第八章「崩壊序曲・後編」
(回想――数日前の密会)
「では、手順の確認を。これは『第一段階』です」
イリスは指を一本立て、淡々と説明を始めた。
「まず、手駒にした主治医を使い、いくつか薬を手に入れてください」
「何を手に入れればいいの?」
「『強力な睡眠薬』と、即効性の『毒物』です」
不穏な単語にも、セレスティアは眉一つ動かさない。
「睡眠薬は私が受け取ります。そして毒物は……あなたが持つのです」
イリスは手振りで示す。
「毒をワインと混ぜ、割れやすい薄いガラスの小瓶に入れて、懐に忍ばせてください。そして食事の最中、毒を盛られたふりをして、テーブルの上のものを派手にぶちまけて倒れるのです。その衝撃に合わせて、懐の小瓶を割る」
「……主治医はこちら側なのだから、ただ倒れて、彼に『毒が盛られた』と診断させればいいだけでは?」
セレスティアの疑問に、イリスは首を振る。
「念には念を、です。もしかしたら、その場の誰かが毒の有無を確かめるかもしれない。例えば、銀食器を変色させるような古典的な方法で。その時、実際に毒が検出されなければ、すべてが狂います」
「なるほど。完璧な『被害者』になるためには、本物の毒が必要というわけね」
「そして、実行犯役が必要です。あなたの側仕えのメイド……彼女の部屋に、公爵家の指示で毒物を手に入れ盛ったという証拠を偽装します」
「でも、毒を盛った犯人がそんな証拠をわざわざ残すなんて、偽装を疑われないかしら? あからさま過ぎるわ」
「それでいいのです」
イリスは断言する。
「これには、その後のための利点が四つあります」
イリスは指を折って数え上げた。
「一つ。あなたを『毒殺未遂の被害者』に仕立て上げることで、王女であるあなたを犯人候補から完全に除外する」
「一つ。その後、被害者であるあなたが真相解明のために動き回っても、誰も不自然に思わない」
「一つ。犯行現場が王城内の食事である以上、犯人は『城の中に入れる者』『王家に近づける者』に限定されます。これは後々、互いを疑心暗鬼にさせ、王家と貴族たちの亀裂に繋がる」
そして、イリスは四本目の指を立て、声を低くした。
「一つ。毒を盛った犯人が公爵家と繋がっているという証拠が見つかれば、たとえそれが偽装臭くても、公爵家を調べざるを得ない。少なくともその間は、公爵家の動きを止め、介入を防ぐことができます」
セレスティアは考え込むように顎に手を当てた。
「先の三つはわかるわ。でも、そこまでして公爵家の介入を防ぐのはどうして?」
イリスの瞳に、明確な警戒の色が浮かぶ。
「あのエレオノーラ公爵令嬢の聡明さは異常です。早い段階でこの件に本格的に関わってくれば、これが単なる暗殺未遂ではなく、『王家と貴族の離反工作』であると見抜かれる可能性がある。そうなれば、私たちが次の段階に進む前に真相まで芋づる式に発覚しかねません」
彼女を盤面から遠ざけるための、あからさまな餌。それが今回の偽装工作の本質。
セレスティアは納得したように深く頷いた。
「よくわかったわ。……それで、肝心の『実行犯役』のメイドはどうするの?」
イリスは表情一つ変えず、事務的に答えた。
「彼女には――行方不明になっていただきます」
そこで一度言葉を切り、イリスは次の計画へと話題を移した。
「王女毒殺未遂で、城の中は混乱に陥るでしょう。その隙を利用してもう一つ策を仕掛けます」
彼女の瞳が、冷たく光った。
「王子には、この場で完全に退場してもらいます」
「退場……?」
「ええ。騒ぎの隙に、私が書いた手紙を王子の部屋へ届けさせます。彼が食いつきそうな文面……例えば『革命勢力と公爵家が裏で繋がっている。私を助けることでその証拠を手に入れられる』といった内容のでっち上げを」
セレスティアは感心したように目を丸くした。
「それは兄の被害妄想を刺激するわね。でも、それはただの嘘でしょう?」
「はい。ですが追い詰められ、さらに公爵家を脅威に感じている王子なら必ず食いつきます」
イリスは肩をすくめた。
「王である父に謹慎を言い渡されている以上、部下を使うことはできない。ならば自分で直接動くことになる。城の者の目を避けるために秘密の通路を使って」
イリスは頷き、視線を部屋の扉――現在は見張りの兵士が立っている場所へと向けた。
「あらかじめ、私は『食事が喉を通らない』ことにして、配給された食事を見張りの兵士に分け与えます」
セレスティアは、別荘に入る時の兵士とのやりとりを思い出した。
「ああ……彼らの士気の低さを考えると、いけないと分かっていても職務の『役得』として喜んで受け取るでしょうね」
「そこに、あなたから預かった睡眠薬を含ませます。彼らが眠ったのを確認し、私はこの別荘を抜け出します」
そして、イリスは王女の目をまっすぐに見つめた。
「そのタイミングで、セレスティア様には『実行犯役』にする予定の、あの盗癖のあるメイドを、この別荘へ呼び出して欲しいのです」
「『特別なお使い』と言って、報酬をちらつかせれば喜んで来るわ。……それで、彼女をどうするの?」
イリスは瞬きもせず、淡々と答えた。
「私の手で、殺害します」
セレスティアの笑顔が消え、表情が氷のように固まった。
部屋の温度が数度下がったような静寂。
だが、イリスは構わず続けた。
「彼女の遺体を別荘に運び込み、私と彼女の衣類を交換し、私は顔を髪で隠したりして変装します。そして、眠っている兵士ごと別荘に火をつける」
「……」
「そうすれば、火事を見て駆けつけた人々は、ノコノコやってきた王子を見つけ、彼が犯人だと誤認するでしょう。私は混乱に乗じてそのまま姿を消します」
イリスは結論を口にする。
「これで、『イリス・アッシュ』は死んだことになり、公爵家に引き渡されることもなく、私は自由を手に入れられる」
「……手紙を受けて、兄が必ずやってくる保証はないでしょう? もしかしたら、怖気づいて父や母に手紙を見せるかもしれないわ」
セレスティアの指摘に、イリスは首を振った。
「それでも構いません。たとえ王子が来なくとも、先ほど申し上げた利点の一つは残ります。『犯人が城の中の者、王家に近づける者であり、その目的が王家を貶めることだ』と思わせることは可能ですから」
そして、もし王子が来れば、彼は社会的・政治的に抹殺される。一石二鳥の策。
セレスティアは、計画の残忍さよりも、目の前の同年代の令嬢が持つ「底」に興味を抱いたようだった。
「……あなたに、人が殺せるの?」
セレスティアの問いに、イリスの瞳に暗い影が落ちた。辺境での敗戦、難民としての逃避行、貴族社会への帰還。その過程で彼女が何を見て、何をしてきたか。
「王都に辿り着くまでに、私が何をしてきたか……お教えしましょうか?」
その声の冷たさに、セレスティアはぞくりとした感覚を覚えた。
それは恐怖ではなく、自分と同じ種類の闇を見つけた歓喜に近い。
「……いいえ、今はいいわ」
セレスティアは妖艶に微笑んだ。
「この計画が成功した時に、じっくり教えて頂戴」




