16 : 交渉
「少女が楽園に迷い込んだ――行方不明だ」
「・・・」
珍しく、興梠が真面目な顔をした。
ピッカーン
・・・なんだろう。
年に数回、のび太くんが勉強に目覚めた時のような顔に似ている。
輝いているのだ。
神々しささえ感じてしまうほどに。
「なるほど・・・そうきたか」
とりあえずお賽銭箱の上に座り直した興梠は、そう呟いた。
彼女にとってお賽銭箱とは、座る物以外の何でもないらしい。いくら真面目になったとしても・・・だ。
しかし、特筆すべき点は他にもある。
興梠が辞書を・・・
「・・・!」
置いたのである。
フリーハンド
この女とは、かれこれ1年ほどの付き合いだけれども、辞書を手放したのを見るのは、今日が初めてだった。
全身全霊で会話に臨もうというのか・・・コイツ。
俺との雑談では1年の間1度も、辞書を地面に置くことがなかったというのに・・・。ただの暇つぶしでしかなかったというのに!
なめられている。完全になめられている・・・。
興梠を真面目にさせる方法を探るという意味でも、彼らの話を最後まで聞き、大いに学ばせてもらおう。
●
「とりあえず興梠君」
「・・・」
統治者が腕を組む。
「君には、その少女の捜索を依頼し・・・」
「ちょっと待った」
「・・・は?」
興梠が、統治者・・・もとい、トーチの話を遮った。
「いくつか、聞きたいことがある」
「いや、一応最後まで話は聞いてほしいんだけど」
「質問を?」
「私の話を!」
興梠がしぶとい。
「い、く、つ、かー、聞きたいことがー」
「あぁぁっ! 分かった分かった! 何でも自由に聞いていいから!」
折れた。
恐らく心も折れた。
あれだな。いくら統治者であっても、年齢の差が大きすぎたようだ。
年齢の差というか、経験の差、かもしれないが。(どんな経験だよ)
ちなみに、興梠の年齢は不詳である。
「1つ。どうしてわざわざ君が来たんだ?」
「・・・?」
「年齢や経験はどうであれ、君は統治者なんだぞ。管理局のトップだ。少女1人行方不明になったからとはいえ、君が来るのは釣り合いが合わない」
「・・・」
なんだ?
行方不明になったからとはいえ?
さすがに行方不明を軽く見すぎじゃないか?
警察が動くレベルだぞ。
「・・・君は、私の言っていることが信じられないと?」
「・・・」
「ウソを言っていると・・・そう言いたいのか?」
あれ?
なんか、雲行きが怪しいような・・・。
「ああ。最悪、君が偽物である可能性も考えている」
「偽物・・・!?」
「悪いが、統治者の就任式には出ていないんだ。1人でここに来られた以上、証明のしようがない。君の母・・・先代統治者とは、知り合いだったんだけどね・・・」
「ぐ、ぐぬぬ・・・」
「いいかい? 大事なのは信頼関係だ。私と先代にはそれがあったから、依頼をこうやって断ることもなかった。だが、君とにはそれがない。母のコネを頼った、自らの浅はかさを恨むんだな」
「・・・」
「どこの少女だか知らないけど、わざわざ助けてやるような義務も義理も・・・」
興梠は、辞書を再び手に取って一言。
「私には、ない」
次回は4月30日の予定です。