5 禁書
〝灯〟の使われていない部屋の一室で、二人の男女が抱き合い口づけを交わしていた。 長い口づけから唇を離し、艶めいた笑みを浮かべるのはギゼラであった。
そして相手は、以前街で腕を組んで歩いていた男とは別の男。
「まさか、君が誘ってくるとは驚いたよ」
「前からあなたに興味があったのよ」
「それは初耳だ。でも君はあいつの、エリクの恋人だろう?」
あいつと呼ぶ男の口調には何やら含むものがあった。
それもあまりいい感情を持っている感じはなさそうだ。
男の名はイーサ。
〝灯〟上層部の魔道士としてエリクと肩を並べる実力の持ち主である。
「誰がそんなことを言ったのかしら。それこそ初耳」
おどけたように首を傾げるギゼラに、イーサはふっと笑い肩をすくめた。
「で? 俺を誘ったわけは?」
「あら、理由がなければ誘ってはだめ?」
ギゼラは自らねだるようにイーサに再び唇を寄せた。
イーサはくつりと笑い、まあいいか、と呟いてギゼラを抱き寄せた。
一通の手紙を手に、アリーセは〝灯〟の建物とは別棟の図書館に向かって歩いていた。
朝、郵便受けをのぞいたら、差出人不明のこの手紙が投函されていたのだ。
手紙の内容は大切な話があるので夕方、図書館に来て欲しいと書かれているだけであった。
以前はよく男の子たちに呼び出され告白を受けたが、エリクと付きあうようになってからはそれもなくなった。
この手紙も、もしかしたらそういったものだろうか。
正直、行くのをためらったが、無視するのも何となく気が引けた。
建物の前に立ち、もう一度手にした手紙に視線を落とす。
そして、意を決したように重厚な扉に手をあて押し開けた。
館内に足を踏み入れる。図書館独特の厳粛な雰囲気はいつもと同じ。
けれど、何故か違和感を感じるのは気のせいか。
背後でぎっと音をたてて扉が閉じる。
天井まで並ぶ本棚と、迫る夕闇に館内は薄暗い。
アリーセはさらに奥へと足を進める。
何となく胸騒ぎを感じるのは気のせいか。
やがてアリーセの顔に不審な色が浮かぶ。
いつまでたっても、自分を呼びだしたと思われる人物が現れないのだ。
それどころか、人一人いないというのはおかしいではないか。
アリーセは身体を震わせた。粟立つ感覚に自らの腕を抱きしめる。
引き返そうと思いながらも、まるで何かに引き寄せられるように、自分の意志とは関係なく足がさらに館内奥へと進んでいく。
机の上に置かれた一冊の本にふと目がとまる。
その本を手にとり、頁をめくって息を飲む。
これは……。
「禁書!」
思わず大きな声を上げてしまい、慌てて口元を押さえた。
図書館最奥部、魔術で厳重に封印、保管されているはずの本が、何故こんな人目のつくところに、それも無造作に置かれているのか。
手にした本に視線を落とし、アリーセは立ちすくむ。
魔道士なら誰でも禁書をのぞいてみたいと思うのは当然のこと。
アリーセは震える手で本を開こうとして慌てて閉じる。
分不相応の知識を得ることは、身の破滅につながることもあるのだ。
本をどうしようかと思いあぐねていたその時、勢いよく扉が開け放たれ、驚いて反射的に本を胸に抱きかかえた。
やがて、厳しい面持ちで現れた数十人の上層部と思われる者たちが、アリーセを取り囲んだ。
これだけの上層部の面々が揃うところを目にするなど滅多にはない。
雰囲気に圧倒されアリーセは身を縮める。
しかし、彼らが何故ここに?
その中の一人、壮年の男が一歩足を踏み出した。
「その手にしている本は何かね?」
アリーセは抱えていた本に視線を落とす。
「これは、そこのテーブルの上に置いてあって……」
「誰がテーブルに置いたと?」
そこでアリーセは事態の深刻さに気づく。
「禁書を盗み出した容疑で拘束する」
「盗む? 違う! あたし盗んでなんか」
男は腕を組み、ふむとうなずいた。
「確かに君では保管室の封印を解くのは無理であろう」
アリーセは誤解が解けたと一瞬ほっとする。
さらに、扉の入り口からエリクが駆け込んできたのを見て、張りつめていた緊張の糸が緩み泣きそうになった。
が、上層部の男が発した次の言葉に一気に叩きのめされる。
「だが、エリク・アードリガーの力を借りれば封印を解くなど容易いかも知れぬな」
男は背後に立つエリクを振り返る。
「違う……」
男はアリーセから本を取り上げ、その両手首に魔術の手錠を施した。
「エリクは関係ない! 関係ないわ!」
アリーセは声を張り上げ必死に抵抗した。
事件の真相が明らかになるまで、アリーセは自宅謹慎処分となった。
上層部の人間が言ったとおり、禁書が保管されている図書館の部屋にかけられた術は上位魔術。
一介の魔道士に解ける術ではない。
だが、疑いが晴れたわけではない。
むしろ事態は最悪の状況となった。術を解いたのはエリクで、アリーセと共犯したと疑われたのだ。
さらにアリーセが魔力を失ってしまったことも上層部に知られてしまった。
つまり上層部は、アリーセが失った魔力を取り戻すため、禁書に手をだしたと疑っているようだ。
あの事件から三日たったが、エリクとは一度も会っていない。
エリクの方から会いにくることもなかった。
不安が増し、とうとう四日目の夜、たまらなくなってエリクの家へ足を運んだ。
しばし、エリクの家の前でたたずみ、何度も扉を叩こうとしては思いとどまり、やがてくるりと背を向け引き返そうとした。
「アリーセ……」
扉が勢いよく開け放たれ、エリクが飛び出してきた。
「窓の外からアリーセの姿が見えたから。いったい、いつからそこに」
うつむいたアリーセは、エリクと視線を合わせようとはしなかった。
「とにかく入りなさい」
肩を抱かれ部屋に通された。
ソファーに腰をおろすと、すぐに熱いコーヒーが差し出された。
ずっと外で立ち尽くしていたせいで、すっかり身体が冷えてしまっている。
カップを受け取り一口飲むと、じんと喉の奥まで熱さが染み渡った。
おそるおそる視線を上げると、エリクの変わらない微笑み。
「ごめんなさい……あたしのせいでエリクに迷惑をかけてしまって……」
呟くアリーセの前にエリクは片膝をつき、手に手を重ねた。
「アリーセ。こんなこと考えたくはないが、アリーセは誰かにはめられた」
「でも、それでもやっぱりあたしはエリクに迷惑をかけてしまった。エリクまで〝灯〟から追放されたら」
重ねられた手を強く握りしめられる。
「アリーセ、僕を誰だと思っているの?」
涙をにじませた目でエリクを見上げると、そこには不適な笑み。
こんな顔をするエリクなど初めて見る。
「本当はもっと早くアリーセに会いたかったけど、いろいろ片づけなければならないことがあって。心配させてしまってごめんね」
エリクの手がアリーセの髪を優しくなでた。
アリーセはエリクの胸に顔をうずめた。
「アリーセ……」
「お願い今夜は一人にしないで。怖くて不安で……あたし、一人になったらどうなってしまうかわからない」
消え入りそうな声で呟いて、アリーセはエリクの胸にひたいを寄り添えた。
しばしの沈黙にアリーセは唇を噛む。
この間のように拒絶されたらと不安が胸をよぎり、アリーセはすっとエリクから離れた。
まるで聞き分けのない子どものように、エリクを困らせてばかりだ。
目の縁にたまった涙を拭い、アリーセは精一杯の笑顔を浮かべた。
「あたし……帰ります」
立ち上がり、エリクに背を向けた瞬間、力強い手に引き寄せられ抱きすくめられた。
「エリク……?」
言いかけて唇をふさがれる。そして、アリーセの身体がふわりと浮き、抱きかかえられたままベッドへと連れて行かれる。
二人分の重みに軋むベッドが夜の静寂に響く。
窓から射し込む月明かりが白いシーツに蒼白い光を落とす。
ゆっくりと眼鏡を外すエリクの仕草に、アリーセの胸がきゅっとしめつけられた。
エリクの手が頬に伸び、アリーセはびくりと首をすくめた。
こうなることを望んでいたのに、いざとなると余裕のない自分に困惑し、アリーセは瞳を揺らした。
「あたし……」
開きかけたアリーセの唇にエリクの人差し指が添えられた。
熱を帯びたエリクの瞳に射竦められ、アリーセはかすかな吐息をもらした。
優しく髪をなでられる感触に、アリーセはまぶたを震わせる。
夜が明け離たれようとしているのか、薄闇に包まれた部屋にほんの少し白々とした明るさが満ちる。
視線を横に傾けると、エリクの顔が間近に。
「もう少し、お眠り」
囁く声にアリーセは小さくうなずいた。
静かな寝息をたて再び眠りへと落ちていくアリーセの頬に、エリクは唇をよせた。
「アリーセ、君を必ず守るよ」
夢とうつつをさまようアリーセの耳にそんな言葉が落ちた気がした。
次に目覚めた時にはエリクの姿はなく、枕元に一通の手紙が置いてあった。
封を開けようとして、アリーセは困惑する。
手紙には術がほどこされていたのだ。
魔力を失ったアリーセに、手紙を開けることはできなかった。




