後編
「そろそろ、準備はいいか?」
「え……」
ふと声をかけられ、僕は恐る恐る顔を上げた。侍が痺れを切らし、腰から刀を抜いた。
「あ、あのう……」
「さぁ、決着をつけようか」
「やっぱりその、日を改めるとかできませんか? 今日はちょっと……具合が悪」
「いざ、尋常に勝負!!」
「ぎゃあああああっ!?」
スパパパパパパパパパパパパパパパパパッ!!
……と、男が目にも留まらぬ速さで刀を振り回した。途端に、僕の横にあった机や椅子が、キャベツみたいに切り刻まれていった。
「うわ……うわああああああああっ!?」
僕は気がつくと大声で泣き叫んでいた。
僕が持っていたホウキも、あっという間にただの棒っきれになった。
「む……!?」
侍がふと手を止めて、縮こまる僕の様子を、訝しげに眺めた。
「どうした? 昨日とは全く動きが違うではないか」
当たり前だった。
昨日は夢の中だから、妄想の中だからできたのであって、現実じゃ僕はそこらへんのてんとう虫より無力なのだ。勝手に僕の妄想から出てくるなんて、卑怯だ。
「しかし、男の真剣勝負に情けは無用……」
「ひっ……!?」
侍がゆらり、と構えた刀を再び天に掲げた。
蛍光灯の明かりに反射して、銀色の切っ先がギラリと輝いた。
僕はただの棒っきれになったホウキを握りしめたまま、ガタガタブルブル震えていた。
逃げようにも、足が震えて動かない。耳の奥がキーンとして、友達や先生のざわめきがどこか遠くの方に感じられた。もう嫌だ。サイアクだ。まだ小学生だってのに、こんな死に方をするとは思ってもいなかった。こんな奴、夢の中だったら絶対に負けないのに。
夢の中だったら……。
夢の中……まてよ?
「覚悟ォッ!!」
「……!!」
侍が威勢良く声を張り上げて、僕の首を切り落とさんと、刀を真っ直ぐ振り下ろした。
もしかしたら……。
僕はギュッと目を閉じて、持っていた棒っきれで、僕の頭を思いっ切りぶっ叩いた。
…………。
………………。
……………………。
……そして気がつくと僕は再び、昨日の夜眠る前に夢見た、あの白い砂浜の上に立っていた。
「……消えた?」
刀を振り下ろした侍が、驚いたように目を丸くしていた。彼の目には、僕が一瞬で消えてしまったように写っただろう。
やっぱりだ。
上手くいった。僕は侍の後ろ姿を眺めながら、まだバクバクと心臓を鳴らしていた。
危なかった。だけど、僕の夢の中から出てきたというのなら、僕がまた気絶でもして夢の中に入ってしまえば、侍をこっちの世界に引き戻すのだってできるはずだ。
何てったって僕は夢の中では世界最強、どんな物理法則も時系列も、自由自在なんだから。
「……そこにいたのか!」
侍が、後ろにいた僕に気づき、慌てて刀を構え直した。
だけど、もう遅い。
彼も夢の世界の住人である以上、僕に逆らうことはできない。
キンキンキンキンキンキンキンキン!!!
……と、刃物の擦れ合う音が、白い砂浜に木霊する。
僕は慣れた手つきでひょいひょいと刀を動かした。こうなるともう、僕のものだ。
「く……っ!?」
やがて相手の刀は宙を舞い、侍はまたしても悔しそうに歯を食いしばった。
「む、無念……!」
「どうやら相手が悪かったようだな……グフフ」
それから僕は侍を峰打ちにし、夢の中で、勝利の鼻くそを穿った……。
…………。
………………。
……………………。
「……ホントにイイんですか? 艦長」
「……ええ。できるだけ世俗に塗れた、欲望丸出しの地球人を探していたの」
「だけど、僕らの宝でもある『夢見守』をこんな子供に預けるなんて……」
「地球人の望みを知るには、彼らが日々考えてることを覗くのが一番よ」
「……危ない種族だったら、どうするんですか? 昨晩のテストでも、血なまぐさい戦闘シーンで危うく……」
「大丈夫よ。この少年が危ないことを考えてたら、『夢見守』の力で夢が現実になって、勝手に人類は滅ぶわ……」
……………………。
………………。
…………。
……そこで僕は、目を覚ました。
何だか遠くの方で、誰かが喋っていた声が聞こえた、気がした。
「あら、起きた?」
僕が体を起こすと、保健室の先生が僕の顔を覗き込んでいた。
この間赴任してきたばかりの、いつもサボテンに話しかけている、ちょっとおかしな先生だ。先生が僕にほほ笑んだ。
「伊藤くん、教室で気絶して、倒れたのよ」
「あぁ……」
僕は頭を振った。目を覚ます前の記憶が、全然思い出せなかった。何かが喉につっかえたような、妙な気分だった。まだ頭がジンジンと痛かった。
帰り際、先生は僕に『早く良くなるように』とどっかの神社のお守りを握らせてくれた。
先生にお礼を言って、教室に戻ると、もう帰りの会は終わっていた。
僕の机の上には、小山田たちが残していった大量のランドセルが積まれてあった。
僕は夕日に染まった教室をぐるりと見渡した。
特段変わった様子はない。ランドセルは、いつものことだ。
ただ何故か、掃除用具入れからはみ出したホウキが、ジャガイモみたいに細切れに切り刻まれていた。
「あ〜あ……」
僕はため息を零しながら、大量のランドセルを引きずって教室を後にした。
早く、夜になればいいのに。
今夜はどんな『世界最強』にしようか。
地球に隕石が降ってきて、それを止める宇宙飛行士の役か。
それとも宇宙人の侵略にあって、生き残った僕が戦う奴にするか。
ズルズルとランドセルを引きづりながら、僕の『妄想』は、どんどんと膨らんでいくばかりだった。