8 庭園の思い出【本編完結】
傷も塞がり、アーサーは王太子の訪問準備に忙しい。
「庭園が間に合いそうで良かった。コナー、食事会の準備は?」
「王都では手に入らない食材や料理をいくつか用意出来そうです」
「それで良い。ルディ、警備の方は?」
「はい!信用出来る傭兵団を見つけたので、依頼しました」
コナーとルディから詳細が記された書類を受け取り、確認していく。
執務室の扉がノックされた。
「ああ、ルースかな。入れて良い」
アーサーの予想通り、侍女のルースだった。
「王太子妃殿下の使う部屋についてかな」
「はい。問題なく準備できましたが、少し相談したいことがあります」
「ああ、何だ」
「フェデリカ様から、女性のお部屋には香水で香りを付けるようにと指示があったのですが、好みも分かりませんし、どのようにいたしましょう。フェデリカ様からこちらを使うように渡されたのですが」
ルディがルースから香水を受け取り、アーサーに目配せをする。質の悪い、香りのきつい物だった。
「フェデリカはその土地や珍しい化粧品があることを好むからそう言ったんだろう。しかし、王太子妃は洗練されたデザインを好むようだから、香り付けは避けよう。フェデリカの意思を尊重するには、花束を置いておけば十分だ。花に使う色の相談をしてくれるか。花束はテーブルに用意すればいい」
ルースは納得した様子で頭を下げ、執務室を出た。アーサーは呟く。
「そこに参加せずとも何かしら厄介事を起こす才能がある」
ルディとコナーが必死に笑いをこらえる。準備の為に使用人達が廊下を行き来する中、大笑いして会話の内容を聞かれては困るからだ。
準備は滞りなく進み、王太子夫妻が屋敷を訪れた。
「王太子殿下、王太子妃殿下、ご結婚おめでとうございます。コリン男爵領、領主代理のアーサーでございます」
久しぶりの正装に身を包んだアーサーは、王太子に跪き、挨拶をする。その美しい姿と所作は自己紹介の内容、ただの領主とは全く合致せず、遠くから見守る使用人達も感嘆のため息を漏らしている。
「立て。領地経営について確認しに来た」
アーサーは応接室に案内をする。
「商会の伝手で手に入れたお茶を用意しました。お菓子も、領地で収穫したばかりのフルーツを使ったジャムを添えています」
王太子が側近へ目配せすると、僅かに頷いた。出す前にしっかり毒見はされたようだ。
「いつの間に食通になったんだ」
「美味しいものと、それを料理してくれる腕の良いシェフがいるもんですから。商会も手広くやっているから、気になるならカタログをあげますよ。ああ、お土産の中に入れています。ぜひご贔屓に」
王太子はふうんと言って、領地経営の話を始めた。
「領地内でいくつかあった不正と、商会の違法取引の処理は?」
「どちらも罰則、契約終了済みです。全ての取引内容を書いた物を提出しますから、確認を」
ルディが書類の山を王太子の側近に渡した。
「執務室も見せてもらおうか」
「もちろん。僕の私室まで繋がっているけど、見られて困るものはないから構わないですよ。ああ、消耗品の補充をしてくれたら嬉しいかな」
「冗談はそれくらいにしろ」
王太子がため息をつき、側近に合図を送る。アーサーも、ルディに案内するよう伝えると、ぞろぞろと側近一行は執務室に向かって行った。
「消耗品くらいよいのでは?旅の途中でいくらでも補充する機会がありますから」
王太子妃エレナがそう言うと、王太子も渋々側近を呼び戻した。
「インクの補充くらいはしてやれ」
その後、領地や商会の内容を確認され、話題はフェデリカの体調に移った。
「少しずつ悪化しているという状況です。領地内にいる医者だけでなく、他から派遣してもらった医者に見せても、回復する兆しが見えない。体を起こすことが出来ず、食欲も落ちてきている。宮廷医が帯同していると聞いていますが、診てもらっても?」
王太子とエレナは頷いた。すぐに宮廷医が呼ばれ、侍女の案内でフェデリカの診察に向かった。
「ところでアーサー、随分と仲睦まじい様子だと聞いている」
「噂になっていましたか」
アーサーは思惑通りだったと内心笑った。王太子はアーサーとフェデリカとの婚姻にかけての事情を全て知っている。
「長い間共に過ごした情か?」
そう王太子が呟いたのを聞き、アーサーは笑いが出た。
「殿下、あの様子からやはり、私の予想の方が正しかったようです」
エレナは冷めた目でアーサーを見ている。
アーサーは紙に小さく絵を書いて二人に見せた。瓶と香が描かれているが、その瓶は睡眠薬として使われる形の物だ。
「話術と軽いタッチが基本だと、取引先の店主が教えてくれたよ。後はこれにお任せ」
その絵をトントンと叩いた。
二人は思わず笑い出したが、アーサーは至って真面目な表情でいる。
「こちらで困り事はないかしら。これはどの領地でも聞いている事だけれど」
アーサーはエレナの質問に即答した。
「医者が足りない。医者と言っても、風邪を治したりとかする町医者はいるんだが、怪我の治療をする者がいない。稀にある馬車の事故なんかが起きると正しい処置がすぐに出来ない」
「現状、誰がどのように対応している」
「僕が対応している。傷口を清潔にして縫って様子を見てやってるけど、商会の取引で不在の間に何かあっても対応出来ない。ここだけじゃなくて、近くの領地も同じだから、稀にここまで近くの領地から怪我人が運ばれてくる」
王太子は顎に手を当てて考えている。
「そうか。怪我の治療が出来る医者を各地に配置するのも手だな。利益の見込めない場所は王宮から補助金を出して医者の派遣するなど出来るか」
王太子がそう言うと、エレナも頷いた。
「現在医者自体少なく、その知識は限られた者にしか伝えられません。門戸を広げ、医者を増やすべき時だとは思っていました」
アーサーが要望は通りそうだとひと息ついた時、フェデリカを診察した宮廷医が帰って来た。アーサーは早速訊ねた。
「どうでしたか?」
「全身症状が出ており、治療は難しいかと。ただ、原因として思い当たることは、金属の中毒症状のようでした。趣味で金属加工をしていたり、それを口に含んだり、金属を含む化粧品なんかを使用されていたといったことはありませんでしたでしょうか。とにかく、それらを避けるくらいしか」
アーサーは頭を抱えた。
「コリン男爵の趣味で、金属加工の見学には幼い頃から行っていたと聞いたことがある。あと、化粧品は本人のこだわりで使用している。もしかしたら……」
宮廷医は気を落としたように見えるアーサーを励ました。
「旦那様の責任ではありません。体にとって有害な物が、蓄積されていったということですから……」
アーサーは気怠げな動作でお茶を飲んだ。宮廷医が退室し、暫くするとひょいと顔を上げた。
「そういう事らしい」
「アーサー、わざとだろう」
「再三、忠告はした。警告もした。選んだのは、彼女自身だ」
アーサーはそう言うと、空になったカップをテーブルに置いた。コナーが空かさずお代わりを淹れる。
その時ちょうど、側近達が執務室から帰って来た。
「どうだった?」
王太子がそう言うと、側近達は頷いた。何も咎められることは無いようだと、アーサーは安心する。
「それでは、自慢の庭園を案内しましょうか」
そう言って外に出る。
「基礎部分のデザインは変えていないんですよ。屋敷を建てた建築家が、庭園の形も考案したようで、ここも含めて一つの作品だと、代々の当主もそれは尊重していたようです」
王都にないような植物があると、アーサーは立ち止まって紹介した。王太子は時折側近と何か耳打ちしながらアーサーの話を聞いている。
「ここの気候だと実は付かないのですが、花は咲くんですよ。王都はここより涼しいので育たないと聞いています」
時間を使って庭園を散策していると、王太子が側近と護衛達に何かの合図を送った。エレナも侍女と共に離れた。
「人払いはした。それで、実際どうなんだ」
「どうって言われても、なるようになれとしか思っていないよ。多分フェデリカは近いうちに命を落とすだろうし、予定通りこの領地は僕が適当に治めて、その後王家の物になる」
「アーサーはそれで良いのか」
「もちろん。別に不満もないし」
王太子は短くため息をついた。
「王妃が送った刺客が来ただろう」
「ああ、あれは王妃のだったんだ。何で今更」
アーサーは鼻で笑った。既に王妃も王弟も王宮から出され、コリン男爵やバーノン侯爵と共に積み重ねた罪も公になっている。アーサー一人を始末してもどうにもならないだろう。
「大丈夫だったのか」
「もちろん。元気いっぱい」
アーサーは何回か飛び跳ねて見せたが、王太子は冷たい目を向けた。
「え、何?もしかしてコナーかな。それともルディ?」
「両方だ。騎士団長からは詰められるし、側近から小言をもらうし」
「二人とも心配性なんだよ。何て言ってた?」
「二人とも良い部下だな。その場に居なかったことを随分後悔していると。後は、お前が怪我したのにその怪我の程度も知らされなかったことも」
アーサーはくしゃりと笑った。
「だって恥ずかしいでしょ。本当は無傷で帰ったらかっこよかったのに。それに自分で手当て出来る程度の傷だし」
「脇腹二箇所に腕、肩、足に三箇所か?よく一人でどうにか出来たものだな」
「コナー、服を見たな……まあ、処分を頼んだ僕が悪いか。どれもそんなに深くなかったって」
「さっき、お前の私室から残り少なくなった痛み止めの瓶が見つかったそうだが」
「あ、見つけてくれた?補充しておいてよ。僕が仕入れると都合悪いだろ?領民の手当てにも使ってるやつだから、上手く誤魔化してよ。さっきの会談でもちゃんと僕が怪我人の手当てをしてるって話題に上げたんだし」
よろしく、と軽い調子で言うと、王太子は眉間に皺を寄せた。
「補充はしておいてやった。ただ無理はするな。王宮から派遣している町の警備に、近衛騎士の経験がある者を選んでおいた」
「過保護じゃない?大丈夫?」
「騎士団長と側近がやったことだ」
「責任転嫁じゃない?」
「それで、他には大丈夫か」
「うん。何ともないし」
アーサーはそう言いながら少し考えているようだ。王太子は、アーサーが何か言うのを待った。
「……そうだね。商会の仕事もそれなりに充実しているし、領民達ともそれなりに信頼関係が築けそうだから、時が来ればすんなり引き渡せるよ」
それに、とアーサーは続けた。
「料理の上手な頼りになる護衛と、ゲームはめちゃくちゃ弱いけど面白い側近が居るんだ。その友達がいるからここの生活も楽しいし多分飽きないんじゃないかな」
王太子はアーサーの表情を見て、ふっと笑った。
「お前が友人達と楽しく過ごせているのなら、それで良い」
王太子が指をぱちんと鳴らすと、離れていた者達が帰って来た。
「え、コナーとルディ、なんか泣いてない?人払いの意味は?」
「人払いしたのはこちらの人間だけだ」
「うわ、性格が悪い」
そう言いながらも、アーサーは穏やかな微笑みを止められなかった。
風が吹き、花と新しい土の匂いが混ざる。
「夕暮れ時の庭園も綺麗なんだ。特に、執務室からの景色がね」
アーサーは執務室にいても、窓を閉めることはもう無いだろうと思った。
ありがとうございました。
ここでお話は一区切りです。




