5 手から落ちたもの
アーサーは招き入れられるように王妃宮の中を進んだ。私室に通され、王妃と王弟、フェデリカが待っていた。
「寂しかったですう」
アーサーの腕に重りのようにフェデリカが寄り付いて来たのを、いつもの様に微笑んで適当に返事をしてうまく引き剥がした。
王弟がやや緊張した面持ちでアーサーに言った。
「アーサー、結果は?」
アーサーは先程、王太子がマーレー公爵に承諾させた処分を見せた。
三人はそれを舐めるように見た後、揃って笑顔になった。
「アーサー、よくやりました。マーレー公爵も黙らせる事が出来たようです。それに国外追放となれば、公爵も暫く大人しくなるでしょう」
王妃は自身にとって都合良い結果をもたらしたと満足し、王弟もそれに同調している。
「よくやった。これで貴族院の議論が進む。鉱石の輸出を進める時が来た」
フェデリカは二人とは違う所で喜んでいるらしく、せっかく引き剥がしたアーサーの腕に再び戻って来た。
「あたしを虐めてた子は、みんな王都に入れなくなっちゃったのお?かわいそうにね」
可哀想、と言いながら隠しきれていない喜びにアーサーは気味悪さを感じながら、もう一度引き剥がした。
「それでは、まだ執務がありますので。こちらの処分は予定通り進めます」
アーサーはそう言って王妃宮から出た。
「もうここに来ることは無い」
そう呟いて。
予定通りに処分が公表され、アーサーは執務に追われた。各家門へマーレー公爵が謝罪と賠償をすると言っても、アーサーも裏から手を回している。それは王太子も同じだったが、人員の数が違う。
「クッソ。バーンズ伯爵家の生意気なガキ。学園生のクセに情報屋の賭博場なんか出入りするなよ。兄さんの侍従と側近も動きすぎだろ。馬鹿みてえに飛び回るから追いつかねえ」
一斉に動き出した家門の情報に振り回され、つい口が悪くなりながらも、アーサーは着々と準備を進める。
「王妃からの呼び出し?無視だ、無視。王弟も無視。は?フェデリカが近くに来てる?追い返して……は?もうそこまで?近衛騎士も仕事してくれよ」
アーサーは深くため息をつくと、フェデリカに取り合う時間と残りの執務を計算した。
「アーサー殿下、記録更新ですよ」
フェデリカを無事に第二王子宮から追い出すと、コナーが紅茶を淹れ直しながらそう言った。
「紅茶一杯で済みました」
「次からは出さなくて良い。コツは掴んだ」
アーサーは再び執務に集中する。様々な処理を終えて、ふうとため息をついた。
「ルディ、残りの予定は?」
「国王陛下と王太子殿下への謁見です。それ以外は何も」
「よし、やっと片が付いたな。二人とも、これからどうする?」
アーサーの言葉に二人は、は?と声を揃えた。
「謁見まで少し時間があるだろう?何する?」
「子供じゃあるまいし……そういうのは、ルディ」
「ええ?いや、なんか……仕事ください」
三人は笑い、アーサーは仕方なくカードゲームを出した。
執務室のソファに三人で腰を下ろすと、ルディが几帳面にカードを配った。
「ルディ弱いな」
「何ででしょうね」
「二人がイカサマするからだろう!」
圧倒的なルディの敗北で終了し、アーサーは着替えをして謁見の間へ向かった。
「第二王子、アーサーでございます」
正装に身を包んだアーサーは、美しい所作で片膝を突いた。
「アーサー、顔を上げろ」
国王にそう告げられ、顔を上げる。
「アーサー、今日呼び出したのは他でもない、第二王子としての役割について訊ねたかったからだ」
響く声でそう国王が話す隣に座るのは王太子、そしてその側に宰相が立っている。
「アーサー、学園で婚約者を蔑ろにしていたのは事実か」
「いいえ、決して蔑ろにしていた訳ではありません。先日の貴族院でお伝えしたように、王妃陛下からの指示でした」
「王妃からの指示が適切だったか、指示に対して自身の行動は適切であったか。考えたか?」
「もちろん、王妃陛下だけでなく、王弟殿下もご助言下さいました。またバーノン侯爵家とも取引が頻繁にあると聞き、フェデリカ・コリン男爵令嬢とは懇意にすべきと判断しました。ですから、貴族学園の卒業を終えて成人した私個人の権限で彼女と婚約を結んだのです」
宰相が顔色を悪くしているが、国王も王太子も冷静にアーサーの話を聞いている。
「では、第二王子として王妃と王弟の指示の下、バーノン侯爵家とも取引のあるフェデリカ・コリンとの婚約を結んだことを認めるか」
「はい、間違いございません」
国王はゆっくりと王太子の方を見た。王太子はアーサーを見据えると、淡々とした表情で話し始めた。
「コリン男爵家が流通させている質の悪い鉱物が市場で問題になっている。国外から安価で仕入れ、王国内のものに混ぜる等の悪質な利益の取り方をしている。調べたところ、その他の余罪も多い。王妃の生家であるバーノン侯爵家も関与しているだけでなく、アーサーの証言から王妃と王弟までも加担していることが分かった。王族として王国を揺るがす罪に加担したということがどういう事なのか、理解できるか」
アーサーは王太子へ笑いかけた。
「はい。事実確認を怠り、従えば良いといった安易な判断をしたことを後悔しております」
国王はそう言ったアーサーへ、処分を告げた。
「第二王子アーサーへ王位継承権を放棄することを勧める。受け入れるのなら、王族として一部の職は残してやることを約束しよう」
アーサーは微笑みを絶やさずに一礼した。
「私、第二王子アーサーは王位継承権を放棄し、今後王族としてのいかなる権利も行使しないと誓います」
少しの沈黙の後、国王がゆっくりと頷いた。
「そうか。それではアーサーを第二王子の籍、王族の籍から外すこととする。今後一切、王家への干渉を禁ずる」
アーサーは最期に国王と王太子に視線を向け、くるりと扉の方へ体を向けて歩き出した。
アーサーは速やかに王宮を出る。元々私物も少なく、王族の移動とは思えないような身軽さだ。
「アーサー」
馬車に乗る時、後ろから声を掛けられた。振り返ると、王太子がそこにいた。
「はい、王太子殿下」
アーサーは王太子の前に跪いた。
「これはお前に渡しておく」
王太子はポケットから出した物をアーサーの手を取って握らせた。
「良い値で売れそうですね」
「気が向いたら使うと良い」
アーサーはいたずらっぽく笑った。
「兄さん、多分だけど僕が使うことはないよ。でも、どうしてもって言うなら兄さんの為に使ってあげる。じゃあね」
アーサーは馬車に飛び乗るように入ると、すぐに出発させた。
アーサーは数日かけてある領地へ着いた。
「手入れされていない庭園に掃除の行き届いていない屋敷、使用人達も逃げたな」
薄ら笑いを浮かべるアーサーに、ルディが報告する。
「一先ずアーサー様の執務室に当たる部屋と、生活に必要な部屋は掃除させました。他はまあ、ご覧の有様というか」
「それだけ出来ていれば上出来だ。主不在の屋敷なんてこんなもんだろう。コナーは食事の準備、ルディは荷物の整理、侍女達はフェデリカの部屋の準備だ」
アーサーの指示でそれぞれが動き始める。侍女が急ぎ足でアーサーの元へ来る。
「アーサー様、フェデリカ様はいつ屋敷に来られますか」
「明後日到着だ。一応は彼女の実家だからそれを配慮するように。普段行き来するだろう場所はそれまでに綺麗にしておいてくれ。あと化粧品についてはこだわりが強いから、こちらで準備せずに彼女の指示に従うように」
「かしこまりました」
侍女はまた急ぎ足で仕事に戻る。
アーサーも自室の整理に忙しい。
「アーサー様、フェデリカ様とはいつ婚姻されるおつもりでしょう」
「ああ、王宮を出る前に書類は出したから、もう婚姻した状態だな」
「え!?早く言ってくださいよ!」
「ああ、指輪とか用意しておかないといけないな。明日領地の視察ついでに買っておこう。彼女、そういうのが好きだろう?庭園は間に合わないから花束を大量に用意しておけばいいか」
アーサーはフェデリカが来た時に備えていくつかの準備を追加することにした。
「それにしても、屋敷自体は良い物だな。よく設計されている」
「二代前に建てたもののようですが、担当した建築家が当時は無名でしたが、後にその界隈では有名になった人だったようで、しばらく自慢にされていたようですよ」
「商売の目は確かだったのだろうな。フェデリカの父親も、その才能を悪事で使わなければ順当に陞爵していたかもしれないのに惜しかったな」
アーサーは執務室の窓を開けた。
「庭園がよく見える、良い場所に作ったものだ」
くすぐるような生温い風が外から吹き込んできた。今は手入れされていないが、庭師を雇って整えれば、美しい庭園になるだろう。ふと、かつての記憶が蘇る。
王宮のテラスで、庭園のその先を見ていたスザンナの横顔。スザンナとの信頼関係が構築され始め、心に何か温かいものがあるような気がしていたが、それがするりと手から抜け落ちたのは、きっとあの時だ。
「外に何かありますか?」
少し考え事をしていたアーサーに、ルディが声を掛けた。
「いいや、庭園をどうしようか考えていただけだ」
外の風を堰き止めるように、アーサーは窓を閉めた。




