めるとそこはどこかの屋敷のようだった。あの男達はいない。命は助かったのだ。あれだけの荒っぽさだったのに、不思議にも体に痛むところは無い。
狭く簡素な小部屋のベッドの上、シエラは現状を理解しようと頭を働かせる。
「!!…クラウディオは…?」
クラウディオは約束の場所に来なかった。誰かに駆け落ちがバレて捕まってしまったのだろうか。まさかシエラよりも先にあの男達に襲われてしまった?それとも道を急いで事故にでも遭ったのだろうか。彼は生きているのだろうか…自分のことよりも先に彼のことばかりが思い浮かぶ。
自分はこれからどうなるのだろう。幸いにも、警邏隊が事件に気がついて助け出してくれたのかもしれない。救護されてここで眠っていた…流れとして矛盾しない。あの実家から逃げおおせたのなら、これからどうにか生きていくことだってできるはず。まずは住み込みの仕事を探そう。お金を貯めて小さな家を借りよう…
そんなことをつらつらと考えていると扉が開いた。
小間使いらしき少女と水気の多い中年の女。少女の方はパッと目を輝かせ、中年の女の方は真っ赤な唇をにっと持ち上げる。
「これはこれは、いい稼ぎ手になってくれそうで」
「………え?」
「あら?あなた…実家の借金のためにここに来たのでしょう?………まさか聞いていないの?」
「……借金?そんなものはないはずですが…」
事態が飲み込めず困惑するシエラを二人とも困ったように見つめている。
ややもあって、先に気を取り直した中年の女の方が話を進めにかかった。
「……嫌がっていたから無理に連れてきたと聞いてはいたけど……まあ、大丈夫よ。ここは手荒なお客さんは来ないから。皆さん、お行儀よろしいの。そういう意味じゃあ、あなたは運が良かったわね」
「………ここはもしかして、娼館なのですか…?」
「………ええ、そうです」
どうやら自分は駆け落ちに失敗した上、娼館に売り払われてしまったらしい。目の前が真っ暗になりかける。でも、そう簡単にはさせてもらえないのだ。
「それじゃあ、今日から早速初仕事です」
「…え!今日からですか?…わたし、何も知らないしできませんけど…」
「……問題ないわ、そういう娘が良いと言う方もいます。あなた、処女よね?」
「……はい」
そうこう話していると、再び扉が開く。付き人を二人連れた小柄なお爺さんが入ってきた。
「…………?」
「「……!!??」」
きょとんとするシエラに対し、女性二人はとてつもない緊張感を醸し始める。妙な間があく。
「…………………オーナーです。ご挨拶を」
「…はい。シエラと申します。今日からお世話になります」
お爺さんは一見優しげではあったが、人を圧倒してしまう強く冷たい雰囲気を持っていた。しげしげとシエラを観察している。目の奥をのぞき込まれ、丸裸にされてしまったような気分になる。しかし、目を逸らせない。そしてこういう時、目を逸らしてはいけないものなのだ。
「……そうかい。…力まずやるようにね」
「…はい。心に留めます。ありがとうございます」
「うんうん、君の名前は…そうだな、ディーナにしよう」
貞操の危機、待ったなし。しかし、シエラにはなぜかまだ希望があった。何としても貞操を守り抜きクラウディオのもとへ戻らねばならぬという使命感に燃えていた。
◇
「…じゃあ、しっかりおめかししてから部屋にお連れしてね」
そう言うと、小間使いの少女以外は退室していった。少女・クラリスは手際よくシエラの髪を結い上げて薄化粧を施していく。すべてがシエラを置いたままものすごい速さで進んでいく。そのせいでシエラは自分のことなのに第三者のような気分になっている。
「……できました。それでは参りましょう」
はっと正気に戻った時、シエラはすでにベッドの端に腰掛けていた。すでに俎上の魚。このままでは操を失ってしまう!!いけないいけない、呆けている場合ではない。とにかくこれから来るであろう客に、この娘では無理だと思わせて帰ってもらうしかないだろう。それか死んだふりか…はたまた…とシエラが混迷する脳で考えを巡らし、ぐるりと確認するように見た部屋の真ん中。
「は!‥‥暖炉の灰!!」
あれを顔に塗りたくって老婆のようにパッサパサになっていたら、相手もその気を無くすかもしれない!シエラにはそれが今できる最善の策に感じられた。現実逃避。窮すれば鈍する。
暖炉の前に膝をついたシエラは、両手で灰を掬い集め、息を大きく吸って止めると、勢いで顔に灰をパフパフとはたきこんだ。そうすると、顔の水分がどんどん灰に吸い取られ、手も顔もパサパサになっていく。余分な灰は落としながら、入念にこすりつけていく。口の中に少し灰が入り苦い味がひろがる。
一生懸命に灰を塗り終わった後、その苦味がシエラを急に現実に引き戻した。手も顔も灰だらけ。見る影もない。
なんで自分はこんなことを‥と急激に熱が冷めていく。一体自分は何をやっているのか。初仕事だからと用意された純白のナイトドレスも裾が灰でパサパサとして台無しになっている。シエラの形の良い額に冷や汗が滲んだその時、ガチャリと扉が開かれる音。
「まずい‥‥」
入室してきたその人が、ドアを静かに閉めた。そして、暖炉前に膝をつくシエラに視線を向ける気配。シエラは硬直した。灰を塗った両手がそのまま行き場も無く、顔の横で止まっている。
「‥‥‥‥‥‥‥!!?なっ‥何をしている!?」
灰まみれの手が見えたのだろう。至極真っ当な意見のもと、男が駆け寄ってくる。この男が自分の初めてのお客となるのだ。思わずそうなってしまったであろう大きな声に、シエラは再び硬直するが、男が厳しくも心配そうな表情なのを読み取り、何とか返事をする。
「こっこれは‥‥‥魔が差して‥‥‥‥」
「いいから顔を洗うぞ!目に入ったらどうする!?」
「ひゃっひゃい‥‥」
ズンズンとひっぱられ、ベッドの側、ウォッシュスタンドの上に用意されていた洗面器の水でバシャバシャと顔を洗われる。灰だけでなく薄化粧もすっかり落ちて、無防備な素顔が晒されてしまった。そのまま、二人ともベッドの端に座る。
「‥‥‥‥」
シエラは自分の行動の全てが、急激に恥ずかしくなってきた。いたたまれない。顔を赤くしながら俯く。
「なんでいまさら恥ずかしがるんだ、君は‥‥」
世話焼きらしい優しい手つきで再び顔を拭われた。自然な動きで遊び毛を耳に挟まれて、ますますシエラは恥ずかしくなってしまう。耳まで熱くなってきているのを感じる。
「目は大事だよ‥俺が言うと説得力があるな」
そう、その男には片目が無かった。正しく言うなら、何か鋭いもので引っ掻かれたような大きな傷が、顔の左側を走っている。左目もその時失ったのだろう。瞼の皮膚が、瞑られたまま赤く盛り上がり、引き連れている。もう開かれることのないだろう瞳。傷は額を通り越し、頭の方まで到達していた。よほどのことがあったのだろう。
「‥あ、あなたは‥軍の方ですか?それで、目も?」
これが初めてだから、シエラはよくわからないけれど、娼婦とそのお客がベッドに座っていてこんな色気の無い雰囲気で良いのだろうか。
「あ?ああ‥軍というより近衛だな。まあもう辞めたが‥」
「そうでしたの‥‥あの、一体何が?」
「‥‥‥」
男が眉間に皺を寄せて、重く神妙な空気が流れる。
「あっ…ごめんなさい。言いたくないなら大丈夫です」
「‥‥‥‥‥」
自分は話すことで時間稼ぎをしているのだろうか‥とシエラの頭の中によぎる。でも、これはそうとも違う気がする。
「‥‥‥そう言えば、お名前は?」
「‥‥‥‥キーファ」
「‥‥キーファ様」
シエラはキーファを促すように見つめながら、しげしげと彼を観察する。薄茶の髪は短く整えられている。顔には大きな傷があるけれど、キリリとして、それがかえって魅力になっているかもしれない。しっかりとして高く通った鼻筋はどこか高貴さがあり、近衛と言っていたから、やはり出自もしっかりしているのだろう。キーファは何も語ろうとしない。
「あの‥私、聞いているかもしれませんが、今日が初めてで‥‥無作法があったならごめんなさい。技術も手管もありませんし‥処女ですし…」
「‥‥そこまで言っちゃうのか、君は‥」
キーファが呆れたように笑う。シエラはやっと場が和んだ気がして安堵した。
「気にしなくて良い。……気にならないほうが変だろう。これは‥一年くらい前に熊にやられたんだ」
「熊?!でもその時期なら熊は冬眠しているはずでは‥?」
「ああ、でも極稀に冬眠しそこなうのがいるんだ‥‥上皇の狩猟に一緒に出た時だった。熊とかち合って」
「ま、まさかその熊と戦ったの‥?」
「‥‥そう。熊は追い払った。上皇も無事だった‥‥俺は大怪我」
キーファの体が一瞬強張った。
「そうだったの‥‥」
シエラはそれ以上何と言っていいのか分からなかった。キーファからは諦観が感じられる一方で、寂しさや悔しさも見え隠れしている。見えない涙を彼は流していた。だから、言葉にする慰めではあまりに虚ろな気がしてしまう。思わず硬く握られたキーファの拳に手を伸ばし包み込んだ。少し冷たい手の甲を優しく撫でてみる。肌を通して、悲しみが流れ込んでくる。
しかしそれは、大怪我を負ったことでも職を退いたこととも関係ないように感じられた。もう一度視線を投げてみる。一体何を心に秘めているのか。
「……実は、この怪我が原因で婚約が破棄になったんだ」
「そんな……」
「上皇は守りきった。褒章も爵位も、これからの人生も保証される。でも全部を失った気分だ」
「………それは、やるせないでしょうね」
「………まあね……それで君はなんで灰を?よっぽど嫌だった?」
「………」
「………いいさ、俺は今日付き合いで来てるんでね。……まあ、その上皇様のなんだが」
「え!」
まさか、あの妙に圧のあるお爺さんは…
「……見たい?」
「………そ、れはちょっと…お目汚しですわ、これでは…」
「ああ、そうだろうね。……それで?なんでこんなことを?」
自分から先に尋ねてしまったのだから、自分も答えなければならないだろうと、シエラは観念した。
「実は…恋人と、その、駆け落ちしようとして…」
「……………」
「……………それで、なぜかここに」
「それは……」
「…………」
「…………」
キーファの目に今度こそ憐れみが浮かんでいる。
「………言わないでください。本当はわかっているんです、まだ向き合えないだけで。彼の手引きで、きっと私は、ここに…」
「……とんだ悪党だな」
「……証拠はありません」
「………そうだが。君はそれだけでやっていけるのか?」
「え?」
「長いんだろう、こういうところの年季は」
「………」
「………」
「そうです、とても……」
年季は10年だと言われていた。でも、年季が終わっても借金が返せずに働き続ける女は多くいる。そしてなによりも。
「………私、たとえ年季が明けても帰れるところがないの。父が亡くなってから、継母とその娘3人に家を乗っ取られちゃって…」
「…え!そんなサンドリヨンみたいな話がほんとに?…じゃあ生家ではこき使われてた?」
「はい…鋭いですね」
そう、シエラは生家では家政婦同然だった。それにもかかわらず、義母姉たちはシエラの身なりにはとてもうるさかった。だから、眠る前に行う念入りな肌と髪の手入れには、なかなかの時間がかかったものだった。シエラの鼻の奥で、最後の仕上げに手に塗りつけるオイルの香りが蘇る。
その甘い香りと、約束の場所にこなかったクラウディオ…シエラの頭の中で、結ばれるべきではなかった点と点がとうとう結ばれてしまった。と、同時に、今になってようやく涙があふれ出てくる。
キーファも話を聞いて察したのだろう。何も言わずに手繰り寄せたシーツでシエラの涙を拭ってくれる。
「ぐずっ……ずみませんっ……急にどっときて……」
「……いいさ、泣けるときは泣いたほうが良い」
「はい…もうじわけありまぜん……ぐすっ」
涙はどんどん溢れてきた。鼻水と涙で顔はぐちゃぐちゃになってしまった。
「……あのっ!わだし…着替えてきますっ‥ちょっと待っていただけますか?」
キーファが突然の申し出に呆気に取られている間に、シエラは部屋を飛び出して、目が覚めたあの部屋へと駆け込んだ。
◇
「…………………」
「……申し訳ありません。お待たせ致しました」
シエラは一体何をしていたのか?
まず、顔と手をすっかり綺麗に洗った。クラリスがしてくれたように顔にお粉を叩き込み、薄く紅を差した。衣装箪笥の中にあった清楚なナイトドレスを拝借して、キーファのもとに駆け戻ってきたのだ。
「………いや、その…急にどうした?」
「泣いてすっきりしたら、前向きな気持ちになってきて……あなたの話を、聞いたからかもしれません。自分でもよくわからないの。もうここで頑張るしかないんだと思ったら、覚悟が決まったというか…そういうわけなので、お手柔らかにお願いします!」
シエラはかつてない晴れ晴れとした気持ちになっていた。クラウディオのことも継母姉のことも、はっきり言ってもうどうでも良くなっていた。目の前にいるのはもうそのどちらでもないのだ。過去は過去、今は今。実家はもう無いも同じ。キーファはまだ呆気に取られていて、その表情を面白く感じる余裕すら出てきている。
「………………君は、なんていうか…前向きだ」
「違います。もうそうするしかないだけですから。つまりやけくそです。………意外と…才能があるかもしれないし……」
「…………」
「………待ち合わせの場所にいたのは、見るからに怖そうな、荒っぽそうな男達でした。絶対に殺されると思いました。でも、こんな形でも私は生きています。……生きていてこそ、だから」
「生きていてこそ、か…」
「そうです。あなたもでしょう?」
「………そうだな」
「……………」
キーファが始めて小さな笑みをこぼした。シエラはただそれが嬉しいのだった。
「……………その、君は……養蚕に興味はある?」
「え?」
「……えっと、だから…」
「?」
「俺は…しばらくは都にいて、対熊用の訓練の指導をしたり熊用の武器開発をすることになってる。その後は故郷に帰って、まあ何もしなくても暮らしていけるが、多分生家の領地で盛んな養蚕に携わると思う。暇なのは苦手でね。……それで君は?養蚕に興味はある?」
シエラの故郷でも養蚕は盛んだった。あの蚕たちが出す不思議な香り。むにむにと太く白い芋虫たちが蠢く姿をじっと見ていると、そのすべてと目が合ったかのような気がして怖くなったことがあったけ。
「……あんまり」
シエラ、心からの言葉である。
「………そうか、じゃあ決まりだな」
「?」
「俺が君を身請けする」
「!?」
「……身請金は上皇に出してもらう」
「うそ!?それって……つまり、国家予算から?」
「……そうかもしれない。だが、それぐらいしてもらっても罰は当たらない…見ろ、この惨状を」
「……そうだけど…どうして?」
「……俺も少し前向きな気持ちになった。幸いにも体は動くし目も半分だけど見える。いつまでも腐っていじけていても仕方ない。残りの人生を君と過ごせたら……楽しそうだと思ってね」
「……変な人」
「だから、もう灰をかぶったりしないでくれ」
「………………はい」
「…そうだ、名前は?」
「………シエラ」
◇
「おおっ!」
「ああっ!」
「わしの勝ち!」
「もう!!」
主賓室へと入ってきたキーファを見て、上皇アルマン殿下がにっこりと笑み、マダムが右眉間に指先を沿えて俯く。クラリスはぱっと目を輝かせた。アルマンとマダムとクラリスはいつものように、カード遊びに耽っていたらしい。
「…………一体どういうことです」
「その妙にキリリと覚悟の決まった表情!!!ずばり身請けじゃな!??」
「………はあ、まあ」
「しかも……わし持ちじゃな!?」
「……さすがその通りです」
「ああっ!良い稼ぎ手になってくれそうだったのに…」
「よしよし。いや〜この娘ならと思ったんじゃが、やってくれおったわい」
「どういうことです?」
「もう二年近く経った。傷心のお前を元気づけられる娘を紹介したかったんじゃ」
話が飛びすぎである。つまり、シエラは上皇のおめがねに適ってキーファと引き合わされたのだった。
「……そうでしたか。変だと思いました。いつもならひたすらカードの相手をさせられるのに…」
「………惜しいけど……シエラのこと大切にしてあげてね」
「……もちろんです」
「……聞いてる?あの子、グンディーマの出身なのよ。なかなか肝が据わっているでしょう?殿下の眼圧にも負けず……え?同郷なの?」
「それは良かったな!キーファ!多分しっかりした身元の娘だろう。後でちゃんと確認しとくんじゃぞ」
「…ええ」
実は同郷だった二人。後にシエラは都での任務を全うしたキーファと共に故郷へと帰還した。クラウディオと共謀し色々悪事を働いていた継母姉は、シエラを売り払ってから一年ほど経った頃、先物取引ですっかり破滅して行方知れずになってしまったらしい。
そういうわけで、シエラの実家は放置されて廃墟同然に荒れ果てていた。二人はその家を直しながら静かに楽しく暮らし始めた。
結局、シエラは養蚕には全く感心が向かなかったが、その先にある絹織物には夢中になった。衣服全般に興味を示すようになり、キーファとの間に子供が生まれてからは、子供服に熱中し始め充実した人生を送った。
たまに喧嘩したりしながらも二人は楽しく暮らしましたとさ。
〜HAPPY END〜




