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7 異界の魔王召喚

 何もない、深い闇が広がる空間。落ちているのか、浮いているのか、それすらもわからない感覚。

 叫ぶ声すら深淵の闇に吸い込まれ、支配するのは無音の世界。

 愛する人の名を叫んでも、その声は相手に届くことはない。

 あふれる涙が目に浮かび、ちぎれて虚空に飛ぶ。瞬間、流した涙が一片の花びらへと変わり淡い光を放った。


『困ったことがあったら、俺の名を呼べ。必ず助けてやるから』


 〝灯〟の裏庭で出会った不思議な少年。

 すっかり忘れていた少年の姿をふと思い出す。


「イェン……」


 少年の名を呟き、ふわりと舞う花びらに手を伸ばす。

 指先に触れた花びらから光がはじけ、アリーセは眩しさに目を閉じた。

 そして、次にまぶたを開いたアリーセの目に映ったのは……。

 目が覚めるほどの果てしない真っ青な空。

 風に乗って舞い散る無数の桜の花びらがアリーセを包み込む。


「アリーセ!」


 呆然と座り込むエリクの背後で声を忍ばせて笑っていたギゼラは、とうとうこらえきれないというように、高笑した。


『さあ、おまえの願いを叶えてやった。次はおまえが我の願いを叶える番だ』


 ゆらりと影が動いた。

 その狡猾な声の響きに含まれる意図にギゼラは疑問も懸念も抱いている様子はない。


『おまえの魂をもらう』


「契約を結ぶのね」


『おまえの魂をもらう』


 〝異界の王〟は同じ言葉を繰り返す。


「待て!」


 ギゼラを背後にかばい、エリクは影の前に立ちふさがった。

 再び影が揺らぐ。


『ほう? どうやらおまえはそうとうな魔力の持ち主のようだ。おまえは我と契約を結ぶに相応しい。我と契約を交わさぬか?』


「断る」


 即座に答えるエリクに〝異界の王〟がにやりと笑う気配を感じた。


『我と契約を交わせば、おまえはさらなる力を得るのだぞ? そして、どんな望みも我は叶えてやることができる』


 どんな願いも……。


 エリクの表情が揺れ動いたのを影は見逃さなかった。

 さらに、エリクの心を揺さぶる言葉を投げかける。


『そう、どんな願いもだ』


 エリクは握った手を震わせた。

 時空の狭間に飛ばされてしまったアリーセを見つけ出し連れ戻すには、同じく時空を操る術者の力が必要となる。

 しかし、時を超える大がかりな術は失われた古代高等魔術であり、過去や未来を悪戯に乱す危険のある禁忌の術とされている。

 上級魔道士とはいえ、そう簡単に扱える術でもなく、得られる知識でもない。

 自分もそして〝灯〟の人間の誰も、その術を使える者はおそらくいないであろう。

 つまり、アリーセを呼び戻す手段がないということだ。

 爪が手のひらに食い込むほどにエリクは手を握りしめた。

 〝異界の魔王〟と契約を交わし力を借りれば、アリーセをこの世界に呼び戻すことができる。


「それは私がびだしたものよ!」


 まるで横取りしないでと言わんばかりに、ギゼラは声を荒げた。

 エリクは堅く目を閉じそして、決心したように目の前の黒い影を見据えた。


「わか……」


『ばか! 目を覚ませ!』


 脳裏に響く力強い警告の声に、エリクは沈みかけた意識の底から引き戻される。


 いったい、僕は何を考えていた。


『そいつは〝異界の王〟でも何でもない、ただの低級魔族だ。契約を交わしたところで、何の得にもならねえぞ。っていうか、あんただってそんなこと本当は気づいていただろうに』


 魔方陣から光輝く茨の蔓のようなものが伸び、黒い影を捕らえた。


『心配すんな。彼女は必ず俺がそっちの世界に送り届けるからよ』


 エリクは張りつめていた緊張を解き、ふっと肩の力を抜く。


「わかった君を信じよう」


『ああ、任せろ』


「誰と会話してるのよ!」


 ギゼラは訝しむ顔で辺りを見渡した。


『それと、魔方陣と異界の空間を繋げた。そいつを本来いるべき世界に送り返せ。できるよな?』


 その声にエリクは大きくうなずいた。

 〝異界の王〟を騙った影は、縛められている光の蔓から逃れようと、もがいている。


『邪なるものを封じる』


 かかげたエリクの手のひらに、まばゆい光が収束する。

 エリクの足下から旋風が渦を巻いて上空へ舞い上がる。


『この世界におまえの居場所はない! 元の世界へ還れ!』


 集まった光を一気に〝影〟目がけて解き放つ。断末魔にも似た〝影〟の絶叫が耳をつく。

 黒い霧が辺りに散り〝影〟が魔方陣へと吸い込まれるように消えていった。


「やった……」


 取り戻した静寂の中、エリクは荒い息を吐いてその場に立ち尽くす。

 どうやら〝影〟を無事元の世界へと送り返すことに成功したようだ。

 エリクは空を見上げ、そっと目を閉じた。


「あとは君に任せよう」

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