7 痛み
アーサーは無事に取引先との会合を終えて屋敷へ帰った。
「フェリ、元気にしていたかな?」
雇った男娼との相性も良かったらしく、勝手に外出や高価な買い物をすることもなく、屋敷内で生活出来ていたらしい。
「ええ、もちろん」
アーサーはフェデリカの頬に触れた。
「フェリ、ちょっと疲れた?」
「ええ、何だか気を張っていたみたい」
「そうか。お土産をたくさん用意したから明日ゆっくり見よう。それと、来週には結婚の宴を催すからね」
「まあ!嬉しいわ!」
フェデリカを部屋に帰し、男娼を呼び出す。
「素晴らしい働きぶりだったと聞く。報酬は上乗せしよう」
「ありがとうございます。またのご利用をお待ちしております」
「望みはあるか?」
アーサーの言葉に、男娼は少し言葉を詰まらせた。
「望み、と言いますと?」
「ここに、ある子爵家への推薦状があるが、使いたいか?侍従としての職だ」
「……どこまでもお見通しなのですね」
「ああ、マーレー公爵から圧力をかけられて、担当していた事業から外された、伯爵家の次男が君の父親だったな。伯爵家には息子がいなかったから、君が継ぐはずだった。だけど、父親の素行が悪くて公爵から嫌われて、親もろとも伯爵家から出されたそうじゃないか」
男娼の本来の経歴書が、アーサーの手にある。
「フェデリカとは親しく、かつ線引はしていた。こちらの指示に従って、フェデリカが屋敷から出ることや領民と接触することも未然に防いだ。突然訪れた領民の対応も難なくやり遂げたそうだな。侍従、上手く行けば執事の職が狙えるだろう」
「貴族家に関わるのはもう嫌だと思っていました。しかし、今回この機会を与えられ、得意分野というのも理解しました。もし、次の機会があるならばとも」
アーサーは推薦状にサインをして、傍らに立っているルディに渡した。
「好きに使うと良い。相手に話はしてある」
男娼は深く頭を下げた。
「それから一つ、フェデリカの倦怠感はいつからだ?」
「はい、報告の通り、一ヶ月前から徐々に」
「分かった。これで以上だ」
男娼が屋敷から出た後、アーサーはルディとコナーだけを部屋に呼んだ。
「おそらくは、あの化粧品による症状だ。フェデリカの様子を報告に上げるように」
一週間後、領地で開いた宴は成功した。
コリン男爵領はアーサーが引き継ぎ、その次代からは王家へ返還されること、コリン男爵の商会はアーサー個人が所有することを発表した。
アーサーは王位継承権を放棄し、王族からの籍も出た存在だ。コリン男爵家がフェデリカを残して投獄された現在、誰も治める者がいない領地をフェデリカの夫であるアーサーが代理で領主となり王宮へ帰属させるという流れになるが、王国内で功績を上げた何者かが王家から賜る領地になるだろうと言われている。
フェデリカとの結婚式も宴の最中に済ませたが、領地で行ったことで片手間に領地経営をしているのではないというアピールにもなった。
フェデリカは体調が優れず、結婚式の後すぐに休んだ。
「アーサー様、王太子殿下が視察に来られるそうです」
王宮から届いた手紙をルディが開封してアーサーに渡す。
「へえ。まあそのうち王家に帰属させる土地だからな。一回くらいは来ると思っていた」
アーサーは興味が無さそうに手紙を眺めた。
「ああ、結婚式後に王国内を視察するついでか」
王太子は結婚式を行った後に王国内の各地を巡る行事がある。訪問の日付を見ると、ちょうどその最中のようだ。
「祝い貰い旅だよな。何やる?ああ、あの効果抜群の香とか?」
良いことを思いついたとでも言うように、アーサーがそう言うと、コナーがむっとした顔で割り込んだ。
「怒られますよ」
「大丈夫。もう王子でもないから他人だし」
「余計に駄目では。それをしたら刺客ですよ」
アーサーは窓の外を見る。ちょうど星が見える時間だ。
「星か、そうだな。異国で手に入れた物に細工でもさせようか」
アーサーは取引先で購入した砂時計を手に、町を訪れた。
「アーサー殿下!何のご用でしょうか!?」
貴金属店で、アーサーは砂時計を見せた。
「ただの領主だから殿下はやめてほしいんだが……まあいい。これを入れる金属製の箱を作ってほしいんだ。こういう宝石を使って、夜の星空をイメージさせるようなデザインで」
アーサーがデザインを見せると、店主はほうほうと唸っている。
「出来そうにないか?」
「いいえ!素晴らしい発想ですね。一から作ることばかり考えておりましたが、このように既製品を装飾するなど思い付きませんでした!これはまた商売の幅が広がりそうです!」
アーサーは前金を渡し、店を出た。屋敷までの道中、町から外れた所で、アーサーは走り出した。
すると、後ろから数人の男が追いかけて来る。
「やっぱりか。一人だもんな」
隠し持っていた短剣を出して、屋敷側の森まで行き足を止めると、五人の男に囲まれた。
「誰から雇われたかな……口が無いのか、知らされていないのか、どっちかな」
男達もそれぞれ剣を手にしており、斬り掛かってくる。
アーサーは剣を受けていくが、流石に五人の相手をお互いに無傷で戦闘不能にするというのは難しかった。
少し行儀は悪いが、砂を蹴り上げ、頭突きをして容赦なく切り返し、倒れた相手の剣も使った。
「卑怯な……!」
そんなことを言われ、それを言うなら五人で来るなよと告げようとしたが、剣のほうが口より早かった。
「アーサー様!」
コナーが青ざめた顔をして駆け寄ってきた。
「ああ、大したことはない」
「申し訳ありません!私がお供しなかったばかりに!」
「いや、他の用を命じていたから気にしないで良い。息がまだあるかもしれないから捕縛して、こいつらが何者かだけ探るようルディにも言っておくように」
風向きからちょうど剣の音が響いて聞こえたのだろう。飛び出したコナーの様子を見たのか、屋敷から何人か使用人達が出て来るような足音が聞こえてきた。
アーサーは物陰に隠れながら裏口を使って屋敷に入った。私室に入り、自分で怪我の応急処置をする。
「痛っ。僕、体張りすぎじゃない?王子なんだけど。ええっと、コレ、縫うか。一応道具を揃えておいて良かった。痛み止めはこれか」
処置を終え、着替えを済ませるとコナーの足音が近付いて来た。
「アーサー様!入っても?」
普段より強めにノックをしているが、アーサーは普段と変わらない口調で許可した。
「大丈夫ですか!?」
「ああ、かすり傷だ。もう手当ても済んだし。そこの服を処分してくれ。見つからないように燃やしておくように」
動かないコナーにアーサーは笑い掛けた。
「そんなに頼りない主か?王宮騎士団に通い詰めた甲斐があったもんだろう。それで、襲ってきた奴等は何だった?」
「全員絶命してしまいましたので、所持品を分析する他ないそうです」
「ああ、それは済まなかった。ただ一つ情報があるとすれば、僕に卑怯だと言ったんだ。それから剣の使い方も基本に忠実だった。だから傭兵や野盗のような者じゃない。少なくとも、剣の教育は受けた者だろう」
「いえ、アーサー様がご無事でいることが何より重要ですから。後始末はルディがしております。使用人達には何と伝えましょう」
アーサーは少しだけ考えた。
「そうだな。一先ずはコリン男爵の違法な取引で利益を得ていた者の逆恨みとでもしておこう。夕食は普段通りで。余計な心配は無駄な噂の原因になるからな」
アーサーは普段通りに夕食の席についた。フェデリカは数日前から体調が優れないと言って寝込みがちになり、部屋で食事を摂っている。
アーサーが食事をしている最中、侍女がフェデリカの食事を運んでいた。
「フェデリカにこれを渡しておいてくれ」
町で手に入れた髪飾りを侍女に渡した。どうやら侍女達の人選も良かったらしく、こうしてアーサーが侍女に高価な物を渡しても盗まれることなくフェデリカまで送り届けられている。
痛む体を休ませたい所だが、普段通りにフェデリカの部屋に向かう。
体調を崩しても化粧だけは毎日欠かさず行っているフェデリカ。アーサーは一度だけ警告することにした。
「ねえフェリ。最近あまり評判の良くない化粧品が出回っているらしいけど、調べてもいいかい?」
「ええー?フェリはあ、今使っているものがダメになっちゃったら綺麗でいられないからあ」
「変わらないと思うよ」
「ダメダメ。それだけはダメ。ねえ、アーサー様もフェリには綺麗でいてもらいたいでしょ?」
「フェリが考えて出した答えなら、僕は従うだけだよ」
「ほおら!ね?だからそのまま使わせてね?」
少し痩せた顔を誤魔化す為にか、余計に厚化粧になっている頬を見て、アーサーは就寝の挨拶をして部屋を出た。
「傷が塞がる前にアレに触るのは自殺行為だ」
徐々に判断力も弱くなっているのか、スキンシップを図らなくても離れることが出来たのは不幸中の幸いだったとアーサーはほっとしていた。
執務室に入ると、ルディとコナーが心配そうな面持ちで待っていた。
「流石に僕も疲れたから、このまま私室に入る。二人は普段通りの時間にこの部屋を出るように」
そう言い残して、アーサーは私室に入った。執務室とは廊下に出なくとも、内扉で繋がっている為、アーサーが出てこなくても不自然ではない。
アーサーは服を脱いだ。水差しで傷口を洗い、布を当てる。
「はあ、疲れた。そうだ、ちょうどフェデリカも体調が優れないから、僕も気を落としていることにして明日は休もう」
そう指示を出すメモを、執務室に繋がる扉の隙間に差し込みノックをすると、すぐに引き抜かれた。
「そのようにいたします」
ルディの強張った声が聞こえ、アーサーは直ぐに休んだ。日頃から物音に敏感なアーサーも、二人が部屋から出た音にも気付かず眠りについた。
アーサーは久しぶりにゆっくり寝たと思いながら、瞼を開けた。
「昼前か。傷も悪化はしていないな、経過は良好。でも痛いものは痛い」
置いている水差しの中身を使い切ったことを思い出し、アーサーは使用人を呼ぶベルを鳴らした。
「おはようございます、アーサー様」
「コナーか、ちょうど良かった。何か軽く食べる物と、飲み物も用意してくれ。変わった事は無いか?」
扉越しにそう言いながら衣装棚を開けた。休みと言っているのだからと、楽な服を選ぶ。
「かしこまりました。特に変わったことはありませんが、いつもの報告をルディが持ってきますから、食事と一緒でも?」
「ああ、そうしてくれ」
アーサーは着替えを済ませ、執務室のソファに腰掛けた。
「このソファ、もう少し柔らかくても良かったな。いや、こんな事態を想定して選ばなかったか」
私室から持ち出した薬を口に入れた。
「このタイミングで痛み止めの補充は出来ないな。兄さんが来た時に盗むか」
王太子が来た時の部屋や使用人達の配置を考えていると、コナーが食事を持ってきた。
いつもと同じ紅茶に口を付ける。
「ああ、美味しい。それで、ルディは?」
「庭師に声を掛けられて足止めされていましたよ。長い間放置された木の根を取り除くのに人手がいるとか」
「へえ。その日だけ数人雇って終わらせても良さそうだがな」
「そのように提案しているようでしたよ」
そう言っていると、ばたばたとルディが入って来た。
「申し訳ありません!庭師と打ち合わせを!」
「ああ、今コナーから聞いた。王太子殿下の訪問には間に合わせたいからな。優先して屋敷を整えるように」
そう言いながら、ルディからいつもの報告書を受け取った。
「遂に医者も化粧品について警告したか。それでもそこは譲れないと。あの顔を作るのに執着しているようだな」
他の報告もざっと見て、ルディに返した。
「美味しかった、ご馳走様。それじゃあ僕はもう一休みするよ。ただ、その前に」
アーサーは棚から小さな箱を出した。
「せっかくの休みだから、カードゲームでもしよう」
ルディとコナーはため息をついてカードゲームに付き合った。案の定ルディが負け続け、アーサーは気分良く横になった。




