定番のトラック事故イベントは、もう終わっちゃったんだけど
帰宅した俺を待っていたのは、居間に広げられた山のような書類だった。
「さあ、これにサインして!」
母さんが差し出してきたのは、金糸で縁取られたやけに豪華な羊皮紙だ。俺はそれを手に取り、隅から隅まで目を通す。主夫の目は、特売チラシの裏にある極小サイズの注釈すら見逃さない。
「……母さん。これ、一番下は何が書いてある?」
「え? えーっと、ただの形式的なものよ? あんまり気にしなくていいわ」
「『本契約を締結した者は、アクアベール家の全債務を継承し、三姉妹の生活費を永久に保証するものとする』……これ、借金肩代わり承諾書じゃないか」
「バレちゃった、テヘッ!」
この親にして俺あり、か。異世界にいるという三姉妹も、たぶん一筋縄ではいかないだろう。
「いいか、俺は財布の紐を締めに行くだけだ。会ったこともない血の繋がらない姉妹の面倒を、無条件で見るつもりはない。あとこの書類、なんで全部『血』が必要なんだ。朱肉でいいだろ、不衛生だ」
「ルールなんだから仕方ないじゃない。魂の認証が必要なのよ。私たちだって転生して転移してめちゃくちゃなんだから、朱肉なんて意味ないわよ」
俺は溜息をつき、母さんの持ってきた怪しい書類をシュレッダーにかけたい衝動を抑え、自前のボールペンで修正を始めた。
「まず、姉妹への生活費は定額制にする。実績に応じてボーナスは出すが、基本は俺の承認制だ。それと俺の世界間移動。これは二人でなんとかしろ。その女神様にお願いして、絶対に戻れるようにしておけ。どんな世界か分からない以上、すぐに戻って来れるようにしておきたい」
「ソウタ、大丈夫よ。私がなんとかしておくから。安心していってらっしゃい」
「口約束なんか信用できるか。とりあえず誓約書に判子をついて持ってこい。話はそれからだ」
「ホントかわいくないなぁ」
「かわいいだけで家計が守れるなら、今頃この家は黄金で建ってるよ。ほら、親父も判子出せ」
小一時間ほどかけて、俺は『異世界転出に関する特別合意書』を作り上げた。
両親は「思ってたのと違う……」という顔で机に突っ伏している。
元勇者と元聖女が事務作業で完敗している姿は、なかなか滑稽だった。
「よし、手続きはこれでいい。……で、どうやって行けばいい? 定番のトラック事故イベントは、もう終わっちゃったんだけど」
「ああ、あれはお前の頑丈さが証明されただけだからな」
親父が立ち上がり、リビングのテレビをどかした。
テレビ裏の壁紙には、古めかしい魔法陣が描かれている。
「本来は女神様にやってもらうんだが、あの方は色々と口うるさいからな。この魔法陣に乗って、お前が魔力を流せば、勝手に異世界のアクアベール家に転移するはずだ」
「……おい女神様に確認しなくて大丈夫なのか。正直、全く信じられないんだけど」
「大丈夫だ、トラックに勝ったお前ならどこでもやっていけるさ。どうしても自分で確認したかったら、転移する時に会うはずだから自分で聞いてみろ」
俺は、魔法陣の真ん中に立った。十五年住んだこの家とも、しばらくはお別れだ。
転移の日のために、両親は既に異世界側で準備を整えてくれているらしい。衣服から日用品まで揃っているというから、手に持っているのは三姉妹用のお土産だけだ。中身は見ていないが、彼女たちがリクエストしたものらしい。
「ソウタ、娘たちをよろしく頼む」
「大変だろうけど、楽しく元気に、みんな仲良くね」
「……まあ、程々に頑張ってくるよ」
父さんと母さんが手を振る。
魔法陣が眩い光を放った。
視覚が白く染まり、身体が宙に浮き上がって、どこか遠くへ引き寄せられていく。
「言い忘れてた、娘全員にブラックカード持たせてるからな!」
「――っ、ふざけんなクソ親父ぃいいいいい!!!」
俺の絶叫と共に、世界が変わった。




