落ち来るもの
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おっと、いまぽつんと来なかった? ほら、やっぱり降ってきたよ。
まいったなあ、今日は傘持ってないんだよね。たぶん、ひどいことにはならないと思うけど、ちょっと雨宿りしよっか。
おお、よかったよかった。もう窓が濡れなくなってきたね。予報にない動きをされると、本当まいっちゃうなあ。ごめん、コーヒー飲み終わるまで待ってもらっていい?
――え? 待ってる間が退屈だから、なにか面白い話をしてくれ?
いやはや、図々しいというかなんというか。誰彼かまわず、がっついてないよねえ? ま、気安く話せる仲だって、前向きに受け取っておくよ。
さて、面白い話ねえ……。
よし。それじゃタイムリーに、空から降ってくるものについて、僕の地域の言い伝えを話そうか。
むかしむかし、あるところに住んでいた男が、野良仕事をしていたときのこと。
先ほどまで明るかった空が、あっという間に暗くなってしまう。どこから出てきたのか、大量の黒雲が空を覆いつくしていて、ほどなく男の頭にぽつり、ぽつりとぶつかってくる液体があったんだ。
最初、彼は「雨だ」と思ったらしい。腰帯に引っ掛けていたみの笠を被って仕事を続けようとしたけど、雨足もまた早い。何秒も経たないうちに、雨は笠のすき間から男の頭へ届き、笠より外れる身体中はぐしょぬれになってしまっている。
たまらず、家の軒先に避難。強まるばかりの雨は、やがて柔らかい畑の土の上に水たまりをいくつも作り始めたんだ。
断続的に降り続いた雨だったが、半刻(約一時間)も経つとおとなしくなった。それは依然として曇ったままだけど、仕事はどうにか再開できそうだと、男が考えた矢先。
頭上でかすかに響く、風を切る音。どんどん大きくなったかと思うや、いくつもある水たまりのうち、一番男に近いものの真ん中へ落ちてくるものがあった。
男は一見して、炭だと思ったらしい。「く」の字に身体を曲げ、白い湯気を発しながら横たわる姿は、触るのをためらわせるのに十分だった。長い枝を見つけて遠くからつっついてみると、想像した以上に固い。
男にとって炭といったら、もろい印象だった。灰になる一歩手前で、このように枝などでつっつけば、たちまち形を失って、ぼろぼろこぼれ落ちてしまうもの、と。
最終的に浸かった水たまりをすっかり乾かし、なおもその場にとどまり続ける炭は、気味の悪いものでしかない。男は畑の隅に穴を掘ると、やはり長柄の道具で炭を転がして中へ放り込んでしまった。
結局、上空には黒雲が固まったままで、日暮れを迎える。その間も、雨や炭が降ってくるのかと気が気じゃなかった男は、まともに仕事ができず、家へ引き返したらしいんだ。
そして夜更けを迎える。
横になってウトウトしていた男の耳へ、「ダン!」と重い物を叩きつける音が、家の外から聞こえてきた。
また炭が来やがったかと、ぶつくさ言いながら男は玄関をくぐる。方向からして家の裏手だったが、男が実際に目にしたものは違った。
地面を大いにへこませ、うずくまっていたのは小さな赤ん坊だったんだ。しかも服の切れ端すらまとわない、生まれたままの姿で。
屈葬する死者のように、手足や背筋を大きく曲げて、動く気配を見せない。声をかけても反応はなく、肩を揺さぶることも考えたが、先ほどの炭の例が頭をよぎる。また遠めから、長柄のものでつつくも、やはり起きる気配はない。
正直、気は乗らなかったが、こう人の姿をしていると、無下に扱いづらいもの。男は戦のときに使う篭手をはめた上で、家からゴザを引っ張り出し、赤子の身体の下へ差し入れる。
幸い、あの炭のように、湯気を出しながらゴザを焦がしにかかることはなかった。そのまま一気に全身へ巻き付けると、男は赤子を抱きかかえて家の中へ連れていく。
床の上でゴザを開いても、やはり赤子には目立った変化はない。身体中の黒ずみさえ、ゴザに全くつかないところを見ると、これは焦げではなく元々の肌の色らしいと、男は思い当たる。
息をしているから生きてはいるのだろう。彼は夜を徹して、この不思議な赤子を見守ったが、その間、一切の意識を取り戻すことはなかった。声かけや接触に返事しないのは変わらないが、ただ一点。水を飲ませようとしたときのこと。
喉が渇くのではないかと、ひしゃくに水を汲んで口元へあてがったところ、赤子は「いやいや」と言わんばかりに、大きく頭を振って、ひしゃくを弾いたんだ。
男の握りさえも弾き飛ばす、強い力。しかも中身の水は、大半が家のあちらこちらに飛んだが、赤子の口に触れた部分は、わずかながら白い湯気を放ったことを、男は見逃さなかった。
翌朝になっても、男の頭上には黒雲が立ち込めている。けれど、その様子は少しおかしい。
昨日は気がつかなかったが、どうやら黒い雲が浮かんでいるのは、男の頭上から一定の範囲のみだったんだ。四方のはるか遠くには青空の気配がのぞいていた。
更によく見ると、風が吹いてもこの雲に目立った動きがない。いや、厳密には表面のもやらしき部分のみが風に流され、大本の黒い部分にはいささかの揺らぎもない。
――雲じゃない。雲を透かしてなおあまりある、大きな影が浮かんでいるんだ……!
男がそう察したときには、昨日も聞いた風切りの音が、また頭上から響き出してきた。
まだ標的が見えないうちから、あのときの炭とは比べ物にならない勢いで高まっていく音に、男はすぐさまその場から退避。ややあって、男が立っていた地点からさほど離れていない土が、大きくまき散らされた。
赤子が作ったくぼみより、ふた回り以上も大きいその穴の中心でかがみ込むもの。それは赤子と同じ真っ黒い身体を持つ、青年だった。全裸の赤子とは違い、ところどころ銀色に光る、生地とも金属ともつかない破片がこびりついている。
その首が、ゆっくりと動いた。肩より下がまったくブレないその格好に、男は思わず唾を飲み込んでしまう。やがて首がこちらを向いて目が合うと、すくっと立ち上がった男が、近寄りながら、音を発してきた。
木魚を鳴らしつつ、遠方から響く銅鑼を混ぜ合わせたような、奇妙な声。もちろん男には意味を成すものとして、伝わらない。
黒肌の青年はしばらく、男へ向けて口をパクパクさせていたが、反応がかんばしくないことを悟るや、ぴたりと停止。右腕で自分のこめかみを殴り、そのまま手をくっつけて話し出す。
「――ここへ降り立った者を回収に来た。いるか?」
いささか無感情だが、今度ははっきり理解できた。
男はすぐに自分の小屋へ案内し、ゴザへ乗せた赤子を見せる。腕をこめかみから離した青年の声は、また木魚と銅鑼へ早変わりした。赤子を抱きかかえながら漏らすその声は、わずかばかり、やわらかさを覚えるものだった。
青年は赤子を片腕で抱き、またこめかみを殴ったうえで、男に尋ねてくる。
「まだ他にもいるだろう? 隠しごとはためにならないぞ」
先ほどより焦りが見えるか、攻撃的な色が浮かんでいる。
男は少しむっとしたが、表には出さない。赤子ですら、少し気に入らないことがあれば、水を湯気にさせるほどの力を発するんだ。この青年も同等以上のことができる手合いと見なければ危ない。
心当たりがあるとすれば、昨日埋めた穴だ。男は自ら土を掘り返し、昨日の炭を取り出して見せる。短い間とはいえ、土の中で過ごしたそれは、端々が少し崩れていたものの、ほぼ形を保っていた。
青年はそれを見て、ひとしきりうなったあと。赤子を抱えたままひょいと炭を手に取る。
「他にもいるだろう? どこだ? ……いや」
青年がこめかみから腕を離したかと思うと、その足で畑の周りをめぐり始める。ところどころ立ち止まり、かがんで土をなでては、あの特徴的な音を漏らす。
短く区切りながら、何度も繰り返される音。そうしてまた立ち上がり、少し歩いては立ち止まって、また同じことをする。目に涙こそ浮かべないが、しゃくりあげているのだろうと、男は感じたらしい。
10度ほど地面をなでたところで、「もう結構」と言わんばかりにすくっと立った青年は、再びこめかみを殴る。
「頼みたいことがある。ここの土、こうしてじっとさせる以外のことに使わないでほしい。なにかを作っているようだが、諦めてもらいたい。お前のためだ」
声には、隠しきれない嗚咽が混じっている。少し考えて、男は小さくうなずいたが、ひとつ尋ね返したことがある。
お前たちは、なんのためにここへ来た? と。
青年もまた、こめかみから手を放すか放すまいかで少し固まった後、そのまま語った。
「――試みだ。どれほどの備えをすれば、ここへ降り立てるか。それを調べたまで」
青年はこめかみから腕を放す。そして真上を見ると、またあの木魚と銅鑼の声で何かを叫んだんだ。
強い光とともに、肌をチリつかせる熱風が叩きつけられ、男は大いにひるむ。とっさに腕で防御をし、光と熱が落ち着くころにそれらを解くと、青年の姿はどこにもなかった。
そして空にも、わずかな黒雲の姿も残っておらず、青空が広がっているばかりだったという。
やがて男は青年の希望通り、畑はそのままにしてよその地へ移っていったそうだ。
その引っ越しの支度が済むまでの間、作物の葉がいくつか土から頭を出し、それに虫がたかることもあったそうだ。
しかし彼らは葉をかじろうとしたとたん、身体中から白い湯気を出してね。元の身体の形が分からなくなるほど溶けて、息絶えていったそうなんだよ。