第ニ話 【決断】
タツヤはスマホを取り出して、コンビニ前にも関わらず、少し強引に画面を向けてくる
タツヤが見せてきたスマホの画面は、正直に言って、ひどいものだった。
画質は荒れ、音声は途切れ途切れで、画面の端には常にノイズが走っている。
誰かが編集した切り抜き動画らしく、再生時間は三分にも満たない。
「これ、例の事件のやつっす」
タツヤは軽い口調で言った。
「正式名称とか無いんで、こうゆうの好きな界隈じゃ
“消えた廃病院配信事件”なんて呼ばれてるっす」
「まあ、ほとんど都市伝説っすね」
ミサキは、少し距離を取って画面を覗き込んだ。
映っているのは、懐中電灯の光に照らされた廊下。
壁に貼られた、剥がれかけの掲示物。
そして、そこを歩く数人の男女と、荒い息遣い。
たしかに私に似た人物は写っているがハッキリとは分からない。
—— 見覚えがある、はずなのに、心が理解を拒否する。
「地下は存在しなかったって、警察も発表してるんで」
「死体も未発見。行方不明者も、正式にはゼロ扱い」
タツヤは淡々と続ける。
「だから、作り物だって言う人も多いっす」
「でも……」
彼は、動画のコメント欄をスクロールした。
《声の数がおかしい》
《途中で名前呼ばれてる》
《消えた人、最初からいなかった説》
文字の羅列が、ミサキの胸をじわじわと締め付ける。
「……これ」
思わず、声が漏れた。
「?」
「この場面……」
言葉が、続かなかった。
知っている。
でも、それが“自分の記憶”だと断言できない。
「ミサキ、無理しなくていい」
サラが、静かに割って入った。
「こういうの、見せ方次第でいくらでも怖くなるから」
「……サラ先輩」
ミサキは小さく頷いた。
そうだ。
これは都市伝説の話しだ。
誰かが面白がって消費するための、作り話。
——そう、思おうとした。
「心霊動画を見せてるわけじゃないっすよ」
「六人組の動画配信グループが、廃病院の探索配信の痕跡だけ残して忽然と
いなくなる」
「それに、警察や報道も入ってるのに何も情報無しなんじゃ、僕らみたいな 都市伝説マニアが湧いてもおかしく無いですよ」
タツヤは興奮気味に早口で捲し立てる。
「たださ」
サラは、動画から視線を外し、考えるように言った。
「その都市伝説。“話しの構造”がちょっと気になる」
「話しの構造、っすか?」
「うん。」
「神隠しって知ってる?」
タツヤが面白そうに身を乗り出す。
「神隠しのルーツは、神様が人間を隠すってだけじゃないの」
「その対象は広くて、例えば……人間が神様をってパターン」
「え、そんなんありっすか」
タツヤは前屈みになって少し大袈裟に驚いている。
サラは、掛けていた眼鏡を掛け直して神社の境内で話した時と同じ口調で
続けた。。
「日本神話って、意外と“いないことにされた神”が多いの」
「記録から消されたり、名前を伏せられたり」
「後戸の神、って言葉がある」
「表に出ない、裏側の存在」
ミサキの背中に、冷たいものが走った。
「しかも、この事件……」
「ただの失踪事件とはどこか合わない」
サラは眉をひそめる。
「いなくなる、じゃなくて消えるに近い」
「なんだか、それは“外”すぎる」
その一言が、妙に引っかかった。
「仮に、神隠しに例えて話しを続けるなら、禁足地。」
「禁足地?」
ミサキは、サラの顔を見返す。
「そう。民間伝承や日本神話にもある禁足地は、人間が立ち入っちゃダメな 場所ってこと」
「そういった場所は神隠し伝説の記録が多いの」
「有名なところだと千葉県にある八幡の藪知らずとかっすよね」
タツヤが目を輝かせて得意げに言う。
「うん。俗に言う心霊スポットだって、曰く付きの歴史がある場所だって
基本は土地に縛られる」
「日本の神様だってそう、全国の神社は、その土地と密接に関係してる」
「でもこれは、そうじゃない感じがする」
「私も趣味で神社巡りするくらいだから、それくらいの歴史とか曰くを調べ たりはしてる」
「だから知識からくる勘に近いけどね」
サラは、言葉を探すように少し黙った。
「名前を呼ばれることで、こちら側に寄ってくる存在」
「でも、呼ばれてはいけない……」
ミサキは、無意識に喉を押さえた。
「そういえば」
タツヤが、唐突に話題を変えた。
「これ、噂で出てたんすけど」
彼は、リュックから小さなノートを取り出した。
手帳サイズ。
黒い表紙。
角が少し擦れている。
ミサキの呼吸が、一瞬止まった。
だが違う、同じものではない。
「事件の中で、こういうノート持ってた男がいたって」
「知識担当、みたいな」
サラが首を傾げる。
「それ、その知識担当が持ってた本物なの?」
「かも、しれないっすね」
「僕も手に入れるのに苦労したっすよ」
タツヤはノートをミサキに見えるように持ち替えてチラッと表情を伺う。
「でも、内容がちょっと変で」
タツヤはノートを開いた。
中には、文字とも記号ともつかない走り書き。
日本語に似ているのに、意味を成さない。
線が重なり、ページの端で歪んでいる。
ミサキは、思わず一歩近づいて、無意識に手を伸ばした。
触れた瞬間。
——冷たい。
いや、違う。
冷たいと感じた“気がした”だけなのに、喉が締め付けられる。
「……っ」
「ミサキ?」
サラの声が、遠く聞こえた。
ノートの文字が、わずかに揺れた気がした。
——呼ばれる。
理由もなく、そんな言葉が浮かぶ。
ミサキは、慌てて手を引っ込めた。
「ごめんなさい……ちょっと、気分が」
「無理しないで」
サラは、すぐにノートを閉じさせた。
タツヤは、どこか楽しそうに二人を見ている。
「ごめんね、私も夢中で話して、配慮が足りなかった」
サラは、ミサキの肩を摩りながらタツヤから距離を置いて足早に歩く。
はっとして小走りで近づいてきたタツヤが雑に小さな紙を差し出す。
「なにか思い出したら連絡下さいっす、ナンパじゃないんで」
タツヤという名前と電話番号だけの簡素な名刺だった。
その後、家までサラが一緒に同行して、玄関前で別れた。
——その夜。
ミサキは、自室でスマホを開き、地図アプリを起動した。
東京郊外。
例の廃病院。
曖昧な記憶を頼りに検索すると、候補はいくつか出てくる。
でも、ピンの位置が微妙に違う。
拡大すると、ズレる。
戻すと、また違う場所になる。
「……なんで」
何度やり直しても、定まらない。
その時、ふと気づいた。
——行こうとしている。
答えがあるかどうかなんて、分からないのに。
危険だという理屈も、十分理解しているのに。
それでも。
「……確かめないと」
小さく呟いた声が、部屋に吸い込まれた。
その瞬間、背後で、気配が揺れた気がした。
振り返っても、何もない。
でも、ハッキリと分かった。
——もう、見られている。
廃病院は、“行かれるのを待っている”のではない。
思い出されるのを、待っている。
ミサキは、スマホを伏せたまま、しばらく動けずにいた。
廃病院へ行く、という話は、決断としてはずいぶん前に終わっていた。
問題は、その日までの時間だった。
決めてしまったあとから、妙に現実が重くなる。
—— 翌日。
仕事も、日常も、何事もなかったかのように進んでいくのに
頭の片隅だけが、常に同じ場所を向いている。
あの場所。
名前は分からなくても、分かってしまう場所——




