2話 不味い出会い方、教えます。
ポータルを乗り継ぎ、帝都まで約一週間の船旅であった。
超高速旅客船でもこれだけの期間を要する事を考えれば、艦隊を出すともなると艦隊編成含め二カ月は必要になるだろう。
――にしては、ベネディクトゥス星系の守りが薄いよなぁ。
ベネディクトゥス星系は、五十年前より帝国直轄地である。
元々は、ベルツ領邦の版図であったが、ベルツ家は異端審問により取り潰しとなったのだ。
なお、ベルツ家は、ベルニク家の遠縁にあたる。
ともあれ、帝国直轄地となったベネディクトゥス星系であるが、大きな戦力は置かれておらず、治安維持――主には対海賊用の戦力を保持する程度であった。
――だから反乱軍が支配できちゃうんだよね。
ベネディクトゥスの光、と自称する勢力であったが、実のところベルツ家の残党なのである。
――けど、もう少し先の話しだしな。
――まずは……。
「できた」
マリの少しばかり満足気な声で、トールは取り留めのない思考を中断する。
現在、二人が居るのは、女帝ウルドの住まうイリアム宮にある控えの間であった。
姿見の前で、マリは仕える主人の衣装を再び確認する。
貴族たるピュアオビタルが、女帝と謁見する際の衣服は、宮廷礼式において定められていた。法制化されていないが、閑職とも言われる儀礼局の役人が毎年改定版を出している。
「真っ白なんだね」
「うん」
軍属である場合は、軍の正装で謁見に臨む。なお、パーティなどで着用する礼装は黒が基調となっている。
「それに、キラキラした飾りがいっぱいあるなぁ……」
「うん」
領主であれば、勲章など好きなだけ手に入るのであった。
自分で自分に渡せば良い。
「この赤いサッシュも――」
「トール様」
マリは厳しい口調で臨む事にした。
彼の形式ばった事柄を嫌う点を好ましく思っているが、女帝ウルドとの謁見で失敗は許されない。
僅かな変調、些細な失態が、政治的な傷になり得るのである。
そのようにロベニカから、マリは言い含められていたのだ。
――お願いよ、マリ。トール様が、おかしな事だけはしないよう頼んだわね。
女帝と謁見できるのは、ピュアオビタルだけであった。
また、控えの間に入れるのも、お付きの使用人一名までとされている。
イリアム宮まで同行しているのはマリだけなのだ。
ゆえにこそ、彼に厳しく言う責任が自分にはあると考えた。
厳しく――、
「ダメ」
眉を寄せ、精一杯の強面を作りトールを睨む。
トールがその迫力に恐れをなしたか否かは不明であるが、衣装に関する不平は治まり、冴えない表情を浮かべるのみとなった。
衣服などどうでも良いか、と思い直したのかもしれない。
◇
――さあ、いよいよ会えるぞッ。楽しみだなぁ。
控えの間を出て、近習に連れられて歩くトールの心は軽かった。
ラムダ聖教会教理局からの召喚は、いかな彼とて嬉しくは無い。
切り抜ける算段は立てているが、不確定要素は多分にある。
とはいえ、そこは夢と現の狭間なのであろう。
帝都に来た目的は数あれど、彼が最も会いたかった人物に会えるのだ。
その喜びに、内心が湧いていた。
――ちょっと、言いたい事もあるしね。でも、言えるかなボクに……。
一方の待ち受ける側の女帝ウルドであるが、こちらもまた心が湧いている。
丹念に結い上げた銀色の頂きに、黄金の小さな冠を載せている。
白を基調としたドレスを纏い、大きく開いた肩には白桃色で半透明なショールを羽織っていた。
その佇まい、清楚にして可憐――である。
彼女が座る玉座の隣には、宰相エヴァン・グリフィス公爵が立つ。二人が並ぶ光景は、幼き少女が焦がれる絵物語が具現化したかのようであった。
「エヴァン」
「はい」
居並ぶ廷臣、女官、衛兵たちには聞こえぬ声でウルドが囁く。
「余はな、アホ領主を誑すつもりじゃ」
誑す、とは己の魅力で虜にしようという意であろう。
内裏における悪臭は既に漏れ始めているが、未だ多くの諸侯は、女帝ウルドを目の前にすると、所詮は美しい人形であろうと油断をしてしまう。
「――異端の蛮族を払った英雄でございましょう。むしろ誉を与えるべきかと」
エヴァンは前を見たまま、至極全うな応えを返した。
「そこが解せぬ。聞けば、女の尻ばかり追いかけておるアホではないか」
元来のトール・ベルニクは事実そうであった。
あらゆる放蕩を貪り、領地経営など顧みなかったのだ。
「現に教理局から呼び出しを喰らったそうな」
「――」
「お前の方が事情に詳しかろう。糞坊主のレオは何と申しておる?」
「枢機卿からは何も聞いておりません」
「ほう――?」
ウルドは胡乱な目付きでエヴァンを見上げた。
「彼奴の膝元であろうに。まあ――飼い犬には明かさぬか。捨て置け」
彼女が吐き捨てるように言い終えた時――、
「ベルニク領邦領主、トール・ベルニク子爵が参りました」
侍従が片膝を立て、客人の到来を告げた。
「――お通しするが良い」
声音と口調を変え、楚々とした微笑みを浮かべる。
それを受けて、侍従が合図をすると、両開きの大扉が開いてゆく。
――三言でも声を掛ければ、余の放つ儚き美に容易く堕ちよう。
――アホ面が溶けてゆくのが愉しみじゃのう。ククク。
ベルニク軍勝報を聞いた時から、この瞬間を思い描いていたのである。
偶々の勝負運で、英雄などと持ち上げられた無能を、手のひらに載せて転がし握りつぶす。
さぞかし心地の良い鳴き声を聞かせてくれるであろう、と。
そのトールであるが――、
「あ、どうも。ありがとうございます」
大扉を開けた衛兵に、律儀に頭を下げて礼を言っていた。
言われた方は困った様子であるが――。
そこから先は玉座まで赤絨毯が伸びている。
両脇には、幾人もの廷臣と女官達が立ち並び、一夜にして英雄と祭り上げられた人物を好奇の眼差しで見詰めていた。
御前であれど、幾人かは口元を隠して、隣にいる者と何やら言葉を交わしている。
彼らのさらに後ろには、柱に背を預けた道化が一人いた。
道化の分限では前にも行けず、また、彼の身の丈では爪先立っても見えるのは衆人の腰元だけであろう。
そのためか、どこを見るでもなく、ボウと天井を見上げていた。
先の尖ったブーツで尻を突く懸想でもしているのかもしれないが、彼の表情からは何も読み取れない。
侍従に先導されたトールが、いよいよ女帝ウルドの前に立つ。
――いいですかトール様。こうです、こうするんです。
謁見時の礼法については、ロベニカから、文字通り手取り足取り叩き込まれていた。
片膝を立てて、頭を垂れた状態で待ち、女帝が促した後に名乗りを上げるのである。
だが、この時の彼は、例によって浮かれていた――。
胸の豊かな女性とは出会えている。
スーツ、メイド、軍服――思い残すことはもはや無い。
――パワードスーツの問題は残っているんだけど……。
艦隊戦もブリッジ上で体感し、あまつさえ揚陸戦まで経験出来たのだ。
そして今――、
トールの焦がれた相手が、手で触れうる距離に存在する。
「名を――」
女帝ウルドが口を開いた時の事である。
「あ、あなたが――」
憧れの人を前にして、トールの情熱が迸ってしまう。
些か舞い上がってもいたのであろう。
「――エヴァン公なのですねッ!!!」
彼の知る物語における、救国の英雄エヴァン公――。
宰相エヴァン・グリフィス公爵こそ、トール・ベルニクが最も憧れた登場人物なのであった。
――うわぁ、ホントに恰好いいなぁ。ボクのイメージ通り過ぎるよ。
――ジャンヌ少佐を処刑するのは頂けないけど……まあ、海賊だからか……。
海賊ブラックローズとなったジャンヌ・バルバストルは、エヴァン公により処刑される。
――でも、こっちでは、ジャンヌ少佐は普通の軍人だから大丈夫だよね。
普通の定義についてはさておき、トールは多幸感に包まれていた。
彼にしてみれば、伝説の英雄と会った瞬間なのである。
だが、これに対する周囲の反応は、ひと言で表すならば――まさに凍りついていた。
名乗りも上げぬまま、女帝を差し置いて宰相に話しかけたのだ。
無礼、不敬にも程があろう。これこそ、ロベニカが懸念していた事態であったのかもしれない。
「あ、失礼しました」
さすがの非礼に気付き、幾分慌てた様子でトールが言葉を継いだ。
「ええと、トールです。い、いえ、間違えました――」
ロベニカから習った口上を思い出したようだが、彼女の労苦はすでに水泡に帰している。
「ベルニク家が当主、トール・ベルニクでございます。お目通りが叶い光栄に存じます、ウルド陛下」
凍り付いた空間に、口上が響く。
「―――」
女帝ウルドは、奥歯をギリと噛み、その拍子に切れた舌の血を呑んだ。
これが、トール・ベルニクと、オビタル帝国最期となる女帝との出会いであった。
……と、ここまでが、
本作『巨乳戦記 The saga of ΛΛ』のプロローグとなります!
[ 次回3話 『波乱の芽』 ]




