多忙 〜 グラントside 〜
多恵がモーブルに移った後のグラントの様子です。
執務室で必死に書類に向かっていたら物音がし顔を上げると水色の毛玉が…
「てん殿?」
そこには多恵の聖獣のてん殿が手紙を咥え尾を振っていた。
「何故貴方が?まさか多恵に何かあったのですか?」
血の気が引き手が震える。正直なところモーブルを信用していない。もしかしたら多恵が涙しているのかもしれない。モーブル出発を早めよう。そんな事を考えていたらてん殿が咥えていた手紙を私の前に落とした。
不安を抱え手紙を手に取ると
「これは!」
前に座るてん殿を見ると頷き尻尾を振る。
そう手紙は多恵からだった。開封した途端多恵の香りに包まれ身震いする。
「あぁ…多恵…」
手紙で顔を覆い深呼吸する。ここ数日休暇を取る為に寝る間を惜しんで働き疲弊していた。多恵の香り一つで全て消えていく。
香りに酔いしれていたらてん殿が前足で私の手を叩く。まるで早く読めと言っている様だ。そうだてん殿が届けるのだから急ぎの要向きやもしれない。直ぐに読むとどうやら私が行く日をずらして欲しいとの事だ。
『折角来てくれるのにごめんね。来る日を1日ずらせない?お仕事で人と会う約束を先にしてて、来てくれてもゆっくり出来なの。忙しいと思うけど出来たら早めに返事をくれるとうれしいです。尚、返事はてん君に預けて下さい。
追伸。てん君がもふもふしてくれるの楽しみにしているので、よろしくお願いします』
急いでいたのか愛の言葉が無いのに気落ちしたが多恵の香りで相殺された。
再度便箋から香る多恵の香りに酔う。早く多恵を抱きしめ多恵から発する芳しい香りを味わいたい…
するとまたてん殿が手を叩く。そうだ遣いをしてくれたてん殿を労わねば。てん殿に両手を広げたらてん殿は私の膝の上に座る。ゆっくり撫でると目を細め気持ち良さそうだ。てん殿を撫でながら多恵が移ってからの怒涛の日々を思い出していた。
多恵を乗せた馬車が見えなくなり、呆然と馬車の行先を見つめていた。愛する多恵がモーブルに行ってしまった。覚悟をしていたが喪失感は半端なく暫く動けなかった。
「ん?」
誰か肩を叩く…振り返るとヒューイ殿下だ。
「今から私の執務室に来ませんか?」
「はぁ…」
ヒューイ殿下に連れられ殿下の執務室に着くと何故かキース殿もいた。キース殿も私が来た事に困惑している。
すると殿下は従僕に指示を出すと直ぐにテーブルに酒とつまみが用意され、従僕や侍女達は下がっていった。
「殿下…あの…」
「愛しい女性旅立ったのだ。一人では辛いでしょう。同じ女性を愛した者同士で、彼女の話をしながら夜を明かしてはと思ってね。要らぬ世話だったかな?」
確かに今喪失感と孤独に押し潰されそうになっている。正直言って夜を越せる自信がない。するとキース殿は殿下の気遣いに感謝し私に
「グラント殿。私は夜を越せそうにない。恋敵ではあるが今晩は愛しいあの人を語らい過ごしませんか⁈」
目の前の彼は弱々しく一回り小さく見える。彼は学生の頃から知っているが、いつも冷静で頭が良く自信に満ちていた。同じ公爵家嫡男で私は彼と比べられた。意識した事は無いが好敵手だ。特に多恵に関しては…
ヒューイ殿下がワインを注いでくれ、モーブルでの多恵の無事と多幸を祈り乾杯した。
初めはお互い遠慮していたが、少し酔いお互い多恵の好きな所を言い合う。私の知らない多恵をキース殿は知っていて逆も然りだった。私が一番多恵を愛している自信が有ったがキース殿の想いを聞き、彼の想いも相当なものだと知り親近感がわく。
しかし負ける気は無い。彼もそうだろう。
こうして明け方まで飲み続け、翌日はお互い二日酔いで寝込む事になる。
この日を境にキースとはお互い名で呼び合う間柄になった。ヒューイ殿下には感謝しかない。
数日経ちやっと日常に戻る。
城内は心なしか冷たく寂しい。城内を行き交う者達も表情は暗い。廊下歩いていたら第1騎士団のデューク殿と会い挨拶をする。彼は苦笑しながら
「多恵様が居ない城は寂しく、活気がないですね」
「あぁ…」
デューク殿は多恵が召喚された日から護衛を務め、多恵が兄の様に慕っていた。彼の話しでは騎士達の指揮が上がらず困っているそうだ。
「暫くは喪失感は続くでしょうね」
「同感だ」
デューク殿と話していて寂しい反面、多恵が皆から愛されていた事を感じ胸が熱くなる。
少し気分が良くなりデューク殿と別れ執務室に戻ると宰相のイザーク様が来ていた。
そして私のデスクに大量の書類が…
「イザーク様…要向きは?」
あの大量の書類に嫌な予感しかしない。咳払いをしたイザーク様は
「多恵様か子爵位を叙爵され屋敷の建築に着手する。そこで問題が起こっている。それを其方に任せたい」
「問題ですか?」
問題とは新たにカワハラ領となった地区の土地取引だ。カワハラ領となったマーラ地区は王都の端で民家や小さい商店が集まる下町。
空き農地を買上げ多恵の屋敷を建築する。それを知った貴族が挙って土地を買い占める為に、そこに住む平民を恫喝し立退を強要している様だ。
「カワハラ領の領民から陳状があがっている。私は陛下から命ぜられた屋敷建築があり手が回らない。この件を治めて欲しい」
元マーラ地区広くなく貴族屋敷は3邸程しか建てれない。しかしそこには数十世帯が生活している。それに何代も前から住むものばかりだ。
「お優しい多恵様の事だ。後でお知りになったら悲しまれる」
「分かりました…直ぐに取りかかります」
こうして通常業務に加えカワハラ領地の立退問題も手掛け寝る間もない。立退を商人に依頼している貴族の資料を見ると、強欲な者や事業に失敗し破綻寸前の者達だ。
「厄介な家ばかりだ。慎重にいかねばならない…」
次に領民の陳状に目を通すと、皆は女神の乙女に好意的でカワハラ領地で住み続けたいと願っている。多恵が平民にも受け入れられていると感じられ嬉しい…
数日経ち陛下に定例報告をしていると、文官が慌てて会議室に入ってきた。
「陛下。会議中に失礼いたします。今早馬で多恵様から書状が届きました。ご確認を!」
「分かった」
会議を中断しその場で陛下は確認される。暫く手紙を見つめていた陛下は徐に同席していたファーブス公爵に
「多恵殿が防御靴をモーブルにも取り入れたいらしく、見本に1足モーブルに送って欲しいそうだ。早速用意せよ」
「陛下お言葉ですが無償で我が領地の技術をモーブルにお与えになるのは!」
公爵様は苦言を呈すると横に座るキースが
「父上。多恵様はご自分の知識や技術はこの箱庭全ての人に、分け隔て無くお与えになりたいと思われているのです。確かに我が領地で作り上げた物ですが、我々が独占するべきでは無い」
キースの言葉に陛下が頷いた。苦々しい顔をした公爵様は了承し家の者を呼び直ぐ手配する。恋敵で褒めたくは無いが多恵が心を受けただけあり多恵の事を良く分かっている。
私も同じ考えだ。しかし…
「防御靴が用意出来れば直ぐにでも誰かモーブルまで行って欲しい」
「「私が!」」
キースと同時に名乗りをあげた。多恵に会える!心が震え心持ち声が品なく大きくなってしまった。対面に座るキースも同様だ。
譲れない多恵に会いに行く権利を!
するとイザーク様が申し訳無さそうに
「グラント殿。気持ちは分かるがカワハラ領地の問題が正念場だ。今はそちらを優先して欲しい。故に陛下。モーブルへはキース殿に行っていただいた方がいいかと…ファーブス領で使用され、モーブルからの質問にも対応出来ますし」
「分かった。キース。スケジュールを調整してモーブルに防御靴を届けよ」
「光栄でございます」
対面で頬を染め満面の笑みを浮かべるキースに羨望の眼差しを向ける。
落ち込み執務室に戻ると話を聞いた部下が頭を下げている。どうしたのか聞いてみると
「私共が不甲斐なく乙女様に会いに行く機会を逃されたのだとお聞きしました。申し訳ございません」
一番前で一番低く頭を下げているのは、子爵と下位ながら優秀なジョージ。最近婚姻したばかりなのに家に帰らず、ずっと資料を作成してくれている。帰る様に促してもずっと一緒に残る。
「妻が”多恵様の為に私の事はいいので、グラント様のお役に立って下さい”と尻をたたかれました。つまり妻公認ですので私の事はお気になさらず」
ジョージの奥方は婚姻するまで多恵の侍女をしていたエレナ嬢だ。いい女性を娶ったと感心し皆の労を労う。
多恵に会いに行けないのは残念だが、多恵が戻ってきた時に悲しまない様にせねばならない。こうして部下に支えられ問題に手を付ける。
数日後…窓の外を見つめ今頃キースは多恵に会い抱きしめ口付けているのだと思うと悋気で気が触れそうになる。奥歯を噛み締め再度書類に向かったその時!許可もなくジョージが息を切らし飛び込んできた。
「グラント様!」
「どうした!」
ジョージは手にした紙を目の前に置き、肩で息をしながら興奮気味に説明し出した。
書類を見ると土地取引の契約書だ。
「仲介商人の嫌がらせに耐えれなかった老夫婦がサインしてしまい、私の所に相談に来ました。そして契約書の控えを提供してくれ…」
「でかしたジョージ!不正の証拠だ」
「はい!地道に領民の元へ行った甲斐がありました」
なんともお粗末な結末だ。領地内の土地取引には領主の許可が必要。つまり領主の多恵のサインが要る。しかしこの契約書のサインは偽物だ。知らせを受けたイザーク様が駆けつけて書類を見て失笑する。
「元マーラ地区の商人が多恵様がモーブルに移った日を知る訳もなく、更に多恵様のサインも見た事無いのだろう。依頼した貴族は商人に丸投げでそこまで気が付かなかった様だ」
「はい。お粗末な話です」
多恵は異世界人ながらこの世界の言葉を初めから話せて文字も読める。しかし当初書く事は出来ず代筆してもらっていた。今は少し書けるようになったが…
『これを言うと頬を膨らませて怒りそうだ』
そんな多恵を思い出し思わず口元が緩む。正直多恵の字は幼子レベルなのだ。だから多恵は極端に字を書くのを避ける。そして字に自信がない多恵は重要な書類にサインする時は、多恵の世界の字でサインする。角ばった4文字が多恵の名を表すらしい。しかし今まで数枚にしかサインしたことが無く知るものは少ない。
「この契約は多恵様がモーブルに出発後に交わされている。モーブルに居る多恵様がサイン出来るわけもなく、明らかに何者か多恵様になり代わりサインしている」
「はい。やりましたイザーク様。直ぐにこの商人の尋問許可を」
陛下と同じく密かに多恵を娘の様に思っているイザーク様は鼻息荒く陛下に報告に行き、私は騎士団に応援要請に向かう。
直ぐに陛下の決裁がおり直ぐ動ける第2騎士団が動く。多恵を溺愛しているクレイブ副団長が圧が凄く商人が哀れに感じたと、付き添ったジョージに後程聞いた。
騎士による尋問は壮絶で商人は直ぐに口を割り、依頼した貴族は陛下から代替りと領地一部返納を言い渡された。
やっと多恵元へ行ける。イザーク様に休暇の許可をもらい多恵とモーブルへ訪問する手紙を出し、残務をこなしていた所だった。
てん殿を撫でながら多恵に会う日が1日伸びる事に気落ちしながら、てん殿に声をかけて返事をしたためる。
てん殿は私の頬に擦り寄り手紙を咥え夜の闇に消えていった。
『1日ズレた…自室で睡眠をとり万全の体調で行こう』
多恵は心配性で窶れた姿をしていると過剰に心配する。しかし…
“はぃ!あーんして!”
窶れていたらまた多恵が食べさせてくれるかもしれない。それも悪くないかもしれないと思い口元が緩んだ。そして書類を片付け執務室を後にした。
多恵に愛を捧ぐ為に今は休もう…
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