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炎へ堕ちる〜王女と男爵令嬢の国崩し〜  作者: ゆりんちゃん


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第十二章「悪夢の予感」

 城内の資料室。埃とインクの匂いが混じる閉鎖的な空間で、公爵令嬢エレオノーラは山積みの資料と格闘していた。


 父である公爵が、謹慎明けに陛下から直接聞き出した真相。それは、公式発表よりも遥かに深刻で、奇妙な歪みを孕んでいた。


 ――王女毒殺未遂と、実行犯のメイドの失踪。

 ――男爵令嬢の焼死と、その現場で捕らえられた第一王子。


(王子は犯行を否定し、我が公爵家に嵌められたと主張している……。おそらく王家も、本気で彼が犯人だとは思っていないのでしょう)


 エレオノーラは羽根ペンを回しながら思考を整理する。


(城内に広まった「王子犯人説」への対策と、これ以上彼に余計な真似をさせないための隔離措置として、牢へ入れた。……王家の判断としては妥当ですわ)


 厳重な城の警備をかいくぐり、毒を持ち込み、別荘に火を放つ。その犯行の手際は、プロフェッショナルそのものだ。それに比べて、メイドが残した手記や、手紙を使って王子を現場に呼び出すといった「罪をなすりつける工作」は、あまりに稚拙で杜撰すぎる。


(まるで、わざと騒ぎを大きくし、私たちを混乱させ、何から目を逸らさせようとしているかのような……。何か「大きな力」が働いている)


 そして王子が持っていたあの手紙の内容。『公爵家が革命勢力と繋がっている』と書かれていたことには、確かに彼らを使った策謀があったため、どこから情報が漏れたのかと肝を冷やした。だが、いくら調査しても男爵令嬢と革命勢力との繋がりは一切掴めなかった。そのことから、あの手紙は「革命勢力との繋がりを知らずに、ただ王子を誘い出すためだけにデタラメに書かれたもの」だと結論づけた。


 だが、気になるのは王子が謹慎させられていたこと、そして男爵令嬢のいる場所を正確に知らなければ書けないということだ。城内の何者かが関わっている。そのことをわざわざ証拠として残すような手段を取ったことにも、違和感がある。


「エレオノーラ様、ご指定の資料をお持ちしました」

 文官が新たな書類の束を抱えて現れた。エレオノーラは顔も上げずにそれを受け取り、さらに紙に走り書きをして突き返した。

「ご苦労様。次はこのリストにある資料を持ってきてちょうだい」

「は、はい……」


 彼女が今行っているのは、王家と貴族の関係の徹底的な洗い直しだ。忘れられた因縁、隠された血縁、そして財務報告書。この大きな流れを作っている「何か」は、その規模からして王家や貴族に近い力を持っていることは明らかだ。ならば記録を辿っていけば、それを見つけ出せるかもしれないと思ってのことだ。


 それらを紐解くうちに、一家の視点だけでは見えなかった、国の全体像が浮かび上がってきた。


「……これは、なかなか深刻ね」

 エレオノーラは思わず呟いた。そこにあるのは、国の「末期症状」だった。


 税収が落ちているのに、歳出の見直しを一切せず、単純に新たな税目を設けて補填し続けている。異常気象もないのに、作物の収穫量が国全体で減り続けている。中央は海外からの輸入を増やして対応しているが、辺境領の輸入量は横ばいだ。

(辺境貴族たちは「収穫が減った」と嘘の報告をして税を逃れ、実際には作物を裏で売買するか、溜め込んでいる……)


 そして何より、多くの帳簿で明らかな改ざんの形跡があるにも関わらず、それが指摘され、修正された記録がない。自浄作用の喪失。腐敗の常態化。そしてそのことを、誰も変えようとしない、疑問にも思わない。


(自分も、このようなことがなければ当然のこととして、何も考えなかったかもしれない……)


 また、辺境から王都周辺に流れ込んできた貧民たちによるスラム街が年々広まり、どこからかやってくる薬物の蔓延、暴動もまだ数は少ないが発生している。国という巨大な船は、既に沈みかけていたのだ。


「エレオノーラ様。そろそろお時間です」

 見張りの兵士が、無機質な声で告げた。

「……そうですか」


 エレオノーラは小さく息を吐き、立ち上がった。資料を抱えて戻ってきた文官に、短く指示を出す。

「続きはまた明日、来た時に見ます。準備をしておいて」


 エレオノーラは資料室を後にした。未曾有の事態を受け、城内の警備は厳戒態勢にある。それは大貴族である彼女とて例外ではなく、滞在場所や時間の申告と厳守が徹底されていた。


 兵士に先導され、長い廊下を歩いていた時だった。

 ドンッ!

 と、何かが倒れるような大きな物音と、怒鳴り声が響いた。近くにある、ある伯爵の執務室からだ。


「いい加減にしろ! 貴様ら、礼儀というものを知らんのか!」

「我々は王家から特命を受け、動いているのです。邪魔立てするならば、捜査妨害とみなしますよ?」


 怒号に対し、若く、傲慢な声が返ってくる。


(……また、ですの)

 エレオノーラは眉をひそめた。これはここ数日、城内で頻繁に見られる光景だった。


 セレスティア王女が中心となり立ち上げた、一連の事件の「特別調査チーム」。彼らは王より直接特別な権限を与えられ、被害を受けた王家を除くあらゆる場所、あらゆる人物を調べることができる。問題はそのやり方だ。彼らの横柄で乱暴な、まるで強盗のような振る舞い。調査理由自体は正当なものであるため、表立って反論する者はいない。だが、多くの貴族たちが内心で煮えくり返るような不満を抱えているのは明らかだった。


(事態の大きさを考えれば、多少の強引さは必要でしょう。けれど……彼らはやりすぎている)


 無用な摩擦は、新たな火種を生むだけだ。

(お父様に進言して、調査チームのやり方を少し抑えてもらうよう、陛下に伝えていただきましょうか)

 それが受け入れられるかはわからない。だが、筆頭貴族である公爵家が「苦言を呈した」という事実を作ることが重要だ。そうすれば、貴族たちの不満の矛先が公爵家に向くのを防ぐことができる。


(不満……)


 その時、エレオノーラの思考に何かが引っかかった。不自然なほど増幅されていく、城内の苛立ち。まるで、城という巨大な「壺」に、「不満」という名の油が、並々となみなみと注ぎ込まれているような感覚。


(もし、この壺が満タンになった時……そこに火を点けられれば、どうなる?)


 エレオノーラは背筋が凍るのを感じた。それが目的? しかし、誰が、どうやって、何のために?


「……駄目ね。頭の中がこんがらがっているわ」

 エレオノーラは小さく頭を振った。

「家に帰って、少し休んで整理してみましょう」


 彼女は不安を振り払うように、足早に廊下を去っていった。その背後では、まだ貴族の怒号と、調査員の冷笑が響き続けていた。

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