第一章「断罪の広間」
凍てつく緊張が謁見の間を支配していた。
玉座の国王テオバルト・フォン・アルテンブルク、その傍らの王妃イザベラ。
そして一段低い席で、静かに本を閉じた王女セレスティア。
居並ぶ重臣たちが見守る中、対峙する二つの影。
第一王子アレクシオス。その隣には、庇護を求めるように寄り添う男爵令嬢イリス・アッシュ。
彼らが憎悪の視線を向ける先に、公爵令嬢エレオノーラ・フォン・アルテンフェルスが一人、静かに佇んでいる。
「エレオノーラ。アルテンフェルス公爵夫妻はどうした。召喚に応じぬとは不敬であろう」
アレクシオスの声には苛立ちが滲む。
エレオノーラは優雅に一礼。
「両親は多忙な身ゆえ、代理として私が参りました。この程度の『召集』に、わざわざお二人の手を煩わせるまでもございませんでしょう」
「なっ……!」
まるで茶番だと言わんばかりの物言いに血が上がる王子を、玉座の王が冷ややかに制した。
「アレクシオス。召集の理由を述べよ」
アレクシオスは待っていましたとばかりに声を張る。
「父上、母上、並びに御前の方々!我が国を蝕む大罪を、今ここで断罪します!」
アレクシオスはエレオノーラを指差す。
「エレオノーラ・フォン・アルテンフェルス!貴様の一族は、国家反逆にも等しい罪を犯している!」
謁見の間がどよめく。
だがエレオノーラは「身に覚えがございませんわ」と涼しい顔のまま。
「まだ惚けるか!」
アレクシオスはイリスから書類の束を受け取り、高らかに掲げる。
「これは公爵家が管理を任された王家の銀鉱山の産出量を偽り、利益を他国へ横流ししていた決定的な証拠だ!帳簿と証言、全て揃っている!」
王子は王に向き直る。
「父上!私は公爵家の罪を告訴すると共に、この者との婚約破棄を正式に要求いたします!」
エレオノーラは憐れむような目で王子を見、イリスを一瞥する。
「アレクシオス様。もしその『証拠』が間違いであった場合、ご自身の立場がどうなるか、ご理解の上での発言ですわね?」
扇が彼女の白い喉元を隠す。
「今ならまだ、そこの男爵令嬢に唆された哀れな被害者として、手打ちにいたしますが?」
「黙れ!証拠はここにある!」
エレオノーラは王子を無視し、玉座の国王へ視線を送る。
王は黙して事の成り行きを見つめているだけだった。
(……なるほど。陛下はこの告発劇をご存知なかった。しかし、なぜこのような愚行をお止めにならないのかしら)
「どうやら反証はできぬようだな!」
勝ち誇るアレクシオス。
(念のためと思って準備しておいた手段を、使わざるを得ないようですわね)
そう考えると、エレオノーラは持っていた扇をパチンと畳む。
その音を合図に、重臣たちの間から一人の女性文官が進み出て、新たな書類の束を手渡した。
「そのような稚拙な偽装で、我がアルテンフェルス家を貶められると本気でお思いでしたか?」
エレオノーラは冷たく言い放ち、書類を王子に突きつけた。
「一つ。これは殿下が『証人』に公爵家追放後の利権を約束したという、宣誓済みの証言書」
「一つ。これは銀鉱山の収支に一切の問題がないとする、会計院お墨付きの監査報告書」
彼女の視線がイリス・アッシュを射抜く。
「そして一つ。――そこの男爵令嬢が、王家と貴族の離間工作を謀る『他国の間者』であり、その接触記録をまとめた調査書ですわ」
エレオノーラはアレクシオスに向き直る。
「何か反証はございますか、アレクシオス殿下?」
アレクシオスの顔面が蒼白になる。イリスは微動だにしない。
「――もう良い」
重い声が響いた。
国王テオバルトが玉座から立ち上がり、二人の間に進み出る。
「アレクシオス。お前の負けだ」
王は息子に背を向け、エレオノーラに深く頭を下げた。
「エレオノーラ嬢。我が息子が貴家に冤罪を着せようとしたこと、王家として謝罪する。可能な限りの望みを叶えよう」
「陛下のお言葉と、この後の『適切な対応』さえ頂ければ、十分でございます」
エレオノーラは恭しく応える。
「王家の名誉にかけて、関係者への厳正な処分を約束する」
王は衛兵に合図した。
「父上!話を聞いてください!彼女の証拠こそ偽装なのです!」
「黙れ、愚か者めが」
王の声は冷徹だ。
「なぜこのような愚行に及んだか、別室で聴取する。次第では、王位継承権の剥奪も覚悟せよ」
アレクシオスは絶望に膝を折り、衛兵に引きずられていく。
王は次にイリス・アッシュを見る。
「他国の間者を名乗る者、王家と貴族を裂こうとした罪は重い。牢へ連行せよ」
衛兵に腕を掴まれ、イリスは抵抗することなく静かに連行されていく。
――茶番だ。
一部始終を玉座の脇から見つめていた王女セレスティアは、内心で吐き捨てた。
(どちらも互いを貶めるための偽装証拠。権力と金、どちらがより巧妙な『嘘』を用意できるかの比べ合い。そして裁定者が父上)
(この国は、根の先まで腐りきっている)
彼女は連行される男爵令嬢に一瞬、同情の視線を向けた。
愚かな兄に巻き込まれた哀れな駒――そう思った瞬間、セレスティアは目を見開いた。
衛兵に引かれていくイリス・アッシュと、一瞬だけ視線が交わった。
(……同じだ)
そこにあったのは、恐怖でも絶望でもない。
全てを諦念し、世界そのものを憎悪する冷え切った暗い瞳。
――それは、セレスティアが毎朝鏡の中で見ている自分自身の瞳と、全く同じ色をしていた。




