10話 良札を切る。
「姫様、七つ目殿からの情報通り、案山子が多数を占めているようです」
フォックス・ロイドは設営された臨時指令所でグリンニス・カドガンに報告を上げた。
通用門に配した五百名の兵士達がオリヴィア宮への侵入を果たしたのだ。
トラッキングシステムやパワードスーツの支援により、闇夜の奇襲などという概念は存在しない。
深夜の攻撃となったのは敵の守備シフトに合わせた結果に過ぎなかった。
「七つ目――」
その名を呟いたグリンニスは少しばかり眉を顰めている。
「お嫌いでしょうが、アレはアレで役に立つ連中です」
ベルツ家再興を目論んで叛乱を起こしたウルリヒの救援に向かったのも七つ目から依頼を受けての事だ──。
無論、自身が城塞を求める思いを連中に利用されているとグリンニスは理解している。
故にこそ気に入らない。
「まあ、今回ばかりは、役に立ったのかもしれないわね」
「はい」
通用門を破ってしまえば、中庭の制圧など造作も無いように思われた。
「女帝は生かしておくよう伝えなさい」
「はい――既に、そう下知しております。丁重に保護せよ、と」
「そう」
建前としては、不逞不忠の輩から、女帝ウルドを救った事にするのが望ましい。
とはいえ、何かの弾みで興奮した兵の剣が、頸と胴を別つ可能性もあるだろう。
――そうなったら、まあ――仕方ないわね。
オリヴィア・ウォルデンという名の少女から泣き腫らした瞳で相談を受けた夜を、年下の彼女になぜか素直な本音を語った夜を、いつしか二人で笑っていた夜を――。
だが、グリンニスは追憶を払うと椅子から立ち上がった。
「ここで駄目を押しましょう」
フォックスは、献策するか否かを迷っていたが、彼女自身が決断したのである。
「正面の格子門をも破る。私も行くわ」
◇
通用門を守るオソロセア兵は殺到する五百の兵を前に為す術も無かった。
シフト都合により守備兵の大半が案山子となるタイミングを衝かれたのである。
門柵を破壊され、前衛の強兵は多勢に飲まれ消え、三列縦隊で守れる狭隘な通路で辛うじて踏みとどまっている状況だった。
休息を取っていた兵達も、急ぎ起きて加勢しているが、戦況を好転させるほどの効果は生んでいない。
結局は多勢に無勢なのだ。
「だ、駄目だぁ――逃げよう、逃げようぜ」
現在の状況を招く一因を作った男は、隣に立つ同僚に向かい泣き叫んだ。
死の鎌で刈り取られる順番が彼等に訪れるのも時間の問題である。
「どこにだッ、馬鹿がッ!!」
兵学校では最低評点に輝いたロングソードを構え、それでも実直な同僚は敵に背を向けてはいない。
職務への忠誠か、それとも祖国オソロセアへの思慕であるのか。
自分でも理由は分からないが、急場に在って覚悟を決めた。
――ここで俺は死ぬ。
敵兵に囲まれた城に、逃げ場所など無い。
「ああっ」
魔性の女イヴァンナとの情事を夢見た愚か者が絶望的な呻きを上げる。
彼等の前面で戦っていたオソロセア兵達は遂に全てが地に伏した。
その屍を踏みしだいて、血と内臓液で光る戦斧を振り回す敵兵が猛然と進んで来る。
「来ちまっ――」
男の言葉は続かない。
「ウラウラウラ!!!!」
原始的な奇声を上げるカドガン兵の繰り出す戦斧が、男の頭部を激しく打ち据えたからである。
「ウラアアアッ」
何度目かとなる打突により穿たれた頭部装甲の亀裂から、絶妙に美しい放物線を描き鮮血が迸る。
隣に立つ実直な同僚は、その美しさに見惚れる事も同期の死を嘆く暇も無かった。
「くそっ!!」
陳腐な悪態を呪詛のように呟きながら、ロングソードで敵兵の戦斧を弾くのに手一杯だったのだ。
己が死ねば、この脆弱な縦陣の後尾まで、僅かな味方を残すのみである。
だが――、
「ッ!」
縦、縦――最後に横へと薙ぎ払われ、彼のロングソードは宙に舞う。
スロー再生のように映る軌跡を目で追いながら、視界の端では迫る戦斧の滑る刃先が、あまりにも鮮明な像として脳裏に焼き付いた。
――死んだ。
男が無意識に睾丸を縮こまらせ瞳を閉じた時の事である。
「痴れ者がああああああッ!!」
カドガンの奇声、オソロセアの悲鳴、剣戟の音色、その他全ての打突音を斬り裂いて、背後より女帝ウルドの怒声が狭隘な通路へ響き渡った。
「――へ、陛下!?」
「ほ、ほんとに陛下だぞ!!」
崩れかけている縦陣の後方から声が上がる。
馬鹿なという思いで、カドガンの兵達も戦斧を止めてしまった。
「道を開けよ。邪魔じゃ――散れ」
パワードスーツを装備してはいるが頭部装甲は着けておらず、女神の贔屓が過ぎた美しい顔貌を絢爛と晒している。
誰の目にも女帝ウルドであると分かった。
「陛下がお通りになる。各々方、道を開けられよ」
怒声を上げるウルドの隣で、名誉近習レイラ・オソロセアの落ち着いた声がした。
その後を装甲歩兵に扮した三姉妹と女官達が続いている。
敵味方共々が呆気に取られている間に、ウルドは躊躇う事なく道を進み出てカドガン兵の前に傲然と胸を張って立った。
「聞こえなんだか?」
怒気を孕む美しい少女は、白磁の小首を傾げて告げる。
「ウルドである」
頭が高い――と言いたいのであろう。
◇
「これって、ボクとしてはジョーカーにするつもりだったんです」
照射モニタに映る教皇アレクサンデルの前でトール・ベルニクは頭を掻いた。
「童子よ。それは、切り札という意味か?」
「切り札――う~ん、いや、やっぱり良札ぐらいですかね。ここを知られてなければ、いつでもエゼキエルを襲えるなあっていう」
旧帝都エゼキエルから、教皇領へ通ずるエステルポータル近傍には未知ポータルがあった。
イリアム宮よりウルドを攫った後、旧帝都よりベネディクトゥス星系へ二日で辿り着いたポータルである。
「ただ、円環ポータルから旧帝都星系へと至る未知ポータルは、もうエヴァン公にバレちゃってるんですよ」
グリフィス領邦から旧帝都への援軍を船団国に襲わせた際に彼等が利用した為である。
故に、現状の同ポータル付近は監視下にあり、そこを抜ければ確実に復活派勢力――ようはエヴァンに気付かれるだろう。
「聖下と一緒なら無傷で通してくれるとは思いますけど……。追跡はされちゃうので結果としてベネディクトゥス直通ポータルを知られてしまいます」
エヴァンは、指を咥えて見送る事になるだろうが同ポータルを監視下に置くはずだ。
つまり、奇襲により敵本拠地を衝く――といった作戦にはもう使えない。
「確かに惜しいな」
「はい。ただ、こちらのルートですと、三日目の深夜頃には到着できます」
「ふむん――良き札を捨て、七日を急くか――」
矢盾とするアレクサンデルの了承を得なければ近道を通る確約ができなかった為、十日は必要であろうとウルド及びベルニク統帥府へは伝えてある。
「まあ、信じられぬであろうしな。主があれでは――」
アレクサンデルの女帝ウルドに対する評価は、さほど改善されていない。
「いえ、ボクは信じてます。ただ、急がないと――随分と無茶な事をされそうな気がしまして」
なかなか勘の鋭い男であった。




