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スポンジ  作者: グルペット宮城
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42歳男 2

やっと太陽が建物に隠れるようになり、私の座高も落ち着いた。右側の街路樹からの光もも謝罪会見のストロボのように、私の運転を邪魔しなくなった。この時間はまだやっている、例の揚げ物屋さんに行列ができている。暖簾も端がボロボロで、カウンターも見るからにベタついていそうな店だが人気が凄いらしい。串揚げが有名な店らしいが、ねぎまに衣をつけ揚げたねぎま串が、この地域では定番となっているようだ。たしかこの店から独立して店を出した人もいて、この店の店主は『揚げ物の神』として崇められている。一度新しい店に行ったことがあるが、友人の結婚式の4次会くらいだっただろうか。もうそこまでくれば、いつも呑んでいる3人位の呑み会となっていた。たしか、3次会のスナックで連れの一人と、よくわからないやつが喧嘩沙汰になり、もう一人と引っ張りだした。一度公園で落ち着いたが、当時は新規開店したばかりでもあり、呑み直しということで入った店だった。喧嘩をした連れは、どうも収まりが悪く、その店でもかなり、ちゃんぽんして呑んでいたような気がする。挙句の果てにトイレと友達になっていまい、新規開店のきれいな店を汚してはいけないと、またまた満喫せずに引っ張り出した。なので、串揚げ3点盛りともろきゅう、ナムル盛り合わせしか食べていない。串揚げの神の弟子の腕前を測るにはあまりにもデータが揃っていない。ましてやあの状況下では記憶の片隅にも残っていなかった。


そういえば、会社での勤務中にお姉さんリーダー田口さんから、今週末に近くにあるパン工場で新作パンの試食会と直売が行われるようだ。田口さんが勧める「カマンベールチーズとほうれん草のロールパン」が気になる。あの一件から、近藤さんと田口さんは仲良くなり、その直売会に揃って行くようだ。土手で殴り合いの喧嘩をしたあと、芝生に寝転んでお互いに友情が芽生えたみたいなものだろうか。そういえばその日はうちの工場のある地域のお祭りだとか。ここの工業団地の人も何人かうちの工場で働いている人がいるので、直売会は何かの拍子に聞いた覚えがある。地域の人達に企業として貢献していく姿勢の現れだろう。うちはどうだろうか。地域貢献と聞いても、パン工場のように万人受けするパンを使えなく、あるのはヒップのみ。世の中の地主の人たちの数から見ても、ヒップで救われる地域の地主は少ないだろう。すると、何を還元するか、悩みどころだ。おそらくこの問題は近くのネジ工場も同じではないだろうか。どちらも出方を見ているのか、地域からの圧力を待っているのか。まあどちらでもいいが、田口さんにおすすめのパンを家族3人分買ってもらうことになった。


あと10分で家につく頃に、例の赤いスポーツカーとすれ違った。運転席の男性はあの帽子を被っている。一週間前、私に過ちを侵させた罪深いおじさんだ。当の本人はそんな事少しも思ってもいないし知る由もない。すれ違ったあとに、すかさずUターンしライトをパッシングして立ち止まらせ、運転席をコンコン。そんなやつ、ただのイカれている奴だ。「変なおじさん」どころではない。その恐怖と来たら想像するにも恐ろしく、もし反対の立場だったら、殺害される危機さえ覚えてしまうだろう。これはいくらなんでも極端だが、こちらがなにかアクションをしなければ相手はその事象に気づくことなく、ただ通勤をしているだけ。それは誰かのためじゃなく自分のため。自分が会社に行きたいだけの思いで行っている行為が、誰だかわからない他人に、知る由のない会社で遅刻させるという結果に自分が関わっているなんて考えもつかないだろう。帽子がダサいと思われていることも。というか、あなたの家まで私は把握している。お休みの日にも帽子を被って朝から洗車をしていることも。結果的にはおじさんがおじさんをストーカーしているしているような。性癖の中でもニッチな分野にカテゴライズしてしまっている。これは中途半端な付き合いの人、例えば職場の女の子ではなく同期の近藤さんに話してしまえば、ゴシップや悪口好きが相まって、富山の営業所では『ダイバーシティな世の中になったから、寛大な気持ちで受け入れるけど、ストーカーは良くないよ』っていう風潮にされかねない。たぶんその次は本社だ。私の力の及ばない所で話は膨らみに膨らみ、この菜の花製薬関東工場にやってきた頃には、と考えると身の毛もよだつ思いである。ならば早めにカミングアウトをと考えるが、そうではない為口外はしないようにしよう。


ダンロップおじさんが私の遅刻をアシストしたように、私は知らずのうちに誰かのアシスト、または直接ゴールを決めているかもしれない。分かりやすいのは仕事だ。今は直接的に関わらないかもしれないけれど、大工などは直接顧客と向き合い、医者やサービス業だってそうだ、自分の成果物を相手に認めてもらう職業なら、自分が直接的に物事に携わり影響を与えているのが分かり易い。しかし、ヒップを生産している私のような仕事はどうだろうか。「おしりの救世主」として世の中に出ているが、ヒップを通じて使用者がどうなったのかは何ら私にはわからない。けれどヒップは売れているようで、だから毎日生産している。全ては予想でしかないのだ。ましてや、私は品質管理をしているお姉さん達のご機嫌を取っている。手を動かして何かを作っているわけではない。理論的には理解できるが、影響を与えている実感はない。だがしかし、確実に影響はしているんだと思う。


この橋を渡ればすぐ私の家に着く。しかし、なぜだろう、この時間帯は交通量も多くないはずなのに車が進まない。やっと橋の全貌が見えたときに、中央付近でピカピカしている。警察車両だ。こんな所で違反車を止めるはずもないので事故なんだろう。渡れば本当に我が家はすぐなのに、なんとももどかしい。片側2車線の大きな橋だが、どうやら真ん中で事故ったか。車の流れは断続的だ。車はノロノロと、ピカピカを右手に見ながら橋を渡る。その先に事故を起こした2台の車が停まっている。前の車の左後ろが凹んでいる。後ろの車は確認できなかったが、右前が凹んでいるのだろうと予想できた。追い越し時に接触したのだろう。この手の事故は高速道路でもよく見る。後ろを確認しないで車線変更する人が、かなりの数居るということなのか。前は東北、後ろは九州のナンバーだ。この北関東の片田舎で東北の方と九州の方が、ひょんなことから出会ったわけだ。出会いは交通事故で、何ともネガティブな方法かもしれないが、意図せず出会った。これは偶然なのだろうか。両者は目的地があって向かっていた。そこまでの距離と、通る道の車の流れを見て、何時くらいに着くか予想しながら自分たちの意志で車を走らせたはずだ。ここで車線変更することも、追い抜かれたと気づくのも自分たちの意志だ。そこで車の後ろと前がぶつかったのは、同じく「自分たちの意志」にはならないのか。とすると、偶然と必然って何が違うのか。それぞれの言葉の意味をしっかり理解しないまま頭の中で議論しているので、ちゃんとした答えが出てこない。家も迫ってきている。金曜の会社帰りだ。言葉の意味から深掘りして考えたくもないので、結局フィーリング的な答えになってしまう。なんとなくでた答えは、全部必然のような気がする。全ては決まっている、だいそれた言い方でいうと運命的とでもいうのか。まあ、運命という言葉も深掘りしていないのだが。意識していてもしていなくても、結果的には自分がそこに向かっている。これは偶然ではなくて必然なんだ。ぼんやりとそんな事を考える。きっと、このぼんやりの霧を晴らしにかっかている人達が哲学者と呼ばれるのだろう。


 この交差点を曲がり田んぼの用水路を左手に見ながら少し進むと、我が家が見える。奮発して買ったカーポート、コンクリート打ちっぱなしの我が家だ。例に漏れず私もローン・レンジャーの仲間入りで、退役まではあと20年ある。レンジャーとして金融機関の愛と平和を守っている。安定した平和維持には我々の存在が限りなく大切だ。そんな中奮発して去年購入したカーポート、ゲート付きの立派なものなのだけれど、繋がる塀がない。予算の都合で、臨時補正予算が生まれたら着手しようとなった。塀はないのだが、隣の家の金属フェンスが欲しい役割は果たしている。むしろこの方がちょっと広くて使い勝手はいいし、補正予算は違うものに使える。今ではこのままでいいように思えてきた。ウ~ンとモータを唸らせながらゲートが閉まる。最後にガクッとロックされるのだが、その音と同時にキーレスエントリーで車の鍵を閉めるのがマイブームになっている。家を出るときや帰ってきたときのマイブームというかルーティーンは、今まで星の数ほど生まれては消えていったが、先日までは車に乗り込んでからクラッチを踏んでエンジンをかけるまで2秒以内で行うことがブームだった。たしかその時は、ゾンビに襲われた場合に、車で逃げるためにはどうしたらいいか、残業終わりの疲れた頭で本気で考えた結果だった。


近藤さん、島流しにあったほうだが。今頃どうしているのだろうとふと頭に思い浮かんだ。富山といえば雪深いイメージがある。雪と言うのは気象現象だが、雨とだいぶダメージが違う。雨も最近は豪雨災害が増えてきたが、日本海側の雪となると最初から災害レベルだ。雪によって交通は止まるし雪掻き作業という強制労働も強いられる。最たるものは人だって亡くなってしまう。とんだハンディキャップだ。私のいる北関東も、夏はエアコンの有無が死活問題になるので、そろそろ酷暑補助金が欲しいと思えるのだが、豪雪補助金も同じようにいるのではないか。そういえば近藤さんはスノーボードが得意だった。新入社員の頃に無理やり誘われたことがある。行きたくもないのに、雪道を交代で運転し山奥の殺人事件が起こるようなロッジに泊まった。スノーボードと近藤さんの多少の厚かましさ以外はいい思い出となっている。実はその数名の中に私の奥さんがいた。同じように、無理やり誘われた口で、近藤さんの厚かましさにうんざりしていた。そこから会話が始まったので、近藤さんは愛のキューピットとでも言えるかもしれない。江口さんと別れたあとは特に目立った行動は噂されていなかったが、最近は富山営業所の経理の人と付き合っているらしい。これは田口さんの情報だが、このゴシップネットワークは週刊誌並みのネットワークだ。田口さんは敏腕編集長と言ったところか。会社の役員になる人の身辺調査など請け負えるのではないだろうか。どのくらいの期間で築き上げたのかは分からない。政治とスキャンダルではないが、田口さんのような人材が、おしりの問題を解決するより調査員のような仕事が転職なのかもしれない。


私の家の玄関は引き戸だ。結構こだわりポイントでもある。この家を建てる前に、実家の時から付き合いのある小林さんの息子が、ちょうど会社を立ち上げただか幹部になったのかだった。それくらいの地位に30そこそこでなったのだから、立ち上げたんじゃなかったかなと思う。私が家を立てることを嗅ぎつけて、小林の親父さんがうちの息子の会社はどうだろうかと話に来た時があった。どうこう言われても、小林の息子さんは内装屋だ。工務店でもすでに決まっている取引先があるだろうに。最終的には昔の付き合いのめんどくさい所で、工務店に頼んでか、むしろ工務店側からの要望もあり、内装は半分くらい小林息子の会社が絡むことになった。そこの工務店も小林の親父さんの兄弟が幅を利かせた棟梁だったとか、私の祖父の世代の絡みとか、よくわからん昔ながらのしがらみとういか、繋がりというか、腐れ縁が複雑に合わさって、半ばブラックボックスのようになっていた。そんなこんなの結果、私は自分の好みの「引き戸」を選んだだけだが、その裏にはいろんな大人の思いが、顕微鏡で見たスポンジの繊維のようにそれぞれが繋がっていた。


 結果は凄くシンプルで、○○をしたいから○○になったみたいに、一行の文章で締めくくられる物事も、一行じゃ到底表しきれない理由が積み重なっていることに改めて気付かされる。裏に隠れている物事は、とても根深く、私の知る由もない人が多数関わっている。ひとりきりだと嘆いている人も、朝食に食べるパンはスーパーで買い、その行為に関わる人を数えただけでも相当な数だ。そのパンが買えなかった人も出てくるはずだ。しょうがないので近くのコンビニのパンにしようかと思うと、ついでにレジ横の唐揚げにも手を出してしまう。ひとりきりだと思っている人の行動が、パンを買えなかった人のダイエットの意思を砕いている。ひとりきりだと思っていても、どんなに人と関わりたくなくっても、山奥に仙人のように暮らしていても、生きているだけで繋がっている。ダンロップおじさんさんも私に影響を与えているように、おじさんの知らない所で、おじさんの行動を決定づける行動を起こしている人がいる。また、その人だって誰かに決定づけられている。遠くで起こった窃盗事件で、場所も違えば、知らない人でも、そのニュースが少なからず、0.01%でも私の行動に影響を及ぼしているはずだ。やっぱり全ては必然で、積み重なって物事は起きている。今の科学では何もなかった状態からビックバンは始まったとされるが、世の中の物事はビックバンのように、なにもないところから発生しているわけではない。


玄関を開ける。引き戸と聞くと、ガラガラガラと音がするようなイメージだが、今の扉はそうではない。サーッと開くので、奥で遊んでいる息子は気づいていない。外の音が漏れ入ったのか、その雰囲気で扉が開いたと悟り、こちらに顔が向けられた。一瞬脳内処理を行ったあと、すぐに笑顔になり立ち上がった。よちよちと膝をビンビンに伸ばして二足歩行ロボットよりロボットぽい歩みでこちらへ向かってくる。このロボット状態は何時まで続くのか。人生100年と言われる中で、よちよち状態は人生の1%程度しかない。そう考えると大変貴重な時間だ。どうやら、彼の『がぁ、ぐわぁ』はお帰りの意味らしい。言語というのは勝手に大人が作ったもので、幼児は幼児同士の繋がり方があるのかもしれなく、アメリカやインドの一歳児と彼は会話できるのかもしれない。いや、きっと出来るだろう。子供の『可能性』の一部なのか、彼が生まれて同じ時を共にするようになってから、そんなことばかり考えるようになった。大人が勝手に言葉を作り、国境を作り、他者と区別しているだけで、本質的な部分、人間というのは変わらない。進化して、様々な文化を築き上げるためには画一的に区別しなければならないのか。逆説的に見れば、他者と区別したから今の文明があるのか。彼がやってきてからは本当に、哲学者の真似事をすることが多くなった。


抱き上げるたびに、彼の体重は私の体調のバロメーターにもなっている。生まれたての頃は劇的に体重が増加しているので、そもそも少ない体重ということもあり、尺度としてはいまいちだったが、今は10キロ位で落ち着いている。日々の仕事帰りに自分がどの程度疲れているのかが『重量感』で分かるのだ。ただ、金曜日は実際の重さより気持ちのほうが勝っているようで、まるで月面で抱っこしているかのように重量感がない。おそらくだが、体が軽くなっているだけに会社の帰りでの車の燃費は良くなっているのではないか。ゴールデンウィークの上りと下りの渋滞の一部(どちらも同じ渋滞の程度という条件付きで)を切り取って、すべての車の燃費を出すと、行楽地へ向かう集団のほうが燃費が良いのではなかろうか。絶対軽くなっているはずだ。という感じで、気持ちの入り方でかなり左右されるため、考えれば考えるほどバロメーターにはなっていなかった。ただし、一つ言えることは、彼の『成長』を感じ取れる大事な儀式だということだ。


今は、家庭内という限定的な空間の中で、彼の影響が私達に及んでいるように見えるが、もうすでに散歩先のおばあさんや、生まれるときの助産院の人々、私や妻の親兄弟にまで影響が侵食しているし、同じように彼も影響を受けている。きっとそれより何倍の数の人々と響き合っているはずだ。自我が芽生えたのか分からない時期からこれだけ大きなネットワークの一端にいる。日々を過ごしていく中で、これからどんな巨大ネットワークになるのだろう。なるべく全ての人にいい影響を与え、また、いい影響を与えられる人に育って欲しい。親としてはそう思うが、そう行かないのは人生だ。打たれ、凹み、反発して突き進み成長し、世の中にどんどん影響していってくれ。こんな親の思いを知っているのかどうなのか、通過儀礼のように、抱っこされたあとは、また、二足歩行ロボットとしてたまごボーロにまっしぐらだ。直近の願いは、彼にとって、たまごボーロより影響力のある親になることだ。

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