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第二話 無表情な聖騎士は実は溺愛体質でした

すみません、更新遅くなりました(^^;)

今回も二万字越えの大作……。

前回とはテイストが変わってしまったので、デレ甘が苦手な方は回れ右お願いします(>人<;)

元家族や元婚約者が出てくるのは次回の予定です!



 王都から少し離れた小都市アヴドニークで、私とノエルは夫婦生活を始めた。

 どうしてこのアヴドニークに居を構えたかというと、結婚を機にノエルがこの街にある教会の大きな支部に転属したためである。

 ここでの生活を始めて一年。

 ノエルが用意してくれた小ぢんまりした家には、私が求めていたものが全て詰まっている。

 もちろん、貴族時代に享受していたような贅沢品は何もない。

 しかしここには、持ち物にしても行動にしても全てを自分で選択できる自由や、何か困った時に手を差し伸べてくれる人のいる環境がある。


 そして……夫のノエルはというと。

 彼は普段は表情が乏しく感情の起伏が殆ど見られないのだが、私に対する愛情表現は大袈裟なほどはっきりしている。

 移住して来たばかりの頃にノエルを狙っていた街の若い女性たちも、自分たちには愛想のひとつも振り撒かないのに私にはベタベタと引っ付くノエルを見て、一人二人と諦めていった。

 恐らく私が彼の想いや行動を勘違いして不安にならずに済むように、わざとそうしてくれているのだと思う。


 ノエルは行動だけでなく、言葉でも非常にストレートに愛を伝えてくる。

 「愛してる」「君だけだ」など歯の浮くようなセリフを真顔で言うものだから、一々恥ずかしがっている私がおかしいのかという気がしてくる。

 それから、彼は私に嘘をつかないし隠し事をしない。

 全てのことを詳らかにするのは無理だが、私が質問したことには必ず答えてくれる。

 きっと過去に私が受けた心の傷を慮ってくれているのだろう。

 だから私も、彼が聞いてほしくないだろうことは敢えて聞かないようにしている。

 誰にだって聞かれたくない過去はあるだろうから。


「ティナ、仕事に行ってきます。今日は家で刺繍の仕事をするのですか?」


 出勤前、ノエルが私の腰を抱き寄せて額にキスをする。

 これも毎朝のルーティンだ。


「ええ。オイマール夫人からの依頼分を終わらせるつもりよ」


 ここで暮らし始めてからできた友人たちと交流する中で、私の貴族令嬢時代の嗜みである刺繍の腕を褒められる機会があった。

 そこでハンカチにワンポイントでイニシャルとちょっとした図柄を刺繍してプレゼントしたところ、友人たちから刺繍の依頼が舞い込むようになった。

 刺繍は貴族令嬢としては当たり前のスキルだが、平民の間では高度な刺繍ができる人は少ないらしい。

 既製品にひとつ刺繍を入れるだけで特別感が出るし、平民のちょっとした贅沢といった感じで、私への依頼は増えていった。

 そのうちに商売として依頼を受けるようになり、今では少しばかりの収入源になっている。


「あまり無理をしては駄目ですよ。ティナは刺繍を始めると寝食を忘れてしまうから」


「分かったわ。ちゃんと昼食は取ります」


「そうしてください。……愛しています、ティナ。行ってきます」


 そう言ってノエルは唇に長めのキスをすると、名残惜しそうに振り返りながら家を出て行った。


 ノエルを見送ってから刺繍を始め、そろそろお昼時かという頃に玄関の呼び鈴が鳴る。


「ティナ〜!来たわよ!」


 飛び込んできたのは近所に住むアシュリー。

 歳は私の2つ上の22歳で、ここに引っ越してきたばかりの頃にノエルを狙って突撃したものの撃沈し、その後なぜか私と仲良くなった女性だ。

 薄茶色の髪はふわふわと軽く、まん丸の薄紅色の瞳はダリアを思い起こさせる愛らしさだ。

 私と並んで歩けば誰も私より年上だとは思わないだろう。


「アシュリー、ちょうど良かった。今お茶を淹れたとこなの」


「ラッキー♪ティナが淹れたお茶ってほんと美味しいのよね!同じ茶葉なのに、何で味が変わるのかしら?それより、ハロッズベーカリーのクロックムッシュ買ってきたから一緒に食べよ!」


 当初はノエルにちょっかいをかけていたアシュリーだけど、全く目がないと悟るや否やすっぱり諦めて別の人を追い始めた。

 今は八百屋の息子のドーソンを追いかけているらしい、恋多き女である。


「ハロッズベーカリー?すごく並んだんじゃない?」


「ふふっ、それがね。ハロッズの息子のキリアンと親しくなって〜」


 ………訂正。

 彼女の興味はドーソンからキリアンに移っているらしい。


「とにかく、あったかいうちに食べよ!」


 軽食と紅茶をいただきながらアシュリーとたわいもない話をするのも、ここ最近では当たり前の習慣となった。

 とは言っても、お喋り好きなアシュリーの話を私が相槌を打ちながら聞くことが殆どなのだけど。


「そういえば、領主様の息子が戻ってきたって話、聞いた?衣装店の針子の子たちが騒いでたわ」


「領主様……?」


 確かこの辺りはカウソン伯爵領だったはず。

 『領主様の息子』とは、カウソン伯爵家の2人いる息子のうちのどちらかの話だろうか?

 ちなみにカウソン伯爵は騎士団長を兼務しており、その嫡男であるウォルダー様は例の学園での騒動でダリアの取り巻き(役)を務めていたうちの一人だ。


「そう。何でも黒曜石みたいに輝く黒髪に紺碧の瞳が美しい美丈夫らしいわ!」


「そうなの」


「あら、ティナは美丈夫には興味がない?……まあ、夫が呆れるほどの美丈夫だものねぇ」


 クロックムッシュを食べ終えたアシュリーは、私がお茶請けに出したクッキーに手を伸ばしている。


「そういう訳じゃないけど。アシュリーは領主様の息子に興味があるの?」


「そりゃあねえ。目に留まればお妾さんとして贅沢な暮らしができるかもしれないし?」


 経済的に困窮する男爵家や子爵家が裕福な商家の平民と婚姻を結んだ例はいくつか聞いたことがあるが、伯爵位以上になれば平民を正妻として娶ろうとする貴族はいない。

 それでも平民の女性の間では「貴族に見初められ贅沢な暮らしをする」というのが理想の恋物語として語られている。


「お妾さんって……そんなに良いものかしら?」


 貴族の中では妾といえばトラブルの元という認識で、正妻との確執もあるし、子供が産まれようものなら後継問題で泥沼になることなど容易に想像できる。


「良いに決まってるでしょ?今みたいにあくせく働かなくても豊かに暮らせて、しかも姫様みたいな豪華なドレスや宝石を買ってもらえるんでしょ?最高じゃない!」


「…………」


 もしアシュリーが誰かの妾として召し上げられることがあれば、絶対に不幸になりそうな気がする。

 せっかくできた大切な友人が、領主様の息子に見初められませんようにと心の中でお祈りをしておく。


 しばらく話した後、アシュリーはドーソンと約束があると言って帰って行った。

 私は再び刺繍を始め、お茶休憩の時間も忘れていつの間にか外が暗くなり始めた頃。

 不意に家の呼び鈴が鳴らされる。


「はい………どなたですか?」


 玄関の扉を開けると、そこには黒い外套で顔を半分ほど隠した男性が立っている。

 男性はしばらく固まったように動きを止めた後、慌てて数度咳払いをする。


「失礼……こちらはノエル・ハーディン卿のご自宅ですか?」


 男性は名乗ることなく尋ねる。


「ええ。夫に何か?」


「私はハーディン家の使いの者です。こちらをノエル様に」


 そう言って、男性は一通の封筒を取り出す。

 私がそれを受け取ると、男性はそれとは別にメモの切れ端をポケットから取り出す。


「私はこの宿屋に泊まっております。お返事を書かれたらお手数ですがこちらまでお持ちいただくよう伝えていただけますか?」


「……分かりました、伝えます」


 そう答えると、男性は一礼して去って行った。

 渡されたメモ紙に目を落とすと、そこには宿屋の名前と住所が書かれていた。



「ハーディン家の使い、ですか?」


 その後幾許もなく帰宅したノエルに、訪問者について話して預かった封筒を渡す。

 ノエルは封筒を受け取ると、オープナーでサッと開いて中の手紙に目を通す。


「……なるほど」


 ノエルは手紙をテーブルに置き、聖騎士の制服を脱ぎ始める。

 私は着替えを手伝いながら、手紙の内容について尋ねる。


「手紙には何と?」


「ハーディン家の当主……私の義父が、3年に及ぶ外商の旅を終えて王都に帰還するそうです。結婚したことは手紙で伝えてはあったのですが、ぜひ嫁を見せに来いと」


「ああ……」


 私は一年前、ノエルと結婚する直前の会話を思い出していた。

 ノエルがお世話になったというハーディン家に結婚の挨拶は必要ないか?と聞くと、ノエルは「義父は今この国にいない」と答えた。

 それでは、帰ってきた際に挨拶に行こうということで落ち着いた。

 ちなみに私の生家のダストン家には修道院を出る前に手紙を送った。

 籍を抜いてもう他人になったとはいえ、「ダストン家には迷惑をかけない」と約束したからには報告義務はあると考えたからだ。


「ティナは……王都に行くことに抵抗はありませんか?」


 着替えを終えたノエルが私を背後から抱きしめる。


「うーん……抵抗がないと言えば嘘になるけれど」


 ノエルはそのまま私を抱え込んで食事が用意してあるテーブルに座り、私を膝の上に乗せる。


「けれど?」


「お義父様にはご挨拶したいわ」


 どう考えてもこの状態だと食べにくいと思うのだけど、ノエルは片手で私の背中を支え、もう片手で器用に料理を口に運ぶ。

 そして餌付けのように私の口にも料理を運ぶ。


「……ノエル。私は自分でご飯を食べられるわ」


「ええ、知ってます。私が食べさせたいのです」


 毎日のようにこのやり取りをしているのだが、ノエルは私の世話をするのが癒しになるのだと言って憚らない。


「王都への滞在はできるだけ短く済ませたいところですが……あの義父がそれを許してくれるかどうか」


「どういう意味かしら?」


「何というか……彼は良く言えば『世話焼き』、悪く言えば『お節介』なのです」


 それはノエルのことでは?と思ったけれど、口には出さないでおく。


「ティナの事情を知って、変な気を回さないと良いなと思いまして」


「それでは、私の事情を話さなければ良いのでは?」


「どうでしょうか。あなたはどこからどう見ても貴族出身ですし、義父がそれに気付かないとは思えません。ですから、事情を知りたがると思うのです」


 そう言われてみれば、平民になった元貴族の令嬢と修道院で出会ったなどと言われたら、心配されるのかもしれない。

 私自身が何か悪いことをした訳じゃなくても、貴族の令嬢が修道院に入るのは悪い理由が殆どだからだ。


「それはそうよね。下手したら、結婚自体を反対されるかも」


「それはあり得ません」


 キッパリと言い切るノエルを、驚きの眼差しで見つめる。


「……どうしてそう言い切れるの?」


()()()()を見れば、反対する気も失せるでしょう」


 この状態………今、私がノエルの膝の上に乗っている状態のことかしら?

 まさか、ハーディン家でも同じ行動を取るつもり?


「……外ではもう少し節度ある行動をお願いするわ」


 私がそう言うと、ノエルの表情がふっと緩む。

 いまいち感情の起伏が分かりにくいノエルの顔だが、一緒に暮らすうちに何となく彼の気分が分かるようになってきた。


「しかしハーディン家に行くのであれば、余計に私たちの仲を見せつけなければ」


「どうして?」


「ハーディン家には息子と娘がいるのですが、ハーディン家で過ごす間、私はそこの娘に懸想されていたのです」


「あら」


「それに、ティナを紹介すれば確実にあの息子はティナに惚れるでしょう」


「それはどうかしら」


「間違いありません。……ティナはあの息子の好みのど真ん中ですから」


 ノエルはそう言って榛の瞳で私をじっと見つめる。


「………はぁ。とりあえずハーディン家には顔を出すとして、最短日程で帰ると返信しておきます。義父がどのようなことを考えているかは分かりませんが……一度挨拶をしておかなければならないのは確かですので」


 持っていたスプーンを机に置き、ノエルは私をギュウッと抱きしめ肩に顔を埋める。

 私はしばらくされるがままに身体を預けていたが、背中に回ったノエルの手が怪しい動きをし出したので私はノエルの体を押して距離を取る。


「ノエル。食事中ですよ」


「……料理もとても美味しいですが、早くティナを食べたいです」


 ………この夫は真顔で何てことを言うのだろう?


 私たちには子供がいないが、もちろん白い結婚というわけではなく婚姻届を出した日に初夜を済ませている。

 閨事も少ないわけではなく(むしろ夫は旺盛な方だが)、私たちは婚約期間を置かずに結婚したので、今は互いを知り絆を深める期間として避妊している。


「女神様に仕える気高き聖騎士の科白とは思えないわ……」


 私が額に手を当てて溜息をつくと、ノエルは私を横抱きにしたまま立ち上がり、スタスタと歩いて寝室に向かう。

 寝室に入ると、そこに置かれている少し広めの夫婦のベッドに優しく横たえられる。


「ノエル……私、湯浴みもまだ……」


 言葉を言い終える前に唇を塞がれる。

 ノエルは相変わらず無表情だが、手つきはどこか性急で焦っているように感じる。


「ノエル?どうしたの?」


「………ハーディン家の息子にティナを見られてしまうことを想像して、どうしようもなく嫉妬しました」


「……見られるだけで嫉妬するの?」


「はい。私だけのティナですから」


 ……こういうことを真顔で言ってしまうのよね、私の夫は。


「私が目移りするかと心配になる?」


「そんなことは……ありません。させません」


「ノエルはどうなの?懸想されていた娘さんに心変わりするのではない?」


「それは絶対ありません」


 熱情に潤んだ瞳で何度も何度も慈しむような口付けをされると、私は全てを諦めノエルに身を委ねる。

 明日はオイマール夫人に商品を納品する日だから、せめて動けるぐらいには手加減してくれるといいな……そんなことを考えながら、瞼を閉じた。



◇◇◇



 それから1ヶ月ほど経ち、ノエルがまとまった休みを貰えたタイミングで王都に向かうことになった。

 目的は、彼の義父であるハーディン様に結婚のご挨拶をするため。

 ハーディン商会といえば、王侯貴族相手にも商売をする大きな商家である。

 義父が世界を外商で回っていたと言うように、まさに世界を股にかける大企業というやつだ。


 王都に発つ前、私は緊張していた。

 厳しいと言われる公爵家の淑女教育をこなしただけあって貴族としてのマナーは身についていると思うが、何せ大富豪相手にそのマナーが通用するのかが分からない。


「緊張しなくても大丈夫ですよ。富豪とは言っても平民ですから、この街の人たちのような感じです」


 ノエルは平然とそう言い放つが、私は着ていく服や持ち物ひとつまで気を使って準備した。

 王都に発つ前夜、ベッドの上で寄り添っていろんな話をする。


「ハーディン邸に住んでいるのは義父のジェラールと息子のネイビス、娘のアンネルーズ。ネイビスは私と同い年で、アンネルーズはティナと同い年です。義父の奥様は私がお世話になる前に亡くなったと聞いています」


「ノエルはいくつの時にハーディン家に預けられたの?」


「13歳の時なので、11年前ですね。聖騎士になって家を出たのが17歳の時なので、お世話になったのは実質4年間なのですが」


 そう言うノエルの表情は穏やかだ。

 恐らく、その4年間にたくさんの温かい感情を与えてもらったのだろう。


「そういえば、ノエルはどうして聖騎士になったの?」


 私がそう聞くと、ノエルは斜め上を見上げてうーん、と考え、口を開く。


「……一番は、とにかく早く家を出たくて。学園に行くことも考えましたが、それだと独り立ちするまでに時間がかかりますよね?聖騎士ならば衣食住が保証されて給与も出ますから、ちょうど良いと思ったんです」


「なるほど。ノエルは、早く独り立ちしたかったのね」


 誰かに迷惑をかけて生きることに心苦しさを覚えていたのだろう。

 改めて、ノエルの厳しい生い立ちに思いを馳せた。


「17の頃……アンネルーズは13歳だったのですが、私と結婚すると言い出したのです。私と結婚して、ハーディン商会を継ぐと。上に兄がいるのに、です。義父は叩き上げですから『実力があれば良い』なんて笑って言っていましたが、私からすれば堪りません。私自身が後継問題で家を追い出されたのに、引受先でまた同じ問題を起こすわけにはいかないと思い、家を出たのです」


 きっとアンネルーズ様は子供だったから、よく分からぬまま思ったことを口に出したのだろう。

 義父もきっと娘の言うことをただの子供の戯言だと、深く考えなかったに違いない。


「……お義父様は後悔したかもしれないわね。あなたの心を守れなかったことを」


 私は隣で横たわるノエルの鈍色の髪をサラサラと撫でる。

 ノエルは気持ちよさそうに瞼を閉じていたが、ゆっくり目を開いて私をギュウッと抱きしめる。


「……良いのです。聖騎士になったお陰でティナに出会えましたから」


 話を聞きながら、ノエルのこの溺愛体質は家族に愛されたかった気持ちの裏返しかもしれないと思った。

 私はノエルの背中をキュッと抱きしめ返した。



 次の朝、馬車を借りて数泊分の荷物を持ち、王都へ出発した。

 この街から王都までは少し距離はあるが、おおよそ4時間程で到着するだろう。

 ノエルと一緒に馬車に乗って移動するのはアヴドニークに来た日以来だけど、あの時と今では馬車に乗る位置が違う。

 あの時は私たちはまだ対面に座っていた。

 しかし今は、当たり前のようにノエルの膝の上に抱えられている。


 車窓から見る一年ぶりの王都はやっぱり大きい。

 アヴドニークもそれなりに栄えた都市だけれど、王都は規模が違う。

 その王都の中でも高位貴族のタウンハウスが集う一等地に、ハーディン家のタウンハウスはあった。

 屋敷の大きさは一般的だが、それでもちゃんと庭があって使用人が住み込めるほどの大きさなのだから流石だ。

 ノエルのエスコートで馬車を降りると、家令らしき壮年の男性がで迎えに来ていた。


「ノエル様、アスティナ様、お待ちしておりました。荷物はこちらで部屋にお運びしますので、まずは旦那様にお会いになってください。首を長くしてお待ちかねです」


「そうですか。分かりました」


 ノエルはそう言って、小声で家令と何やら会話し、納得したように頷く。


「さ、行きましょうか。ティナ」


 使用人達が馬車から荷物を下ろしているのを尻目に、私はノエルに手を引かれるまま屋敷に入る。

 2階に上がってすぐの一番大きな扉をノックして開くと、そこは応接スペースだった。

 真ん中に置いてある大きなソファには、肌が浅黒く、白髪混じりの顎髭を蓄えたワイルドな風貌のおじさまが座っている。


「ノエル!よく帰ってきたな!」


 おじさまは座ったまま軽く手を上げてニカッと歯を出して笑う。

 立ったまま挨拶をした方が良いのだろうかとチラリとノエルを見ると、ソファに座るよう促されたので取り敢えず座る。


「君がアスティナちゃん?こりゃーすげぇ美人じゃねえか!ノエルは女に興味がないんだと思ってたが……お前、ただの面食いだったんだな!」


 おじさまは私の顔をじっと見ると、膝を叩いて嬉しそうに大きな声を上げる。


「ティナは容姿も美しいですが心根も清くて美しいのです。顔だけを好きになったような言い方は止めてください」


 ノエルが眉根を寄せてそう言い放つと、おじさまはノエルの顔を凝視したまま動きを止める。


「……お前、本当にノエルか?会わねぇうちに随分と変わったな……」


 そう言ってしげしげと私とノエルの顔を交互に見ると、おじさまは腕を組み、うーむと唸る。


「……俺の紹介がまだだったな?俺はジェラール・ハーディン。この家の当主で、ノエルの第二の父だ」


 ジェラール様ににっこり笑って差し出された手を、私はおずおずと握る。

 貴族令嬢は握手で挨拶などはしないので、やり方が合っているのか不安である。


「お初にお目にかかります、ジェラール様。ノエルの妻のアスティナと申します」


 ジェラール様は私の目の前で指を振り、チッチッと舌を鳴らす。


「名前で呼ばれるのもグッとくるが、やっぱりここは『お義父(とう)さん』と呼ばれたいな?ほら、言ってみな?」


「……お……お義父(とう)さん……」


「ハァーッ!堪んねぇな!!」


 興奮するジェラール様を見て、ノエルはいきなり握手していた私の手を奪い取り、代わりに自分がジェラール様の手を握る。


「……お義父(とう)さん」


 低い声でノエルがそう呟くと、ジェラール様がまたもや動きを止める。


「お前……本当に変わったな」


 その後、ジェラール様が私たちの馴れ初めなどを根掘り葉掘り聞きたがったが、ノエルが「話したら減る」という謎の言葉を残して黙秘したため、それらを聞き出すのを諦めたようだ。

 その代わりに、この3年で外商に出かけた様々な国の面白い話を聞かせてくれた。

 ジェラール様は流石やり手の商人だけあって話が面白く、私は時折クスクスと笑いながら話を聞いた。


 しばらくすると、応接室の扉がノックもなくいきなりバーンと開かれる。


「ノエルっ!!」


 いきなり女性の甲声が聞こえ、焦茶色の巻き毛を2つに結った女性が飛び込んで来る。


「ノエル、会いたかったわ♡」


 そう言って女性はズカズカと歩いてきて、私の真ん前に立つ。

 私の前に立ってはいるが、視線はノエルに釘付けだ。

 ノエルは女性と目を合わせてはいるが、声を掛けようとしない。

 暫くの沈黙の後、漸く女性の視線が私に向く。


「ねえ。私がノエルの隣に座るのだから退いてくれない?」


 ノエルに掛けた声より幾分トーンを落として私に話しかける。

 どうやら私とノエルが腰掛けている2人掛けのソファでは自分が座る場所がないから、私に退けと言っているらしい。

 何となくノエルから不機嫌そうなオーラが漂った時、対面に座っているジェラール様が笑い声を上げる。


「ははは!アンネルーズは相変わらずドギツいなぁ!……ティナちゃんは俺の隣に来るかい?」


 ジェラール様が自分の隣をポンポン叩きながらニヤリと口角を上げると、ノエルがピクッと肩を震わせる。


「……はぁ。しょうがありませんね」


 ノエルは溜息をつくと、私の膝の裏に手を入れてヒョイと持ち上げ、自分の膝の上に乗せる。


「………え?」


 アンネルーズ様は訳が分からないといった表情でポカンと口を開ける。


「空きましたよ。座ったらどうですか?」


 ノエルは私を膝の上に乗せたまま、アンネルーズ様に淡々と席を勧める。

 沈黙の空気が居た堪れなくなり、身を捩って膝から降りようとするが、腰をガッチリ抱き込まれてしまい身動きが取れない。


「…………ぶぁっはっはっは!!!」


 沈黙を破ったのはジェラール様の大笑いする声だった。

 次第に状況が呑み込めたのか、アンネルーズ様は顔を真っ赤にしてプルプルと震え出し、ドスドスと床を踏みしめながら歩いてジェラール様の隣にドサッと腰を下ろした。


「いや、悪かったな。コレは俺の娘のアンネルーズ。一応、歳はティナちゃんと同じはずなんだが、まだまだ乳くせぇガキなんだな」


「誰がガキですって!?私はもう立派な淑女(レディ)よ!!」


「……ノエルの妻のアスティナと申します。よろしくお願いします」


 私は一応自己紹介をして頭を下げたのだが、案の定無視される。


「…………」


「………で、いつまで膝に乗ってんのよ!?」


 アンネルーズ様がノエルの隣に座るのを諦めたというのにも拘らず、ノエルは私を膝の上から降ろそうとしない。

 鬼のような形相を私に向けられても、身動きを封じられて降りたくても降りられないのだ。

 何を思ったか、突然ノエルが私を横抱きにしたまま立ち上がる。


「それでは、ご挨拶は済んだのでお暇しても?」


「いやいや、ちょっと待て!色々話もあるし祝いもしたいんだからもうちょっとゆっくりしてけ!」


「そうよ!せっかく家族が揃ったのだからゆっくりして行って!!」


 ノエルの思いがけない発言に、ジェラール様も、先ほどまで私を睨みつけていたアンネルーズ様も慌てて立ち上がる。


「……何これ、どういう状況?」


 応接室の扉の方から声がしてそちらを向くと、ライトブラウンの髪の男性が唖然とした表情で私たちを見ていた。

 ソファから立ち上がったジェラール様とアンネルーズ様、それから私を抱き抱えたノエル。

 ……確かに、どういう状況?


「……とにかく、座れ」


 ジェラール様の号令で、一同は再び着席する。

 ノエルに目で訴えて、何とかソファに降ろしてもらう。

 応接室に入ってきた男性も、ジェラール様とアンネルーズ様が座っているソファに腰掛ける。


「コレは俺の息子のネイビスだ」


「ノエルの妻のアスティナと申します。よろしくお願いいたします」


 ぺこりと頭を下げると、ネイビス様も無言で少しだけ頭を下げてくれる。

 ネイビス様は少し目元を赤らめてじっと私を見つめている。

 ノエルが私の腰に回した腕に力が入る。


「……くくっ。まぁそんなに殺気立つなよ。部屋も用意してるし、取り敢えず今日は泊まってけ。それから……ノエル。お前には話したいことがあるんだが」


「妻と一緒に伺います」


「本当に良いのか?」


 ジェラール様は先程までとは打って変わって真面目な顔になり、ノエルをじっと見つめている。


「……ノエル。私は大丈夫よ。部屋で休ませてもらうから、話してきて」


「……ティナ。しかし……」


「それなら、私と一緒にお出かけしない?アスティナさん!」


 急にアンネルーズ様が声を上げる。

 さっきまで私を睨んでいたのにこの短時間で友好的になる訳がないので、何か悪いことを思いついたのだろう。

 だけど………。


「それでは、お言葉に甘えます」


「ティナ!」


 ニッコリと微笑んで申し出を受けると、ノエルが心配そうな顔で私を引き寄せる。

 私はノエルにも安心させるように微笑みを向けて、小さな声で宥める。


「……大丈夫よ、ノエル。私はずっと王都に住んでいたのだし、何があっても対応できるわ」


「心配するな、ノエル。護衛をつけてやる。……おい!」


 ジェラール様が声を上げると、部屋の隅で控えていた家令が一礼して部屋の外に出る。

 するとすぐに、騎士の格好をした枯草色の髪の若い男性が入ってくる。


「お呼びスか?」


「ああ、リュカ。お前、こちらのお嬢さんを護衛しろ」


 リュカと呼ばれた男性はそのグレーの瞳をこちらに向けると、驚いたように目を丸くする。


「ぅわあ!とんでもない美人じゃないスか!お嬢さん、お名前は?」


「……アスティナと申します」


「アスティナちゃん!名前も可愛い!」


「……こんな奴に妻を任せたくないのですが?」


「えっ!妻!?……なぁんだ。大丈夫スよ、俺、人妻に手を出す趣味はないスから」


 ……人妻じゃなければ手を出されていたのだろうか?

 それって護衛としてどうなんだろう。

 軽快なテンポで話し終えると、リュカは満足そうにニコニコ笑っている。


「まあ、こんなだが一応任された仕事はきちんとやる奴だ。ここにいる間はティナちゃんを一人にしないから安心しろ」


 ノエルは非常に不服そうな顔をしていたけれど、いつまでもここに居ても話が進まないので、ノエルとジェラール様を残して私たちは退出することにした。


「さあ、アスティナさん!街に出ましょ!」


 応接室から出るなり、アンネルーズ様が私の腕を掴んでぐいぐい引っ張りながらどこかへ連れて行こうとする。


「……俺も一緒に行こうか?」


 その様子を見て、ネイビス様が心配そうに声をかけてくる。


「まあ!お兄様、私たちは今から女性同士で交流を図るのよ?邪魔しないでくれる?」


「だが……女二人では危険じゃないか?」


「大丈夫よ!リュカもいるんだし!」


 そう言ってぐいぐいと玄関まで連れ出されると、既に馬車が用意してある。

 応接室での会話を聞いて、家令が手配したのだろう。


「さ、早く乗って!」


 背中を押されて無理やり馬車に乗せられ、すぐにアンネルーズ様も乗り込むと扉がガシャンと閉められる。


「あの……リュカさんは?」


「護衛なんて必要ないわ!」


 御者に発車を命じると、それ以降、アンネルーズ様はツンと顔を横に向けて何も言葉を発することがなかった。

 馬車は王都の繁華街に向かい、馬車留めで停車する。


「私のおすすめの店を紹介するわね!」


 アンネルーズ様は再び腕をぐいぐいと引っ張って大通りを歩き、脇道に入ったところにある一軒の宝石屋の前で立ち止まる。


「さ、あなたはここで商品を見てて!私は別の店で用事があるから!また後で合流しましょ!じゃあね〜」


 そう言うと、アンネルーズ様は笑顔でひらひらと手を振って足早に去って行った。


「………こりゃ、置いて行かれたスね?」


 背後で呟きが聞こえ振り返ると、いつの間にかリュカが立っていて去って行くアンネルーズ様の後ろ姿を見つめている。

 恐らく馬で馬車の後を追ってきたのだろう。


「アスティナちゃん、何でアンネお嬢様に嫌われてるんスか?」


「……アンネルーズ様は私の夫を慕っていらっしゃるようです」


「なるほど。アスティナちゃんも大変スね?」


 リュカに同情的な目線を向けられ、苦笑いする。


「たぶんアンネお嬢様はもう戻ってこないと思いますけど、どうします?」


「……せっかく王都に来たのですから、お茶でも飲んで帰りましょうか」

 

 私はリュカを誘って久しぶりに貴族時代に気に入っていたカフェで紅茶とケーキを愉しんだ後、リュカの馬に乗せてもらってハーディン邸へと戻った。


 ハーディン邸に着いた頃にはちょうど夕食の時間になっていて、家令にそのままダイニングに通される。

 ダイニングに入ってきた私の姿を見たアンネルーズ様の顔は強張っていたが、私は笑顔を浮かべて案内された席に座る。


「……アスティナさん、ごめんね。やっぱり俺も付いていけば良かった」


 先に席についていたネイビス様が申し訳なさそうに小声で謝ってくる。

 私と一緒に出かけたはずのアンネルーズ様が一人で戻ってきたことで色々察したのだろう。


「大丈夫ですよ。王都は土地勘もありますし、何とでもなります」


 事もなげに答えると、ネイビス様は少しホッとしたような表情を見せる。

 アンネルーズ様はずっと苦虫を噛み潰したような顔で私を睨みつけている。

 暫くするとジェラール様とノエルが一緒にダイニングに入ってきて、ノエルが私の隣に着席する。


「今日はノエルの結婚祝いも兼ねて豪華な夕食にしたぞ!さあ、食え!」


 豪勢な料理が次々に運ばれてくる。

 質素な食事に慣れてしまった体には重いが、少しずつ口をつける。


「それで?アンネはティナちゃんをどうやってもてなしたんだ?」


 ジェラール様がニヤニヤとしながら話題を振ると、アンネルーズ様はギクリと体を揺らす。

 しかしすぐに何事もなかったような顔をして、ナプキンで口を拭う。


「王都を案内して差し上げたわ!見たことのないものばかりだと喜んでいたわよね?」


 アンネルーズ様は話を合わせろと威圧するような顔で私を見ている。


「……アンネルーズ様のおすすめの店を教えていただきました」


 私は微笑んでそう答える。

 別に嘘は言っていない。


「おすすめの店?」


 ノエルが心配そうに榛の瞳を揺らして私の手を握るので、私もキュッと握り返す。


「お勧めいただいたのは、宝石店だったわ。……宝石は買わなかったけれど、久しぶりに王都のカフェでゆっくりして帰ってきたの」


「王都のカフェ?そこはティナのお気に入りなのですか?」


「ええ。ケーキがとても美味しいの」


「それならまた帰りにも寄りましょう。ティナのお気に入りならば私も体験しなければ」


 気付けば私たちは二人で会話をしていて、ジェラール様はニヤニヤ笑い、アンネルーズ様はワナワナと肩を震わせている。

 せっかくの家族の団欒だったのに、空気を読めなくて少し申し訳ない気持ちになる。

 結局何だか微妙な空気のまま夕食が終わり、私たちは部屋に戻った。


「……少し用事ができまして、ここには一週間ほど滞在することになりました」


 湯浴みを終え寝支度を整えていると、ノエルが話を切り出す。


「そう。分かったわ」


 髪をタオルで乾かしながら答えると、後ろからそっと抱きしめられる。


「……何も聞かないのですね?」


「必要なことであれば話してくれるでしょう?私が聞くとあなたは答えなければならなくなるし、話すのはノエルのタイミングに任せるわ」


「……はぁ。ティナ、愛しています」


 ノエルはそう言うと、頸に何度も口付ける。


「……もしかしたら、隣国の私の生家で何かが起こったかもしれないと。義父の話はそんな内容でした。もっとはっきりしたことが分かったら、詳しい話をティナに伝えます。……それから、アンネルーズに嫌がらせをされたのなら、我慢しないで私に言ってください」


「ふふ。嫌がらせというような大袈裟なことでは無かったわ。ただ街中(まちなか)に置いて行かれただけ」


 不意に体をひっくり返され、ノエルと向き合う格好になる。


「ではカフェでは誰と、お茶をしたのですか?」


「……リュカと……」


 言葉を終える前に唇を塞がれる。

 そのままベッドに押し倒されてギラリと光る榛の瞳に見下ろされる。


「もう一年くらいは2人だけで……と思っていましたが。やっぱり子供、作ってしまいましょうか」


 ノエルの口角が不敵に上がり、私は身震いする。

 ハーディン邸に来た時に、ノエルが私と同室かどうかを家令にわざわざ確認したという話を聞いたのは翌朝のことだった。



 翌日、ノエルは日中にジェラール様とともに外出していたので、私は部屋で過ごしていた。

 幸い、休み中も依頼の刺繍が続けられるように材料と道具を持ってきていたし、私は刺繍をしていれば時間が経つのも忘れられる。

 ノエルが出かけてから部屋に篭っていると、しばらくして扉がノックされる。


「ちーっス、アスティナちゃ〜ん。お客さんスよ〜」


 そう言って部屋の外を守っていたリュカが扉から入ってくる。

 その後ろから焦茶色のツインテールが揺れているのが見える。


「ちょっと!何でリュカまで入ってくるのよ!外で待ちなさい!」


 アンネルーズ様はやはりドスドスと床を踏みしめながら、部屋に入ってくるなりリュカに文句をつけている。


「俺、アスティナちゃんの護衛なんで」


「何!?私が何か危害を加えるとでも言うの!?」


「まあ、その可能性は否定できないッス」


 リュカは淡々と答えると、まるで貴族付きの護衛のように私の3歩後ろに立つ。

 アンネルーズ様はチッと舌打ちして私が座っている椅子の対面に腰掛ける。


「……ねえ、アンタ。歓迎されてないって分かってるのに何で帰らないの?」


「夫に用事があってまだ帰れないそうなんです」


「はぁ?言葉通じてる?アンタが一人で帰れって言ってんの!」


「私が一人で帰ってしまったら夫が心配します」


 私がそう言うと、アンネルーズ様はギリギリと奥歯を噛み締める。


「心配なんかするわけないでしょ!アンタなんかノエルに相応しくないもの!」


「いやー、アスティナちゃんを一人で帰したらノエルさんは怒り狂うと思うッスよ。どう見ても溺愛してますもん」


 リュカが口を挟むと、アンネルーズ様は鬼のような形相でリュカを睨みつける。


「うるさいっ!リュカは話に入って来ないで!!」


「ノエルに相応しい女性とは、どんな女性ですか?」


 私は刺繍の手を止めてアンネルーズ様に問いかける。


「えっ……?そ、そうね。少なくともアンタみたいな地味で根暗な女じゃダメなのよ!私ぐらい華やかな美人でないと」


 アンネルーズ様は胸元で光る大粒のダイヤモンドの下に手を当てて自慢げに胸を張る。


「アンネルーズ様はノエルに相応しいと?」


「……当たり前じゃない!」


 私が真っ直ぐにアンネルーズ様の団栗色の瞳を見つめると、アンネルーズ様は苛立たしげに目を細める。


「なるほど。気に入らない者を街中に置き去りにするような女性が、ノエルに相応しいということなんですね。やはり、それくらい強かでないと駄目ですよね」


 そう言うと、アンネルーズ様は顔を真っ赤にして怒りを露わにする。


「なっ……!昨日は、少し用事を思い出して先に帰ってしまっただけじゃない!それをそんな風に嫌味を言うなんて、アンタは性悪だわ!!」


「……それが本当なら、普通はまず『先に帰ってしまってすみません』と謝るものですよ。残念ながら私は謝罪を受けた覚えはありませんが」


 私がニッコリと笑うと、アンネルーズ様はガタンッと音を立てて立ち上がり、ワナワナと体を震わせ、再び床を踏みしめながら部屋を出て行った。

 扉が閉まると同時に、後ろに立っているリュカがピューッと口笛を吹く。


「アスティナちゃん、淑やかな顔して案外やるッスね〜!!」


 正直言って貴族社会の強烈な虐めに比べれば、あんなもの小さな虫刺されぐらいなものだわ。

 ………でも。


「……集中力が切れてしまったわ」


 私は手元の刺しかけの刺繍に目を落とす。


「そしたら、庭を散歩でもします?」


 リュカの誘いに乗り、私は庭を散策することにした。


 庭に出ると、様々な種類の花が咲いている。

 世界中でビジネスを展開する商家だからだろうか、見たことのない花がたくさん植えてあるのが興味深い。


「これは花……なのかしら?」


 私は鮮やかな緑と赤のコントラストが目を引く植物の前で足を止める。

 初めて見た植物を興味津々で観察していると。


「……その赤い部分は、花ではないよ」


 不意に後ろからリュカとは違う声がして振り向くと、気付かぬうちに近づいてきていたらしいネイビス様が立っている。


「それはポインセチアと言って、南方の植物だよ。花はこの中心の丸いところなんだって」


「そうなんですね。初めて見ました」


「花が好きなの?」


「詳しくはないのですが、見るのは好きです」


 ネイビス様は私の隣に歩み出てポインセチアにそっと触れる。

 ジェラール様やアンネルーズ様は少し苛烈な性格をされているが、ネイビス様は少しおっとりした雰囲気を醸し出している。


「実はこの庭、俺が手入れしてるんだ」


「へぇ!すごいですね。どの花もすごく綺麗に咲いてます。丁寧に世話をされているんですね」


 私がそう言うと、ネイビス様は嬉しそうに頬を染める。


「そう言ってもらえると嬉しいよ。庭いじりなんて男らしい趣味じゃないと馬鹿にされるから」


 ネイビス様の言葉を聞いて、私は首を傾げる。

 庭いじりが男らしくない……?

 庭師は殆どが男の人なのに。


「そうでしょうか?私はそう思いませんけど」


「……アスティナさんは俺を励ましてくれるんだね。優しい人だ……」


 ……先程の返答のどの辺りに励まされたのだろう?

 疑問に思ってネイビスの顔を見ると、不意にネイビス様が熱に浮かされたような顔で私に手を伸ばしてくる。


「はいはーい!ストップ!そこまでッスよ〜」


 リュカが面倒くさそうな顔をしながら私とネイビス様の間に割り込む。


「リュカ……」


「俺、一応アスティナちゃんの護衛なんで。すんませんね〜」


 ネイビス様が反射的にリュカを睨みつける。

 その尖った団栗色の瞳はアンネルーズ様の瞳にそっくりだ。


「……お庭、見せていただいてありがとうございます。とても素敵でした」


 それ以上ここにいるのは危険な気がして、私は笑顔でお礼を言って部屋に帰るようリュカを促す。


「風も冷たくなってきましたから、そろそろ部屋に戻ります」


「部屋まで送るよ」


 ネイビス様はそう言うと穏やかな笑顔で私に向かって手のひらを差し出す。

 もしかして……エスコート?

 貴族では当たり前の行為だけど、平民にもエスコートってあるのかしら?


「あ、そうか」


 私が対応を迷っていると、ネイビス様は少し照れたように差し出した手を引っ込めて頭を掻く。


「ごめん、アスティナさん。商会の仕事で貴族のパーティー行くことも多いからエスコートの癖が出ちゃった。さ、冷えたらいけないから早く屋敷に入ろう」


 ネイビス様は私の半歩先を歩き、私の3歩後ろをリュカがついて来る。

 そして屋敷に入り私たちが宿泊している部屋まで着くと、ネイビス様がわざわざ使用人のように扉を開けてくれる。


「それじゃあまた、夕食の時に」


 そう言ってネイビス様は私が部屋に入るのを確認してから、扉を閉めた。

 扉が閉まる直前、こちらを見ていたネイビス様の団栗色の瞳が不敵に光っていたのは気のせいではないだろう。


 結局ノエルたちは夕食前に帰宅し、昨日と同じように義家族と共に食卓を囲んだ。

 ジェラール様とノエルは今日は朝からハーディン家が経営している王都の輸入雑貨店に出向いていたらしい。

 そこから派生してその店では今こんなものが売れているだとか、外国ではこんなのが流行っているだとか、ジェラール様が上機嫌で色々な話をしている。

 私、ノエル、ネイビス様は相槌を打ちながら話を聞いていたが、アンネルーズ様は昼間とは打って変わってツンとすましながら食事を口に運んでいる。

 妙な緊張感はあったものの、概ね和やかな雰囲気の食卓だった。


 部屋に戻ると、ノエルと2人きりの時間だ。

 湯浴みを済ませたゆったりとした格好でソファに隣り合って座り、部屋に用意されているワインに口をつけながら、ノエルは今日あった事や私に聞かせたい話をゆっくりと話す。

 私も普段はあまり飲まないワインを口に含みながら、ノエルの厚くて硬い胸板に体を預ける。


「ティナは今日は何をしていたんですか?」


 私が今日の出来事……アンネルーズ様が突然やって来た話や庭でネイビス様と会った話を主観を挟まずに淡々と話すと、ノエルはふぅっと溜息をひとつ吐く。


「やっぱり、思った通りになりましたね」


 そう言うと、ノエルは私を横抱きにして立ち上がりベッドまで連れて行く。

 ベッドに横たえられると同時に組み敷かれる。

 重ねた手のひらから伝わる熱が、これから始まる夜の長さを物語っていた。



 次の日も、そのまた次の日も、日中ノエルはジェラール様と共に出かけていた。

 時々部屋に花やら菓子やらを持ってネイビス様が訪れるのに対応すること以外は、私は基本的には部屋で刺繍をしながら過ごした。

 アンネルーズ様はあれから屋敷内を移動するときにすれ違うくらいで、私に突撃してきたり何かを仕掛けてくることはなかった。

 そして夕方ごろになるとノエルとジェラール様が帰ってきて全員で夕餉を囲み、ノエルとその日あった出来事を話しながら夜を迎えた。


 そうやって一週間を過ごしアヴドニークに帰る前日に、私は王都の刺繍店に珍しい材料がないか見に行くことにした。

 本当はもっと王都を見て回りたい気持ちもあったが、卒業パーティーでの婚約破棄から約2年、身分を捨てた身で知り合いに出会うかもしれない街中を彷徨く勇気はまだなかった。

 だから滞在最終日のほんの短い時間だけ、目当ての店を覗いたらすぐに帰るつもりでいた。


 ハーディン家の馬車を借り、リュカと共に刺繍店へ向かう。

 人通りが普段より多い気がしたがあまり気にせず通りを歩き、目当ての刺繍店に着いてからやって来たことを少しだけ後悔した。

 刺繍店の中は貴族の婦人や令嬢でごった返していたからである。


「すげぇ繁盛してるッスね〜」


「……しまったわね。もうすぐ闘技大会の時期だったわ」


 闘技大会は国を挙げて行われるイベントの一つで、剣術、槍術、弓術、魔術などの部門ごとにエントリーした選手がトーナメント形式で優勝を争う大会だ。

 この大会で優勝した者は王国騎士団での昇級が約束されており、また騎士でなくとも賞金や褒賞が与えられるため、出場者たちにとっても気合の入る一大イベントなのである。


 そして貴族女性たちは大会に出場する恋人や想い人の勝利を祈って刺繍入りのハンカチと飾り紐を渡し、出場者が闘いに勝利するとその恋人や想い人に白い薔薇を捧げるというロマンチックな風習がある。

 そのためこの時期の刺繍店では、刺繍用の糸や飾り紐を買い求める女性で混み合うというわけだ。


 高位貴族の子息は騎士でなくても栄誉のために闘技大会に出場することがほとんどで、斯くいう私も貴族令嬢時代は婚約者のために毎年刺繍入りハンカチと飾り紐を準備したものだ。

 つまり今この店の中には、令嬢時代の私を知る人物がいる可能性が高いということ。

 私は店の前で入るかどうか迷った挙句、やはり買い物は諦めてこのまま帰ることに決めて踵を返す。

 店から3歩ほど遠ざかった、その時。


「───アスティナお姉様?」


 鈴を転がすような声がして振り返ると、そこにはふんわりとした蜂蜜色の髪にサファイアの瞳をパチパチ瞬いている少女が立っている。


「……オードリー」


 目の前にいたのはオードリー・シュルツ。

 オードリーは私の母の生家であるシュルツ侯爵家の令嬢で、私の3つ年下の従妹だ。


「………アスティナお姉様っ!」


 オードリーは目にいっぱい涙を溜めて私に抱きついてくる。

 私はオードリーを受け止めてその震える背中を摩る。

 涙が止まらないオードリーをしばらく宥めてから、話をするために場所を移動する。


「……ごめんなさい、お姉様。お会いできたことが嬉しくて」


「こちらこそごめんなさいね。挨拶もせずにいなくなったりして……」


 人の少ないカフェに入り、腰を落ち着ける。

 オードリーの侍女と護衛、それからリュカは私たちが座る席から少し間を空けた席で私たちを見守っている。


「その……卒業パーティーでのこと。それから、それまでの一年をお姉様がどのように過ごされて来たのか。伯母様や学園の先輩から、大体のことは伺っております。お辛かったですよね……?」


 オードリーはいまだ止まらぬ涙をハンカチで拭いながら、私を気遣わしげに見つめる。


「……そうね、辛かったわ……。貴族としての使命から逃げ出したいと思うくらいには」


 私は2年前の気持ちを思い出しながら、睫毛を伏せて手元のカップの中で揺れる紅茶に視線を落とす。


「修道院に入られたと聞いていたのですが……。後でその話を聞いて、お祖父様は大変お怒りだったのです。私たちに相談してくだされば良かったのに……お姉様のお力になりたかったですわ」


 お祖父様とは、母の実父である先代のシュルツ侯爵のことだろう。

 母がお祖父様のことを苦手としていたためにあまり交流をした記憶がないが、私のことは一応気にかけてくださっていたのだろうか。


「そうよね……。あの時はとにかく、全てのことを投げ出したかったの。公爵家に嫁ぐことも、自分が貴族であることさえも。その結果、オードリーに心配をかけてしまったことは申し訳なく思うわ」


「あの後、留学先の隣国から戻って来た兄もアスティナお姉様のことを大変心配していらしたのですよ。ああ、でもお元気そうで良かったわ!今は修道院から出られてダストン家に戻られたのですか?」


 ダストン伯爵家からは既に籍を抜かれていて、結婚したことも伯爵家には手紙で伝えていた。

 ……もしかして、シュルツ侯爵家には何も知らされていないのだろうか?


「……私は既にダストン家を除籍されていて、今は平民のアスティナなの。それから……一年前に結婚をして、修道院から出たのよ」


 私がそう言うと、オードリーは元々大きなサファイアの瞳を溢れそうに見開く。


「じょ……除籍!?そして……結婚……ですか?」


 想像外の出来事に驚いたあまり、オードリーはしばらく絶句する。


「……実は私、王都に住んでいるわけではないの。今回はたまたま結婚の挨拶のために夫の実家がある王都を訪れただけで、明日には別の街に帰るのよ。除籍を願い出る時にダストン家には迷惑をかけないと誓ったから、私はこれからも平民として慎ましく暮らしていくつもり」


 私がゆっくり語ると、オードリーはだんだんと泣きそうに眉を寄せていく。


「……ふふ。心配しないで、オードリー。私は今、とても幸せなの。だから私を哀れまないで、門出を祝ってほしいわ」


 にこっと笑って見せると、オードリーの表情がふっと緩む。


「分かりました。アスティナお姉様、ご結婚おめでとうございます。……ダストン家とは縁を切ったのかもしれませんが、シュルツ家と縁が切れたとは思っていません。これからも何か困ったことがあれば、いつでも頼ってくださいね」


「ありがとう、オードリー。また手紙を書くわね」


 そう言って私は可愛い従妹と別れ、ハーディン邸に戻った。

 帰りの馬車の中でリュカは私に何も聞いてこず、その配慮がありがたいと思った。



 その日の夜、いつものように夕食の後に湯浴みを済ませ、メイドの案内で湯殿から部屋に戻っている途中で呼び止められる。


「アスティナさん。最後の夜だからさ、寝る前に少しお話ししない?」


 振り向くと、片手にシャンパンボトルを持ったネイビス様が立っている。


「もちろん、2人きりというわけじゃないよ。談話室にはメイドもいるし、湯浴みの後でノエルも来るから」


 どうしたものかと思案していると、窓の向こうに()()()()()を認めて私はネイビス様に笑顔を向ける。


「ええ。それでしたらお付き合いいたしますわ」


 暖炉の火が入った暖かい談話室のソファに座り、ネイビス様はシャンパンの栓を抜く。

 メイドが用意したシャンパングラスに手ずからシャンパンを注ぎ、キュッとボトルの先を手巾で拭う。


「……これは隣国カストールの取引先から試供品としてもらったシャンパンなんだ。良ければ飲んで(いち)消費者として感想を聞かせて?」


 ネイビス様はニコニコと人好きのする笑顔を浮かべ、何とも断りにくい誘い文句で飲酒を勧める。

 私はネイビス様の団栗色の瞳を真っ直ぐ見据えながら、シャンパングラスを持ち上げて少しだけ口をつける。


「……とても甘いですね」


「カストールのイヴィナ領産のシャルドネは甘いのが特徴なんだ。甘いのは好みじゃない?」


「いえ、美味しいです」


「それは良かった」


 ネイビス様は穏やかに話をしながらも、私がシャンパンを口に運ぶ様子をまるで観察するようにじっと見ている。


「アスティナさんは……所作が美しいね。さすが、名門ダストン家の令嬢だ」


「……ご存知でしたか」


 私がそう言うと、ネイビス様は満足げに口角を上げる。


「まあ……社交場に顔を出す機会もそこそこあるからね。噂は色々聞いてるよ?」


「色々……そうですか」


 知られて困ることも特にないので、私は顔色を変えずに無難な相槌を打つ。


「残念ながらダストン家とは縁を切っておりますので、ハーディン家のお役に立てることは何もないかと」


「ははは。いや、俺としてはアスティナさんが貴族じゃなくなっててラッキーだったかな。君が貴族だったら俺なんかには手が届かない存在だっただろうから」


「それはどういう……?」


 ネイビス様は愉しそうに笑い声を上げると、すっと目を細めて団栗色の瞳を尖らせる。


「……シャンパン、口に合わなかった?」


 私の手元のグラスにはシャンパンが半分以上残っている。

 ネイビス様は私のシャンパンの減り具合が気になるようだ。


「すみません、普段はお酒を飲まないもので。少しずついただいてます」


「そうなんだ。……そういうところも可愛らしいね」


 途端にネイビス様の瞳がうっとりと熱で潤む。


「アヴドニークのアスティナさんの家にハーディン家の使者が来たの、覚えてる?実はあれ、俺なんだ。あのノエルが結婚したって聞いて、どんな子を選んだのか興味があってね。どんな暮らしをしてるかも気になったし、俺が自分で親父の手紙を届けることにしたんだ。

 でも家の呼び鈴を押した後、玄関から出て来た君を見てほんとに驚いたよ。天使が出て来たと思ったんだから!一瞬君に見惚れて呼吸も忘れちゃったぐらい」


「……そんな、大袈裟な」


「大袈裟じゃないよ。……一目で君に恋をしてしまった」


「………」


 ネイビス様は少し姿勢を崩し、脚を組んでその膝の上に片肘をつく。


「ね、アスティナさん。ノエルなんか捨てて、俺のとこに来ない?うだつの上がらない聖騎士なんかよりずっと良い暮らしをさせてあげられるよ。それに……あんな堅物よりも俺と一緒にいた方が楽しいはず」


「………」


「………そろそろ効いてきたかな?」


 黙ったままネイビス様を見つめていると、ネイビス様は嬉しそうに頰を緩める。


「……シャンパンに、何か……?」


「大丈夫だよ、怖くない。ちょこっと気持ちよくなるだけだから。……俺に全部任せて」


 ネイビス様が腰を浮かせて私に手を伸ばした、その時。


「はいはーい、そこまでだ!」


 入り口から呑気な声とパンパンと手を叩く音がして、ネイビス様はバッと勢いよく振り向く。

 談話室に入ってきたのは、何とジェラール様だった。


「おいおい、ネイビス……流石に薬を盛るのはルール違反だろ?俺は実力主義者だが汚い手を使う奴は嫌いなんだ」


 不機嫌そうに低い声を出すジェラール様の剣幕に押され、ネイビス様が少したじろぐ。

 しかしすぐにフゥッと溜息をついて両手を上げ、降参のポーズを取る。


「……まぁ、アスティナさんをどうこうするのは難しいかなと思ってたよ。親父が護衛を付けるぐらいだし」


「どういう意味ですか?」


 私が問いかけると、ネイビス様は私を見て驚いたように目を丸くする。


「……薬、効いてないの?」


「……はい。しっかり起きてます」


 実は私は公爵家に嫁ぐための教育の一環で、睡眠薬や媚薬、毒薬の類に少しずつ体を慣れさせていた。

 特に睡眠薬などは常習性に比例して効きづらくなるため、10年間も慣らされていた今の私にはほとんど効かないのだ。


「……はは。何だぁ、残念。でもまぁ、本命はこっちじゃないんだよね」


「……お前らはホントにバカだな」


 ジェラール様は呆れたように言い放って空いている席にドカッと座る。

 それと同時に、談話室の外からギャーギャーと騒ぐ甲高い声が段々と近づいてきて、談話室の扉が乱暴に開かれる。


「ティナ!」


 扉が開くなり入ってきたノエルはなぜか私を見ると眉を寄せ、走り寄って来る。


「そんな格好を人に見せてはいけません!」


 そう言ってノエルは自分のガウンを脱いで私の肩にかけ、前をギュッと閉じて腰紐をきつく縛る。


「そんな格好って……ちゃんとガウンを羽織っているでしょ?」


 私は湯浴みの後、夜着の上に用意されていたガウンをきっちり羽織っている。


「ガウンの下は夜着でしょう?ならば最低2枚は羽織らないと!本当はもう一枚着せたいくらいだ」


 私の前に膝をついて侍女のようにガウンを着付けるノエルを、ネイビス様とジェラール様は唖然とした顔で見ている。


「ちょっとぉぉ!!!ノエル!責任取りなさいよーっ!!」


 入り口付近では、布団でぐるぐる巻きにされたアンネルーズ様がリュカに支えられながらジタバタと暴れている。

 私がじっとノエルを見ると、ノエルは物凄く不服そうな顔でアンネルーズ様を一瞥し、また私に視線を戻す。


「湯浴みから戻ったら、私たちの寝室にアンネルーズが忍び込んでいました。……あぁ、寝室にはリュカと共に入ったので決して彼女と2人きりにはなっていませんよ」


 私がリュカに目線を移すとリュカもこちらを見ていて、目があった途端にニカッと笑って親指を立てている。

 実は湯浴み後にネイビス様に呼び止められた時、廊下の窓の向こうからリュカがこちらに手を振っていて、ジェスチャーで監視が付いていることを教えてくれていたのだった。


「責任って……取らないといけないようなことしてないッスよね?」


「私の下着!!見たでしょ!?責任!!責任取りなさい!!」


 どうやらアンネルーズ様のあのぐるぐる巻きの布団の中は下着姿らしい。


「まあ……どうしましょう」


 わざとらしく声を上げてノエルを見つめると、ノエルは眉間の皺を解いて首を傾げる。


「私もノエルには責任を取ってもらわないといけないのですよね……」


 私がそう言うと、ノエルは驚いたように目を丸くした後、少しだけ口角を上げる。


「……そうですね。私はティナの隅々まで見てしまいましたから。それこそ、下着もその内側も……」


 そこまで言葉にしたところで私はノエルの口を両手で覆う。

 このまま喋らせたらとんでもないことを言い出しそうだわ、と頬が熱くなる。


「……とにかく。申し訳ないですがノエルをお譲りすることはできません」


 私はアンネルーズ様を真っ直ぐ見据えてはっきりと宣言する。

 ノエルはいつの間にか口を覆っていた私の手を掴んで離し、目元を赤くしながら頬に手のひらを擦り付けている。


「っ……!譲るも何も、ノエルは最初から私のものなのよ!」


 団栗色の瞳を涙で潤ませながら、アンネルーズ様は私を睨みつける。

 アンネルーズ様がノエルに向けるのは、幼い頃からの純粋な恋慕の情なのだと伝わってくる。


「私があなたのものだったことはただの一度もありません。私が一人の男として護り続けたいと思うのは、後にも先にもティナだけです。アンネルーズが入る隙間はどこにもないですよ」


 ノエルはそう言って立ち上がると、慣れた手つきで私を横抱きにして抱え上げる。


「……それから。ティナは私だけの天使ですからネイビスには渡しません。義父上(ちちうえ)、実力主義も結構ですが、夫婦の寝室に勝手に押し入って催淫香を焚くようなやり方は如何かと思います」


「……言い訳のしようもねぇな。うちのガキたちは実力と卑劣な手段を履き違えてるようだ」


 ジェラール様が低い声で呟くと、アンネルーズ様は顔色を変えてビクッと体を揺らす。

 さすがのアンネルーズ様も、お父様は怖いのね。


「私たちの部屋は不快な匂いが充満していてとてもじゃないけど過ごせませんから、別の部屋を用意していただきました。今日はそちらで休みましょう。いつもの部屋よりベッドが狭いみたいですが、どうせくっついて寝るので構いませんよね?」


 ノエルが妙に圧のある笑顔で同意を求めてくるので、私は首振り人形のようにコクコクと頷いた。


「それでは、私たちは失礼します」


 そう言って、三者三様の面持ちのハーディン一家と笑顔で手を振るリュカを尻目に、ノエルは私を横抱きにしたまま談話室を後にした。

 新たに用意されていた部屋に入りベッドに私を下ろすと、どこか憮然とした様子でノエルが私を見下ろす。


「……それで、ティナはネイビスに何をされたんですか?」


「え?」


義父上(ちちうえ)が、『うちのガキ()()』と言っていましたから。ネイビスも何かやらかしたのでしょう?」


「……薬を」


 その一言で、ノエルの榛の瞳が吊り上がる。


「ティナ。……分かってて飲みましたね?」


「確信はなかったけれど。……私に薬は効かないと知っているでしょう?」


 アヴドニークに移り住んだばかりの頃、私たちに言い寄ってくる人たちから様々な贈り物をもらっていた時期があった。

 その時に、私の薬が効きづらい体質についてはノエルに説明してある。


「今回飲まされた薬が既知のものとは限らないでしょう?得体の知れないものを飲んであなたの身に何かあったら、どう対処するつもりだったのですか?」


 ノエルはベッドの上に座る私の体を跨ぐようにして腕をつき、ジリジリと顔を近づけてくる。


「う…………ごめんなさい」


 私が謝ると、ノエルは私の額に額をコツンとぶつける。


「あなたが傷つくと悲しむ人がいるのですから、もっと自分を大切にしてください」


「……はい。分かりました」


 返事を聞いて満足したのかノエルは表情を緩め、ゆっくり唇が重なる。

 先ほどまでの騒動が嘘のように、静かな夜が更けていった。



 翌朝、夜の間にジェラール様にこってりと絞られたらしいアンネルーズ様は朝食の席に出てこなかった。

 一方のネイビス様は特に変わった様子はなかったけれど、時々私を見つめる目が異様に甘やかだったので、まだ諦めたわけではなさそうだ。

 ジェラール様が言うにはハーディン家の家訓は「欲しいものは実力で奪え」で、ネイビス様とアンネルーズ様が私とノエルに懸想していたことも知った上で、自身の魅力で手に入れようとするのならそれで良いと思ったと。

 ただ薬を使ったり犯罪まがいのことをするのは家訓に反するらしく、特に私に対しては力で無理やり従わされることのないようにリュカをつけてくれていたらしい。


 朝食を取りながらジェラール様の話を聞いていたノエルが「だから長居したくなかったんですよね」と呟くと、ジェラール様は面白そうに笑った。



 アヴドニークまでハーディン家の馬車を貸してもらえるということになり、見送りに来たネイビス様に「ノエルに飽きたらいつでも俺のとこにおいで」と声をかけられ、不機嫌になったノエルに担がれるように馬車に押し込まれ帰途につく。

 ハーディン邸に滞在した一週間、ノエルはジェラール様と色々なところに情報収集に出かけていたらしく、馬車の中で集めてきた話を断片的に教えてくれた。


 ジェラール様はやはり私の事情を始めから知っていて、私が去った後の貴族界隈の話であるとか、元家族や元婚約者の状況などを探ってくれていたらしい。

 それから、結婚式をしてはどうかと進言してくれたらしい。花嫁姿は女性の夢だから、と。

 ハーディン家では一悶着あったけれど、ジェラール様自身は私たちの結婚を喜ばしく思ってくれているようだ。

 とりあえず今は懸案事項が色々あるから、それらが解決したら改めて結婚式を挙げようかという話で落ち着いた。


 せっかくアヴドニークに戻って静かな日常を送れると思ったのだが、私たちはそれからしばらくの間、様々な混乱に巻き込まれていくことになる。

 



ジェラールお義父様は本当に結婚を歓迎していて、帰りの馬車には乗り切れないほどの手土産を持たせてくれました。

アスティナには護衛をつけて守ったものの、ノエルについてはアンネルーズの誘いに乗るようならそれまでの男だと静観するつもりでした。

でもさすがにお薬の使用は許されなかったようです。

次回は懐かしのの面々が出てきます!

できるだけ早く更新できるよう頑張ります!


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i948268
― 新着の感想 ―
楽しく拝読させて頂きました。 続きを楽しみにしています。 また、主人公の実母が主人公に余りに無関心なのも気になります。
[良い点] 面白く読ませていただきました。ありがとうございます。 まだまだ後半の波乱前の新婚さんですが、この義父さんは分かり易い狸ですね。読んでいて微笑ましく思いました。 平民となったヒロインに、貴族…
[気になる点] 快活そうな義父が一番気持ち悪く感じた 有能そうな描写だけど子供を抑えられない時点で無能では??
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