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大江戸八百八星膝栗毛

作者: 拝頼人
掲載日:2026/04/11

一、天から毟れ


「金が無い。どこを叩いても、埃と溜息しか出てこぬではないか」


 江戸城、老中御用部屋。田沼意次は、山積みになった勘定方の書類を忌々しげに睨みつけ、傍らで数珠を弄んでいた。幕府の蔵は底をつき、長崎の貿易もジリ貧。賄賂だ何だと世間は騒ぐが、その賄賂ですら国庫を潤すには程遠い。


「……源内。お主、何か良い案は無いか。このままでは、武士も町人も、共倒れになるぞ」


 部屋の隅、奇妙な歯車や磁石をいじくり回していた平賀源内が、ひょいと顔を上げた。


「へぇ? あっしに聞かれましてもねぇ。金ってのは足が生えて逃げるもんで。いっそ、天から閃きでも降ってくりゃあいいんですがね」


「天から……閃きだと?」


 意次の動きが止まった。その双眸が、夕暮れに染まる江戸の空、そのさらに高く、宵の明星が瞬き始めた虚空を見据える。


「……閃いたぞ。源内、金が無ければ、天から毟れば良いのじゃ!」


「……はい?」


 源内はポカンと口を開けた。


「お前が前から言っていた、あの『気球』とかいう袋。あれを使って空の果てまで赴き、星々に眠る金銀財宝を直接毟り取ってくるのだ。地上の民から絞れぬなら、神仏から奪うまで。これが真の重商主義よ!」

 

 源内は一瞬、呆気に取られたように意次を見たが、次の瞬間には膝を叩いて破顔した。


「ハッ、そいつぁ、最高にイカれてやがる! 星から金を毟る老中様なんて、前代未聞だ。面白い、あっしがその足を用意してやりますぜ! てぇへんだてぇへんだ、職人を集めなきゃならねぇ!」


 こうして、幕府の極秘事業「大江戸宇宙開拓」が産声を上げたのである。



二、大江戸大花火の如し


 数ヶ月後。品川の台場には、奇怪な巨体が鎮座していた。

 巨大な和紙と絹を貼り合わせた、漆塗りの熱気球「大江戸宙船おおえどそらふね」。その下には、頑丈な樫の木で組まれたバスケットが吊るされ、中央には巨大な酸素瓶が据え付けられていた。


「源内、これは何だ」


 意次が、目の前に差し出されたガラス製の丸い器を見て眉をひそめた。


「金魚鉢でさぁ、いや、特製の『宇宙鉢』って呼んで下せぇ。空の上は空気が無ぇらしいんでね。こいつを被って、この牛のなめし革で作ったホースを空気瓶に繋げば、あら不思議、金魚みてぇに息ができるって寸法よ」


「武士が頭に金魚鉢を被れと申すか」


「格好つけて窒息するよりはマシでしょ。さぁ殿、防寒着を着込んで、いざ出発だ!」


 気球の下で、源内が改良を重ねた「巨大エレキテル発生装置」が唸りを上げる。摩擦熱によって熱せられた空気が和紙の袋をパンパンに膨らませ、宙船がゆっくりと浮き上がった。


 台場を埋め尽くした野次馬たちが、空飛ぶ巨大な提灯を見上げて叫んだ。


「たまやぁー!」「鍵屋ぁー!」「田沼様、金を持って帰ってきておくれー!」


 江戸っ子たちの歓声を受けながら、宙船はぐんぐんと高度を上げていく。富士の山が小さくなり、空の色が藍から漆黒へと変わる。やがて、団扇をパタパタと仰いで姿勢を制御していたからくり人形たちが、ガタリと動きを止めた。


「……源内、団扇が効かぬぞ」


「へぇ、どうやらここが『宇宙』って場所らしいですな。空気がねぇから、風も起きやしねぇ」


 意次が金魚鉢越しに窓の外を見た。そこには、静寂に包まれた無辺の海が広がっていた。



三、星巡り


「団扇が効かぬなら、どうやって進むのだ。このままでは漂流ではないか」


「案じなさんな。こういう時のために、あっしが計算しておきました。見てくだせぇ、あそこに手頃な隕石が浮いてるでしょう?」


 源内が指差した先には、馬車ほどの大きさの岩塊が、ふわふわと漂っていた。


「宇宙ってのは、水の中みてぇなもんですよ。何かを蹴飛ばせば、その分だけ前へ進む。さぁ殿、出番ですぜ。バスケットの縁を掴んで、あの岩を蹴り飛ばすんです!」


「うむ、心得た!」


 老中田沼意次、齢を忘れてバスケットから身を乗り出し、金魚鉢を被ったまま、流れてきた隕石を思い切り踏みつけた。


「ぬんっ!」


 ゴン、という鈍い衝撃。岩は反対方向へ飛んでいき、代わって宙船がフワリと前進を始めた。


「おお、進む! 進むぞ源内!」


「そら、次はあっちの岩だ! 岩が無い場所はバタ足ですぜ! えい、やぁ!」


 漆黒の宇宙空間で、二人の男が必死に足をバタつかせ、時折流れてくる隕石を「飛び石」のように蹴り飛ばしながら進む。精密な航法など無い。ただ、欲と好奇心の赴くまま、彼らは銀河を「歩いて」いった。

 最初に辿り着いた月は、意次を落胆させた。


「……ウサギも居なければ、かぐや姫も居らぬ。ただの、荒れ果てた岩場ではないか」


「ま、そんなもんでしょう。一応、旗だけ立てときやしょうぜ。殿の名前入りのやつを」


 意次は忌々しげに、田沼の家紋が入った旗を月面に突き刺した。


「次だ、源内。次はもっと景気の良い場所へ行け」


 次に向かった赤い星では、意次の目が一変した。地表を覆う見渡す限りの赤錆。


「源内、これは鉄だ。見渡す限り、全てが鉄ではないか! これさえあれば、日本中の刀も、農具も、銭も、いくらでも作れる。今度来る時は、もっと巨大な気球を用意せねばな」


「へぇ、あっしもこの赤い砂から新しい顔料が作れそうで、ワクワクしますぜ」


 二人は空になった酸素瓶の一つに、火星の砂をパンパンに詰め込んだ。



四、茶色い星の錬金術


 さらにバタ足で進むこと数ヶ月。二人の前には、全てを飲み込むような巨大な縞模様の惑星、木星が現れた。


「てぇへんだ。こいつぁ、今までの星とは格が違う。吸い込まれたら最後、二度と戻れねぇぞ」


 源内の言葉通り、木星の強力な引力が宙船を引き寄せる。だが、源内は震えながらも、その瞳に科学者の狂気を宿していた。


「……殿。あの渦巻いてる空気、あれを見てくだせぇ。あれはただの雲じゃねぇ。燃える空気、つまり『燃料』の塊だ!」


「燃料だと? あれを毟れるのか?」


「毟って見せますとも! あっしの作った特製の蛇腹ポンプの出番だ!」


 源内はバスケットの底から巨大なふいごを取り出し、宇宙空間に突き出した。木星から吹き上げる超高速のエーテル流――水素とヘリウムの混じった強風を、力任せに気球の予備袋へと吸い込んでいく。


「吸い込め、吸い込め! これさえあれば後で楽が出来ますよっと」


 袋はパンパンに膨れ上がり、宙船は木星の重力圏をギリギリで脱出した。



五、銀河の放屁


 そして、土星の美しい輪を目の当たりにした時、ついに限界が訪れた。

 金魚鉢のガラスが、自分たちの吐く息で白く曇り始めている。酸素瓶の中の水は枯れ果てていた。


「……源内。そろそろ、息が苦しいのぅ」


 意次が、金魚鉢を指で拭いながら言った。その声には、不思議と満足感が漂っていた。


「左様で。あっしも、膝が棒のようでさ。せっかくここまで来たんだ、土星の輪っかの氷で冷やした酒を一献やりたかったんですがねぇ……」


「では、そろそろ帰るとしようか?」


「へぇ、帰りましょう。……殿、今度は上様(将軍)もご一緒にですな?」


「ふん、上様は乗り物酔いをされるからな。わしがしっかり、宇宙の渡り方を教えて差し上げねばなるまい」


 意次は、遠く離れた地球、その片隅にある江戸の町に思いを馳せた。


「さぁ、源内。帰りはどうする。またバタ足か? それでは江戸に着く前に、わしらは干物だぞ」


「いいえ。木星で仕込んだ、あの『燃える空気』を使います。ちょっとばかり、お下品な帰り方になりますがね」


 源内は、気球の後方に突き出した巨大なノズルの栓に手をかけた。


「いきますぜ! 大江戸流、銀河放屁ぎんがほうひ航法だぁ!」


 栓が引き抜かれた。

 瞬間、木星で詰め込んだ高圧のガスが、猛烈な勢いで後方へ噴射された。


「ぬおおおおおっ!?」


 衝撃で、意次の金魚鉢がガタガタと震える。宙船は、まさに巨大な屁を放り出したかのような推進力を得て、漆黒の闇を弾丸のごとく突き進んだ。


 火星を瞬きする間に通り過ぎ、月を横目に追い越し、青い地球が視界いっぱいに広がってくる。


「源内、熱いぞ! 金魚鉢が熱い!」


「堪えてくだせぇ! 空気瓶の水をぶっかけて冷やしなせぇ! 江戸はもうすぐそこだ!」


六、帰還


 天明四年。品川沖に、巨大な黒焦げの布が落下した。

 駆けつけた役人たちが目にしたのは、頭に割れた金魚鉢を被り、全身煤だらけになりながらも、堂々と浜に降り立つ二人の男の姿だった。


「……殿! どこへ行っておられたのですか! 行方不明になってから三ヶ月、幕府は大騒ぎで……!」


 役人の問いに、意次は鼻で笑い、懐から火星の赤い石を取り出した。


「少し、空の先まで集金にな。……源内、金魚鉢は返してやる。次はもっと頑丈なやつを作れ」


「へい、今度は金剛石ダイヤモンドでも埋め込んでやりやしょうかね」


しかし、彼らが夢見た「宇宙開拓による財政再建」が成ることはなかった。


 その直後、浅間山の大噴火による天明の大飢饉、そして政敵による弾劾。田沼意次は失脚し、後を継いだ松平定信は「寛政の改革」という名の、徹底した保守と倹約を強いた。

「空を飛ぶなどという贅沢な狂気の沙汰、断じて許されぬ」


 源内の図面は焼かれ、宙船の残骸は「見世物小屋のガラクタ」として処分された。意次と源内が命懸けで見た土星の輪も、火星の鉄も、すべては「狂人の戯言」として、歴史の闇へと葬り去られたのである。


 次に人類が宇宙に赴き、その静寂を破るには

 ソ連のユーリ・ガガーリンや、月面に降り立つアームストロング船長を待たねばならない。


 だが、現在でもNASA(アメリカ航空宇宙局)では、公然の秘密として語り継がれている伝説がある。


 月面の静かな海、アポロ十一号が着陸したそのすぐ傍らに、色褪せた、しかし誇らしげな「田沼家の七曜の旗」が岩に突き刺さっていたことを。


 そしてそれを、全人類の夢を壊さぬよう、そっと「見なかったこと」にしたことを。


 それは、科学の常識をバタ足で踏みつぶし、金魚鉢一つで銀河を駆けた、最高に間違いだらけで、最高に粋な江戸の男たちの足跡だったのである。

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