41話 アフターワールド。
「制圧、完了致しましたわ」
執務室の窓に立ち、外を眺めていたトールの元へ、頭部装甲を解いたジャンヌが近付いた。
ツヴァイヘンダーを一振りして、付いたばかりの血飛沫を払う。
「ご苦労様です」
そう応えたまま動かぬ背は、残敵が居ないかと敷地を睥睨しているのだ、とジャンヌは思っている。
「いやぁ、綺麗な庭園ですね。ほら噴水まで在りますよ!」
否、単に景観を楽しんでいたのだ。
幾分か名残り惜しそうな気配を滲ませながら、トールが振り返る。
「ウルリヒさんはどうですか?」
「未だ見付かっておりません」
先日の会見に相伴していた老臣達の姿も無い。
そのため、出入口を封鎖し、屋敷内と敷地を捜索中であった。
――となると、あそこなんだろうな。
マリの告白にあった、ベルツを伴わねば入れない場所である。
現在、彼女は輸送機に乗って、旗艦から総督府に向かっていた。
――けど、場所までは覚えてないだろうし……。
幼少期であり、なお且つ忌まわしい記憶と繋がっているのだ。
そこへ、ジャンヌ子飼いである第五小隊の面々が現れる。
「隊長――いえ、閣下、怪しい者を捕らえました。風呂に入っていたようでして――」
バスローブを巻くイヴァンナであった。
「賊の愛人だと申しております」
「ち、違うんですの。強制、拘束、堅縛――いわば奴隷でしてよおお」
勢いよく首を振ると、濡れ髪に残った水気が飛んだ。
「トール・ベルニク子爵閣下にお救い頂けて感謝しておりますのッ。私、以前から大ファンだったのですわ~」
ジャンヌが、つとトールを守るかのように眼前に立つ。
「ひと目で閣下と見抜くなど――怪しい女です」
ツヴァイヘンダーを上げ、イヴァンナの首元に当てる。
「斬り捨てましょう、閣下」
「いや――」
「ま、待ってええええ!お待ちになってええええッ!!」
イヴァンナは、両手を前に突き出し叫んだ。
バスローブが下に落ち、彼女の完璧な裸体が露わとなるが、構ってなどいられなかったのだろう。
トールの瞳が、僅かに見開かれた。
「知ってますのよ。私知ってますの。逆賊、大罪人、犯罪者の居場所を知っておりますわッ!!」
「え、そうなんですか?」
何処かに散らしていたトールの視線が、イヴァンナの顔貌へと戻る。
「秘密の場所ですの。秘密の――」
「奴隷が秘密の場所など知る訳がありません。斬りますッ!!」
そう言い切ると、ジャンヌの腕が動いた。
「ウルリヒ君は、ベルツしか行けない場所にぃぃいやあああ!」
◇
「逆賊どもは、ここに入って行きましたのよ」
破廉恥なカットアウトドレスに着替えたイヴァンナが嬉々として告げた。
生への歓喜に湧いていたのかもしれない。
拘束され、その背に刃先が当てられてはいるが――。
「ここですか」
中庭に出て案内されたのは、釣鐘状で非常に背の高い建物だった。
振り子のレリーフが彫られた扉はあるが、都合の良い事に開いたままとなっている。自閉しないよう、足元の隙間に石が挟まれていた。
「私が、やっておいたんですよのよ。お手柄ですわ~」
「ここは既に検めております――」
そう言いながら、ジャンヌが扉を開くと外からでも中が見えた。
大きな台座があり、周囲には七本の柱が立っている。
「あそこですわ。あの台座に賊共が立つと、すうううっと消えていきましたの」
――この女は、途中まで同行して逃げ出したわけか……。
――ホントに奴隷だったのかな?
さすがにトールも疑念を抱くが、礼は言っておく事にする。
「なるほど、ありがとうございます」
そう言いながら、トールは開いた扉を通り、誰が止める間もなく台座に乗った。
「か、閣下ッ!!」
ジャンヌが慌てた声を出す。
「いえ、大丈夫ですよ。ベルツ家の人が居ないと駄目なんでしょう?」
「そうなのですわ。それが問題でござ――」
「どいて」
言い募るイヴァンナの後ろから、冷たい声音が響く。
「あ、マリ」
輸送機で飛び、先ほど総督府に着いたのだ。
残党が居る可能性を考慮し、彼女の周囲は兵が囲っている。
「うん」
「じゃあ、こっちへ」
手招くトールの元へ、マリが歩き出す。
「あ、あのぉ」
イヴァンナには、まだ伝えるべき事があるらしい。
「き、聞いた話なんでございますけど」
これを伝えておかねば、絶対に殺される、とイヴァンナは分かっている。
「そこにピュアオビタルの方が入ると、刻印を失うそうですわ~。ですからお止めになって下さいませ~」
台座を目の前にして、マリの足が止まる。
「嘘――」
「分かりませんけど、賊がそう申しておりましたわぁ」
「ならば、私が――」
「いいですよ」
トールが言った。
――任せてもいいけど、見てみたいしね……。
「さ、マリ」
立ち尽くすマリの手を握る。
「え――」
「行こう」
呆然とする彼女を引いて台座に乗せると同時――二人が消えた。
◇
トールの郷愁を喚起したのは、景色でも音でもなく匂いだった。
その、あまりの懐かしさに、マリと話したかった内容を忘れている。
「これ――は?」
七本の柱に囲まれた台座を降り、バイオレットの髪を潮風になびかせマリが呟く。
ほとんどのオビタルは、地表に降り立つことなく生涯を終える。
「海だね」
足下には美しい砂浜がある。
周囲は絶壁に覆われており、さほど広い空間では無かった。
――プライベートビーチみたいだけど……。
空には星空が在り、従属衛星が主星の光を穏やかな海面に映す。
波があまり無いのは、湾曲した絶壁が入り江を形成しているからだろう。
――フェリクスの地表面なのかな?
「覚えてない?」
「うん」
彼女の記憶に、海と砂浜など無かった。
「ただ、あれには見覚えがある」
マリが指差す先に在るのは、絶壁の上に突き出すように建つ城塞だ。
中世ヨーロッパの城を思わせる外観である。
城門は在るが、断崖に面しており、空でも飛べなければ入れないだろう。
その遥か足下には、ウルリヒと老臣達が居る。
トール達が現れた事に気付いているが、逃げる気力すら失っているらしい。
いや、逃げる場所など、もはや無いのだ。
呆然とした表情で、彼方に聳え立つ城塞を見上げている。
「ウルリヒ・ベルツさんですね」
トールが声を掛けて、ようやくウルリヒは地上に目を落とす。
ひとつ息を吐いてから、乾いた声で言った。
「――お前が、ベルニクか」
ウルリヒはトールの頭を見詰めている。
「なぜだ」
ベルツ以外の人間が入れた理由を知りたいのではない。
「なぜなのだ――お前は――」
ウルリヒは刻印を失い、髪色は金となっている。
「なぜでしょうね」
トールは一本抜いた自身の髪の毛を見て呟いた。
刻印が失われない理由など分からないし、実のところ興味も無い。
「兄はベルツの為に、刻印を犠牲にした」
天秤衆を招き入れる為、ルーカス・ベルツは共に入った。
ニクラスを差し出す代償を欲していたからだ。
ベネディクトゥスの光を育て、ベルツ家を再興する為に――。
「違う」
マリは刺すような声で怒りを表明する。
だが、まだ殺せない。今は、まだ――。
裏切り者の命は、マリの仕える主人が道具として使う。
「何の事だ?」
「――お前は裏切り者」
そう言われ、初めてウルリヒはマリに視線を向けた。
「なるほど――あの売女の娘か――」
「母は――」
「裏切り者と言ったな?」
マリを遮り、ウルリヒは自身の言葉を重ねる。
「最初にベルツを――兄弟を裏切ったのはお前の父だ。ニクラスがベルツを捨て、蛮族の艦から拾った売女と共に逃げた。女を差し出せば、あれほど苛烈な異端審問など無かった」
――蛮族の艦?
――まさか――五十年前の鹵獲した旗艦――。
「そんなの知らない――ここで静かに暮らしたかっただけ」
なぜベルニクを出て、ここを選んだのか、という疑問はトールに残っている。
砂浜、絶壁、海、そして辿り着けぬ城塞があるだけだ。
まともな暮らしが出来るようには思えない。
「は、ははは――あははははっ」
ウルリヒが背をのけ反らせて嗤う。
「――静かに――ひぃひぃ――暮らすだと?」
「何が可笑しいの?」
息が出来ぬといった風情で嗤った後、目元を拭きながら口を開く。
「ここはな、アレの影響で、時の流れがほぼ止まっている」
城塞を指差した。
「抗エントロピー場――などと兄からは聞いたが――私も仔細は知らぬ。だが、あの中では、時が止まるどころか逆転しているのだ」
「でも、普通に話せてますよ?」
直感的な質問をトールがする。
「全ては相対的だ。私も、お前も、売女の娘も、等しく抗エントロピー場の影響を受けているのだから当然ではないか」
確かに、子育てには向かないな、とトールは思った。
――だけど、カドガンちゃまが割り込んで来た理由は分かったかも……。
「全てが無に戻る可能性すらある場所で暮らす?仲良く?家族で?いいか、お前の父がベルツを裏切りさえ――」
ウルリヒ・ベルツは、最後まで言い終える事なく砂浜に倒れた。
「じゃ、とりあえず連れて帰りましょうか」
トールは、ウルリヒの脈があるのを確認しながら言った。
パワードスーツの対数フィードバックを切っていたとはいえ、装甲付きの拳で殴りつけたのだ。
打ち所が悪ければ、死んでも不思議はない。
――ふぅ、良かった。生きてる。
◇
再び、七本の柱に囲まれた台座の上に立つ。
昏倒したウルリヒを背に負っていたが、台座は何の反応も示さなかった。
意識が無いと駄目なのかもしれない。
虚脱状態にある老臣達は、すでに台座の上に在る。
最後にマリが登ると、ようやく足元が発光した。
『プロビデンスゲノムが確認されました』
ここに来た時も耳にした音声だったが、海への郷愁に気を取られ、マリと話す機会を失っていた。
――聞いたところでマリには分からない言葉だろうけど。
――この後、確か――帰還シーケンスを開始みたいな……。
『アフターワールドへの転送シーケンスを開始します』
「え――?」
トールは、思わず声を漏らすが、マリの表情に変化はない。
やはり、彼女には理解できない言語なのだ。
消えゆく半身を見下ろしながら、遂にトール・ベルニクは理解した。
アフターワールドとは、ピュアオビタルの召される黄泉ではない。
銀の冠などと囃す刻印は、ゲノムが生んだ無価値な悪戯だろう。
これから戻る世界――。
全てのオビタルは、既にアフターワールドに在ったのだ。




