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境界を呼ぶもの 後編 -認識災害-  作者: ミッチー


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1/7

第一話 【再導】


————————————————————



ミサキは、朝の電車が嫌いになっていた。


人が多いから、という理由ではない。


むしろ、静かすぎる時間のほうが、落ち着かなかった。


吊り革を掴みながら、窓に映る自分の顔を見る。


寝不足のせいか、少しだけやつれて見えた。


—— ちゃんと、戻ってきた。


そう思おうとした。


—— あれから数ヶ月の時が経とうとしている。


ただ、記憶は曖昧だ。


覚えてはいる、なのに、ハッキリとしない。


廃病院、配信、喪失感、そして……。


—— 東京郊外の介護施設「なぎさ園」


築年数はそこそこだが、手入れは行き届いている。


廃病院とは、まるで違う。


ミサキは、そう言い聞かせるように、玄関をくぐった。


「おはようございます」


—— いつも通りの挨拶。

—— いつも通りの返事。


それだけで、少し安心する。


数ヶ月の休職期間を経て職場復帰したが、その理由は聞かれなかったからか誰にも詳しく話していなかった。


ただ、復帰時に施設長へ夜勤に変更を嘆願した。


夜勤を選んだのも、「人が少ないほうが向いてると思って」と言っただけだ。


半分は、本当だった。


夜は、音が少ない。余計な情報が、入ってこない。


それが、ありがたかった。


申し送りを終え、ミサキはフロアを一巡する。


眠っている利用者。


テレビをつけたままうとうとしている人。


どれも、見慣れた光景だ。


ただ——


どこかで、「見ている側」と「見られている側」の認識が混濁した気持ちになっている気がした。


気のせいだ。


そう思う。


仕事をしていると、人はどうしても、境目を意識してしまう。


—— 起きている人。

—— 眠っている人。


—— 話せる人。

—— 話せなくなった人。


—— 生きている。

—— これから、そうでなくなる。


それを支える仕事なのだから。


詰め所に戻り、記録端末を開く。


入力内容は、特に変わらない。


《 食事介助、問題なし • 転倒なし • 夜間不穏、軽度 》


淡々と、事実だけを書き込む。


その時、カーソルが、一瞬だけ、勝手に動いた、ように感じた。


ミサキは眉をひそめる。


古いシステムだ、誤作動くらい珍しくない。


画面を閉じようとした時、一行だけ、見慣れない文字が目に入った。


【観— 対象:——名、—— 加 。】


閉じる直前に、一瞬だけ見えた文字列。


どの時間帯にも、どの担当者にも紐づいていない。


ただ、それだけ。


ミサキは、深く考えないようにして、記録端末を閉じた。


仕事は、問題なく終わった。


夜が明け、施設を出ると、空は白んでいた。


—— 何も、起きなかった。


その事実が、少しだけ、怖かった。


帰り道、ミサキは喉を押さえた。


理由は分からない。


ハッキリとしない記憶、ただ思い出したくない記憶。曖昧な記憶。


あの日、あの場所で身体が覚えてしまった。


恐怖や不安を感じると喉を押さえてしまう癖、のような。


ただ、喉が“麻痺するような感覚”が強く残っている。


家に戻り、バッグを置いたとき。


底のほうから、硬い感触がした。


取り出してみると、手帳サイズのノートが一冊、入っている。


見覚えのある、傷のついた表紙。


「……ない、はず」


声が、掠れた。


いつから、持っていたのか分からない。


でも、“最初から入っていた”ような気もした。


ミサキは、まだ、それを開かない、考えない。


首を強く横に振って、意識の方向を変える。


今は、日常に戻った“はず”なのだから。


—— 翌日


夜勤中のフロアは、昼とは別の建物みたいに静かだった。


照明を半分落とした廊下に、空調の低い音と、どこかの部屋から聞こえる

寝息だけが漂っている。


ミサキは詰め所の椅子に腰を下ろし、記録端末を確認した。


—— 深夜二時。


巡回までは、まだ少し時間がある。


—— 静かすぎる。


そう思った瞬間、無意識に喉へ手が伸びていた。


「……ミサキ?」


声をかけられて、はっと顔を上げる。


サラ先輩だった。


凛とした顔立ちに眼鏡を掛け、肩まで伸びる髪をラフにまとめた姿は

いつも通り無駄がない。


足音一つ立てずに近づいてくるところも、いかにも彼女らしい。


「大丈夫? さっきから、ちょっとぼーっとしてる」


「すみません……」


ミサキが小さく頭を下げると、サラはため息混じりに笑った。


「謝らなくていいって。夜勤はね、そういう“隙”が出ると一気に

 持ってかれるから」


「座ってな。私、巡回行ってくるから」


そう言って、サラはチェック表を片手に立ち上がった。


背中が、妙に頼もしい。


ミサキはその背を見送りながら、胸の奥が少しだけ軽くなるのを感じていた。


—— この人がいると、現実に戻れる。


そんな感覚があった。


—— 休憩時間。


自販機の前で、二人並んで紙コップのコーヒーを飲む。


「ミサキさ、今度の休み、空いてる?」


唐突に聞かれて、ミサキは少し考えた。


「……一応、大丈夫ですけど」


「よし。じゃあ決まりね」


「え?」


サラは当然のように言った。


「神社に行こ。最近ちょっと気になるとこあってさ」


「神社、ですか?」


「うん。私の趣味なんだ」


「カフェも近くにあるし、気分転換になるよ」


ミサキは一瞬、断ろうとした。

 

でもなぜか、その言葉が喉で止まった。


———— 神社。


その単語に、胸の奥が微かにざわつく。


「……行きます」


自分でも意外なほど、素直な返事だった。


サラは満足そうに頷いた。


「決まり。じゃ、夜勤終わったらシフト確認しよ」


——— それから数日後の休日。


街外れの小さな神社は、観光地でもなく、人もまばらだった。


鳥居をくぐった瞬間、空気が少し変わる。


ひんやりとして、でも不思議と息がしやすい。


「ここ、派手じゃないけどさ」


「祀ってる祭神が古事記とかの神話で、結構面白い位置づけなんだよね」


サラはそう言いながら、境内をゆっくり歩く。


「神様って、“守ってくれる存在”って思われがちだけど」

 

「実際は、もっと曖昧で、理不尽で、人に近いの」


ミサキは黙って聞いていた。


「名前を呼ばれることで、存在が強くなる神もいる」

 

「逆に、名前を隠されてる神も多い」


その言葉に、ミサキの足が止まった。


「……名前を、呼ぶと?」


「うん。呼ぶことで“こちら側”に近づくって考え方ね」

 

「だから、神名…、俗に言う真名は隠す」


サラは軽い調子で言ったが、ミサキの耳には、妙に重く響いた。


「ミサキ?」


「……あ、ごめんなさい」


しばらく沈黙が続いたあと、ミサキは、ぽつりと口を開いた。


「……私、少し前に……変な体験をして」


それは、告白に近かった。


廃病院のこと、地下のこと、あの夜の一連の事件。


ただ、少しだけ曖昧にぼかした。


それは自分でもハッキリしない記憶になっていたからだけではなかった。

 

ただ ——

—— 友達がいたこと

—— その友達が、いなくなったこと

—— 自分だけが、気づくと戻ってきたこと


それだけを話した。


サラは、途中で遮らなかった。


最後まで、真剣に聞いていた。


「……そっか」


短く、そう言ってから、優しく言葉を続ける。


「それ、無理に整理しなくていいよ」


「覚えてなくても、怖かったって感覚だけ残ること、あるから」


ミサキの目が、少し潤んだ。


「一人で抱えなくていい」


「少なくとも、今は」


その言葉に、救われる気がした。


その後は神社の参拝をして、近くにある喫茶店へ行く。


久々に休日らしい時間を二人で過ごした。


その時もサラは神社での話しはしなかった。


学生時代の話、家族の話。職場の話。


あの件以来、久しぶりに日常を感じていた。


時間も夕方近くになり、帰宅することになった。


その途中、コンビニ前で突然声をかけられた。


「すみません、消えた廃病院配信事件のミサキさんっすよね?」


振り向くと、見知らぬ若い男が立っていた。


筋肉質で、大学生の風貌。

 

人懐っこい雰囲気。どこかで見たような笑顔に感じた。


「……はい?」


「やっぱり!」


「俺、タツヤって言うんすけど」


唐突だった。


「実は、都市伝説調べてて」

 

「ちょっと前に話題になった、“消えた廃病院配信事件”って知ってます?」


胸が、強く脈打つ。


「……知らないです」


嘘ではなかった。


知っているようで、ハッキリとは思い出せない。


タツヤは悪びれもせず笑った。


「そっすか」


「でも、動画に出てた顔と同じですし」


「それに、ミサキさんの名前、コメント欄にあって」


—— コメント欄。


その単語だけが、やけに鮮明だった。


「もし、何か覚えてたら」


「話、聞かせてほしいっす」


彼の目は、どこか楽しそうだった。


そして、ほんの一瞬 ——


ミサキは思った。


この人、最初から私に会いに来た。


理由も、目的も、まだ分からないまま。


だが、確かに。


歯車は、また動き始めていた ——————



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