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9 イェンの家に

 イェンの家は街外れにあった。

 家の回りにはたくさんの花が植えられ、窓辺にも同様に鉢植えが飾られている。

 目の前の少年が花いじりをするとは思えないし、似合わない。

 つまり家族の誰かが手入れをしているのだろう。


 それに見た感じ怪しい雰囲気は感じられない、ごく普通の家だ。

 家の中に通され、アリーセは椅子に腰かけた。

 居心地悪そうにかしこまって部屋を見渡す。

 どうやら家族がいるというのは嘘ではないようだ。

 

 きちんと片付けられた部屋。

 食器棚にはたくさんの食器が整然と並んでいる。

 外には洗濯物も干してあり女性ものもある。


 ほどなくして、カップを手にイェンが現れた。

 手にしたコーヒーをアリーセの前に差し出し、自分もアリーセの向かいの席につく。

 イェンの淹れてくれたコーヒーを一口飲み、アリーセはほっと息をついた。

 そして、目の前に座るイェンに改めて視線を向ける。


「イェンはあたしが過去から来ることを知っていたってことなのね?」


「まあね。あんたが時の狭間に迷い込まないようあの時術をほどこし、こうやって俺の所に導いた」


 ひらりと手のひらを返したイェンの手に、一片の桜の花びらが現れた。

 手のひらの桜の花びらを見てアリーセはかすかにうなずく。

 納得したアリーセに満足したイェンは、ふっと手のひらに息を吹きかけた。

 イェンの指先を滑り虚空へと舞い上がる花びらを、アリーセは目で追い、再びイェンの指先に視線を向ける。


 男の子なのにきれいな指。


 それに、仕草のひとつひとつが優雅だ。

 視界のすみに、舞い上がった桜の花びらがテーブルに落ちていくのが映った。

 思わずイェンの手に見とれてしまっていたことに気づき、アリーセはふるっと首を横に振る。


「そっか、助けてくれたんだ。ありがとう」


 ようやくお礼を口にしたアリーセに、テーブルに頬杖をつきイェンはどういたしまして、と笑みを浮かべた。

 相変わらず変な色気を振りまいているが、笑った顔は年相応の少年のものであった。


「でも、どうして会ったこともない、見ず知らずのあたしを助けたりするの?」


「見ず知らずなんかじゃねえよ。この先、俺たちは出会うことになる」


 テーブルに頬杖をつき、イェンは意味深な笑いを浮かべる。


「いつ?」


「もう少し先だな。そして、あんたは酔っぱらった時に、一度だけ今日のことを俺に語ったんだ」


「よ、酔っぱらったって」


 アリーセは顔を青ざめさせた。


「まさかあたしたち、酔った勢いでなにか間違いを……」


 今度はイェンが呆れたように口を開けた。


「んなことあるわけねえだろ! っていうか、あんたそんなに酒癖悪いのかよ」


「ち、違うわよ。イェンが意味ありげに笑うから、変に深読みしすぎたというか……」


「まあ、助けたのは、あんたは俺にとって大切な人だから」


 大切な人と言われアリーセは頬を赤くする。

 だが、イェンと自分とのかかわりが、ますますわからなくなった。


「そもそも時を渡るなんて、一介の魔道士には不可能なことよ。ねえ、イェンは何者なの?」


「俺はただの魔道士だよ。〝灯〟の初級魔道士」


 イェンはおどけたように肩をすくめた。

 どうやら、このことについては本当のことを語るつもりはないようだ。

 アリーセもそれ以上のことは突っ込まなかった。


 とりあえず、害がない人物とわかればイェンの素性は置いておくとしよう。

 それより今は元の世界に帰る方法を考えなければならない。

 アリーセは腕を組んで考え込む。

 そういえばさっきミリアの姿を見かけたが、彼女の見た目は三十歳前半くらいのように見えた。

 つまりここはアリーセのいた時代より、十年以上先ということになる。


 それに、やっぱりエリクは〝灯〟の長になるんだ。

 ほんとにすごい人なんだな。


「なあ、それよか腹へらねえか?」


「言われてみれば……」


 イェンにそう問いかけられ、アリーセはお腹に手をあてた。

 考えてみたら朝、食べたきり何も口にしていないことに気づく。


「じゃ、何か食うもん持ってくる」


 そう言って、イェンは再び台所へと消えていった。

 やがて奥から鍋やら食器がぶつかる騒がしい音が聞こえてくる。

 さらに焦げた匂いまで。

 おそるおそる台所をのぞくと、危なっかしい手つきでパンを切るイェンの姿があった。

 調理台には厚さの違う不揃いなハムとチーズが並べられている。


「ねえ、イェンって不器用なの?」


「慣れないだけだよ!」


「ちょっと! 目玉焼きが!」


 アリーセは焦げかけた目玉焼きを見て、慌てて火からフライパンを離す。


「いいんだよ。白身のはじっこが、かりかりのほうが俺は好きなんだ」


「嘘よ! 目玉焼きは半熟でしょう!」


「いーや、しっかり焼いた方がうまいんだ」


「半熟がいいのに……」


 そして、テーブルに並んだのは不揃いに切られたパンとチーズとハム。

 焦げた、イェンが言うには白身のかりかりが美味い目玉焼きだった。さらに、イェンはりんごジャムが入った瓶をテーブルに置いた。

 それらを見て、アリーセはくすりと笑う。


 見た目は悪いが食べられないわけでもない。

 それにイェンが作ってくれたというのが何となく嬉しかった。

 パンを手に取り口にした瞬間、アリーセは首を傾げた。

 味はなかなかだ。

 いや、むしろ馴染みのある味のような気がする。


「おいしい……」


「だろ? パンもハムもチーズもりんごジャムも手作りなんだぜ」


 テーブルに頬杖をつき、イェンはまたしても意味ありげな笑いを浮かべる。


「へえ、そうなんだ」


 と答えながらアリーセはその台詞をつい最近自分も口にしたような気がすると、首を傾げる。


「あ、イェンのいれてくれたコーヒーもおいしいよ」


 アリーセの褒め言葉に、イェンはついっと目を逸らし、わずかに頬を赤くする。


「え? まさか、照れてるの?」


「ちが……」


「やだ、かわいい」


「男にかわいいって言うな!」


 むきになるイェンに、アリーセは肩を震わせて笑った。


「笑いすぎだ!」


 ひとしきり笑った後、アリーセは目の端ににじむ涙を拭い、居住まいを正した。


「あたし、最初はイェンのことうさんくさい奴だと思ったけど」


「俺のどこがうさんくさいんだよ」


「でもあんた、いい奴ね」


「そう思うならもっと俺に優しくしてよ。あんたいつも俺のこと引っぱたくし。それも本気で」


「え? なに? なんのこと?」


 イェンの言葉はほとんど呟きに近かったからアリーセの耳には届かなかったようだ。


「なんでもないよ」


 テーブルに頬杖をつき、イェンはアリーセの目をじっと見つめる。

 束ねた長い髪がはらりと肩から胸の前に落ちる。

 窓から差し込む光の陰影のせいで、イェンの顔立ちがくっきりと際だった。


 きれいな顔。

 非のうちどころがないって、こういうことを言うんだわ。

 どうしたらこんな美形が生まれてくるんだろう。

 両親の顔を見てみたいかも。


「もしかして、惚れた?」


「ぜんぜん」


 うそ。

 黒い瞳に見つめられ、一瞬どきりとしたのは事実。

 落ち着かず、アリーセは膝の上に置いた手をもじもじと動かした。

 確かにこんな完璧な顔で、甘い言葉と声で口説かれたら落ちない女性はいないだろう。

 仕草も目線も声も何もかも、人を惹きつけるものがある。

 本人もそれをわかっている。


「エリクの方がずっとずっと素敵」


「ふーん。でも俺、エリクに似てると思わない?」


「はあ? どこが!」


 アリーセの顔が露骨にゆがむ。


「だいたい、エリクはあんたみたいに女にがつがつしてないし、物腰柔らかだし、優しくておとなの男って感じだし」


「実際、おとなだろ」


「落ち着いていて頭もいいし、魔術の腕も最高だし、回りから頼りにされているし、メガネも似合うし」


「メガネって関係ある?」


「何より、あたしのこと大切にしてくれるから……だから、好き」


 と言ってアリーセは顔を真っ赤にしてうつむく。

 はいはいと、イェンは肩をすくめた。


「まさかのろけを聞かされるとは……」


 ふいにアリーセは表情を翳らせる。

 エリクの名前を口にした途端、切ない気持ちに胸が締めつけられた。


「あたし、元の世界に帰れるかな」


「心配すんな。俺が必ず帰してやる」


 イェンは親指を立て、俺を信じろというように、自分の胸をとんと叩いた。


「今すぐ帰りたい」


「それは無理」


 にべもなく言い捨てられ、アリーセは身を乗り出した。


「どうして!」


「あんたがここに無理矢理送り込まれたせいで時空が乱れた。念のため、その乱れが元に戻るまで少し待て。あんただって時の狭間でさまようことになるのはいやだろ?」


 アリーセは言葉を飲んで椅子に座り直す。

 あの時、ギゼラの召喚した者によって、暗い空間に放り出された時の恐怖を思い出す。

 もうあんな怖い思いを味わうのは二度とごめんだ。


「ねえ、あたし魔力を失ってしまったの。それでも帰れる?」


 イェンは目を細めてアリーセを見る。


「魔力を失った? そんな気配は少しも感じねえけど?」


 アリーセは窓辺に歩み寄り、鉢植えに植えられたすみれの花に視線を落とす。

 一輪の、元気なく首を垂れているすみれの花に手をかざし、回復系の呪文を紡いだ。

 けれど、すみれの花には何の変化も現れなかった。


「初歩的な術なのに……」


「なあ、失った魔力を取り戻す方法を知っているか?」


 低く声を落とし、イェンはついっとアリーセにつめ寄った。

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