29 : 人気のない道路
ロンドン橋へ向かうと聞いて俺は、レインボーブリッジへ来た時のように、歩いていくのだと思いこんでしまっていたが、直後、その考えは間違いであったことを知る。
車が用意されていたのだ。
真っ赤な色のオープンカーが、レインボーブリッジに止めてあった。
「・・・」
いや、どんだけ財力があるんだよ、橋世界。
花火もドンパチ上げていたし、愛する対象に限らずとも、楽園の中では案外何でも作れるのかもしれない。そもそもこの世界こそが妄想の塊なのだ。現実にはあり得ないようなものがあってもおかしくはない。
それよりも驚きだったのは、案内人の観音がここまで、ずっと歩いてきたということだ。
どうやらロンドン橋からやってきたらしい。
確かに小学生なのだから、車を運転できないのも当然のことだけれど、やはりそれでもロンドン橋は遠すぎる。
俺は2時間歩いただけで、足が悲鳴を上げていたのに、コイツの体はどうなっているのだろう。
試しに聞いてみると、「世界中の橋が見れるのだったら、足が痛いなんて楽なものでっすー」と返された。
愛の力は無限大だ。
しかし、案内人が車を運転できないとなると、車の操作に学がありそうなヤツは1人しか残っていなかった。(一応注釈しておくけれど、俺は中学生なので、車にはもちろん乗れない)
変態辞書女、もとい辞書大好き女、興梠である。
どう見ても成人は過ぎているであろうこの女は、当たり前のように車の運転席に座っていた。というか、もう運転していた。
俺と観音は後部座席。誰も助手席には座ろうとしなかった。
そして車は、アジアの有名な橋をあらかた渡り終え、すでにアメリカ大陸へと移っていた。
「この長い距離、さすがに歩くのは無理そうだから、車に乗れって良かった、と言いたいところなんだけれど、それが興梠の運転する車であるがために、どうしようもない不安が襲う・・・」
「ん? 何だ石黒。私の名前を呼んだのか?」
興梠が後ろを振り向いて言う。
「いや、ただの独り言だから気にするな・・・って! 運転中に後ろを向いてんじゃねぇっ!」
「おっとー。そういえば車を運転しているんだった。すっかり忘れてしまっていたよ。やっぱり運転は前を向くことに限るよね。教えてくれてありがとう、石黒。まあ、私は免許なんて持ってないけど、両手を離してよそ見運転くらいはできるつもりだよ」
「車を自転車みたいに語るな。頼むから本当にするなよな」
早く捕まれ、お前みたいな交通ルールを守らないヤツは。
「だからお前に運転させるのは嫌だったんだ。間違って人でもひいたらどうする」
「そのときは責任を持って蘇生させるさ」
「そういう問題じゃねぇよ」
「といっても別に、ひかれるような人なんてどこにも歩いてないんだけどね」
「まあ、そうなんだけどさ・・・」
人どころか、車1台走っていなかった。
おかしい。
興梠の言うことを信じるならば、この楽園、橋世界は、現実の世界と半分つながっているため、人も車も普通に存在するはずなのだが・・・。
アメリカは今日、盛大な休日でもあるのだろうか。あまりにも人がいなさすぎる。
「オイ観音。これは一体どういうことなんだ?」
「どういうことと言われましても、見た通りだと答えることしかできません。これから先は、もう2度と人に会うことはないので、安心して走っていただければ幸いです」
「安心しろって言われてもねぇ」
人がいなくても興梠は興梠なのだから、不安であるのに変わりなかった。
さっきはスルーしちゃったけど、コイツ免許持ってないんだぞ? どう安心しろと言うのだ。死を近くに感じる。危ない危ない。
「うわ―っ。きれいでっすーねー」
観音は肝が座っているようで、さっきから窓の外ばかり見つめていた。
本当に橋が好きなのだと、表情を見ればすぐに分かる。
「この橋はアメリカの浮き橋だね。シアトルとベルビューを結んでいる、世界最長の浮き橋だよ。あ、お前って浮き橋の意味は分かるんだっけ? 要するに浮いているんだよ」
興梠が辞書を片手に読みながら、後ろを振り返って言う。
「へえ、そうなのか。知らなかった・・・って! だから運転中に後ろを向いているんじゃねぇ!」
「これぞ、両手を離してのよそ見運転」
「こんなに早くフラグを回収しちゃったよ!」
ふざけてないで、本当に事故とかやめてくれよ。
道には誰もいないから、接触事故はないだろうが、壁にでも激突してしまったら、大けがどころではすまない。
しかもオープンカーだから、海に投げ出される可能性もある。
日本の橋はさほどそうでもなかったが、外国の橋は大きな川や湾、海などに架かっているケースが多いのだ。
「日本の川は短くて急って聞いたことがあります」
「よく知ってるな。本にでも書いてあったのか?」
「本なんて読みませんよ。そもそもここに、1冊も本はありません。仮屋さんが教えてくれたんです」
「ああ・・・確か楽園の主の」
仮屋。
景観の楽園の主である。
創造者にして作製者。景観を愛した1人の人間。
「その人が確か、ロンドン橋で待ってるんだよな。でもロンドンって・・・親がイギリス人だったりするのか?」
「よく知りませんけど、たぶん違うと思いまっすー」
「なら日本まで来てくれたらいいのにな。ここに部外者が迷い込んだというのは、迷惑な話かもしれないけれど、楽園管理局に協力的でないのはなんだか困った人っていうか・・・」
興梠が言っていた。
楽園の主はみんな電話を常備しており、いつでも管理局からの連絡を受けられるようになっていると。
しかし仮屋は、統治者からの電話に一向に出ないらしい。
出ないというか、出られないのだと、トーチが愚痴をこぼしていたそうだ。
「仕方ありませんよ。あんなことになってしまえば、電話どころじゃありません。でもだからこそ、お客様方が助けに来てくれて、私はとても感謝しています」
「・・・助け?」
違うぞ観音。
俺たちは行方不明の綾星を探しに来ただけで、別に助けるつもりはなんかは――。
「・・・」
というか、助けるといったって、一体何を助けるのだというのか。
昨日の夕方、トーチが何かを隠しているようだったけれど、この楽園、少し裏がありそうだ。
俺は座席に寄りかかり、目を閉じる。
何事もなく今日が終わりますように。
そして一日を締めくくる場所が、家のベッドでありますように。
疲れていたのでそのまま寝ようと思ったが、俺は観音に叩き起こされた。
「見てください! そろそろヨーロッパの橋に入りますよ!」
「・・・」
ったく、やっぱりコイツは橋が大好きなんだな。
景観ではなく、橋自体が――。
「よっこらせっと」
俺は目を開け起き上がった。
現在午後1時。綾星みつぐの行方は知れず。
次回は、9月24日の予定です。




