9 余談、それぞれの話
ここから番外編です。
★★★マーレー公爵★★★
王家に騙されたと怒りに震えていたマーレー公爵。蓋を開けてみればマーレー公爵家において最大の機密事項まで握られていた。
マーレー公爵も責任ある立場で、一つのスキャンダルによって王国民が苦しむ様など見たくはなかった。
まさか、アーサーが王妃と王弟、長年ライバル関係だったバーノン侯爵家までも引きずり降ろすことになるとは思わなかった。
「王太子殿下、次の貴族院では……」
現在マーレー公爵と王太子の関係は良好で、王国内の流通を整える傍ら、輸出入の交渉も同時進行で行っている。
マーレー公爵も一応納得した上で輸出入の議論も王太子寄りの意見を出す事にした。
「王太子殿下、河川の氾濫での復興は完全に終了いたしました。王国からの補助金も増額して下さったおかげです」
王家には例の騒動の他にも借りがあった。王国の制度として災害時には補助金が出るのだが、どうしてかそれが度々増額されていた。緊急で開かれた貴族院で王妃の提案を飲み込んだのには、その借りがあるという事実も頭の隅でちらついていたからだ。スザンナの婚約絡みだとは睨んでいたが現在まで続いており、宰相を問い詰めても決まったことだとしか言われなかった。
そのため、マーレー公爵は王太子に礼を言う他無かった。
王太子は機嫌が良さそうな表情をした。
「ああ、アレは浮いた金から出したものだからな。気にすることはない。そうか、復興が終了したのなら、何か式典でも開いたらどうだ。河川の多い国の要人を呼んでやろう」
浮いた金、とは何か予算を付けていたにも拘らず使われなかったものだ。大規模な河川の氾濫だった為にいくつかの王国の行事も規模を縮小していた。しかし、復興作業に従事する者への賞与や、被害を受けた者の家族への見舞金、といった細やかな条件を付けた増額もあった。誰かの意思を感じさせるような物だとは感じていたのだ。
「式典についてはもちろん。伝手があるのならお願いしたいと思います。しかし、浮いた金と言われましても、王宮の会計報告を見ても、あの金額はと思いまして」
「そこまで気になるなら教えてやろう。他の家門にはしないだろうからな。あの金はアーサーのものだ。アーサーは王宮で側近一人と専属護衛も一人しか付けなかった。近衛騎士も最低限、身の回りの事も自分で完結させて侍従もあまり使わなかった。まあ、あの立場なら誰も信用出来ないだろうから、付けられなかったと言った方が良いか。とにかく、その辺で人件費がかなり浮いた。それで、最低限の物だけ持って王宮を出たからな。現在も王宮から彼に金銭の援助はしていないから、そのままアーサーに充てられていた金を回しただけだ」
マーレー公爵は愕然とした。
「かなり若い頃から、彼の方が一枚も二枚も上手だったと言う訳か……」
表向きは王妃の派閥に寄り、裏では王太子に協力し、婚約者を蔑ろにしているように見せていたが補助金の増額を行っていた。アーサーはあの軽い調子の裏に何を抱えていたのだろうとマーレー公爵は考えていた。
「ところで、スザンナ嬢の方は順調か?」
王太子にそう聞かれてマーレー公爵は我に返る。
「はい。勧められたシュペルグで留学生活を楽しんでいると手紙が届きました。王子妃教育で世話になった外交官も良くしてくれているようで」
王太子はそれを聞いて吹き出したが、マーレー公爵は事態が飲み込めず困惑している。
「マーレー公爵、気にしないで欲しい。いや、女性というのは美しく、それでいて時に大胆で、偶に残酷だと思うことがある。まあ、今後外交でスザンナ嬢が活躍することを願うよ」
美しく、大胆、残酷というのは、マーレー公爵も夫人に対して感じたことがある。美しい妻だが、まさか公爵夫人という立場で不貞をするなんて、さらにそれによってスザンナを授かったことは直系主義だったマーレー公爵にとって残酷な結果を告げたのと同じだった。
一言二言、王太子と貴族院での議題を確認し、マーレー公爵は王宮を後にした。
★★★王太子★★★
「いやあ、結局あの外交官とくっつこうとしてるのか」
王太子が笑いを堪えられずにいると、側近が睨んだ。
「王太子殿下が失言するのではないかと思って気が気でなかったですよ」
「その外交官に見惚れたことが原因で、不貞の証拠に行き着いたことか?言ってみたかったがな」
補助金について告げた時の、マーレー公爵の様子を見るに、アーサーがそんな事をしていたなんて考えてもいなかったようだ。スザンナの留学先をわざわざあの外交官のいる国にしたのもアーサーだ。
アーサーから贈られた装飾された砂時計に視線を移す。砂時計を購入した広大な砂漠のある国は、これから王国と国交を結ぼうと話を進めているところだ。今度来るその国の遣いに、この砂時計を見せてみようと王太子は考えている。
★★★アーサー★★★
アーサーは仕事を一段落させると、外出の準備をした。
「アーサー様、これは?」
コナーはアーサーの机に置かれた、見慣れないワインボトルを指差した。
「ああ、誰かから送られてきたんだが、飲まない方が良いぞ」
「そういう飲み物でしたか。おや、開けたんですね」
「香りで分かるような粗末な代物だった。まあ、どの道送られてきたような物なんて口はつけないがな」
アーサーはワインボトルを処分させ、外に出るとルディが準備していた馬に乗った。
「ルディ、手土産は忘れてないな」
「もちろん、こちらに」
「コナー、夕食を頼んだ」
「かしこまりました」
アーサーとルディは馬で目的地まで向かった。
着いたのは古い塔だ。警備の騎士に声を掛けると中へ案内された。
「お久しぶりでございます、お母様」
「よくも私の前に顔が出せたわね!!」
王妃は側に置いてあった水差しを投げつけたが、アーサーの足元までしか届かず、ガシャンと音を立ててガラスが砕け散った。
「お元気そうで。それにしても、王妃としての権利は失っても、多くの伝手はお持ちのようで。訪ねてくる刺客やプレゼントが可哀想に見えますよ」
王妃はアーサーを睨みつけているが、それは肯定を意味している。
「ところで、最近僕はある実験をしているんですよ。これ、あなたなら知っているでしょう」
アーサーは懐から小さな箱を出すと、王妃に投げた。王妃はその箱を開け、ふんと鼻を鳴らした。
「ただの化粧品じゃない。毒でも仕込んだから使えとでも?」
「やはりあなたは愚かですね。それは国外からコリン男爵が大量に仕入れた化粧品ですが、金属が使われています。使い続けると、中毒症状で死に至るのですが、その様子だと何も知らなかったようですね。国外のいくつかの国は規制を始めたため、在庫を売り払ったのでしょう。そういった情報があるにも関わらず、都合の悪い事は無視して流通させた罪は重いですよ。ああ、もう裁かれた後ですけど」
王妃はアーサーの言葉を聞いても何も感じることはないらしく、平然としている。
「あなた方が可愛がっていた令嬢は、この化粧品でないといけないと言って、症状が出ているにも関わらず使用を続けています。もちろん忠告はしましたが、聞き入れられず、今朝も多量に塗っていたようです」
王妃はみるみる顔色を変えた。
「や、やめさせて!あの子は無知なだけなのよ!」
ヒステリックに叫ぶ王妃にアーサーは近寄る。足元のガラスがパキパキと音を立てて砕ける。王妃はアーサーの足元に縋り付いたが、アーサーの瞳は冷ややかな光を放っていた。
「そんなに可愛いんですか、あの子が」
王妃は大きく頷いた。
「もちろん!だってあの子は……あの子は私の……」
王妃がその先を言うことは無かった。室内に居た王妃の護衛が、彼女の口を布で塞いだからだ。
王妃は気を失い、ベッドに運ばれた。護衛がアーサーに説明する。
「王妃陛下は精神的に不安定ですから、医者からの指示でこうさせてもらいました」
「見舞いの品を渡しておく。ルディ」
ルディが護衛に包みを渡した。護衛は深々と頭を下げ、それを受け取る。
「お母様の精神状態を王宮へ報告するように。事実と異なる妄想を、さも事実のように叫び始めたと」
「はい。そのようでございます」
「お前は王妃に仕えて長い者だったな」
「王太子妃時代からでございます」
コナーはその護衛に一つのバッジを渡した。
「ここを去る時、それを使うと良い」
護衛はもう一度深く頭を下げた。
「アーサー様、良かったんですか?」
ルディがそう言うと、アーサーは鼻で笑った。
「どれの話だ?母の妄想か?」
「いえ、あのバッジは王太子殿下からいただいた物では?」
「ルディ、お前はあのバッジが何か分かっているか?」
「それはもちろん。王太子殿下に仕える者の証ですよね。あれを見せれば、王太子殿下の庇護下にある証明になると」
「だから、僕には要らないんだ」
王宮を離れる時、王太子がアーサーに渡したバッジ。王宮でそれを見せれば王太子の元まで案内される物だ。
「あの護衛の判断力は素晴らしい。王妃があの塔から出る時、彼が兄さんの所へ行けば、きっと良い助けになるはずだ」
ルディは、はあ、と間の抜けた返事をした。
「まあ、あの様子だと王妃も長くないだろうな」
痩せ細って皺だらけの王妃は、この数ヶ月でかなり年を取ったように見えた。
「どちらが先か」
アーサーは考えを振り払うように、馬の速度を上げた。慌てて追いかけて来るルディをからかいながら、屋敷へ帰り着いた。
アーサーは着替える前にフェデリカの部屋を訪ねた。
むせ返るような香水の匂いに、ルディは顔をしかめているが、アーサーは穏やかな表情を作った。
「やあ、フェデリカ。少し外に出ていたんだ。お土産の菓子を後で出してもらうからね」
ベッドで横になっているフェデリカの頭を撫でた。
「アーサー様あ、嬉しいですう。もう寂しくてえ」
アーサーはフェデリカの頭にキスを落とし、少しだけ話すと、部屋を出た。
速やかに私室に戻り、口を濯いで着替えをする。
「アーサー様、夕食はどちらで?」
コナーがそう聞くと、アーサーは食堂で皆と、と答えた。
「アーサー様が王宮騎士団に来なくなったせいで、騎士達の士気が低下していると苦情が来ていましたよ」
食事をしながら、コナーがアーサーに声を掛けた。アーサーは使用人達と共に食事を摂ることにしている。
「騎士の士気を上げるのも騎士団長の仕事だとでも言っておけ。そうだ、王太子妃に来てもらえばいいじゃないか。辺境流の稽古をつけてもらえばいい」
そうアーサーが言うと他の使用人達も笑っている。初老の侍女長が、そうだ、と言ってポケットからメモを取り出した。
「アーサー様、庭師から伝言なんですけどね、剣の稽古をする時は言ってくれって。剣が飛んできたら怖いから避けたいんだそうですよ」
「ああ、それは悪かったな。次から伝えるよ。ルディが」
「ええ!?言ってくださいよ、庭師に伝えるって」
「そこはルディさんがきちんと覚えておくところでしょう」
侍女がルディにぴしゃりと言い、また笑い声が響く。そこへ、フェデリカに食事を出していた侍女が食器を持って通り掛かった。
「ありがとう、フェデリカは何か食べられたかな」
「はい、スープと果物、ケーキを少し召し上がられました。アーサー様の手土産のケーキだと伝えると喜んでおられましたよ」
「それは良かった。何か必要な物があれば教えてくれ」
「はい、かしこまりました」
アーサーが食卓に視線を戻すと、使用人達はフェデリカの様子が気になるようで発言を待っていた。
「フェデリカは病状からして、幼い頃から積み重ねた何かの中毒症状のようだ。穏やかに過ごせるよう、彼女の部屋の窓から見える森の手前の場所には花壇を作ったから、美しくしておいて欲しい」
侍女長は涙もろいらしく、鼻水をすすった。
「あのように若い女性が可哀想に。お部屋の近くの廊下も、綺麗な花を飾っておきますね。お部屋を出た時に華やかな方が良いでしょうから」
「それは嬉しいな。彼女、僕の母とよく気が合うようで割と派手好きなんだ。今でも、化粧だけは毎日しているし、きっと華やかな方が気に入るだろう」
女性陣は一様に頷いた。
食事のトレイにも花を添えたりと、彼女達なりの気遣いをするという。
食事の後、アーサーは執務室でルディとコナーと、書類の処理をしていた。
「フェデリカについての報告書だ。ルディ、前回の続きに」
「はい、こちらですね。それにしても、驚きましたよ」
「何がだ?」
「いえ、王妃陛下と同じ様なお顔でしたよね。中毒症状による顔貌の変化でしょうか」
アーサーは腹を抱えて笑い出した。
「ルディ、お前まだ気付いてないのか!?ああ、面白い」
コナーはどちらかといえば呆れたような顔でルディを見ている。
「何がですか?え?何が?」
狼狽えるルディに、コナーがため息をついた。
「まあ、ルディなら気付かないでしょうね」
「コナー、説明してやれ」
「はい。ルディ、アーサー様と王太子殿下、普段の執務から何か気付き……気付かないでしょうね。アーサー様、もう言わなくて良いのでは」
「そうだな。自分で答えを見つけてもらおうか。ルディ、王宮で第二王子宮はどこにあった?王太子宮は?そして卒業式後にフェデリカが宿泊した場所は?それが答えを導き出すのに必要な情報だ。明日、答え合わせをしよう」
今日の仕事はここまでと言って、アーサーは私室に向かった。
★★★ルディ★★★
ルディは、自室で紙に王宮の見取り図を思い出しながら書いていた。国王の居住していた場所から一番近くに王太子宮。王妃宮は別棟になっていた。アーサーの第二王子宮は、国王達とは少し離れて文官達が使用する場所近くに用意されていた。フェデリカが宿泊したのは王妃宮だった。王弟は、王都に個人で構えた屋敷に住み、執務は第二王子宮近くだった。
「王弟と第二王子だから使う場所は同じ様なところでもおかしくない。フェデリカが王妃宮にいたのは、女性だからじゃないのか?派閥の違う王太子宮には行けないだろうし……」
暫く考えていたが、ふとマーレー公爵とスザンナが頭を過った。
「血縁者?」
住む場所をざっくり分けると、国王と王太子、王妃とフェデリカ、そしてアーサー。
そして現在、よく似た顔の王妃とフェデリカ。
「もしかして、え?いやまさか……」
そして、一つの答えを出した。
「答え合わせをしてやろうか?」
翌朝、朝食前に執務室に行くと、アーサーが機嫌良さそうに椅子に腰掛けていた。
「はい。ええと、王宮に住んでいた王族は三つの場所に分かれます」
ルディは昨夜の紙を出した。
「国王陛下と王太子宮、王妃陛下とフェデリカ様、そしてアーサー様。違和感が無かったのは、王弟殿下の使用していた部屋がアーサー様の部屋と近く、誰もがいつかはこの場所を引き継ぐのだと思っていたからでした。しかしよく考えてみれば、第二王子とはいえ王族であるアーサー様の寝室さえも、文官等が行き交う場所の近くにあることは危険でもあります。まるで、何かあっても仕方ないような配置でした」
次に、ルディは王妃宮を指差した。
「フェデリカ様が宿泊したのは王妃宮。これもよく考えればおかしな話で、王太子の婚約者が王太子宮に居るように、アーサー様のお近くにいるべきでした。そもそも、このような場所でなくても、王妃宮に第二王子宮を置くという手段をわざわざ取らなかったとも言えます。ですから、つまり」
ルディは結論を出した。
「この三つは血縁関係が近い人を纏めた物だと思います」
★★★アーサー★★★
アーサーは拍手を送った。
「ほとんど正解。まあ、王太子はちゃんと国王と王妃の子だよ。国の行く末は心配しないことだ」
「しかし、なぜそのような事に」
「王妃が産んだ、第二子は女児だった。しかし、国王の調査でその子は国王の子でないことが分かり、問い詰められた王妃はある男児と取り替えれば良いと提案したんだ。王女であれば、他国に王族として嫁ぐ可能性がある。しかし、血縁上王族でないことがバレるとまずい。王子であれば、適当な理由を付けて王位継承権を放棄させてしまえば良い。王女への婚約は断り難いが、王子であればもしもの場合のスペアだとして国内に置く必要があると言えば他国からの婚約話も容易に蹴られるからな」
アーサーは愉快に笑った。
「アーサー様は……」
「続きは後で教えるよ」
そう言って朝食に向かった。ルディは教えると言っても言われないままかもしれないなと考えていたが、朝食後に執務室でふとアーサーが言った。
「僕、本当は国王の隠し子だったんだ。母親は王妃の手にやられてもうこの世にはいないけど。兄さんの地位が上がることでバーノン侯爵家が力を付けすぎることを恐れて作っといた子だって母が言っていた。ああ、これを言ったのがどちらの母なのかはご想像にお任せするよ。結局、王妃には知られていて、第二子の女児と交換させる形で僕が表舞台に引っ張り出されたけどね。さあ、王女が誰かはもう分かるだろう。確かにそれと僕の間に子がいれば、間違いなくそれは王族の血を引くだろう。あり得ない話だけどね」
驚くルディとコナーに、いたずらっぽく笑いかけて、人差し指を口元に当てた。王太子も知らない秘密、と言って。
「ほんっとに!あなたって人は!」
「いやいやいや、ええ?いや、ええ?」
「ハハッ。そうそう、二人にこれあげとくよ」
やっと完成したんだと言って、アーサーは二人にバッジを与えた。
「良いセンスしているだろう?わざとらしく王妃リスペクトでルビーなんて入れたりして」
「王妃リスペクト」
「だってほら、一応は連帯責任で王族からの籍を外された仲だし?」
アーサーはバッジの出来に満足しているようで自分の分、と言って一つを手にして様々な角度から眺めている。
「こういうのはそれぞれ一点物で、売りでもしたらすぐばれるようになっているからね」
小声で、友情の証だとでも思って、と言うと、二人は涙ぐんでいる。
その様子を見て、アーサーは執務室の窓を開けた。心地良い風を感じながら、アーサーは瞳を乾かすことにした。
そんな背景もあったんだなーと思っていただければと思います。




